2019年01月21日

講演会「弥生時代と土井ヶ浜遺跡」(2019/1/20・国立科学博物館)

昨日、東京・上野の国立科学博物館 日本館講堂で開催された
講演会「弥生時代と土井ヶ浜遺跡」を聴講してきました。
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高椋 浩史先生(土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム)と
岩永 省三先生(九州大学総合研究博物館 教授)による
1時間半の講演です。
講堂内は満員の着席。
遠き昔、弥生時代に土井ヶ浜の地に人々が住み、生活し
そして大陸、朝鮮半島を経由して人々の交流があったんだなあって
しみじみ思いを馳せる時間でした。

そして日本館で開催されていた土井ヶ浜遺跡の企画展
「砂丘に眠る弥生人」を見学してみました。
常設展の一部として開催のため、通常の入館料のみで見学できます。

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土井ケ浜遺跡は1952(昭和27)年の青年研修所建設工事で
人骨と貝製品が発見されたことを皮切りに、
その後19回にものぼる調査が行われ、約300体の弥生時代の人骨が
出土したのだそうです。

展示会場内ではそのうち第4回調査の模様が
ショートビデオで紹介されていました。
(1956/9/30, 10/4-6撮影)

金関丈夫(かなせき たけお)先生を調査団長に
小中学生も発掘に参加したそうです。

丈夫先生のお顔はこちら。
展示会場で無料配布されたパンフレットを撮影したもの。
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ビデオの中では若かりし頃の金関先生が屋外で
地面に体育座りしたこどもたちに説明をしている様子が
登場していました。
制服姿のこどもたちは、先生の話を一生懸命聞いています。
発掘に参加したこどもたちです。
今の時代、小中学生がそうした正式な学術調査の発掘実務に
参加すること自体ありえないのかもしれませんが、
こどもたちを相手に大学医学部解剖学教授が
真剣なまなざしで説明している様子は
何かとても心打たれるものがありました。
指の小さな骨も残っていたことから慎重に発掘が行われたそうです。
こどもたちの中には出土する人骨に恐怖を感じる子もいたことでしょう。
それでも偉い大学の先生が小中学生に向かって真面目に語りかける様子は
こどもたちの心の中にもきっと響くものが大きくあっただろうと思います。
古き人々への思いだとか、学問に対する思いだとか。

講演会の中で金関先生に関して紹介されていたエピソードを1つ。
人骨を研究されていた金関先生はご家族3代に渡って
献体されたそうです。
そうなんですか!
調べる側が調べられる側になるってことですね。
それも自分の意思で。
家に帰ってから調べてみると、西日本新聞にその記事がありました。
「3世代で骨ささげる 「弥生人渡来説」唱えた金関丈夫氏ら4人
世界的にも類を見ない標本、遺伝研究の貴重な資料に」

形質遺伝学の研究資料として丈夫先生、そしてお父様、ご子息が
自発的な意思で献体を行われたのだそうです。
数年前に丈夫先生の本(※)を読んだことがありましたが
難しい学者さんのお堅い本というよりは、
読み口のやさしい文体と出土遺物から当時の思想を考えるお話が
すごく興味深くて、いつかLana-Peaceのエッセイでも
取り上げたいなあって思っていましたが
3代献体の話を知って、やっぱり人としてもすごい方だと思いました。
※金関丈夫(2006) 『発掘から推理する』岩波書店


いつか機会があれば土井ケ浜遺跡にも行ってみようと思います。
あまりにも遺跡近くの海の色がきれいすぎて、びっくりしました。

ルリコンゴウインコ

今日は「ルリコンゴウインコ」のご紹介。

病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ とり」るりこんごういんこ
http://www.keiko-cafe.com/asobo/tori/tori-356.html
http://www.keiko-cafe.com/

2019年01月20日

寂しい、でも、二人分生きていこうと思う母

お子さんに先立たれた後、そのご両親にとっては
毎日の時間の流れが空虚に感じられ
早くこどもの後を追って天国で再会したい……
そういう衝動が溢れてしまう時が
あるかもしれません。

あるお母様はあれこれ心揺れる時があったけど
今はこう思うそうです。
我が子が生きるはずだったこれからの未来の時間、
我が子が謳歌するはずだった人生の時間を
自分は我が子と2人分、生きていこうと。
それは気負うとかそんなことではなくて
現世で今自分が生きている時間を大事に生きよう、
そういう気持ちです。

彼女の心の中に浮かぶお子さんのイメージは段々成長しています。
今は、お兄ちゃんみたいにポテトチップスを食べながら
自分の周りを飛んでいるんですって。
いつまでもベッドで寝ている姿じゃないんです。
成長著しいこの時期、刺激を欲するお子さんの
興味のアンテナはあちこち向いているから、
ママはあちこち出かけたり
いろんなことに挑戦しなくちゃね!
お子さんが生きていたら、きっとそうしていたはずだから。

彼女は今の時間をそうやって
息子の魂と共に大事に生きようとしている。

そういう彼女の生き様は、いつか彼女が天寿を全うして
お子さんに再会した時に
お子さんへのなによりの手土産になるんだと思います。

きっとお子さんは思うことでしょう。
自分のせいで親が苦しく辛い時間を終生過ごしたわけではなく
親は自分を心の中の礎にして、十分に生きてくれたのだと。

2019年01月18日

こだまする声

亡くなった赤ちゃんはお母さんの膝に座って
「ママが気付くまで大好きだよって言ってるよ」

お姉ちゃんはそう教えてくれたんだけど
ママには赤ちゃんの姿も見えないし、声も聞こえなくて
寂しい思いでいっぱいだったのでした。

だけど、そこから数年経って
お姉ちゃんが「ただいまー!」って挨拶した時に
その後でもう1つ「ただいま」の声がこだまのように
聞こえる時があるんだって彼女は教えてくれました。

きっと赤ちゃんの魂の声は
彼女にも聞こえるようになったんだなあ。
それを聞いてすごくすごく嬉しかった。

そして赤ちゃんも天国で成長しながら
現世のお姉ちゃんと今も一緒にお出かけしているんだなあって
思ったら、それもすごく嬉しかった。

どうかお姉ちゃんとの時間を楽しみながら
お姉ちゃんのことも守ってくれますように。

羽田空港から見た金色の夕陽

今日は羽田空港から見た夕陽のご紹介。
とってもきれいな夕陽でした。

病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ そら」はねだくうこうのゆうひ
http://www.keiko-cafe.com/asobo/sora/sora-101.html
http://www.keiko-cafe.com/

2019年01月17日

ユキヒョウ

今日はユキヒョウのご紹介。

病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ どうぶつ」ゆきひょう 1
http://www.keiko-cafe.com/asobo/dobutsu/yukihyo-2.html
「いっしょにあそぼ どうぶつ」ゆきひょう 2
http://www.keiko-cafe.com/asobo/dobutsu/yukihyo-3.html
http://www.keiko-cafe.com/

2019年01月16日

バラ「チェリッシュ」「テキーラ」

今日はバラのご紹介。
「チェリッシュ」「テキーラ」です。

病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ばら(ちぇりっしゅ)
http://www.keiko-cafe.com/asobo/ohana/bara-hikarigaoka181103.html
「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ばら(てきーら)
http://www.keiko-cafe.com/asobo/ohana/bara-hikarigaoka181104.html
http://www.keiko-cafe.com/

新宿で露天風呂と炭酸泉 第三玉の湯(東京都新宿区)

都内で炭酸泉の銭湯に行きたいなーと思って
大晦日に営業していたのが新宿の第三玉の湯でした。
(新宿区白銀町1−4)

都営大江戸線牛込神楽坂駅のA3出口を右折して直進します。
そして2つ目の信号を左折。
信号の前が第三玉の湯の入口です。
徒歩数分でつきました。

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洗い場は比較的広くて、シャワーブースが1つありました。
炭酸泉は大人が6人入れるくらいの浴槽です。
人気なのでコミコミでした。
炭酸泉のとなりの浴槽でちょっと待っていましたが
かなり熱めだったように思います。
そしていよいよ炭酸泉、
皮膚にぷつぷつつく炭酸の泡の数は
よく行く荻窪やとしまえんの炭酸泉よりは
かなり少なかったけれども
でも入った時にすーっとした感じはしたので
やっぱり炭酸泉ですね。

露天風呂もあり、こちらは炭酸泉よりは
少し広かったように感じました。
新宿で露天。銭湯だけど頑張っています。

2019年01月15日

函館市 臼尻B遺跡 大人の足元に寄り添う4,000年前のこども

2018年5月、北海道函館市の大船遺跡を訪れた時、
遺跡そばの大船遺跡管理棟内に同じく函館市の臼尻B遺跡に
関する解説展示パネルが設置されていました。
大きなパネルに出されていた写真、
それは遺跡のフラスコ状土坑から出土した2体の人骨でした。
こどもの人骨は母の子宮に再び吸い込まれて
生まれ変わることを望むかのような姿勢で埋葬されていました。

詳しく調べてみると
そこに収められていた副葬品の土器には
永遠や再生を象徴するかのような波や水泡を再現したような
模様が施されていました。


臼尻B遺跡からはシカと追い込み猟に使った落とし穴が
描かれた深鉢が出土しています。
漆が検出された土坑墓もあります。

シカの角は毎年生え変わる力強さと再生能力、
そして漆は熱や酸、アルカリにも耐えうる恒久性があります。

臼尻B遺跡の人々は何かに思いを託して表現することが
とても長けていたのだろうと思います。
かつて4000年も前に臼尻に住んでいた人々にとって
死は再生への始まりだったのかもしれません。


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「臼尻B遺跡 大人の足元に寄り添う4,000年前のこども」
(北海道 臼尻B遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-082.html