2016年11月08日

清澄庭園(東京都江東区)

かつては紀伊國屋文左衛門の屋敷跡、
下総国関宿藩主 久世大和守の下屋敷跡を経て
明治に入ると岩崎弥太郎により
造園工事が進められたという清澄庭園。
庭の中心に大きな池があり
その池の周囲にはいくつもの巨石が配置された
見事な回遊式林泉庭園。

どうやって山から石を掘り出して、
あるいは切り出して、
運んできたんだろうか…?と
想像もつかないような巨石の上を
踏み石にして、池の上を渡ります。
そして池の周りにある巨石は全国の名石なのだとか。
これらの巨石は岩崎家の自社汽船によって運ばれたものだそうです。
すごいなあ。

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庭園は今の時期も緑がいっぱいでしたが
きれいに手入れされ、場の気が整えられている感じです。

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それでもやっぱり紅葉はじまりの時期だから
池の縁にオレンジに紅葉した木を見ることもできました。

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広々した池は鳥もたくさん飛び交っていて

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なんだかのどかな空気感が漂う午後のひとときでした。
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2016年10月19日

2016年11月開催される菊花壇展(新宿御苑)

新宿御苑で開催される菊花壇展ですが、

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いつもはきれいに咲きそろった菊を見ていましたが
今日の新宿御苑では、開催に備えて菊の養生の最中。
展示を覆うすだれの壁が、スタッフの方が出入りされるため
少し空いていたので、中をちょっと見ることができました。
まだつぼみがいっぱいです。
つぼみがずらりとならんだ姿も圧巻です。

たくさん並べられた菊鉢の手入れは大変ですね。
菊が倒れないように、傷つかないように
スタッフの方が地面に膝をついて
丁寧に作業されていました。
見事な菊の開花の背景には
たくさんの人の努力があるんだなあと
あらためて思う次第でありました。

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2016年04月24日

亀戸天神社 美しい藤の花々

昨日、「藤のお花がきれいに咲いている!」と聞きまして
東京 亀戸天神社に行ってみました。

境内に美しい藤棚と池、太鼓橋があって
それはそれは見事でした。

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モネが歌川広重の絵に感化されて、ご自宅の庭に太鼓橋を掛けたそうですが
広重の連作浮世絵名所絵『名所江戸百景』「亀戸天神境内」に
遠景に太鼓橋、近景に藤が表現されているということで

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ちょっと現代版の藤と太鼓橋を再現です。

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この場にいると、藤を通して広重との時代とつながる
タイムトリップな感じが満載です。

そして現代ならではのショットとしてはスカイツリーということで
こんな風に見えたり

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こんな風に見えたり。

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そして池の亀は、境内の中を見張って神域を守っているかのようで

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ふと数年前の夏に訪れた江島神社 奥津宮に掲げられていた
酒井抱一の「八方睨みの亀」(※掲げられているのは模写)を
髣髴とさせるような亀たちでした。

境内の梅や匂い桜は実をつけ、
本殿西のあたりにはびわの実もなっていました。
池から親亀と子亀の遊ぶ様子を眺めたりしていると
あっという間に時間が経っていく午後でした。
こどもたちには、またいろいろけいこかふぇで紹介したいと思います。
posted by Lana-Peace at 12:16| □ アート いろいろ (日本の庭園)

2016年04月13日

新宿御苑 日本初の擬木の橋

新宿御苑の南東辺りに日本初の擬木の橋があります。

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コンクリートや石で木のように見える加工がされた擬木の橋、
明治38(1905)年にフランスから購入され、
その際フランスから3人スタッフが来られて
御苑でこの橋を組み立てたのだそうです。

木の幹の樹皮の様子も再現されたり

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太い枝が途中で切られた切り株の様子も再現されています。

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修復を重ねて今に伝わるこの橋は、当時の姿そのままとのこと。

明治38年の人々も同じ橋を見ていたんだなあ。
美しい緑や草花の中に溶け込むように
粋な橋が登場しいます。
posted by Lana-Peace at 09:32| □ アート いろいろ (日本の庭園)

2015年11月21日

新宿御苑で学ぶ新しい形で蘇る命〜 3.無から風を生み出す

新宿御苑の「母と子の森」の中に
そよ風が生まれる秘密が書かれていました。

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解説板によると
1 葉っぱが日差しをさえぎって、木陰ができる
2 葉から水分が出て、周りの空気が冷える
3 葉で冷やされた空気が下に下がる
4 日光であたためられた空気は上に上がる
  木の周りで空気が循環する
  その結果、そよ風が吹く
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木は葉を生み、葉は水を生み、
水は空気を冷やし、光は空気をあたため
そよ風が起こるってことです。

何だかすごい!なあ。

自分の心の中にも、
種をまいて、木を育てなくちゃね。
心の中にそよ風が吹くようになると、
きっと気分も変わってくるね。

惰性で過ごす日々の時間から
自分の心をきっとどこかに連れ出してくれるはず。

新宿御苑の職員さん、
苑内に設置している看板
そのセンスがとっても光っている看板、多いですね!
posted by Lana-Peace at 18:04| □ アート いろいろ (日本の庭園)

新宿御苑で学ぶ新しい形で蘇る命〜 2.倒れた染井吉野

新宿御苑の中で根こそぎ倒れていた染井吉野のそばに
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こんな看板がありました。
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「さくらの木 もりの中でたおれた木は時間をかけて土にかえります。」

倒れた根っこの土には
青々とした緑が茂っていました。
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森の中ではいろんなことを考えるきっかけになるね。
posted by Lana-Peace at 17:48| □ アート いろいろ (日本の庭園)

新宿御苑で学ぶ新しい形で蘇る命〜 1.池のヘドロと菊の花

新宿御苑にはいくつか池があるのですが、
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池のそばにあった解説板によると
苑内の池は10年から20年に1回、
冬になったら池の水を抜いて
魚や亀は他の池に移して、
池に流れ込んだ土や落ち葉のたまったヘドロを
除去するのだそうです。
それは苑内に10年積んで熟成させて、
盛り土や菊の栽培土として再利用されるのだとか。

先日見た菊花壇展の見事な菊の花は
そうした土で育ったものだったのかなあ。
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10年から20年かけてたまったヘドロが
10年かけて熟成されて
何かのお役に立つってすごいね。
20年越し、30年越しで、
落ち葉が菊の花を咲かせるエネルギーに代わるって
なんだかロマンがいっぱいだなあ。

20年前、30年前には、池に落ちた葉っぱのことを
きっと誰も気にも留めなかっただろうに。

何だか、いろんなこと考えさせられます。
posted by Lana-Peace at 17:30| □ アート いろいろ (日本の庭園)

2015年11月01日

見事な秋バラのフランス式庭園と菊花壇展(新宿御苑)

以前、こちらで東京の新宿御苑を取り上げましたが、
秋晴れの今日、またまた御苑に行ってみました。
東京の街中は電線がやたらと多くて、空が低く感じられるけれど
電線の1本もない空は、本当に高くて、広くて、
のびのびしますね。

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先週は東京 調布の神代植物園の秋バラを見に行ってきたのですけど
(また詳細は別に取り上げますが)
今日の新宿御苑のフランス式整形庭園のバラも見事に咲いていました。

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そして苑内では「新宿御苑菊花壇展」※が開催中。
 ※開催期間は2015/11/1〜11/15
丹精込めて育てられた菊の花が、いくつかのコーナーに分かれて
展示されていました。

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こちら御苑内のレストラン「ゆりのき」内に菊の解説コーナーが
併設されていたので、読んでみると、
御苑と菊は深い歴史があるのだとわかりました。
(行くまではそんなこと知らないで、行ってしまったのだけど)
そちらの解説板によると、明治11(1878)年に
菊花拝観が赤坂の仮皇居で行われ
2年後の明治13(1880)年には国際親善を図るために
ヨーロッパの園遊会に倣って「観菊会」と名称変更し、
浜離宮で開催された「観桜会」とともに毎年のように
開催されるようになったのだそうです。

そして観菊会展示用の菊の栽培は明治11年から
仮皇居内の丸山仕立て場で行われていたそうですが、
その補助仕立て場として、新宿御苑での菊の栽培が
始められたのだそうです。
大正14(1925)年からは展示用の菊のすべてを新宿御苑で
栽培するようになったのだとか。

戦争の間、一時、菊栽培は農耕地へと代わりましたが
戦後、また菊の品種の収集や新種の作出が再開されたのだそうです。
そして徳川家康、秀忠、家光はお花が好きで、
江戸城内にお花畑を造ったのだとか。

花を愛でるって世の中平和ってことですね。
今日の新宿御苑、いつもにもまして日本庭園内は
人がたくさんいたのは、菊花壇展の影響もあると思うけど
病気で入院しているこどもたちや
付添しているご家族たちに
この青空と、お花の開花エネルギーを
いっぱいお届けしたいなあ。

御苑内でたくさん撮ったお花、木、虫、魚の写真は
「けいこかふぇ」でこれからご紹介の予定です。
posted by Lana-Peace at 16:54| □ アート いろいろ (日本の庭園)

2015年09月22日

鎌倉 瑞泉寺 庭園  (8) 貯清池 国師,

観光ガイドブックなどに瑞泉寺庭園の紹介写真に
クローズアップされるのは天女洞なので
私は訪れた当日、天女洞ばかりに
気を取られていたのですけれど、
実はその前に位置する「貯清池」が
このお庭の中で意味を持つようです。
その池の岩で作られた中島は
中国の神仙思想による蓬莱島を象徴しているのだとか。
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ここは水月観道場とも呼ばれ、夢窓国師はここで座禅を組み、
池面に映る月を眺めた(※1)とのこと。

※1 宮元健次(2007)『鎌倉の庭園: 鎌倉・横浜の名園をめぐる』神奈川新聞社, p.129

向かって左端には2つの小さな橋が架けられ、
階段状の部分があります。
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当日のは貯清池は泥水で水量も少ない感じだったので、
よくわからなかったのですけど、
瑞泉寺の公式HPの庭園紹介には
天女洞からの美しい水面の景観が映し出されています。
庭園内は立ち入り禁止なので、このビューはとても貴重。
水に映った木々や空の青さと水面に浮かぶ紅葉の様子は実に美しく、
ここに座って時を過ごすと雑念が取り払われていきそうな、
そんな感じがする場所です。

文化遺産オンラインの瑞泉寺庭園のページには
庭園を西側上方あたりから下に向かって撮影したと
思われる写真が掲載されています。
それを見るとかなり池の大きさは大きく、
確かに中島は大海に浮かぶ蓬莱山という感じがいたしました。

本来、夢窓国師は天女洞側に人が座した時に見える
様々な風景に意味を持たせ、作庭したはず。
ということは、庭の入場が規制されている今の時代は
夢窓国師の想定した見方とは反対側の見方になってしまうけれど
688年前、天女洞で座禅によって
夢窓国師はどんな境地を得たのかなあ。
posted by Lana-Peace at 15:56| □ アート いろいろ (日本の庭園)

鎌倉 瑞泉寺 庭園  (7) 坐禅窟/葆光窟

庭園背面中央にある大きな天女洞の向かって右側には、
岩壁に小さな穴があけられています。
瑞泉寺のHPには
「東側には坐禅のための窟(坐禅窟・葆光窟)を穿(うが)ちました。」
とありました。
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でも、これのことなのでしょうか???
なぜなら、人が座禅するにはあまりに小さくて、
体が入りきらない様な気もするので、
当日見えないところに、坐禅窟があったのだろうか?

大きさからして、灯明をともしていたような、
そんな気もするのですけど、謎です。

そしてその小さな穴のそのまた右側には石のなだらかな段状の部分が。
どうやらここは滝の仕掛けになっているそうなのですけど
当日は、水は流れていませんでした。

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posted by Lana-Peace at 15:40| □ アート いろいろ (日本の庭園)

鎌倉 瑞泉寺 庭園  (6) 天女洞

さて、実際訪れた時に撮った写真を交えてご紹介です。

岩壁をくり抜いてできた洞窟は大きい穴が1つと小さい穴が1つ。
そのうちの大きい穴は天女洞です。
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その天井の石の文様が、自然の妙ではありますが、とても美しい。
なんとなく黒っぽくなっているのは、
洞窟の中で背の高い大きなろうそくをつけて、
そのすすが天井を汚したのだろうかと想像してみたり。
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天女洞の中にはこちら、光背を伴った石の仏像と
考えられるような石がありました。
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朽ちかけた石にその原型を見て取ることはできませんが、
それだけ年月が流れたことを伝えています。

この天女洞の池越しに小さなお堂があるのですが、その背面には
小さな仏様の石像がたくさん。
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それはまるで天女洞と対話しているかのようでした。
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仏様の向いはこういう風景です。
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posted by Lana-Peace at 15:33| □ アート いろいろ (日本の庭園)

鎌倉 瑞泉寺 庭園  (5) 発掘工事と『新編鎌倉志』

昭和44(1969)年から45年にわたり、
当時、文部省文化財保護審議会専門委員であった
吉永義信氏が瑞泉寺庭園の発掘工事指導にあたられたそうです。
無駄な木は切られ、石を掘ったり、がけの上層の土をはぎ落すなど、
大掛かりな発掘工事が行われたそうですが
「新編鎌倉志所載の瑞泉寺図に記されている寸法に合わせて発掘し、
江戸時代の富士山の噴火による火山灰の積もった
関東ローム層を取り除いたところ、
橋跡や排水溝などが絵図とぴったりの位置から現れた」(※1)
とあります。
当時、もし発掘見学会とかあったらぜひ行って見たかったなあ。
と言っても、まだ幼すぎて、その良さも何も分からなかったと思いますが…。

現在GoogleマップのEarthモード(衛星写真)で瑞泉寺庭園を見ると、
はっきりと貯清池、中島、橋まで見えますから、その戦後間もなくの写真と
発掘・整備後の違いがよくわかります。

さて『新編鎌倉志』が登場しましたが、
『新編鎌倉志』は水戸光圀が旅で訪れた鎌倉の記録を基に
編纂されたもので、現在巻二に登場する瑞泉寺の記載を
国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧することができます。
画面左に出てくる「目次・巻号」の
新編鎌倉志 8巻 [1] [174]を選択し、
ちょうど174コマ中、124コマ目の画像として、
当時の瑞泉寺絵図が登場します。
そこには確かに『一覧亭記』に登場する文章がまさに絵図で表されたものが!
『一覧亭記』には「盤回十八曲にして絶頂に至る」という言葉が出てくる通り、
絵図の上方、一覧亭のそばには、わざわざ道に指示線をつけて
「第十八曲二間半」と付記されています。
『一覧亭記』もすごいけど、『新編鎌倉志』に記載されている
内容の緻密さもすごいですね!

※1 宮元健次(2007)『鎌倉の庭園: 鎌倉・横浜の名園をめぐる』神奈川新聞社, p.126
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鎌倉 瑞泉寺 庭園  (4) 庭園再建と『一覧亭記』

今から50年ほど前までは瑞泉寺のお庭は、
夢窓国師の庭としての様相を潜め、
ハイキングの人が近道に通るような場所だったのだとか。
『豊道和尚絵詞』の11ページには、
戦後間もなくの瑞泉寺全景写真がありますが
確かにそこには、木のうっそうと茂る自然豊かな山の中に
お堂が2つほど見えるだけ。
お庭はどこかしら?とその跡形が見つけられないほどです。

そのお庭を豊道和尚が復元しようと思い立たれたわけですが
復元する際、清拙正澄(せいせつ しょうちょう)選の『一覧亭記』が
根本史料として用いられた(※1)のだそうです。
清拙正澄とはちょうど夢窓国師が瑞泉寺を開山した年の前年、
嘉暦元(1326)年、元より来日した禅僧です。
『豊道和尚絵詞』には『一覧亭記』の書き下し文が紹介されていたので、
私なりに解読(?)してみると、
「夢窓国師は紅葉ケ谷と錦屏山に囲まれたところを場所と定めて、
岩に穴を開け、地面を平らにし、瑞泉寺を作った。
前には山があり、背後には洞がある。
洞の西側には丸木橋があり、曲がりくねって長々と続く石段を登り、
その先を18回も曲がりながら登り進めていくと山の頂に到着し、
そこに翼を広げた如く新しい亭があった。」ということになります。

※1, 原田耕作(1998)『豊道和尚絵詞』青娥書房, p.56
posted by Lana-Peace at 15:08| □ アート いろいろ (日本の庭園)

鎌倉 瑞泉寺 庭園  (3) 戦後の瑞泉寺の経済的復興

檀家を持たないお寺であった瑞泉寺は、その唯一の収入源であった寺領を
戦後のGHQの土地改革で手放すことになり、
経済的に困窮したのだそうです。
そして昭和24(1949)年10月のキティ台風によって、
境内西のユーカリの大木が倒れ、山門が壊滅したことをきっかけに、
豊道和尚は農業によって寺を再建しようと決められたのだとか。

お寺の補修とか境内の手入れとか、自分だけでやるには限界があり、
どうしても外注しなければいけないものに対して
お金は入用ですものね。
誰かの寄付をあてにするのではなく、自らの足で立ち上がろうとされた
豊道和尚の姿勢は素晴らしいなあと思います。

豊道和尚は長野県立伊那農業学校の出身だったことから、
農業のいろいろな基礎を持たれていたのでしょうが、
苦労しながら椎茸栽培や炭作り、養蜂も手掛けられるようになったそうです。
また昭和20年代後半には墓地を作り、
一般人の檀家を持つようになりました。

参考文献:
原田耕作(1998)『豊道和尚絵詞』青娥書房
posted by Lana-Peace at 14:57| □ アート いろいろ (日本の庭園)

鎌倉 瑞泉寺 庭園  (2) 夢窓国師による開山から第二十八世住職大下豊道氏へ

瑞泉寺(臨済宗円覚寺派錦屏山瑞泉寺)は、
嘉暦2(1327)年、夢窓国師によって開山されたお寺です。
当初は瑞泉院と称されていたようですが、
正平22/貞治6(1367)年、関東管領足利基氏(足利尊氏の四男)が
没された時、深く夢窓国師を慕っていたことから
遺命によってここに葬られ、瑞泉寺と改称され、
関東管領家の菩提所に定められました。

江戸時代には徳川家の庇護を受け、
代々住職は徳川家から「公帖(こうじょう)」と呼ばれる任命状により
直接任免を受け、禄を賜っていたのだそうです。

しかし明治以降はそうした格式や禄も失われ、
関東大震災では辛うじて山門を残し、
本堂、書院、庫裏は倒壊する大きな被害に遭ったのだそうです。
その後、第二十七世住職松堂和尚によって
再建が図られましたが、なかなか厳しいものでした。

その後、昭和18(1943)年、副住職として招かれていた大下豊道氏が
翌年、第二十八世住職になられたのだそうです。
豊道和尚は昭和20(1945)年3月には召集令状がかかり、
八丈島へ赴かれ、復員後は瑞泉寺に戻られました。
戦前は元より、戦後もずいぶん苦労されたようです。

参考文献:
原田耕作(1998)『豊道和尚絵詞』青娥書房
宮元健次(2007)『鎌倉の庭園: 鎌倉・横浜の名園をめぐる』神奈川新聞社
posted by Lana-Peace at 14:49| □ アート いろいろ (日本の庭園)

鎌倉 瑞泉寺 庭園  (1) 山崎方代氏随筆をきっかけに

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こちら夢窓国師が開山された鎌倉の瑞泉寺、
訪れる前、観光ガイドブックをちょっと見た程度だったのですが
境内にあった山崎方代氏の歌碑が気になって、
帰宅後、山崎氏の随筆『青じその花』を読んでいたところ、
瑞泉寺の当時の住職さんについて、
方代氏が次のように綴られていました。
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わたくしは、歌に行きづまり、わたくしのもつ神につきあたり、
生きていくことが、何だからやたらにめんどうになって、
死を急ぐような気持にかき立てられる時は、
ここに飛んできて、和尚の静かに語るお言葉の一つ一つを
聞き留めていると不思議に心がなごんでくる。

引用文献:
山崎方代(1981)『青じその花』かまくら春秋社, p.106
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そしてこの和尚さんが大変苦労されて、寺を立て直し、
夢窓国師作庭のお庭を復元するに至ったのだと知ったのです。
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戦前は檀家もなく、世の中からまったく取り残されて
返り見る人とてない、さびれた山寺にすぎなかった。
豊道和尚は数珠のかわりに斧をふるい、薪をたばね、炭を焼き、
楢の木に椎茸の菌を植えつけてこれを育てて、金に替えて
この寺を護りつづけたと聞いている。
近くは観育堂の背後の池と土砂を覚悟をもって取り除いて、
四百年間眠りつづけていた夢窓の泉を新たに発掘して、
当初の凡ての極意を、ここに復元して、
この国を豊かにしてくれたのである。

引用文献:前掲書, p.106
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昭和46(1971)年11月に名勝指定された夢窓国師作庭のお庭。
自然の地形を活かし、すごく不思議な雰囲気が漂った所でした。
でも四百年眠り続けた?どういうことだろう、これは知りたい!と思って、
調べてみることにしました。
そうすると、感嘆するようなことが続々と。

はやりのグルメ処やお買いもの情報満載の観光ガイドブックには
なかなか紙面が割かれない先人たちの陰の苦労、
でも、そういう人たちの偉業のおかげで、
今があるので敬意を払うべき。
というわけで、このブログで取り上げようと思います。

内容がちょっと多いので複数回に分けてご紹介いたします。
なお、今回参考にした文献はこちらの2冊。
※原田耕作(1998)『豊道和尚絵詞』青娥書房
※宮元健次(2007)『鎌倉の庭園: 鎌倉・横浜の名園をめぐる』神奈川新聞社
素人の私であっても、歴史や庭園について知る窓口としていい本でした。
posted by Lana-Peace at 14:34| □ アート いろいろ (日本の庭園)

2015年08月29日

鎌倉 鶴岡八幡宮 神苑ぼたん庭園「湖石の庭」

鎌倉の鶴岡八幡宮にの敷地内にある神苑ぼたん庭園の中に
「湖石の庭」があります。

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こちら設置されていた説明板によると
「湖石(太湖石)」とは中国江蘇省の太湖という湖の底から
掘り出される石で、石灰岩に属するのだとか。

ごつごつした不思議な形で、
大きい穴、小さい穴がたくさん開いています。

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中国では湖石は天然記念物として保護されて
国外への持ち出しを禁止されているそうですが
昭和59年当時の中国大使夫妻の特別な計らいで
鶴岡八幡宮ぼたん庭園へ特別に寄贈されたのだそうです。

自然の作り出す造形って本当に不思議ですね。

湖石という呼び名を初めて聞いたので、ちょっと調べてみたのですが
飛田範夫先生の「中国と日本の古代絵画の太湖石」によると
8世紀から9世紀にかけて活躍した中国の大詩人 白居易は太湖石を愛し
詩にも詠んでいるそうです。
こちらの論文は飛田先生が苦心されて転載許可を得られた図が
たくさん掲載されているので、とても理解の助けになります。
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そして、神苑ぼたん庭園の中には石筍(せきじゅん)もありました。

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これは中国江蘇省より湖石の庭十周年と齋館竣工を記念して
平成6年11月中国江蘇省人民政府から寄贈されたのだそうです。

この石はその表面の模様から魚鱗石とも言われるとのことで
竹と共に植栽したこの石は筍(たけのこ)に見立てられて
石筍と称されるのだそうです。
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石って自然の造形物だけれども
何かそこに意味を見出して配置すると
たちまちそこが、何か特別な空気感を持ってくるから不思議ですね。
posted by Lana-Peace at 16:32| □ アート いろいろ (日本の庭園)

2015年08月27日

三尊五祖の石庭(鎌倉市 光明寺)

鎌倉市の光明寺の本堂西側には
大賀蓮と錦蘂蓮(きんずいれん)が美しい記主庭園がありますが
本堂東側には、石と植栽で造られた三尊五祖の石庭があります。

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後列は少し小高い緑の山になっていて、
中央の一番背の高い大きな石が阿弥陀仏、
向かって左側は勢至菩薩、右側が観音菩薩
前列は左側に小石が敷き詰められて、
向かって左側から、記主、鎮西、法然、善導、
そして少し三尊の緑の植栽の続きに釈尊を表した石が配置されています。

お庭の左端から見てみると
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記主

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後列 勢至菩薩、阿弥陀仏
前列 鎮西、法然

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後列 観音菩薩
前列 善導

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釈尊

その手前に蛇行する石の配列は、基面が少し赤みがかっていて
きっと、この世の人間の生活している場所を表しているのかな。
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この世と救われていく世界が表されたというこのお庭。
蝉の声が響く中、本堂の縁側からその庭を拝見すると
何だかそこだけ、異空間のような感じがいたします。

亡くなったこどもたちが、このお庭で表されたような
緑豊かな平安で清らかな場所で、
守られて過ごせているといいな。

キリスト教の教会のステンドグラスは文盲の人々にも
神の教えと天の世界がわかるようにと
模様で表されたものですけど、
キリスト教には、この三尊五祖の石庭みたいな
世界観を表したお庭ってあるのかなあ?
posted by Lana-Peace at 10:01| □ アート いろいろ (日本の庭園)

2015年08月11日

日本の美しいお庭いろいろ〜浄土宗大本山 天照山蓮華院 光明寺 記主庭園(神奈川県鎌倉市)

光明寺は本堂に上がって左に進むと、開山堂へ行く渡り廊下があって、
その右手に大きな池の記生庭園が広がります。
こちら蓮がとても有名なお庭で、当日午前7時過ぎに行って見ると、
蓮目当てに写真を撮っている方が、何名かいらっしゃっていました。
こちらの池の蓮は錦蘂蓮(きんずいれん)と大賀蓮があります。

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本堂から進むとすぐに池の手前の方に
たくさん群生しているのが錦蘂蓮(きんずいれん)です。
写真で見ると黄色い丸で囲った辺り。
当日、こんなきれいな錦蘂蓮が開花していました。

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そして古代蓮として有名な大賀蓮は写真では奥のピンクの丸を付けた辺り。
開山堂から書院へ進む渡り廊下の前にあります。

7月25日に訪れましたが、錦蘂蓮はたくさん咲いていたのですが、
お寺の方のお話によると大賀蓮は今年の夏の暑さのせいで、
7月第一週頃が見頃で、もう終わってしまったのだとか。
残念。でも、2000年以上前の蓮の実から発芽し、開花した大賀蓮は
葉っぱだけ見ても、生命力にあふれていました。
(詳しくはけいこかふぇでもまた取り上げますけどね!)

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訪れた当日は観蓮会が開かれるため、午前8時過ぎにはお坊様が
宗祖法然上人800年大御忌を期して建てられたという大聖閣(たいしょうかく)の
2階の窓を開けられました。

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そうすると、なんと回廊からも阿弥陀様の金色に光る光背が見えます!
その周りには玉虫色の光の筋が放射している様子が再現されています。

DSC03622.jpg

まるで『観無量寿経』に登場する浄土の世界が想起されるようでした。
ああそういえば…と思い出したのが、極楽浄土の世界が描かれた
絹本著色浄土曼荼羅図(重要文化財)です。
この曼荼羅図には阿弥陀三尊の手前に蓮の池が広がり、
蓮の上には小さな仏様が座っていらっしゃいます。
九州国立博物館所蔵の浄土曼荼羅図ですが、
国立博物館所蔵の国宝・重要文化財が取り扱われた
「e国宝」でも見ることができます。
丁寧で緻密な曼荼羅図は作品としても素晴らしいけれど
これが信仰の対象として、心を込めて一筆一筆、描かれたのだと思うと
ああ、なんてすごいんだろうと思います。
私がとやかく言うまでもなく、一度見て頂くと、
その凄さが伝わるだろうと思いますので、ぜひこちらをどうぞ!
画面上「画像拡大」ができるようになっていますので
蓮の上の仏様も、見えるはずです!

<絹本著色浄土曼荼羅図>
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重要文化財
1幅
絹本著色 掛幅装
縦128.5×横123.6(145.4)
鎌倉時代・14世紀
九州国立博物館所蔵
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posted by Lana-Peace at 00:38| □ アート いろいろ (日本の庭園)

2015年08月10日

日本の美しいお庭いろいろ〜臨済宗建長寺派 稲荷山 浄妙寺 枯山水庭園(神奈川県鎌倉市)

浄妙寺の本堂の西側に枯山水のお庭があり、
その背後に茶堂「喜泉庵」があります。
お庭はこんな感じ。

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とてもよく手入れされています。
当日、お寺の境内では何人も若い庭師の方が
黙々と剪定や手入れをされていました。
たまたまなのかもしれませんが、
鎌倉滞在中、結構、寺院の中で
庭師の方を見る確率が高かったように思います。

暑い日も、寒い日も庭師の方のいい仕事のおかげで、
きれいなお庭が目の前に広がるわけですね。

さてこの枯山水のお庭
私は特に印象に残ったのが、喜泉庵の縁側から見て右側です。
まっ白な小石の上に、木の葉の影が、
まさに影絵として映し出されていました。

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直接、石の上に何かを飾ったり、置いたり、塗ったりするのではなく、
木々の葉の成長、うつろいによって
その時々で変わっていく白と黒のシンプルな美は
何かとても意味深いものがありました。

そこになくても、そこにあるもの。
そこになくても、何かのきっかけ、仕掛けによって明らかになるもの。

世の中にはいろいろありますね。
posted by Lana-Peace at 00:21| □ アート いろいろ (日本の庭園)