五色塚古墳は4世紀末に造られ
前方後円形と島状遺構が2基で
全長194m、後円部の高さは18.8m。
墳丘段数は3段でとにかく大きい!
現地の解説板によると葺石の数は2,233,500個
淡路島東岸産で斑糲(はんれい)岩が主で
その他花崗岩だそうです。
その他花崗岩だそうです。
古墳そばにあった案内館には復元CGパネルがありました。
築造当時の五色塚古墳と小壷古墳は
築造当時の五色塚古墳と小壷古墳は
上空から見るとこんな感じで
葺石の数は膨大であるため、
大きな石を運んで古墳の近くで細かく砕いて
大きさが整えられたのだろうか?と想像しますが、
大きな石を運んで古墳の近くで細かく砕いて
大きさが整えられたのだろうか?と想像しますが、
今は約3.9kmの明石海峡大橋で結ばれている瀬戸内海、
当時は間違いなく船で運んだことでしょう。
どれほど多くの人員の労力と
それをまとめる統率力があったのだろうかと
どれほど多くの人員の労力と
それをまとめる統率力があったのだろうかと
驚きです。
被葬者は不明ですが海からこの古墳を眺めたら
きっと海から攻めこもうと思った敵も
これだけ絶大な支配力があるところに
戦をしかけることは諦めそうです。
きっと海から攻めこもうと思った敵も
これだけ絶大な支配力があるところに
戦をしかけることは諦めそうです。
案内館には1/100の縮小モデルもありました。
当時はこんな風に埴輪が敷き詰められていたそうです。
復元されていた五色塚古墳の遠景はこんな感じ。

その他に蓋形(きぬがさ)埴輪や家形埴輪、
盾形埴輪も少量発見されています。
用いられた埴輪は2,200本以上と推定されており、
そのうちの約600本が発掘調査で出土しています。
そのうちの約600本が発掘調査で出土しています。
築造当時は墳頂部と上段平坦面、中段平坦面の三段に
4本から6本の鰭付円筒埴輪に1本の割合で
鰭付朝顔形埴輪が立てられていました。
4本から6本の鰭付円筒埴輪に1本の割合で
鰭付朝顔形埴輪が立てられていました。
朝顔形埴輪の高さは約140cmもあるので
これだけ大きなものを壊れないように
造形、焼成して運搬して設置する当時の技術も
すごいことです。
造形、焼成して運搬して設置する当時の技術も
すごいことです。
その他に蓋形(きぬがさ)埴輪や家形埴輪、
盾形埴輪も少量発見されています。
現地の復元では出土した埴輪を元に
後円部と前方部の墳頂だけに
合成樹脂で製作された鰭付円筒埴輪と
鰭付朝顔形埴輪が立てられていました。
後円部と前方部の墳頂だけに
合成樹脂で製作された鰭付円筒埴輪と
鰭付朝顔形埴輪が立てられていました。
前方部は明石海峡方面に向かって伸びています。
五色塚古墳のすぐそばにあった小坪古墳は
築造が4世紀後半と推定されています。
大きさは直径70m高さ8.5mで
築造が4世紀後半と推定されています。
大きさは直径70m高さ8.5mで