東京国立博物館に展示されていたハート型土偶。
大事に石で囲まれていたところに収められた状態で
発見されたこの土偶、
妊娠線や産道が表現され、生命の誕生を祈る信仰遺物と
考えられているそうです。
医療の発達していない縄文時代の女性にとって、
妊娠・出産は文字通り命がけだったことでしょう。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「ハート型土偶(個人蔵)」
http://www.lana-peace.com/1/1-3-007.html
2018年08月10日
ハート型土偶(個人蔵・東京国立博物館展示)
posted by Lana-Peace at 08:03| 病気のこどもと家族のために アート・歴史から考えるこどもの生
2018年08月08日
二度の大火に耐えて枝を伸ばす玉楠(神奈川・横浜開港資料館)
横浜市の横浜開港資料館の中庭に
「玉楠(たまくす)」と呼ばれる大きな木があります。
古くは開国を迫るペリー上陸の一場面にも描かれているこの玉楠。
その後、横浜で起きた慶応の大火や関東大震災といった
2度の大火を経て、今、空に向かって大きく枝を伸ばして
青々とした葉を茂らせています。
とてもすごい生命力を発揮する玉楠、
大きなエネルギー、パワーを秘めています。
さて、慶応の大火ですが
実はこの当時の様子がデンマーク人によって書き残されています(※)。
彼の目に映った横浜の人々の様子、
それは逆境に負けず、明るく頑張る前向きな姿でした。
原著『Skitser fra Japan』はデンマーク語ですが
長島要一氏によって非常に読みやすく、美しい日本語に訳された
『江戸幕末滞在記 若き海軍士官の見た日本』(※)を手に取ることができます。
こちらに記されていた横浜の当時の人々の姿、
非常に感銘を受けました。
(※)エドゥアルド・スエンソン著, 長島要一訳(2003)
『江戸幕末滞在記 若き海軍士官の見た日本』講談社
スエンソンが帰国後、これを出版した時、
まさか百数十年の時を経て日本語に訳され、
日本人に読まれるようになるとは
思ってもいなかったかもしれません。
スエンソンの横浜の人々に向けたその視線は
とてもあたたかく、また尊敬に満ちたものでした。
当時ののどかな横浜散策の様子なども登場します。
日本人が幕末・明治初期に書かれた日本語の見聞録を
原文で読んだら、なかなか手ごわいけれども
現代の日本人が150年ほど前のデンマーク人の原著を
訳せるって、すごいことだと思います!
横浜の玉楠をきっかけに、
すごくいろいろなことを考える時間となりました。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「二度の大火に耐えて枝を伸ばす玉楠(神奈川 横浜開港資料館)」
http://www.lana-peace.com/1/1-3-006.html
「玉楠(たまくす)」と呼ばれる大きな木があります。
古くは開国を迫るペリー上陸の一場面にも描かれているこの玉楠。
その後、横浜で起きた慶応の大火や関東大震災といった
2度の大火を経て、今、空に向かって大きく枝を伸ばして
青々とした葉を茂らせています。
とてもすごい生命力を発揮する玉楠、
大きなエネルギー、パワーを秘めています。
さて、慶応の大火ですが
実はこの当時の様子がデンマーク人によって書き残されています(※)。
彼の目に映った横浜の人々の様子、
それは逆境に負けず、明るく頑張る前向きな姿でした。
原著『Skitser fra Japan』はデンマーク語ですが
長島要一氏によって非常に読みやすく、美しい日本語に訳された
『江戸幕末滞在記 若き海軍士官の見た日本』(※)を手に取ることができます。
こちらに記されていた横浜の当時の人々の姿、
非常に感銘を受けました。
(※)エドゥアルド・スエンソン著, 長島要一訳(2003)
『江戸幕末滞在記 若き海軍士官の見た日本』講談社
スエンソンが帰国後、これを出版した時、
まさか百数十年の時を経て日本語に訳され、
日本人に読まれるようになるとは
思ってもいなかったかもしれません。
スエンソンの横浜の人々に向けたその視線は
とてもあたたかく、また尊敬に満ちたものでした。
当時ののどかな横浜散策の様子なども登場します。
日本人が幕末・明治初期に書かれた日本語の見聞録を
原文で読んだら、なかなか手ごわいけれども
現代の日本人が150年ほど前のデンマーク人の原著を
訳せるって、すごいことだと思います!
横浜の玉楠をきっかけに、
すごくいろいろなことを考える時間となりました。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「二度の大火に耐えて枝を伸ばす玉楠(神奈川 横浜開港資料館)」
http://www.lana-peace.com/1/1-3-006.html
posted by Lana-Peace at 12:28| 病気のこどもと家族のために アート・歴史から考えるこどもの生
2018年07月02日
水面すれすれに枝を伸ばして開花する桜(東京 井の頭恩賜公園)
東京 井の頭恩賜公園はお花見スポットとして有名ですが
今春、井の頭池のボート乗り場のそばに生えていた桜は
水面すれすれに枝を伸ばして開花し、本当に見事でした。
桜の精が宿っているかのようでした。
どんな状況に置かれても、頑張っていく姿は
どこか病気のこどもたちの頑張りに似ているところが
あるような気がしました。
そしてよく調べてみると、
実は井の頭池周辺は旧石器時代の礫が見つかったり
縄文時代の竪穴式住居跡が見つかったり
信州由来の黒曜石を用いた石器が見つかったり、と
実に古くから人の息遣いが感じられ
人を育む土地だったようです。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「水面すれすれに枝を伸ばして開花する桜」
(東京 井の頭恩賜公園)
http://www.lana-peace.com/1/1-3-005.html
今春、井の頭池のボート乗り場のそばに生えていた桜は
水面すれすれに枝を伸ばして開花し、本当に見事でした。
桜の精が宿っているかのようでした。
どんな状況に置かれても、頑張っていく姿は
どこか病気のこどもたちの頑張りに似ているところが
あるような気がしました。
そしてよく調べてみると、
実は井の頭池周辺は旧石器時代の礫が見つかったり
縄文時代の竪穴式住居跡が見つかったり
信州由来の黒曜石を用いた石器が見つかったり、と
実に古くから人の息遣いが感じられ
人を育む土地だったようです。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「水面すれすれに枝を伸ばして開花する桜」
(東京 井の頭恩賜公園)
http://www.lana-peace.com/1/1-3-005.html
posted by Lana-Peace at 00:18| 病気のこどもと家族のために アート・歴史から考えるこどもの生
2018年06月18日
1粒の種子から大きく復活した桜(北海道 松前公園 桜「幸福」)
2018年5月、訪れた北海道 松前公園に「幸福」と
名付けられた桜の木がありました。
それはけいこかふぇでも紹介したけれど
その木に添えられていた解説板には
とても心あたたまるお話が書かれていたので、ご紹介したいと思います。
そちらによると松前町の法幢(ほうどう)寺にあった来歴不詳の桜が、
老齢で衰弱していたことから 昭和35(1965)年、
地元の松前町桜保存子ども会は品種の保存目的で
種子を5粒採取したところ、
そのうちの1粒が生き抜いて見事に成長していき
こどもたちは昭和55(1980)年5月5日に
その木に「幸福」と名付けたのだそうです。
枯れて息絶えてしまいそうな木の中にも、
素晴らしい可能性を秘めた生命力がある。
それは人間も同じなのだと思う。きっと。
病気のこどもたちとこの桜「幸福」の姿が重なって見えたのでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「1粒の種子から大きく復活した桜「幸福」
(北海道 松前公園)」
http://www.lana-peace.com/1/1-3-004.html
名付けられた桜の木がありました。
それはけいこかふぇでも紹介したけれど
その木に添えられていた解説板には
とても心あたたまるお話が書かれていたので、ご紹介したいと思います。
そちらによると松前町の法幢(ほうどう)寺にあった来歴不詳の桜が、
老齢で衰弱していたことから 昭和35(1965)年、
地元の松前町桜保存子ども会は品種の保存目的で
種子を5粒採取したところ、
そのうちの1粒が生き抜いて見事に成長していき
こどもたちは昭和55(1980)年5月5日に
その木に「幸福」と名付けたのだそうです。
枯れて息絶えてしまいそうな木の中にも、
素晴らしい可能性を秘めた生命力がある。
それは人間も同じなのだと思う。きっと。
病気のこどもたちとこの桜「幸福」の姿が重なって見えたのでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「1粒の種子から大きく復活した桜「幸福」
(北海道 松前公園)」
http://www.lana-peace.com/1/1-3-004.html
posted by Lana-Peace at 00:12| 病気のこどもと家族のために アート・歴史から考えるこどもの生
2018年06月15日
1万数千年前に生きた赤ちゃんのお骨
東京 上野の国立科学博物館に
1万数千年前に生きた赤ちゃんのお骨がありました。
沖縄県 久米島の下地原洞穴遺跡から出土したこの赤ちゃんのお骨は
50cmもの粘土層の上に大理石の一種、トラバーチンに覆われていたそうです。
トラバーチンが土壌の酸性を中和して赤ちゃんのお骨が
残りやすかったとか、その場所が土地開発によって
破壊されることがなかったといった環境因子もありますが、
それを差し引いてもこの赤ちゃんはすごい。
小さな赤ちゃんの秘めていた壮大な力を感じずにはいられません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「1万数千年前に生きた赤ちゃんのお骨」
(沖縄・下地原洞穴遺跡出土・国立科学博物館所蔵)
http://www.lana-peace.com/1/1-3-003.html
1万数千年前に生きた赤ちゃんのお骨がありました。
沖縄県 久米島の下地原洞穴遺跡から出土したこの赤ちゃんのお骨は
50cmもの粘土層の上に大理石の一種、トラバーチンに覆われていたそうです。
トラバーチンが土壌の酸性を中和して赤ちゃんのお骨が
残りやすかったとか、その場所が土地開発によって
破壊されることがなかったといった環境因子もありますが、
それを差し引いてもこの赤ちゃんはすごい。
小さな赤ちゃんの秘めていた壮大な力を感じずにはいられません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「1万数千年前に生きた赤ちゃんのお骨」
(沖縄・下地原洞穴遺跡出土・国立科学博物館所蔵)
http://www.lana-peace.com/1/1-3-003.html
posted by Lana-Peace at 07:59| 病気のこどもと家族のために アート・歴史から考えるこどもの生
2018年05月15日
行き詰まった時に心が元気を貰えそうな埴輪「踊る人々」(埼玉・野原古墳出土 東京国立博物館所蔵)
昭和5年(1930)年3月、埼玉県大里郡小原村の山林を開墾中
人が踊る姿の埴輪が出土しました。
埼玉県知事は宮内大臣(現在の宮内庁長官に相当)に
埋蔵文化財発見届を提出したそうですが
宮内省からは陵墓でないとの理由から、
帝室博物館(現在の東京国立博物館)の所管事項となり
当時、帝室博物館に勤務していた後藤守一氏が
「踊る男女」と命名したのだそうです。
現在では「踊る男女」ではなく「馬を曳く農夫の姿」と
考える説もあるそうですが、どちらにしても
あるいは新説が登場したとしても
その姿は顔の表情も、腕の表情も実に絶妙です。
困った時、行き詰まった時、病床のこどもたちがこの埴輪を見ていると、
何やら心が氷解してゆるゆるできそうな…。
そんな力を貰えるような埴輪です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
埴輪「踊る人々」(国立東京博物館所蔵)
http://www.lana-peace.com/1/1-3-002.html
人が踊る姿の埴輪が出土しました。
埼玉県知事は宮内大臣(現在の宮内庁長官に相当)に
埋蔵文化財発見届を提出したそうですが
宮内省からは陵墓でないとの理由から、
帝室博物館(現在の東京国立博物館)の所管事項となり
当時、帝室博物館に勤務していた後藤守一氏が
「踊る男女」と命名したのだそうです。
現在では「踊る男女」ではなく「馬を曳く農夫の姿」と
考える説もあるそうですが、どちらにしても
あるいは新説が登場したとしても
その姿は顔の表情も、腕の表情も実に絶妙です。
困った時、行き詰まった時、病床のこどもたちがこの埴輪を見ていると、
何やら心が氷解してゆるゆるできそうな…。
そんな力を貰えるような埴輪です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
埴輪「踊る人々」(国立東京博物館所蔵)
http://www.lana-peace.com/1/1-3-002.html
posted by Lana-Peace at 09:48| 病気のこどもと家族のために アート・歴史から考えるこどもの生
2018年03月04日
埴輪 子を背負う女子(鶏塚古墳)
国立東京博物館所蔵の埴輪「子を背負う女子」
栃木県の鶏塚古墳(6世紀)出土の埴輪ですが
赤ちゃんをおんぶしている女性
その二人の様子がなんだかとってもほのぼのしています。
6世紀の頃のこども
大事に守られ、育てられていたし
力強く生きていたんだなあってしみじみ思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「埴輪 子を背負う女子」
(東京国立博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/1/1-3-001.html
http://www.lana-peace.com/index.html
栃木県の鶏塚古墳(6世紀)出土の埴輪ですが
赤ちゃんをおんぶしている女性
その二人の様子がなんだかとってもほのぼのしています。
6世紀の頃のこども
大事に守られ、育てられていたし
力強く生きていたんだなあってしみじみ思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるこどもの生
「埴輪 子を背負う女子」
(東京国立博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/1/1-3-001.html
http://www.lana-peace.com/index.html
posted by Lana-Peace at 23:58| 病気のこどもと家族のために アート・歴史から考えるこどもの生