2020年02月19日

東北大学理学部自然史標本館(宮城県仙台市)

大学の博物館とは何だか敷居が高い気もしますが
昨夏訪れた宮城県仙台市の東北大学青葉山キャンパスにある
東北大学理学部自然史標本館は
いろいろな面からすごいところだったのでご紹介!
学生ではなくても入場料を払えば利用できます。

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玄関前の屋外展示からまずびっくり。
鮮新世、300万年前の木である
珪化木(けいかぼく)。
仙台市指定天然記念物にもなっているというこの珪化木、
先日、経ヶ峯の御子様御廟をご紹介しましたが
その経ヶ峯の東側を流れる広瀬川の川床に
この化石林が点在するそうです。
バスで霊屋橋を通ったけれども、
うっかり見落としてしまった。残念。

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そしてまたまた屋外展示
今度はモロッコで見つかった石灰岩
こちら3億7千万年前(!)のデボン紀のもので
オウムガイの仲間の直角石(ちょっかくせき)と
古生代型アンモナイトの一つである
ゴニアタイトの化石をたくさん含んでいるのです。

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このあたりは来月「けいこかふぇ」の考古学編で紹介することにしよう。

そしていよいよ館内へ。
チケットを買う時に
「学生さんがいるので…」と案内があったので
てっきり大学生が館内演習で授業を受けているのかと思ったら
展示解説をボランティアでされているのでした。
(この話はページ後半でまた登場)

さて館内展示に進むと天井に巨大なクジラが!
1915年宮城県鮎川町(現:石巻市)で
陸揚げされた全長14m、
100年以上前のクジラの骨格です。

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そして気が遠くなるような年代のものもありました。
2004年7月にグリーンランド イスア地域で
東北大学の掛川武教授の研究チームと
コペンハーゲン大学の共同調査により
海で堆積した岩石から
37億年前の生命の痕跡が見つかったそうです。

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このオオバタクルミの化石
なんと宮沢賢治が採集したもの。
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鉱物・化石採集が趣味だった宮沢賢治は
岩手県花巻市のイギリス海岸で採取したオオバタグルミの化石を
東北帝国大学地質古生物学教室の早坂一郎先生に依頼して
鑑定してもらったそうです。
それは早坂先生の論文の中に登場します。

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宮沢賢治への謝辞も論文末に登場します。

そのクルミは館内解説板によると
賢治の『春と修羅 第三集』
作品集第741番の「煙」の中に登場するそうです。

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「あの脚もとにひろがった
 青じろい頁岩の盤で
 尖って長いくるみの化石をさがしたり
 古いけものの足痕を
 うすら濁ってつぶやく水のなかからとったり」

このクルミが?
何だかとってもワクワクする瞬間。

この館内で展示されていた物以上に
最も感動したのは「みちのく博物楽団」です。
こちら2013年に設立された東北大学学生主体の
ミュージアム支援団体だそうで
東北大学総合学術博物館を拠点に活動されているのだとか。

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私はこちらで取り上げた里浜貝塚のことが気になっていたので
2階に展示されていた里浜貝塚出土の人骨のことを
お尋ねしました。
1918年に発見されたこちらの人骨、
縄文時代晩期の成人の屈葬です。
大学の研究者でもない一介のおばさんの
突拍子もない質問にも学生さんは汗をふきふき
一生懸命答えてくれました。

理学部運営の博物館だから地質学とか考古学とか
資料がとにかく多岐多様なわけであり
古人骨がその学生さんの専門かどうかはわからないけど
真摯に答えてくれようとするその姿を見て、
日本の未来も捨てたものじゃないなあと感じました。

人骨が収められていたケースも時代を感じさせる、
そしてこの人骨にふさわしい美しいものでした。

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館内には質問コーナーがありました。
こどもたちの質問は素朴だけども
学問の真髄をつくようなものばかり。

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その鋭い質問に楽団の学生さんたちが
わかりやすく丁寧に説明を書かれていました。

デジタルな時代に手書きの質問のやり取り、
パソコン・スマホ世代の学生さんが
何かのコピペでちゃちゃっとすませているのではなく
専門的な内容をこどもにわかるように
自分の言葉で、一字一字手書きで丁寧に書いていることが
すごく感動的でした。
どんなふうに頭をひねって考えだしたのかって想像すると
何だかとてもジーンとしました。

ホワイトボードには新しい質問が貼られていて
過去の質問は綴じられて右隅に掲示されています。
一度来館したこどもたちが
自分たちの質問に
東北大学のお兄さん、お姉さんたちは
どんなお返事書いてくれたのかなあって
楽しみにまた来館するのもいいですね。
そういうお兄さん、お姉さんたちに
こどもたちはすごいなあって憧れたりして。

東北大学理学部自然史標本館、
いろいろな意味で宝物いっぱいの博物館です。

仙台市営バス「るーぷる仙台」の
バス停「理学部自然史標本館前」で下車すると便利です。
posted by Lana-Peace at 18:50| アート / 歴史 博物館情報

2020年01月13日

奥松島縄文村歴史資料館(宮城県東松島市)3)貝塚散策

奥松島縄文村歴史資料館は
「さとはま縄文の里史跡公園」の一部ですが
公園内には里浜貝塚を構成する北貝塚・東貝塚・西貝塚を
散策できるようになっています。
海が見え、山の雰囲気がしっかり残っており
当時の人々の暮らしを偲ぶ上では絶好の環境です。

実際、訪問当日歩いてみたのでご紹介いたします。
資料館を出て医王寺を目指して住宅街の中の細い道を歩き
「ここであっているのかなあ?」と思いつつ
きょろきょろしていると
看板が見えてきます。
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北貝塚:寺下囲(てらしたがこい)地点
縄文時代後半から弥生時代中期にかけてのムラの跡で
厚さ6m以上の貝層が見つかっています。
大正7-8年、北側斜面の発掘調査が行われ
この時、我が国最初の層位的発掘が採用され、
14体の埋葬人骨が発見されました。

医王寺を過ぎて海方向へ北上すると
左手に里浜貝塚貝層観察館が見えてきます。

縄文時代晩期、約2800年前の貝塚を観察することができます。
ちょうど貝塚館の北側(西畑地点)にあった地層を
樹脂で固めて剥ぎ取ったものが展示されています。
地層から季節を知ることもでき、
貝や魚が多い層は春から夏、
土の多い層は秋から冬の季節を示すのだとか。
ここには約20年間分の生活の証が凝縮されているそうです。


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そして海へ向かって下っていくと、
緑が広々とした空間が見えてきます。

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松島らしいなあと思うような風景が海の向こうに見えています。

この辺りは縄文時代から塩づくりが盛んに行われた場所でした。
解説板のイラストを見ると浜辺に穴を掘って火を焚き、
その上にのせられた海水の入った土器が
ぐつぐつ煮詰められて塩が作られたようです。
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下の写真は奥松島縄文村歴史資料館に展示されていた製塩土器です。
塩を作るために海水を煮詰める際、使われました。

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学芸員さんのお話によると日本では岩手、いわき、霞ヶ浦等から
製塩土器が出土し、中でも松島が一番出土数が多いとのこと。
製塩土器は派手な装飾のない素朴な土器ですが、
実は内側は水漏れしないよう丁寧に作られているそうです。

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海沿いの西畑北地点を後にして
丘の方へ登っていくと
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あずまやが見えてきます。
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ひと汗かいた後、ここで風に吹かれて眼下を見ると
松島湾と西畑北地点が広がります。

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この後、探検隊のような気分で進みます。
道があるようでないようで。
きっとこのリボンはここを通るようにという目印かと思って
緑の中にリボンが見えてくるとホッとします。
後で調べてみたらどうやら「宮城オルレ」という
トレッキングコースの案内用のリボンらしい。

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舗装された道ではないので脚力の弱い方はご注意を。
私が行った時は前日雨が降っていたせいか
日陰のところはかなり滑りやすくなっていました。
周りは人一人いなくて、うっそうとした木々の中を歩くと
なんだか異次元に迷い込んできたような。

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御神木のタブノキがあってほっと一安心。
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御神木を過ぎて南下すると台囲地点(西貝塚)が現れてきます。
縄文時代前期初めから中期前半、
後期初めから晩期半ばにかけて生活が営まれ
貝塚が形成されたそうです。

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ここの辺りから舗装された道に出るため少々安心。
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そして道を下っていくと、田畑や住宅地が見えてきます。
東に向かってどんどん住んでいくと
袖窪・畑中地点(東貝塚)の看板が見えてきました。
こちら縄文時代前期の初めの頃と
中期後半から後期初めにかけてのムラの跡で
中期後半にはこの広い台地を取り囲むように貝塚が形成され、
里浜貝塚で最大のムラだったそうです。

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そこからどんどん東へ直進して県道27号線へ向かって歩き
27号線を北上して縄文村へ戻りました。

数千年前にこの空の下、確かに人々が暮らしていたと思うと
何やらとても感慨深かったです。
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奥松島縄文村歴史資料館(宮城県東松島市)2)展示物いろいろ

宮城県東松島市の奥松島縄文村歴史資料館、
アクセスについてはこちらでご紹介しましたが
里浜貝塚出土品が様々に展示されていますので
その一部をご紹介いたします。

里浜貝塚は宮戸島の複数地点から成る東・西・北貝塚の総称ですが
館内にはとても大きな迫力満点の貝塚剥ぎ取り展示がありました。
こちらは1984年9月 里浜貝塚北貝塚の西畑地区A・B区から
剥ぎ取られた貝層堆積状況です。

クジラ、イルカ、マグロ、フグ、タイといった水生生物だけでなく
シカ、イノシシなどの骨も見つかっています。
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こちらはマガキ
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大正7年、東北帝国大学松本彦七郎博士らにより
里浜貝塚寺下地点の調査が行われた際、
縄文晩期の壮年から熟年と考えられる
男性の人骨が出土しましたが(里浜5号)
この人骨からは外耳道骨腫の痕跡が見つかっており
館内に展示されていました。
外耳道骨腫は冷たい海水による刺激が原因で生じるものですが
きっとその人も素潜りをして海の幸を得ていたのでしょう。 
貝塚は様々なモノがこの世で果たすお役目が終わった後
送りの場として利用されていたと考えられますが、
剥ぎ取り地層断面には石器も見えます。 

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里浜貝塚からは貝を利用して作られる貝輪や
そこに至る作業途中の貝も見つかっています。
この展示品はアカガイ、オオツタノハ、
ベンケイガイ、サトウガイ、サルボウです。

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シカやイノシシの骨も見つかっています。
人々はこうした動物の骨を加工して骨角器や
装飾品を作っていますが、骨、角、牙自体
実にきれいでしっかりしています。

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里浜貝塚では地層に含まれる花粉や種実、木材分析の結果、
様々な落葉広葉樹林が生い茂っていたことが分かっていますが
中でもクリの花粉の占める割合が高く、
宮戸島では少なくとも6500年以上前からクリが
管理、栽培されていたと考えられているそうです。
自然の恵みを存分に活かしていた食生活ですね。

こちらは台囲・西畑・寺下囲地点から出土した
縄文時代後期末〜晩期の出土土器。

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注口土器はまるでシンプルな中に品があり
モダンアートのようです。

そして深鉢、浅鉢も美しい造形。
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そしてこちらは台囲・寺下地点から出土した
縄文晩期の亀ヶ岡式土器です。
品の良いつやがありますよね。
学芸員さんのお話によるとこれらはわざと黒くするために
燻して墨を吸着させ、そこからきれいに磨かれたものだそうです。
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そしてとても驚いたのは当時の人々が
割れた土器を修復して使った痕跡が認められること。
ひび割れを補修して煮炊に使われたものだそうです。

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こちら資料館には里浜貝塚出土の人面付土器もありました。
解説板によるとこちらは約4000年前(縄文時代後期初め)のもので、
煮炊きに使われたと考えられています、
こうした人面付土器はカミ、精霊、シャーマンを描いたと
考えられているそうで、まつりに使われた特別な土器かも
しれないということでした。 

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2020年01月11日

奥松島縄文村歴史資料館(宮城県東松島市)1)アクセス

こちらでご紹介した宮城県東松島市の奥松島縄文村歴史資料館は
さとはま縄文の里史跡公園の中にあります。
とても良い場所だったのでご紹介したいと思います。

仙台からは仙石線でJR野蒜駅まで向かいました。
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駅のホームから海が望めます。
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野蒜駅は東日本大震災の時に被災し、
海抜の高い場所へ移動になったのだそうです。
本当は野蒜駅からレンタサイクルでのんびり行こうかなあと
考えていましたが、見学時間と帰りの電車の時間等も考えると
ここはタクシーで移動した方が良いかな。

常時待ちのタクシーが停車しているわけではないそうですが
偶然ちょうどよく駅前に停車していた車があって
資料館までお願いしました。
土地はかなり高低差があったので、
タクシーに乗って大正解でした。

車中、運転手さんは震災の頃のこの地について
いろいろお話してくれました。
今は穏やかに見える海と海沿いの風景も
たくさんの人の思いがあって
今こうして変化を遂げてきているのだなあと思うと
なんだかとてもしみじみでした。

そして宮戸島の風景を車窓観光をしながら
東松島縄文村歴史資料館へ到着です。
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前庭には縄文時代の竪穴住居などが復元されており
到着時から気分は縄文時代です。
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先月こちらでご紹介したように
敷地には縄文時代のこどもをイメージした
排水溝の蓋があって、とてもかわいい。
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資料館は円形をモチーフにしたデザインのようで
玄関前のこちらの場所、
空から見たらきっと円墳を想起させるようなイメージです。
(こちらは古墳とは関係ない資料館ですが)

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その中を通っていざ、資料館へ。
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展示物は次のページで詳しく紹介です。
posted by Lana-Peace at 12:31| アート / 歴史 博物館情報

2019年11月30日

御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」(2019/11/20)

先週、上野の東京国立博物館で開催されていた
御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」に
行ってみました。

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多くの人が来場していましたが
会場の平成館に向かう手前の本館入口前で
時間で区切られた入場整理券を配っていたので

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それに合わせて
TNM&TOPPANミュージアムシアターや
東洋館などを見てから
時間を有効活用できたのはありがたいです。
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30代後半の頃に奮起して大学で歴史を学ぼうと
京都造形芸術大学の通信教育課程に入学した年、
本物を見る機会を増やそうと奈良国立博物館の
正倉院展に出かけたのが
もう10数年前のこと、
それから「正倉院」と聞くと
あの頃の秋の風景をいつも思い出します。

東京国立博物館本館前のユリノキも
当日は美しく色付いていました。
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今回、とても心に残った品がこちら、
正倉院宝物 雑集(部分) 
聖武天皇筆 
奈良時代・天平3年(731)

全長21メートル42センチという長大な巻物
「作品No.6 雑集」です。

国立国会図書館のデジタルコレクション
閲覧することができます。

トーハクのブログによるとこちらは聖武天皇の御宸筆で、
天皇がしたためられた書としては、
現存最古の作品だそうです。

心を込めて記された1万8千字は
静かな迫力のあるものでした。

巻末は天平3年9月8日の日付と共に
次のように締めくくられていました。
「諦思忍 慎口言 止内悪 息外緣」
石澤典夫氏による音声ガイドでは
「心乱さず耐え忍び、口に出すことを慎み
穢れた心を捨て、広く衆生を救う」と解説されていました。
これは聖武天皇の座右の銘とされていたのだそうです。
しみじみ、しみじみ
聖武天皇のお人柄が文字から伝わってきます。

展示コーナーの最後には
写真撮影OKの場所がありました。

こちら正倉院南倉を再現したもの
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あまりに大きくて見上げた時
収蔵庫というよりも神殿のようでした。
床下だけでも2.7mあるといいますから圧巻です。

明治時代に造られた模造品がありました。

螺鈿紫檀五絃琵琶(模造)と
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螺鈿紫檀阮咸(げんかん)(模造)です。
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そして森鴎外の言葉もありました。
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夢の国 燃ゆべきものの 燃えぬ国
木の校倉の とはに立つ国 
森鴎外

鴎外は大正6(1917)年から5年間、
現在の東京国立博物館の前身である
帝室博物館の総長を務めていました。
そして奈良を何度か訪問した折に
詠んだ歌が上記の歌だそうです。

特別展の開催された平成館の手前に
鴎外の総長室跡がありました。
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昨年秋の読売新聞に掲載されていた
宮内庁正倉院事務所 所長のお話
によると
宝物を官位や爵位がなくても正倉院宝物を
見られるようにしたのは、鴎外だそうです。

100年前に確かにこの地で執務していた鴎外は
今、こうして何十万もの人々が足を運んだこの特別展を
かつての総長として
きっと嬉しく見守っていたのだろうなあ。
posted by Lana-Peace at 11:49| アート / 歴史 博物館情報

2018年12月14日

函館市縄文文化交流センター 13)函館まで路線バスで帰る時

函館市縄文文化交流センターから路線バスで帰る時は
函館・鹿部(川汲経由)・函館バスセンター行に乗車です。
バス停は「臼尻小学校前」から乗車となります。
大船遺跡からバスで来た時に降りたバス停です。
こちらでご紹介した順路を縄文文化交流センターセンターから
バス停まで逆行します。
本数少ないので、乗り遅れは注意です。
1時間20分くらいで函館市街に戻れました。
posted by Lana-Peace at 07:57| アート / 歴史 博物館情報

2018年12月12日

函館市縄文文化交流センター 12)垣ノ島遺跡の遠景

国宝「土偶」入口付近を見学した後に、2階に上がっていくと
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休憩スペースは広々した窓がありますが

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このあたりで一休みして、ぼんやり外を眺めていると
外に広がる世界はなんだか縄文時代にタイムスリップしたみたい。

向こう側に一面に広がっているのが垣ノ島遺跡です。
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posted by Lana-Peace at 15:26| アート / 歴史 博物館情報

函館市縄文文化交流センター 11)国宝「土偶」(著保内野遺跡)

土版のあった展示室3を過ぎると

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展示室4はたった1点だけ展示されたコーナー。
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著保内野遺跡から出土した「土偶」です。

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1975年、農作業中に偶然発見されたこちらの土偶。
1979年に重要文化財指定され、
その後2007年に国宝指定されました。

函館の展示ではひっそりと静かに心地よさそうに立っていました。
今夏、東京国立博物館で開催された特別展
「縄文―1万年の美の鼓動」で出展されていた時は
すごい黒山の人、人、人でした。

こちらの土偶、出土時点の発掘再調査が2006年に行われ
その結果、葬送儀礼の一部として用いられたと考えられています。
詳しくはまた調べてLana-Peaceのエッセイで取り上げようと思います。
posted by Lana-Peace at 15:04| アート / 歴史 博物館情報

函館市縄文文化交流センター 10)大火事をくぐりぬけた鳥型土笛

2002年12月28日深夜、発掘調査をしていた調査事務所が
放火によって全焼してしましました。

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その焼け跡から見つかった
縄文時代後期の鳥形土笛です。

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数千年の時を経て出土したこの土笛、
そして平成の時代に火災の受難を潜り抜け、
頭と背中の一部が黒くなってしまったけれども、
それでもこうして原型を留めている土笛。
焼け跡の様子を見ると、
本当によく残っていたものだと思います。


すごい、ものすごい力を宿した鳥なんだと思います。

posted by Lana-Peace at 13:47| アート / 歴史 博物館情報

函館市縄文文化交流センター 9)足形付土版の展示

先日に引き続き、函館市縄文文化交流センターのご紹介です。

展示室2から3に向かうと「縄文の精神」のコーナーとなります。
生と死について考えるきっかけとなる遺物がたくさんです。

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最初は足形付土版のコーナーです。
約6,500年前、縄文時代早期末の垣ノ島遺跡と豊原遺跡のお墓から出土した
足形付土版がそれぞれ17点、5点展示されています。

Lana-Peaceのエッセイでも以前取り上げました。
垣ノ島A遺跡出土 足形・手形付土製品
豊原4遺跡出土 足形・手形付土製品

こちらは垣ノ島A遺跡から出土した土版の展示。
残念ながらレプリカですが。
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こちらは豊原4遺跡に関する展示
2016年、重要文化財に指定されています。
土版以外にもつまみ付ナイフをはじめとする石器が
副葬品として出土しています。
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出土状況を示す写真が添えられた解説パネルも充実しています。
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縄文時代の人々の生と死に対する精神性を考える上で、
とても中身の濃い展示です。
posted by Lana-Peace at 13:39| アート / 歴史 博物館情報

2018年12月10日

函館市縄文文化交流センター 8)縄文時代の交流(ヒスイ・アスファルト)

ヒスイは縄文時代の遺跡から出土する翡翠のほとんどが
新潟県糸魚川市姫川周辺の物と判明していますが、
函館市の著保内野遺跡からもヒスイが見つかっています。
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縄文時代にアスファルトも使われており、
壊れた土器の補修、弓矢の矢柄と石鏃の接合などに
接着剤として用いられていました。
秋田産や新潟産のアスファルトが見つかっています。
こちら磨光B遺跡、豊崎B遺跡から見つかった
アスファルト付着の土器片。
当時、はるばる運ばれてきたアスファルトは
とても貴重なものだったはず。
土器はまた作れるだろうけれど、
そのアスファルトとわざわざ使ったということは
その土器がとても大切な意味を持っていたのだろうと思います。
誰かの形見とか。もう二度と同じものを作れないとか。そういう意味で。

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函館市縄文文化交流センター 7)縄文時代の漆

縄文時代、漆が利用されていました。
こちら磨光B遺跡の赤漆塗り土器片です。
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こちらは臼尻小学校遺跡の漆入り注口土器
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赤色顔料としてベンガラ(酸化第二鉄)や水銀朱を使うこと、
黒漆の上に赤漆を塗布する技術は現代にも通じているそうです。
また、漆製品の変遷は
漆糸製品(糸に漆を塗った)から始まり、
やがて土器や木器に漆を塗る「陶胎(とうたい)漆」「木胎(もくたい)漆」
籠や編み物に塗る「籃胎(らんたい)漆」へと発展するそうですが、
最初の「漆糸」は縄文時代だけに見られる技法なのだそうです。
その漆糸製品をまとって埋葬された方のお墓も見つかっています。
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(詳しくはこちらで紹介しました)

posted by Lana-Peace at 00:34| アート / 歴史 博物館情報

函館市縄文文化交流センター 6)縄文時代の貯蔵(土器・フラスコ状土坑)

南北海道と北東北の土器の比較が出されていました。
早期→前期→中期→後期→晩期
津軽海峡を隔てても確かに非常に類似点が多いですね。
連絡船も新幹線も飛行機も無い時代の縄文人。
荒波を越えて、強風も味方につけて交流していた人々。
なんだかロマンですねー!
こうした土器は食料や水の貯蔵に使ったり、煮炊きに使ったりといった
毎日の暮らしの中だけでなく、
人が亡くなった時の埋葬時の棺として用いられる場合もあり
実に多様な用途があったわけです。

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さて、こちらは縄文時代後期の八木B遺跡から出土した注口土器。
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青森県の亀ヶ岡石器時代遺跡から出土した
遮光器土偶(前1000-前400年)みたいです!
液体を入れて日常生活の飲み物を入れていた、というよりは
特別な儀式など本当に大切な場面で大事に使っていた、
そんな印象がある注口土器です。

そして大地を利用した「貯蔵」もありました。
こちら函館市豊崎O(オー)遺跡の「フラスコ状土坑」です。
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名称の由来は地表に近い入口よりも
地中側の底の方が広く、まるでフラスコのようだから。
この土坑からは木の実、動物の骨、土器などが見つかることが多いため、
食料を貯蔵していた穴だと考えられているそうです。

この土坑、縄文時代早期に作られた土坑の剥ぎ取り展示ですが
深さ3メートルもあるのです。
そんなに深く掘るって、すごい土木技術だし、
貯蔵できる食物が豊富にあったということの証しですね!
会場であまりの大きさに圧倒されました。

約6,000年前の駒ヶ岳火山灰の下に黒色土があり、
その下にフラスコ状土坑が広がります。
そしてその土坑が掘られた土壌がまたすごい!
駒ヶ岳の火山灰です。
32,000年前、17,000年前の火山灰!!!。
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あまりの悠久の時に頭の中は大混乱。
でも火山灰はもっとびっくりしたことだろう。
平成の時代に地表にあらわれることになって。
posted by Lana-Peace at 00:34| アート / 歴史 博物館情報

函館市縄文文化交流センター 5)縄文時代の食生活(貝塚・石皿)

こちらは戸井貝塚、湯川貝塚、石倉貝塚、大船遺跡から出土した
貝殻や魚の骨などです。昔の人々も結構グルメです。
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貝塚からはいろいろなものが発見されています。
人間が生きるために利用した生き物や土器・道具などの送りの場。
こうした堆積を見ると、時間の流れってすごいなあと思います。
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南茅部の遺跡からは石皿がたくさん見つかっています。
そういえば大船遺跡のそばにあった管理棟の建物脇にも
石皿がたくさん置かれていました。
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縄文文化交流センターの展示によると石皿は
こんな風に使用されていたようです。
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posted by Lana-Peace at 00:33| アート / 歴史 博物館情報

函館市縄文文化交流センター 4)縄文時代の住居

函館市縄文文化交流センターのご紹介。
1階展示室2では縄文時代の暮らしを知ることができます。
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縄文時代こんな集落がつくられていたわけですが
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こちら大船遺跡の復元住居
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その床面は地表を深く掘り下げられていました。
外気の影響を受けにくく、
内部の温度をある程度一定に保つことが可能で
なおかつ夏涼しく、冬暖かいからだそうです。

大船遺跡のこちらの住居跡は深さ2.4mまで掘られています。
こちら縄文文化交流センターのパネル写真。
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そしてこんなジオラマがありました。
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大船遺跡で復元されていた住居骨組みの内側にあった床面の棒は
当時こんな感じだったわけですね。
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2018年12月09日

函館市縄文文化交流センター 3)モダンアートみたいな土器の展示

函館市縄文文化交流センターのご紹介。
1階展示室2の壁面。
モダンアートのようだと思いませんか?
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実はこちら函館の遺跡で出土した土器。
こうして壁面にオブジェのように展示されています。
フロアにいた職員さん曰く、レプリカじゃなくて「本物」。
ホントにたくさん出土しているからこういうことができるそうです。
10年ほど前、在学していた京都造形芸術大学通信教育部の
スクーリングで訪れた某資料館での見学、
出土した土器の破片の数が膨大過ぎて整理・修復しきれなくて
収蔵庫に入ったままになっていたのを思い出しました。
決して出土物を粗末に扱っているのではなくて
そうした作業には人手もお金も時間も必要で
だから展示会場でこうして日の目を浴びている土器たちが
なんだかとっても嬉しそうでした。

もちろん地震対策はバッチリと思います。
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函館市縄文文化交流センター 2)入館いろいろ

函館市縄文文化交流センターは「道の駅」縄文ロマン南かやべの
併設されている建物。
車で来る方は道の駅の駐車場のすぐ前がセンターなので、
すごく便利です。
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券売機で入場券を購入します。
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コインロッカーは100円返却式。
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そしてコインロッカーのそばに車椅子とベビーカーがありました。
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函館市縄文文化交流センター 1)大船遺跡から路線バスで向かう時

DSC03983.JPGこちらでご紹介した北海道函館市の大船遺跡ですが、その後、路線バスで
函館市縄文文化交流センターへ行きました。

函館市縄文文化交流センターは
今迄訪れた数々の博物館の中でも
心の中に問いかけるものが多かったところで
非常に印象深いところです。
家が近ければ毎月訪れたいくらい
とても心地良い場所なのだけど
まあそういうわけにもいかないので、
いつか機会があればまた行こうと思います。

国宝の中空土偶もあり、
大切なたくさんの収蔵品を火災から守るために
かなりお金をかけて施設が作られたそうですが、
入場料大人たったの300円。
運営も大変だろうと思います。
ぜひ函館観光の際は足を伸ばしてほしい場所です。

ということで、函館市縄文文化交流センター勝手に応援隊!
その魅力を何回かに分けてご紹介しようかと思います。
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まずは大船遺跡から函館市縄文文化交流センターへ
路線バスで向かう方法はこちらの通り。

1  大船遺跡から海側の坂を下ってT字路を右折して「大船小学校」のバス停へ
2  函館バス「鹿部・古部行き」に乗車
3 「臼尻小学校前」下車
4 進行方向にすぐに「スポーツセンター」の青い看板が見えます。
こちらのT字路を右折して斜面を登ります。
5 Y字路は左へ直進。
6 右手に臼尻小学校が見えてきます。
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7 T字路に出るので左折します。
8 直進します。交通量も少なくて見通しの良い直線道路。
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でも、あとでセンター到着後、こんな掲示を見てびっくり。
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ヒグマの新聞記事の場所はセンターの近くではないけれど
そもそもセンター所在地は山を切り開いてできた場所だから
注意した方が良いと言われました。
確かにそうですね。

9 ようやく左手に広々した駐車場と共に見えてきました。
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2018年12月01日

北海道函館市 大船遺跡 路線バスで行く場合

こちらでご紹介した北海道函館市の大船遺跡ですが
自家用車やレンタカーなどを利用しない場合は
1日運行本数の限られている路線バスを頼るしかないため
参考までにご紹介しておきます。(2018年5月利用時情報)

函館市内に宿泊して大船遺跡に向かう場合は
川汲経由鹿部出張所行のバスが便利です。
函館バスのページはかなりユーザーフレンドリーな視点で作られています。

私は「松風町」から利用しました。
「松風町」という名前のバス停は5箇所あるようですが
今回はプレイガイド前の松風町バス停を利用です。
ここから約1時間半、路線バスの旅となります。

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路線バスではありますが、座席は観光バスのように豪華です。
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バスはしばらく町の中を通ります。
五稜郭の近く、函館アリーナ前、トラピスチヌ入口等を通るため、
なんとなく函館の町のマップが頭の中に入ってきます。

町を抜けていよいよ緑が深くなってくると、
亀田半島を縦断する形で噴火湾の方に向かい、
そこから海沿いを北上します。

そして海沿いのバス停「大船小学校前」で下車。
そこから大船小学校を左手に、海を右手に見ながら
国道278号線を直進します。
少し歩くと左手にこの看板が。
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そしてもう少し進むとこの看板が。
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大船「C」遺跡とあります。
大船遺跡はAとかBとかいろいろあるのかしら?
近くの垣ノ島遺跡は垣ノ島川を挟んで
「垣ノ島A遺跡」と「垣ノ島B遺跡」があるので。
後日訪れた国会図書館にあった南茅部町教育委員会発行の発掘調査報告書も
「大船C遺跡」と表記されていました。
そこで函館市縄文文化交流センターの学芸員さんにメールで問い合わせたところ
「函館市大船町にはAからIまでの遺跡が存在しており、
そのうちのC遺跡が国の史跡に指定され、大船C遺跡は
大船遺跡に名前が変わった」と丁寧にご回答をいただきました。
なるほど。
お忙しいところありがとうございます!


さて、ここを左折して坂を上っていきます。
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結構勾配のある坂ですが、
坂の途中にも随分工夫がされています。

色つきの石を使って、壁には土器が表現されています。
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こちらは函館市の著保内野遺跡から出土した国宝の中空土偶。
(今から行くところは大船遺跡だけど、函館と言えばこの土偶。)
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そしてこちらはシカの絵です。
函館市の臼尻B遺跡からシカ絵画土器も出土していますから
函館つながりで描かれているというわけですね。
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あら、「リス注意」の看板。
やっぱり北海道!
エゾリスが出てくるのかな?
エゾシマリスが出てくるのかな?
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そしていよいよ左側に見えてきました。
大船遺跡の登場です。やっとついた!
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遺跡のそばには管理棟があって、
パネル解説展示や机・椅子、お手洗いが設置されています。
あたたかいストーブもありました。
(5月だったけれど、暴風雨でけっこう寒かったので助かりました)
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ぜひもう1回、今度はお天気の良い時に
行ってみたい遺跡です。

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posted by Lana-Peace at 16:51| アート / 歴史 博物館情報

2018年08月29日

平成と明治と縄文を感じられる空間―「特別展「縄文―1万年の美の鼓動」(東京国立博物館)

先日、東京国立博物館平成館で開催されていた
「特別展「縄文―1万年の美の鼓動」に行ってみました。

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印象深かった作品はまた後日ご紹介するとして、
平成館に入館する前の長蛇の列は
ちょうど平成館前の広場に面しているわけですが
こちらの一帯は、明治15(1882)年に博物館が上野に移転してから、
展示棟に付属する事務棟の建物が多く建てられたそうです。
そしてこの広場付近に帝室博物館を統括する総長の居室があり、
森林太郎(鴎外)が大正6(1917)12月から大正11年7月まで
総長としてここで執務していたのだそうです。

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広場からも近い本館前のユリノキは
背丈は本館の屋根よりも軽く超えて
こんなに青々と葉っぱを茂らせていました。
明治の初めに渡来した30粒の種のうち、
育ったものが、明治14(1881)年、ここに植えられたもの。
ということは、森林太郎(鴎外)が見ていたユリノキは
今よりももっともっと、小さなユリノキだったのだろうなあ。

平成、明治、縄文。
時の流れ、何だか感慨深いです。

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posted by Lana-Peace at 10:25| アート / 歴史 博物館情報

2018年08月04日

函館空港に行ったらぜひ函館空港遺跡群の展示をどうぞ!

2018年5月、函館空港を発つ際、出発手荷物検査の長蛇の列に並んでいると、
ふと見上げた上方に「函館空港遺跡群」の横断幕が!

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慌てて3階のオープンスペースに行ってみると、
そこには同遺跡群から出土したいくつかの遺物と解説パネルが設置されていました。

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出発前、お時間のある方、ぜひお立ち寄りになってみてください。
もちろん無料です。
展示品の数は限られているので、すぐに見終わってしまいますが、
飛行機の離発着する土の下に、
縄文時代の人々の暮らしがあったのかーとしみじみ思います。

posted by Lana-Peace at 12:07| アート / 歴史 博物館情報

2017年11月18日

「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」(国立東京博物館・上野 2017)

先日、国立東京博物館展示(東京・上野)で開催されていた
「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」に行ってみました。
すごい混雑ぶりでしたが、それもまあ予想通りということで……。

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ちょうど「TOKYO数寄フェス2017 」も開催中だったのですが、
東京国立博物館前の上野公園噴水にはこんな作品がありました。

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こちらかつて寛永寺の仏閣が立ち並んでいた殊にちなみ、
寛永寺の山門「文殊楼」をモチーフに作られた大巻伸嗣氏の作品だそうです。

そして博物館前のユリノキはこんなに美しく大きく彩っていました。

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現代アートに負けない堂々とした自然の織り成すアートです。

当日は運慶展だけでなく、本館・平成館・東洋館・法隆寺宝物館の
常設展示品にも足を運んだので
一日の中で何千年もぐるぐるタイムトリップ、ワープした感じでした。
そういう時間も、なかなかいいですね。

帰りの夕暮れ時は、上野駅方面の道はピンク色のイルミネーションが。

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春の上野の花見を髣髴とさせるピンク色です。


印象深かった作品をブログ内でいくつかご紹介したいと思います。
posted by Lana-Peace at 11:43| アート / 歴史 博物館情報

2014年11月03日

日本国宝展(2014年秋冬 東京国立博物館)

東京国立博物館で行われている日本国宝展に行ってきました。
本館の前に立つユリノキの葉は、1/3くらいが美しい黄色に
変わっていました。
国宝展の平成館に入るまでは覚悟の上で長蛇の列でしたが
途中博物館スタッフの方が
「平成館から2つ目のライトのあたりで
スカイツリーを見ることができますから」
と紹介してくださったのですが
ちょうどお天気も良くて、見ることができました。
写っているのは本館と赤く色づいた木の横に見えるスカイツリーです。

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1時間待ちましたが、今日まで展示だった正倉院宝物の展示にも
間に合って良かったです。
8年前に芸術系の大学に通うようになってから
奈良の国立博物館の正倉院展を見るようになったのですが、
ここ数年は奈良に行っていなかったので
久々に正倉院宝物を見ることができて
そのテイストが「懐かしい〜」という感じでした。

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今回国宝展の他に東京国立博物館の通常展示やお庭も
いろいろ見てきたのですが
印象に残ったものを取り上げていきたいと思います。

時にはこうした歴史を感じられるようなアートを
目にすると、日頃の時間軸の基準が
どこかに行ってしまいそうで、いいですね。
posted by Lana-Peace at 22:42| アート / 歴史 博物館情報

2014年08月03日

水族館と対機説法

先日訪れた新江ノ島水族館ですが、
水生動物への愛が随所に溢れるといった感じを受けました。
「この生物を皆さんに知ってほしい」
そんな思いが伝わってくるような展示やショーなのです。
それは「こういう命が地球上にはあるということを、知ってほしい」
という感じかもしれません。
どこも展示の際にはよく学術的な説明がかかれていますが
たとえば「クラゲファンタジーホール」では特にクラゲを1つの人格
(人格というよりもこういう時はクラゲ格なのか?)ある命としてみつめて、
解説文が書かれているように感じました。
タコクラゲの場合、「タコみたいに早く動けないけど、
でも太陽の下でぷかぷか浮いているのは得意だよ」とか。
向けられたまなざしが、何だかあたたかいのです。
早く泳げるからいい のではなくって、その生物の持つ特徴をとらえているのです。

自然の生き物を展示することには賛否両論あるでしょうが
それが単に見世物小屋的な要素で営利的に運営されるのではなくて
そこに愛があって「命」を伝える手段であるのならば、良いのではないかと思います。
そしてそうした行為すべてが丸ごと「アート」と言えるのでは…。

仏教の中に「対機説法」という言葉があります。
「教えを聞く人(機)の能力・素質にふさわしく法を説くこと。」
 引用文献:中村元ほか編(2002)『岩波仏教辞典 第二版』p. 655

いろんな命があって、その存在をしっかりと心に留めること。
それを言葉で伝えたとしても、ちっとも伝わらないだろうけれど、
小さなこどものうちからこういう場所で自分以外の「命」を感じることは
必ず心の中に、何かを感じとるはず。
それは潜在意識として深く入り込んで、普段は表に出ないかもしれないけど。
でもそのこどもは、そのこどもなりにわかっているのです。きっと。

水族館や動物園、植物園はそうした対機説法の場のような気がいたします。

でもやっぱり「わぁ」と思ったり、「へぇ」と思ったり、楽しいけどね!!
posted by Lana-Peace at 17:18| アート / 歴史 博物館情報

2014年07月07日

東京国立博物館特別展「台北 國立故宮博物院−神品至宝−」

東京国立博物館で行われている
特別展「台北 國立故宮博物院−神品至宝−」 に行ってきました。
博物院からたくさん出品ありましたが
名宝「翠玉白菜」は今日までの期間限定展示だったので、
昨晩行ってきました。

印象深かった作品をご紹介いたします。

「翠玉白菜」清時代・18〜19世紀
ヒスイで作られた白菜ですけれど、その彫刻は本当に見事なものでした。
あれだけ細かく美しい造形を作り出すには、どれほど大変だったことでしょう。
白は純潔、虫(イナゴとキリギリス)は多産を表しているそうですが
キリギリスの足の立体感は、実に見事でした。
そして、あまり注目されないかもしれないけれど、
白菜の根本側の白色が、実に深い白で味わいある雰囲気がありました。
それが余計、緑の葉っぱの上に掘られた虫の造形を引き立たせるのかもしれません。
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191 澄泥虎符硯 清時代 1736-1795
ふたのついた硯なのですけれど、そのふたが先日訪れた和歌山城の入口にあった
伏虎像のようでした。伏虎像はこちら。
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ちなみに伏虎像のそばにあった解説板によると、和歌山城の建つ山が海上から見ると、
猛虎が伏している姿に似ているため、江戸時代には
和歌山城は虎伏山竹垣城と呼ばれていたとのこと。


231「人と熊」清時代・18〜19世紀
玉材に掘られた白は人間、黒は熊なのだそうです。
モンゴル風の服、力士風の服装の人だから力比べをしているという解説。
でも一緒に笑ってる。手に手をとって楽しくダンスをしているようにしか見えないのです。
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180 犠尊 戦国時代・前4〜前3世紀
181 犠尊 元〜明時代・13〜14世紀
解説板によるとこの作品は倣古(ほうこ)の例の一つであり、
古の形に倣って作品を作ることは、古代の伝統を復活させ、
中華の正統であることを示すためのものだそうです。
耳が立っている犬のような動物で、どちらも酒壺。
前4〜前3世紀の動物の口は軽く「あ」と「お」の間のような音を出すような形をし、
13〜14世紀の動物の口は軽く「い」と「う」の間のような音を出すような形。
それが会場入口1番目に飾ってあったのですけど、
まるで阿吽の狛犬のような感じを受けました。


10「玉珮」 新石器時代(紅山文化)・前4500〜前3000年
かぎつめと狐線で造形された玉器の用途は不明だそうですが、解説板によると、
たくさんのかぎつめは
「儀式で神や霊魂をひっかけて留めることを期待していたのかも」とのこと。
そうだとしたら、昔の人は実に大胆な発想ですね。

207「帝鑑図説」清時代・19世紀
皇帝教育のための教科書ですが、
その中で「沢及枯骨(たくきゅうここつ)のページが印象的でした。
周の文王は散乱していた枯骨を丁寧に埋葬して人々を憐れんだとのこと。
画面向かって左側に大きく四角に掘られた穴のなかに
ばらばらと骨が入れられているのを、
文王がお付きのものといっしょに見ている姿が描かれています。
王様は土地の視察をしていたのでしょうか。
名もなき人の命を悼む王様。
日本の政治家も、そんなふうであってほしいものです。

古き良きアートを通して、いろいろ触発されるものありますね。

特別展「台北 國立故宮博物院−神品至宝−」、
「翠玉白菜」の展示は終わってしまいましたが、
東京国立博物館平成館 特別展示室/本館 特別5室にて
2014年9月15日まで開催されています。

posted by Lana-Peace at 23:33| アート / 歴史 博物館情報