
こちら夢窓国師が開山された鎌倉の瑞泉寺、
訪れる前、観光ガイドブックをちょっと見た程度だったのですが
境内にあった山崎方代氏の歌碑が気になって、
帰宅後、山崎氏の随筆『青じその花』を読んでいたところ、
瑞泉寺の当時の住職さんについて、
方代氏が次のように綴られていました。
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わたくしは、歌に行きづまり、わたくしのもつ神につきあたり、
生きていくことが、何だからやたらにめんどうになって、
死を急ぐような気持にかき立てられる時は、
ここに飛んできて、和尚の静かに語るお言葉の一つ一つを
聞き留めていると不思議に心がなごんでくる。
引用文献:
山崎方代(1981)『青じその花』かまくら春秋社, p.106
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そしてこの和尚さんが大変苦労されて、寺を立て直し、
夢窓国師作庭のお庭を復元するに至ったのだと知ったのです。
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戦前は檀家もなく、世の中からまったく取り残されて
返り見る人とてない、さびれた山寺にすぎなかった。
豊道和尚は数珠のかわりに斧をふるい、薪をたばね、炭を焼き、
楢の木に椎茸の菌を植えつけてこれを育てて、金に替えて
この寺を護りつづけたと聞いている。
近くは観育堂の背後の池と土砂を覚悟をもって取り除いて、
四百年間眠りつづけていた夢窓の泉を新たに発掘して、
当初の凡ての極意を、ここに復元して、
この国を豊かにしてくれたのである。
引用文献:前掲書, p.106
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昭和46(1971)年11月に名勝指定された夢窓国師作庭のお庭。
自然の地形を活かし、すごく不思議な雰囲気が漂った所でした。
でも四百年眠り続けた?どういうことだろう、これは知りたい!と思って、
調べてみることにしました。
そうすると、感嘆するようなことが続々と。
はやりのグルメ処やお買いもの情報満載の観光ガイドブックには
なかなか紙面が割かれない先人たちの陰の苦労、
でも、そういう人たちの偉業のおかげで、
今があるので敬意を払うべき。
というわけで、このブログで取り上げようと思います。
内容がちょっと多いので複数回に分けてご紹介いたします。
なお、今回参考にした文献はこちらの2冊。
※原田耕作(1998)『豊道和尚絵詞』青娥書房
※宮元健次(2007)『鎌倉の庭園: 鎌倉・横浜の名園をめぐる』神奈川新聞社
素人の私であっても、歴史や庭園について知る窓口としていい本でした。
posted by Lana-Peace at 14:34|
アート / 歴史 公園・庭園