2019年01月15日

函館市 臼尻B遺跡 大人の足元に寄り添う4,000年前のこども

2018年5月、北海道函館市の大船遺跡を訪れた時、
遺跡そばの大船遺跡管理棟内に同じく函館市の臼尻B遺跡に
関する解説展示パネルが設置されていました。
大きなパネルに出されていた写真、
それは遺跡のフラスコ状土坑から出土した2体の人骨でした。
こどもの人骨は母の子宮に再び吸い込まれて
生まれ変わることを望むかのような姿勢で埋葬されていました。

詳しく調べてみると
そこに収められていた副葬品の土器には
永遠や再生を象徴するかのような波や水泡を再現したような
模様が施されていました。


臼尻B遺跡からはシカと追い込み猟に使った落とし穴が
描かれた深鉢が出土しています。
漆が検出された土坑墓もあります。

シカの角は毎年生え変わる力強さと再生能力、
そして漆は熱や酸、アルカリにも耐えうる恒久性があります。

臼尻B遺跡の人々は何かに思いを託して表現することが
とても長けていたのだろうと思います。
かつて4000年も前に臼尻に住んでいた人々にとって
死は再生への始まりだったのかもしれません。


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「臼尻B遺跡 大人の足元に寄り添う4,000年前のこども」
(北海道 臼尻B遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-082.html

2018年12月01日

深鉢と共に眠っていた縄文時代中期の少年(北海道・大船遺跡)

北海道函館市の大船(おおふね)遺跡から
廃屋跡を利用したお墓が見つかりました、
そこに埋葬されていたのは10歳の少年。
歯が6本見つかったのだそうです。

そして副葬品としてお墓に土器が埋められていたのですが
報告書に描かれていた土器の文様を見て
とても驚きました。

深鉢は縄目の文様だけでなく、
直線、弧、渦巻などいくつかの形状が見られますが、
それが死者の癒しや死者の再生、
あるいは、人が死する時、精神を支える気の「魂」は天に帰り、
肉体を支える気の「魄」(はく)は地に留まるという
中国の道教の魂魄(こんぱく)思想が
まるで凝縮されているかのような文様です。

そして頭の向きと同じ方向に向けられた
2つの土器の開口部は
実は真東の方向、すなわち噴火湾・太平洋に向かっていたのでした。
闇夜を消し去り、昇り行く朝日のエネルギーを
存分に受けるためだったのでしょうか?

今となっては想像するしかないけれど
それにしても、大船遺跡に生きていた人々は、
非常に奥深い精神文化の生活をしていたのだろうと思います。

歯と土器は大事にどこか収蔵されているのかなあ。
いつかちゃんと実物を見てみたいです。
少年の生きた証だものね。
今は報告書やパンフレットの世界の中でしか
わからないのだけど。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「深鉢と共に眠っていた縄文時代中期の少年」
(北海道 大船遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-081.html

2018年10月07日

垣ノ島B遺跡 9,000年前の墓から出土した漆製品(北海道函館市 蔵)

縄文時代早期前半の土坑墓から見つかった
9,000年も前の漆製品、
それはまるで東洋医学の経穴・経絡の要所、要所を
押さえたかのように、埋葬された人の頭、肩、手頸、すねを
飾っていた装飾品でした。
こちら、出来上がった布に漆が塗られているのではなく、
漆の糸からわざわざ作られたものでした。
当時の人々は漆かぶれを起こすウルシノキに
敵を撃退するような強い特別な力を見い出し、
漆液から作り出される漆製品に
その力が宿っているように感じていたのかもしれません。
「死」は「終わり」を意味するものではなく、
死後の世界の存在を認識していたからこそ、
こうした漆製品による装飾で死者を守ったのだろうと思います。
邪悪なものから死者を守り、安寧な時間を過ごしてもらうために。

それは9,000年前の人々の、死者へのあたたかい眼差しの表れだと思います。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「垣ノ島B遺跡 9,000年前の墓から出土した漆製品(北海道函館市 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-080.html

2018年10月04日

垣ノ島A遺跡 足形・手形付土製品(北海道函館市 蔵)

先日こちらで北海道函館市の豊原4遺跡出土の
足形・手形付土製品についてご紹介しましたが
今日は同じく函館市の垣ノ島A遺跡から出土した
足形・手形付土製品をご紹介したいと思います。
全体で17枚もの土版が出土しましたが
中でも12畳相当以上のスペースもある大きな
土坑墓P-181から10枚の土版が出土しました。
そのそばにあった柱の跡は勝手に想像を膨らませると
まるで結界が張られ、祭壇が築かれていたかのようです。
出土したつまみ付ナイフも色の順番などがありました。
そして土坑墓で火を使って何らかの儀式が行われたと
推測できる痕跡もありました。
その背後にあるストーリーはとても奥深そうです。
謎だらけではあるけれど
6500年前の彼の地の海岸段丘に
こどもの命を慈しみ、土版にこどもの足跡を残した人々が
いたことは紛れもない事実です。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
垣ノ島A遺跡 足形・手形付土製品
(北海道函館市 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-079.html

2018年09月20日

6,500年前の夭逝したこどもの命と親の愛情が感じられる足形・手形付土製品(北海道函館市 蔵)

2018年5月、北海道の函館市縄文文化交流センターを訪れた時、
とても印象深く釘付けになったものがありました。
それは函館市の遺跡から出土した縄文時代の土版です。
素朴な形と色合いの土版には、
小さなこどもの足形が残されていたのでした。
数千年もの時間を経て、見つかったこの土版。
そこにはっきりと残っていたこどもたちの足指の跡は、
たしかにあの時代、あの場所でこどもたちの人生が
息付いていた事実を物語っていました。

その後2018年8月、東京国立博物館で開催された
特別展「縄文―1万年の美の鼓動」に行ったところ、
なんとあの時の土版がまた出展されていたではありませんか!
土版がかわいらしい声で語りかけてくるかのようでした。

後日、土版出土時の情報が詳しく記された豊原4遺跡報告書を
東京 千代田区の国会図書館で閲覧してみました。
  函館市教育委員会編(2003)『豊原4遺跡』函館市教育委員会
展示会場では館内照度の具合や、ケースの反射などの関係で、
隅々まで十分見れるわけではないし、
私の事前の情報収集が不十分で
肝心な所をいくつも見落としていたのですが
報告書にあった土版の写真、線描画、拓本、その他の文字情報により
会場の展示ではまったく気付けなかったことを知ることができました。
冊子の報告書だけでなく、付帯のCD-Rの中には
パワーポイントやエクセルの画像・データなどが収載されていて
あまりのリアルな情報と膨大な存在感に圧倒されました。
1枚1枚ゆっくり見てみたかったけれど、図書館の閉館時間までには
とても間に合いそうもなかったので、途中で諦めました。
この発掘調査に携わったあらゆる方々の
丁寧な仕事ぶりや努力が伝わってくるようでした。

土版の作成事情など、当時に遡らなければ、
わからないことが多いけれども、
こどもへの愛情や思慕の情があふれているこの土版、
たくさんの人に知ってほしいなと思いました。
心が荒んだ人にはあの土版に残された小さな指の跡を
見てほしいと思います。
いろいろなことを語りかけてくれるはずです。
あの土版は本当に……泣けてくる。

北の大地に眠っていた6500年前の
こどもの命、親の気持ち。

土版の足形の裏面は、なんと手形が残っています。
こどもの手形?そう思っていましたが
そうではありません。
土版に足底を押し当てるために
土版に添えられた大人の手。
それはその子の親の手でしょうか?
表にはこどもの命、裏には親の命。
実物を見ても手形までは気付かなかったのですが
拓本ではその存在がリアルに蘇っています。

土版は土坑墓という当時のお墓から見つかっています。
我が子が夭逝した後、親も亡くなり、
その時、我が子の足形の土版と共に葬られたのだと思います。
死は終わりではない、そう思って。
死は新たな世界での始まりだったのかもしれません。
親子が再会して、また共に暮らす人生の新たな始まり。


北海道函館市の豊原4遺跡から出土した
こどもの足形をとった土版のお話、
詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「足形・手形付土製品(北海道函館市 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-078.html

2018年09月05日

「棺に由来するマスク(ルーヴル美術館 蔵)」

こちらでご紹介した国立新美術館のルーヴル美術館展に
棺に由来するマスク(エジプト美術部門 E11647)が
出展されていました。
ミイラのマスクは変遷を遂げて
肖像画へと変わっていきますが
永遠の生を求めた古代の人々の願いは
その制作技法にまでもこめられていたように思います。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「棺に由来するマスク(ルーヴル美術館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-077.html

2018年08月25日

秋草文壺(国宝)(慶応義塾 蔵・東京国立博物館 展示)

2017年冬に川崎市夢見ケ崎動物公園を訪れた際、
近くの白山古墳から「秋草文壺」が出土したことが
公園内看板に記されていました。
それについてはブログでも紹介しましたが、
その実物を東京国立博物館で見ることができました。

秋草文壺、シンプルで素朴な図柄ではありますが、
どことなく品のあるあたたかい感じの壺でした。
線描された薄の様子は、
まるで穂を揺らす風の音さえも聞こえてきそうな、
そんな風情を醸し出しています。
故人の魂はこの壺の中でずっと秋を感じ、
秋草やトンボたちを愛でていたことでしょう


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「秋草文壺(国宝)」
(慶応義塾 蔵・東京国立博物館 展示)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-076.html

2018年08月24日

法隆寺献納宝物 光背(東京国立博物館 蔵)

東京国立博物館の法隆寺宝物館に
法隆寺献納宝物の光背がありました。

その中にひときわかわいい光背が。
銅板打ち出しによる化仏がついています。
お顔立ちは丸顔でふっくらとしていて、
何ともかわいらしく、微笑んでいるようです。
頸を少し左に傾げて合掌しています。
このような化仏に囲まれていれば、
亡くなった人も安らかで穏やかな時間が過ごせそうな気がします。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
光背(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-075.html

2018年08月23日

小型陶棺(東京国立博物館 蔵)

東京国立博物館に岡山県津山市河辺と
群馬県太田市から出土した
小型陶棺がありました。
がっしりした円柱型の脚部がついた
高床の陶棺です。

亡き人が心地良く過ごせるように、
身分の高い人がかつて生前暮らしていた家を模して、
陶棺を作ったのではないでしょうか。
高床であった方が雨や雪、風通し、
虫の害に悩まされることも少ないでしょう。
それは死者への思いやりかもしれません。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
小型陶棺
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-074.html

2018年08月22日

岡山県 本坊山古墳出土の陶棺(東京国立博物館 蔵)

今日は岡山県瀬戸内市の桂山にあった本坊山(ほんぼうざん)古墳から、
須恵器の杯と共に明治16(1883)年、見つかった
須恵質の陶棺のご紹介です。
東京国立博物館にありました。
美しい複弁蓮華文が印象的です。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
陶棺(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-073.html

2018年08月21日

「小児用甕棺」(東京国立博物館 蔵)

東京国立博物館に佐賀県出土の弥生時代の甕がありました。
こちら二つ合せてこどもの棺として用いられたものです。
二つの甕を合せる口縁部は帽子のつばのように
少し広くなっていました。
亡くなった人が眠る空間(甕の内側)を
土砂や異物が入り込まないように、
落ち着いた空間を作ってあげたいという気遣いから
生まれた工夫のように思います。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「小児用甕棺」
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-072.html

2018年08月20日

あどけない表情の土面(長野県松本市出土・東京国立博物館 蔵)

縄文時代に作られた土面、
それは儀式に使われたと考えられています。
でも長野県松本市から出土し、
東京国立博物館に展示されていた3000年から4000年前の土面は
素朴であどけない口元の表情で
まるでかわいいこどもの一瞬の表情を切り取ったかのようです。
夭逝したこどものデスマスクとして作って
おうちの中で飾っていたのかなあと
個人的には思います。



詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
土面(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-071.html

2018年08月19日

三彩女子(東京国立博物館 蔵)

かわいい小鳥を右手に微笑む三彩女子、
東京国立博物館に展示されていました。
かわいい小鳥の清らかなさえずりが聞こえれば、
死後の世界でも穏やかな時間を過ごせるのではないか……
遺された者たちのそういった死者への願いが込められているようでした。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
三彩女子
(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-070.html

2018年08月18日

三彩牛車・馭者(東京国立博物館 蔵)

東京国立博物館に展示されていた7世紀の三彩牛車・馭者、
とてもきれいでしっかりした作りです。

死後の世界でも、思うままにお出かけして、
楽しく過ごすことができますように…
そういう願いが伝わってくるようでした。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
三彩牛車・馭者
(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-069.html

2018年08月17日

加彩方壺(かさいほうこ)(東京国立博物館 蔵)

前漢時代の明器、加彩方壺が東京国立博物館に展示されていました。
形も色合いも、とても美しい明器です。
漆器を写した明器と考えられているこの壺、
共に埋葬されていた死者もきっと
美しいものをこよなく愛していた方なのだろうと思います。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
加彩方壺(かさいほうこ)
(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-068.html

2018年08月16日

加彩しきょう壺(東京国立博物館 蔵)

東京国立博物館にかわいいミミズクの小さな壺がありました。
亡くなった方の死後の世界での生活に困らないように
納められた明器です。
2000年ほど前の中国で作られた「加彩しきょう壺」
存在感は抜群です。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「加彩しきょう壺(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-067.html

2018年08月15日

東小田七板遺跡出土の土器(福岡・筑前町教育委員会 蔵, 東京国立博物館展示)

東京国立博物館に福岡県の東小田七板遺跡出土の
土器が展示されていました。
数多く発見された甕棺墓と共に見つかった
祭祀土坑から発掘された丹塗磨研土器です。
赤色顔料が塗られ、土器表面が丁寧に磨かれているこの土器、
赤い土器、と言われても現代人のイメージする「赤」とは違い
経年退色の影響なのか、明るいブラウンの土器だけど
確かに他の土器と比べると、随分異なります。

こちらでは黒く着色した土器も見つかっているそうです。

赤と黒の土器の意味、
いろいろ考えてみると弥生時代の精神世界、奥深いです。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
東小田七板遺跡出土の土器
(福岡・筑前町教育委員会 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-066.html

2018年08月14日

加彩楽人(東京国立博物館 蔵)

唐時代・7〜8世紀の女性の加彩楽人俑は
全体的にあたたかみのある、優美な雰囲気を強く漂わせていました。
4体の楽人の奏でる弦楽器と打楽器の音楽のおかげで、
俑と共に埋葬されていた人は
きっと心地良く過ごせていたことでしょう。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「加彩楽人(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-065.html

2018年08月13日

画像石 舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)

中国山東省魚台県から出土した
後漢時代の舞人・楽人の画像石が
東京国立博物館に展示されていました。
太鼓を叩く人、お手玉でジャグリングをする人、
長い袖を振り回して踊る人、琴を弾く人、
手拍子を打ちながら歌う人、
簫(しょう)を奏で、でんでん太鼓でリズムをとる人。
とっても賑やかで活気溢れる場面です。
この画像石が飾られていたお墓で眠っていた人はきっと、
死後の世界で明るく、楽しい気持ちで過ごせていたことでしょう。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「画像石 舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-064.html

2018年08月12日

加彩舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)

東京国立博物館に展示されていた「加彩舞人・楽人」。
中国では後漢時代、墳墓に葬られる主人に娯楽を提供する舞人・楽人の俑が
とても流行したそうです。
死者の魂を慰め、死後の世界での生を楽しいものでありますように、
という願いが感じられる元気いっぱいの俑です。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「加彩舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-063.html

2018年08月11日

埴輪 琴をひく男子(個人 蔵・東京国立博物館展示)

東京国立博物館に椅子に座って、膝の上に琴をのせて弾いている
男性の埴輪がありました。
琴、と聞くと美しい音色を思い浮かべますが
古代では神と人とを結ぶものであり、
神託を受けるために使われていたそうです。
そうすると、生前そうした仕事に携わり、亡くなった被葬者は
亡くなってもなお、死後の世界で神の言葉を受けて、
この世の人の生活が安寧であるように守るお仕事を
埴輪と共にしていたのかもしれません。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「埴輪 琴をひく男子
(個人 蔵・東京国立博物館展示)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-062.html

2018年08月09日

埴輪「両手を挙げる女子」(茨城県水戸市愛宕町出土)

東京国立博物館に展示されていた
埴輪「両手を挙げる女子」のご紹介。
茨城県水戸市愛宕町出土のこちらの埴輪、
両手を挙げる、という名称がついていますが
両手はまるで一緒に埋葬された人を大事に守るかのような
抱きかかえるかのような表情です。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「埴輪 両手を挙げる女子(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-061.html

2018年08月06日

「埴輪 船」西都原170号墳出土・重要文化財(東京国立博物館蔵)

東京国立博物館で見た重要文化財の船の埴輪、
宮崎県西都原170号墳から出土したものです。
埴輪の船と言えども、とてもしっかりした作りの船です。
当日、会場では「被葬者の魂を運ぶため、または
外洋への交流を象徴するために、船の埴輪は重要でした」と
説明文が添えられていました。

荒波と風雨を越えてしっかり死者の魂を届けたい、
そういう気持ちが伝わってくる埴輪です。


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「埴輪 船(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-060.html

2018年08月04日

石倉貝塚 甕棺土器(縄文時代後期)

こちらでご紹介した「函館空港遺跡群」ですが
空港3階のオープンフロアで展示されていたもの中で
ひときわ目を引く美しい土器がありました。
そちら、函館空港遺跡群の中でも東端、
滑走路から外れたところにある石倉貝塚の「甕棺土器」です。
石倉貝塚は大型の盛土、柱穴・配石遺構を伴うところで
死者を弔う祭祀が行われた場所と考えられているそうです。

こどもを弔う甕棺土器のほか、
いろいろ調べてみると石倉貝塚からは
新潟県糸魚川産のヒスイの玉も出土しているそうです。

死者を見送る気持ち、弔う気持ちが
伝わってくるものでした。


詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「甕棺土器(北海道函館市 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-059.html

2018年08月01日

石人(福岡県八女市 岩戸山古墳出土・重要文化財)

東京国立博物館で見た石人、
福岡県八女市の岩戸山古墳から出土した
6世紀(古墳時代)の石人です。
とっても迫力があります。
1つの阿蘇溶結凝灰岩から
1体の大きな石人ができたことに驚きです。
ここに眠る故人を守りたい、そういう思いが
とても伝わってくるものでした。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「石人(東京国立博物館所蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-058.html

2018年07月31日

イノシシの持つ神聖な力 ― 埴輪 猪(群馬県伊勢崎市 天神山出土・重要文化財)から考える

群馬県の天神山古墳(前方後円墳)の前方部の基壇上に
犬形埴輪と一緒に置かれていたというイノシシの埴輪。
重要文化財です。
とてもカワイイ埴輪ですが
イノシシ、について調べてみると
古代の人々はとても神聖な力を
イノシシに見い出していたことがわかります。

そしてそれは現世の人々の暮らしにおいてだけでなく
死後の世界にもその思いを延長させていたことが考えられます。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「埴輪 猪」
(東京国立博物館所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-057.html

2018年07月10日

みみずく土偶・猿形土製品(前2000〜前1000年, 前1000〜前400年)

埼玉県の真福寺貝塚から出土した
「みみずく土偶」と「猿形土製品」。
真福寺貝塚からは人骨が出土したという記録は見当たりませんが
縄文時代の精神性をアイヌのイオマンテの中に共通性を見出していた
河野広道先生の説を当てはめて考えてみると、
もしかしたらこのみみずく土偶や猿形土製品は、
例えば亡くなった人の魂を天へ送るための儀式などで使われたのかもしれません。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「みみずく土偶・猿形土製品(前2000〜前1000年, 前1000〜前400年)」
(東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-056.html

2018年05月14日

貝塚はこの世と神の国、死後の世界を結ぶ神聖な場所だったのでは? ――河野広道先生の論文「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」(『人類学雜誌』50(4))を読んで考えたこと

昨年10月、千葉県の飛ノ台貝塚から出土した人骨に関して
こちらのエッセイで取り上げたのですが
その後もどうしても解せない部分がありました。
貝塚は当時のゴミ捨て場として利用された跡だと私は理解していたからです。
そのような場所になぜ人骨が…?
何だかもやもやした気分だったのですが、
その後ある論文の存在を知りました。
昭和10(1935)年、人類学雑誌に発表された河野広道先生の
「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」です。

現在はWEB上、無料で論文を拝読することが可能です。
河野広道(1935)「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」『人類学雜誌』50(4), pp.151-160


昆虫学を収めた河野先生ですが
尊父は道史編纂の初代編纂主任を務めた河野常吉氏であり
恐らく幼い頃より北海道の考古学、歴史、
アイヌ文化などへの造詣は深かったのでしょう。
その後、研究分野は考古学領域へと広がり
北海道での遺跡、貝塚の調査に多く携わられた河野先生は
少なくとも北海道の貝塚から出土する人骨は
丁寧に埋葬された場合が多いという事実から
アイヌの思想、習俗を鑑みて
貝塚に埋葬された人骨は遺棄されたものではなく
「イオマンテ」として送られたものだと考えられたのです。
今では熊の霊を神の国へ返すものとして知られていますが
河野先生によると食料とした動物、鳥、魚介類のうち食べられなかったところの他
生活に必要な猟の道具、武具、農耕具、その他食器等で不用となったもの、
壊れたものなども「送り」の対象として祭壇のそばにまとめられたそうです。
炉の灰さえも多量になると、まとめて一箇所にして神と人間との間を取り持つ
イナウを立てておくという徹底ぶりでした。
すべてのものに神を見出し、
すべてのものに感謝する、そういう思想ですね。


貝塚はこの世と神の国、あるいは死後の世界とをつなぐ
実に神聖な場所だったのだろうと思います。
そして貝塚に葬られた人骨は「送られる」人への
思いがとてもこもった証だと思いました。
故人を大切に悼む思いが今に伝わる場所、それが貝塚なのかもしれません。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
飛ノ台貝塚 抱き合った男女の人骨(複製)
(飛ノ台史跡公園博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-039.html
改変 2018/5/14, 初出 2017/10/12

2018年05月05日

揺銭樹(ようせんじゅ)(中国出土・東京国立博物館蔵)

2015/2/18に取り上げた中国四川省出土の揺銭樹(ようせんじゅ)ですが
東京国立博物館でもう1度見て、改めてその精巧な作りに驚かされました。

死後の世界とお金、その関係はあまりに似つかわしくないけれど
「死は終わりなのではなく、現実社会の延長線上にあるんだ…」
そういう考えの現われのようにも思えます。


詳しくはこちらに書きました。
アート・歴史から考えるグリーフケア
揺銭樹(ようせんじゅ)(中国出土・東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-011.html

金銅製沓(国宝) (江田船山古墳出土・東京国立博物館蔵)

以前、2015/2/24に熊本県の江田船山古墳出土の金銅製沓を取り上げましたが、
その後、韓国の国立全州博物館で韓国 高敞郡
鳳徳里古墳群1号墳出土の金銅飾履を見た時
「江田船山の金銅製沓もすごかったはずだ!」と思い出し、
もう一度ちゃんと日本の沓も見ようと思い、
2018/4、東京国立博物館に行ってみました。

金銅製沓、実に見事な亀甲文でした。

それと共に古代の中国、朝鮮半島と日本のつながりが
強く感じられるものでした。


詳しくはこちらに書きました。

アート・歴史から考えるグリーフケア
金銅製沓(国宝) (江田船山古墳出土・東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-012.html

2018年05月04日

埴輪「猿」と古代のグリーフケア(6世紀・伝茨城県行方市 大日塚古墳出土・重要文化財)

東京国立博物館に展示されていた6世紀の埴輪「猿」。
茨城県行方市 大日塚古墳から出土したその猿の埴輪は
ほんわか、あたたかい雰囲気でかわいい猿です。

でもお顔の朱色
そして背中の剥がれ落ちたような跡…
いろいろ調べてみると、何だかとても奥深い。

明治、大正、昭和と活躍した考古学者の柴田常恵氏は
日本人類学会の学会誌に「猿形埴輪」という報告を出されていますが
その中では『日本書紀』や『和名類聚抄』を参考に
猿の埴輪の意味をいろいろと考察されていました(※)。

※ 柴田常恵(1906)「猿形埴輪」『東京人類学会雜誌』21(244), pp.400-403


古代の人々が副葬品として埋葬した埴輪、
そこに子猿を背負った親猿の埴輪が登場していることに
しみじみいろいろ考える機会となりました。

詳しくはこちらに書きました。



アート・歴史から考えるグリーフケア
埴輪「猿」
(東京国立博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-051.html

2018年04月11日

金銅飾履(韓国 高敞郡 鳳徳里古墳群1号墳出土・国立全州博物館所蔵)

昨年秋訪れた韓国の全州博物館には
全羅北道 高敞郡の鳳徳里古墳群1号墳から出土した
一双の金銅飾履がありました。
5世紀百済のこの飾履、素晴らしい彫金です。
日本の江田船山古墳出土の国宝 金銅製沓にもよく似ています。
副葬品の一つではありますが、1600年ほど前にこれほど緻密なものが
造られていたことが本当に驚きです。
また同じ頃の時代に朝鮮半島と熊本で同じような飾履が
古墳に収められていたことを考えると、
死者に向けるまなざしは海を越えても変わらぬものだったと
知ることができます。

丁寧に形作っていく一刀一刀、そこには死出の旅路の向かう先が、
美しく光り輝く飾り履きが似合うような素晴らしい世界でありますように…
そんな願いが込められていたのだろうと思います。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「金銅飾履」
(韓国・国立全州博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-050.html

2018年03月03日

埴輪 鶏(古墳時代6世紀)― 夜明けに魂を呼び戻す

埴輪の中には鳥の形状を模したものがありますが
パッと見たらただの鳥でも
鳥は鳥でも「鶏(にわとり)」については
意味があるのだそうです。
夜明けにコケコッコーとなくオスの鶏に託した思い。
それは死者の魂の再生とも関係があるそうで…

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「埴輪 鶏(にわとり)」
(東京国立博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-049.html

2017年12月13日

埴輪 水鳥(古墳時代5-6世紀)―送る魂、呼び戻す魂 水鳥埴輪に託す思い

こちらで韓半島における鳥型土器を取り上げた際
『三国志魏書』「東夷伝」の
「以大鳥羽送死 其意欲使死者飛揚」という一文から、
鳥は死者の魂を黄泉の国へと送リ届ける役割がある
という考え方をご紹介いたしました。
そうした考えは日本でも同じようにありました。
今日は東京国立博物館の水鳥の埴輪 水鳥についてご紹介したいと思います。
埼玉県行田市埼玉出土の古墳時代・6世紀の水鳥の埴輪と
大阪府羽曳野市 伝応神陵古墳出土の古墳時代・5世紀の水鳥の埴輪です。

古代の人々が鳥に向けた眼差しを考えると、
彼らの感性は本当に豊かだったのだなあと思います。
生者にとって鳥は現世での生命を支える穀物豊穣に寄与するものであり、
死者にとっては死後の世界へ導くもの(あるいは現世に呼び戻すもの)であり…。
それだけ鳥が暮らしの中で身近な存在だったことを示すと思います。

その中でも死に関する鳥へ託した思いは、
今の世にもしみじみ切々と伝わってきます。
以前こちらでご紹介した、渡り鳥アジサシを胸に置いて埋葬されていた
6歳くらいの少年(和歌山県 磯間岩陰遺跡)のように……。

詳しくはこちらに書きました。

アート・歴史から考えるグリーフケア
「埴輪 水鳥」
(東京国立博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-048.html

2017年12月12日

鳥形土器(韓国 陜川 蔚山 金海出土) ―鳥に託した死者への思い

2017年春、韓国・金海市の国立金海博物館を訪れた際、
鳥形土器を見学しました。
その解説展示パネルには『三国志魏書』「東夷伝」の
「以大鳥羽送死 其意欲使死者飛揚」の一文が引用されていました。
鳥形土器は死者の魂の安寧な行方を鴨の飛翔に託す気持ちがこめられた
という解釈の根拠として引用されたものです。

形あるものには作り手の深い意味があるのだなあと、改めて感じた次第です。
詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「鳥形土器(韓国 陜川 蔚山 金海出土) 」
(韓国 国立金海博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-047.html

2017年12月08日

古作貝塚 ―貝輪から感じられる死後の生と死者への眼差し

かつて昭和の初期、千葉県船橋市に中山競馬場を作るため
同市の古作(こさく)貝塚が破壊されることになってしまいました。
それはとても残念な話ではあるけれども、
その建設工事ゆえに明らかになったものもあったのです。
蓋付の2つの土器の中に水平に重ねられて、
大切に収められていた51枚もの美しい貝輪たち。

その古作貝塚からは貝輪をつけた人骨も見つかっています。

実際縄文時代に戻ってみなければ、アクセサリーやお守りの意味で
貝輪をずっと身につけていたのか、
あるいはそれが死出の旅を安らかにすることを願って添えられ、
共に埋葬されたものなのかはわかりません。
もし後者であれば、そこには当時の人々が感じていた
「死後の生」といった世界観が浮かび上がってきます。
そして死者へ向けられたあたたかい眼差しがだんだんと感じられます。

いろいろな人々の思いがたくさんつまった貝輪。
3千年、4千年もの時を経て
貝輪はいろいろなメッセージを伝えてくれそうです。
なにしろ蓋付土器で保管するほど、大切にされていたものなのですから。


詳しくはこちらに書きました。


アート・歴史から考えるグリーフケア
古作貝塚 貝輪
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-046.html

2017年11月27日

黄泉国の炊飯具(古墳時代・6世紀 奈良県葛城市笛吹遊ケ岡出土)

こちらで前漢時代の明器「灰陶竈(かいとうかまど)」をご紹介しましたが、
今日は日本の「黄泉の国の炊飯具」をご紹介いたします。

奈良県葛城市笛吹遊ケ岡から出土した古墳時代(6世紀)の
小型置竈、小型羽釜、小型鉢、小型甑。

亡くなった後も、毎日炊きたてのあたたかいご飯をおなかいっぱい食べてほしい…
そんな思いが伝わってきそうな「黄泉国の炊飯具」です。
東京国立博物館平成館に展示されていました。



そして思い出したのが明治大学博物館に展示されていたままごと道具。
明治大学の駿河台のリバティタワー建設時に発掘調査が行われ
現われた江戸時代の中坊氏の屋敷跡から見つかったもの。

生と死は一続き、そんな気がいたしました。


詳しくはこちらに書きました。



Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「黄泉国の炊飯具」
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-045.html

2017年11月26日

中国 前漢時代の灰陶竈と死後の世界観

亡くなった方を埋葬する際、一緒に納める副葬品の中でも
死後の生活に必要だと考えて納められた模倣の生活器物は
明器(めいき)と呼ばれます。
小さなサイズにして作られた明器ですが、
中国の前漢時代の明器「灰陶竈(かいとうかまど)」は
とても素晴らしい意味のある文様が施されていました。

亡くなった方に冷えたものではなくてあたたかいものを
乾物ではなくて肉や魚も。そしてこねて作るようなもの、
中国だったら饅頭や餃子などでしょうか。
あたたかい出来たてのおいしい料理をお腹いっぱい食べて、
素晴らしい世界で安らかに過ごしてほしいと願って。
そうした思いが滲み出ています。
当時の死後の世界観が伝わる竈です。


前漢時代、前2〜前1世紀の作と伝わるこの灰陶竈、
東京国立博物館東洋館に展示されていました。

詳しくはこちらに書きました。


アート・歴史から考えるグリーフケア
灰陶竈(前漢時代)
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-044.html

2017年11月23日

埋甕(千葉県・海老ヶ作貝塚)と縄文時代のこどもを亡くした親のグリーフケア

千葉県船橋市の飛ノ台史跡公園博物館に
同市内の海老ヶ作貝塚から出土した甕が展示されていました。
こちら亡くなったこどもの埋葬のために使われたと考えられています。
その造形からいろいろ考えたことがありました。

尖底土器と言われる底面積の小さい土器。
不安定で自立した立位は難しい土器です。
でもそれは実は意味があったのかもしれません。
親が子との最後のお別れを惜しむ時間にとって
最も適した形だったのではないでしょうか。
そもそも調理の煮炊き用として紹介されることの多い尖底土器。
だけど、火の焚いた痕跡のない美しい土器は
食事の準備とは全く別物で、
こどものために新たに作られたのではないでしょうか。
今世で親ができる最後の贈り物として。
そのプロセスを考えると
縄目文様の一つ一つに親の涙がこもっているかのようです。
土器を作ることは当時の親にとってのグリーフケアの一つに
あたるようにも思います。


あくまでも私の個人的な私見ではあり、
考古学などの定説ではありません。
学者さんたちからは「そんなの感傷的な見方に過ぎない!」と
一喝されるかもしれないけれど、
じっと土器を見ていると、当時の状況が想像されてなりません。

発掘した現代の世の中にとっては学術的な出土物、ではあるけれども
何千年も時をさかのぼれば、それはとてもプライベートな
大切な思いの込められたものなのです…。
土器の見方についても、いろんな考え方があっても良いのではと思ったりして。


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
海老ヶ作貝塚 埋甕
(飛ノ台史跡公園博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-043.html

2017年10月29日

東京都練馬区 丸山東遺跡 ガラス玉・管玉(石神井公園ふるさと文化館蔵)

1年前に訪れた石神井公園横の石神井公園ふるさと文化館蔵に
美しいガラス玉・管玉がありました。
渋滞解消のための外環道建設にあたり、平成2年から4年にかけて
東京都練馬区大泉町3丁目で発掘調査が行われて明らかになった
丸山東遺跡からの出土品です。
弥生時代後期〜古墳時代初めと伝わっています。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「丸山東遺跡 ガラス玉・管玉」
(石神井公園ふるさと文化館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-041.html

2017年10月28日

縄文後期の母の慈愛 千葉県 古作貝塚の女性とこどもの人骨

千葉県の中山競馬場敷地内にある古作貝塚にて、
昭和58年(1983)、船橋市遺跡調査会による第2次発掘調査が行われました。
そこで縄文後期の人骨44 体が出土しましたが、
女性と小さなこどもが一緒に埋葬されている例が含まれていたのです。

2-3歳のこどもを慈しむように胸に抱きしめている女性
そして女性の太もものそばに眠る小さな赤ちゃん。
女性は二人のこどもの母親だったのでしょうか。
出土された人骨から女性の子への慈愛が滲み出ているかのようです。
縄文時代の人々は、死後の世界を確信して
ずっと3人が一緒に居られますようにと願って埋葬したのかなあ。



詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「古作貝塚 女性とこどもの人骨」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-040.html

2017年10月12日

7000年も前の貝塚から発掘された抱き合う二人の人骨

千葉県船橋市の飛ノ台貝塚から
平成5(1993)年の発掘調査で二体の人骨が発見されました。
年の差数年の壮年期男性と思春期女性のお二人は
向かい合い、抱き合った状態で発掘されたのです。

7000年も前の時代の貝塚、
死後もずっと一緒にいたいと願った二人の思いは
ずっとずっと続いているのだなあと思います。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「飛ノ台貝塚 抱き合った男女の人骨(複製)」
(飛ノ台史跡公園博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-039.html

2017年10月09日

岩名天神前遺跡の壺型土器・甕型土器・発掘骨(明治大学博物館 蔵)と古代人のグリーフケア

岩名天神前遺跡は昭和38(1963)年、千葉県佐倉市で耕作中に
偶然土器が発見されたことをきっかけに、
発掘が始まり、その存在が明らかになった遺跡です。
ここから弥生時代中期の7基の墓壙が発掘され
そのうち数点、壺型土器、甕型土器や発掘された骨が、
明治大学博物館に展示されていました。

甕型土器は日常使いの転用かも知れません。
しかし壺型土器はその高さに対して底面積が明らかに小さく
はじめから非日常の特別なもの、聖なるもの、とした扱いで
作っていたのかな?と想像します
表面の線描は円形、直線、曲線、いろいろな形が組み合わせられ、
そして壺開口部の形はシンプルなものもあれば、
すこし波がかったものもあります。
とても美しいです。

埋めてしまう、すなわち人目には触れなくなるものでありながら、
美しい壺を用意したということ…
それは故人を追悼し、敬う気持ちの現われだろうと思います。
美しい造形、線描を1つ1つ作りながら、
壺や甕を完成していく時間は、当時の人々にとって、
グリーフケアに相当したのではないでしょうか…。

明治大学博物館の展示物を見学した後
春成秀爾先生の論文(※)を合せ読むと
それぞれの発掘物の向こう側に、
当時の人々の人生や思いが垣間見えてくるようです。
※春成秀爾(1993)「弥生時代の再墓制」
『国立歴史民俗博物館研究報告』第49集, pp.47-91


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
岩名天神前遺跡 壺型土器・甕型土器
(明治大学博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-038.html

2017年10月06日

出流原遺跡 顔面付壺型土器ほか(明治大学博物館蔵)

昭和39(1964)年、栃木県佐野市の市立出流原小学校の
プール建設の事前調査をきっかけに発見された出流原(いずるはら)遺跡。
こちらから出土した顔面付壺型土器と、
顔面のついていないシンプルな壺型土器、
素朴な美しさがあります。

弥生時代中期前半のものと推定されていますが
当時の人々は故人を再葬する時、掘り起こした骨を
単なる物質としてみなしたのではなく、
故人として尊重したことが、とても強く伝わってきます。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
顔面付壺型土器ほか
(明治大学博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-037.html

2017年10月05日

岩櫃山遺跡 壺型土器(岩櫃山式)(明治大学博物館蔵)

群馬県吾妻郡の岩櫃山遺跡から出土した壺型土器、
こちら弥生時代中期の再葬墓遺跡だそうです。
岩肌が荒々しい存在感たっぷりの岩櫃山に
再葬のため用いられた壺型土器は
やさしい色合いで、直線、波線の美しい線文様で飾られていました。
底面に対してかなり真ん中が大きく膨らんだこの壺、
焼成するには随分、慎重さが求められたことでしょう。
長い時間の流れがあっても、故人を偲ぶ気持ちを持ち続けていたことが
伝わる壺型土器です。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
壺型土器(岩櫃山式)(明治大学博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-036.html

2017年10月02日

山清全州崔氏古霊宅喪輿(韓国国立民俗博物館蔵)

赤や青や黄色の色鮮やかで美しい4層構造の建物
実は亡くなった方を埋葬された場所まで運ぶ喪輿です。
160年前、韓国で作られたこちらの喪輿、
韓国の国立民俗博物館(ソウル)に展示されていました。

死後、守られ導かれて行き着く先は
鮮やかな世界であり、そこで新たな生活が始まる
そう感じられる喪輿でした。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「山清全州崔氏古霊宅喪輿
(韓国国立民俗博物館蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-035.html

2017年06月25日

瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥の出土当時

こちらで「瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥」について取り上げましたが、
昨日、船橋市郷土資料館に行ってみたところ、
館内に置かれていた過去の特別展パンフレットの中に
当時の出土写真などがありました。

そちらを元に、写真追加しました。
過去の遺物と当時の人々の思いって
あらためてすごいことだなあと思います。


アート・歴史から考えるグリーフケア
瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥
(船橋市郷土資料館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-029.html

2017年06月22日

梅の花に託された弔いと故人への思い ―「瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥」(船橋市郷土資料館蔵)

先日、東京 赤坂 サントリー美術館で
開館10周年を記念して開催されていた
「神の宝の玉手箱」に行ってみました。

DSC08947.JPG


その中に千葉県船橋市の印内台遺跡群から発掘された
「瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥」が展示されていました。

平安時代の土坑墓に埋納されていたそうですが
実に見事なもので驚きました。
また、筥に納められた形で出土する鏡は
とても珍しいそうです。

梅の文様があしらわれた鏡と鏡筥。
そこには亡くなった方への弔いの気持ちや
永遠の再生を願う気持ちが
込められているようでした。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥(船橋市郷土資料館蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-029.html

2017年06月14日

縄文時代の伏甕・埋設土器(盛岡県内の遺跡から出土・盛岡市遺跡の学び館蔵)

縄文時代、人々は夭逝したこどもたちの命を、
自分たちの暮らす場所の近くに葬っていたそうです。
それは「伏甕(ふせがめ)」とか「埋設土器」として今に伝わっています。
2014年5月、盛岡市遺跡学びの館を訪れた時、
初めてその違いを知りました。

そして、何千年もの時を経て発掘された甕や土器。
全体的な形をきれいに保ったまま出土するのには
理由があるそうです。
単に壊れて破棄された土器が出土するのではなくて
埋めることを目的に、きちんと埋められていた、ということ。
その裏にある人の気持ちを考えると
出土した甕や土器が
切なる親心を語リかけてくるかのようでした。

詳しくはこちらに書きました。



Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「伏甕・埋設土器
(盛岡県内の遺跡から出土・盛岡市遺跡の学び館蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-028.html

2016年12月23日

陶製騎馬像(地下鉄景福宮駅の騎馬像と大韓民国 国宝第91号)

2年前に旅したソウルの駅のホームで見つけた石像。
こちら地下鉄景福宮駅ホームの騎馬像です。

DSC06682.jpg

どうやら韓国の国宝第91号の陶製騎馬像を
模したものだそうで、オリジナルは5-6世紀に作られたもの。
韓国語ウィキペディアによると、
陶製騎馬像は1924年、
「死者の魂を陸地と水路を介してあの世に導いてくれる
呪術的な機能を持っている」のだそうです。


詳しくはこちらに取り上げました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
灰陶加彩雲気文双耳壺
(中国出土・東京富士美術館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-023.html