今から200年ほど前、江戸で5歳になったばかりの女児が
疱瘡(ほうそう:天然痘)で亡くなりました。
幼女の名は露姫。
因幡国・鳥取西館新田藩第五代藩主、池田定常公の十六女でした。
露姫の死後、少し日を置いてから遺筆が次々と見つかりました。
色々な場所から和歌やメッセージとなる言葉が残されていたのでした。
定常公は複数の側室との間に24人の子宝に恵まれましたが、
露姫との死別の前、既に両手では収まりきらない数の
我が子との死別を経験していました。
定常公は何か思う所があったのか、末っ子の露姫については
その生涯をまとめた冊子を作りました。
『玉露童女行状 全』です。
詳細なエピソードが盛り込まれたことにより、
どんなに幼いこどもといえども大人に負けないくらいいろいろと考え
様々な心の機微があることがわかります。
露姫の遺した言葉は、きっと同じように大切な人に伝えたかった、
でも伝えられなかった、
現代のこどもたちの思いと通じるものがあります。
時を超え、きっと多くの方々も共感できる部分が多いかと思います。
また我が子を亡くした後、治療・救命過程の中で
医療従事者でもない自分はいかに無力だったか……と
自責の念が絶えない親もいることでしょう。
しかし親には親の役割がある、
我が子が治るための道筋を整えるよう尽力することも、
親だからこそできること。
親がいかに心を砕いているのかこどもの側にも十分伝わっている。
その大切な事実を定常公と露姫の姿から読み取ることができます。
そこで今回『玉露童女行状 全』を起点とし、
父子の心の交流、そして夭逝した露姫が残したメッセージ等について
全10回に分けてお届けすることにいたしました。
200年前、夭逝した幼女・露姫の言葉には命が宿り、
何も言葉を残さず亡くなった現代社会のこどもたちの
心の声を代弁していると思います。
あなたの心の内にも、露姫の存在を留めてもらえると嬉しいです。
まずは本日は第1回目
定常公と露姫の人となりをお伝えし、
露姫の遺筆がどのように世に知られ、広まることになったのか、
ここから始めようと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
お子さんを亡くした古今東西の人々
「幼女の言葉に宿った新たな命と心の漣」
https://www.lana-peace.com/2/2-2-033.html
https://www.lana-peace.com/2/index.html
2023年03月15日
18名の子に先立たれた鳥取西館新田藩第五代藩主池田定常(松平冠山)公と十六女・露姫…幼女の言葉に宿った新たな命と心の漣
posted by Lana-Peace at 12:55| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2021年11月07日
早産で逝った赤ちゃんの長き命(青森県上北郡東北町 古屋敷貝塚)
縄文時代前期後葉、早産で生まれ、息絶えた赤ちゃんが
数千年の時を経て、
その骨の形をしっかり残して見つかっています。
現世で生きたわずかな時間と
大切に葬られ、命の証を残し続けてきた数千年という時間。
人の命は現世の時間軸で計りきれないものがある。
そう教えてくれたのは青森県小川原湖近くの古屋敷貝塚から
土器に入って見つかった
在胎7-8カ月の赤ちゃんのお骨でした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「早産で逝った赤ちゃんの長き命」
(青森県上北郡東北町 古屋敷貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-098.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
数千年の時を経て、
その骨の形をしっかり残して見つかっています。
現世で生きたわずかな時間と
大切に葬られ、命の証を残し続けてきた数千年という時間。
人の命は現世の時間軸で計りきれないものがある。
そう教えてくれたのは青森県小川原湖近くの古屋敷貝塚から
土器に入って見つかった
在胎7-8カ月の赤ちゃんのお骨でした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「早産で逝った赤ちゃんの長き命」
(青森県上北郡東北町 古屋敷貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-098.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 10:57| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2021年10月09日
死者を思う気持ちとホタテ貝(青森県上北郡東北町 古屋敷貝塚)
以前、ホタテ貝で顔を覆われて埋葬された
縄文時代晩期の1歳児のお話(北海道・高砂貝塚)を
取り上げましたが、
死者とホタテ貝、その意味について調べを進めていくうち、
人々は特別な意味をホタテ貝に
見出したのではないかと思う例がありました。
青森県の古屋敷貝塚から見つかった
縄文時代前期末葉の20歳前後の女性の埋葬例です。
ホタテ貝と共に丁寧に埋葬されていました。
青森県最大の小川原湖は縄文海進によって
当時もっと内陸まで内湾が進み、
その水際で古屋敷貝塚の人々は暮らしていました。
そして海の恵みは古屋敷貝塚の人々の生と死に
深く関わっていたことが発掘調査を通じて
明らかになっています。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「死者を思う気持ちとホタテ貝」
(青森県上北郡東北町 古屋敷貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-097.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
縄文時代晩期の1歳児のお話(北海道・高砂貝塚)を
取り上げましたが、
死者とホタテ貝、その意味について調べを進めていくうち、
人々は特別な意味をホタテ貝に
見出したのではないかと思う例がありました。
青森県の古屋敷貝塚から見つかった
縄文時代前期末葉の20歳前後の女性の埋葬例です。
ホタテ貝と共に丁寧に埋葬されていました。
青森県最大の小川原湖は縄文海進によって
当時もっと内陸まで内湾が進み、
その水際で古屋敷貝塚の人々は暮らしていました。
そして海の恵みは古屋敷貝塚の人々の生と死に
深く関わっていたことが発掘調査を通じて
明らかになっています。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「死者を思う気持ちとホタテ貝」
(青森県上北郡東北町 古屋敷貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-097.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 11:14| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2020年06月13日
母の子宮に抱かれて永眠した子(宮城県東松島市・里浜貝塚)
大正7(1918)年、東北帝国大学の松本彦七郎先生、
早坂一郎先生らによって宮城県東松島市の宮戸島の
里浜貝塚で行われた発掘調査に関するお話を
3回取り上げてきましたが今日は4回目、
いよいよ最終回となりました。
18歳から20歳と考えられる成人女性は
お腹の中に命を宿したまま亡くなりました。
生前、腕に抱きしめることのできなかった赤ちゃん。
けれども彼女はしっかりと子宮の中で抱きしめながら
この子と共に死後の世界に旅立ちました。
そして発掘された後も再び寄り添うように展示されていました。
生前叶うことのなかった14号女性の願いは
阻まれることなく生かされ続けている、
それが彼女と赤ちゃんに捧げられた現代人からの
供養のようにも感じられます。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「母の子宮に抱かれて永眠した子」
(宮城県東松島市・里浜貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-096.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
早坂一郎先生らによって宮城県東松島市の宮戸島の
里浜貝塚で行われた発掘調査に関するお話を
3回取り上げてきましたが今日は4回目、
いよいよ最終回となりました。
18歳から20歳と考えられる成人女性は
お腹の中に命を宿したまま亡くなりました。
生前、腕に抱きしめることのできなかった赤ちゃん。
けれども彼女はしっかりと子宮の中で抱きしめながら
この子と共に死後の世界に旅立ちました。
そして発掘された後も再び寄り添うように展示されていました。
生前叶うことのなかった14号女性の願いは
阻まれることなく生かされ続けている、
それが彼女と赤ちゃんに捧げられた現代人からの
供養のようにも感じられます。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「母の子宮に抱かれて永眠した子」
(宮城県東松島市・里浜貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-096.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 14:03| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2020年06月08日
「死後も人々から愛され、幸せを願われた人」(宮城県東松島市・里浜貝塚)
大正7(1918)年、東北帝国大学の松本彦七郎先生、
早坂一郎先生らによって宮城県東松島市の宮戸島の
里浜貝塚で行われた発掘調査に関するお話、
今日はその3回目です。
寺下囲地点から出土した18体の人骨中、
成人と小児が共に埋葬された例が見つかりました。
初老男性と6歳未満前後と考えられる人骨は
二人寄り添い、まるでこどもを安心させるかのように
男性は腕枕をし、こどもの頭に手を添え
永遠の眠りについていました。
同時期に同貝塚から発掘された人骨の
どれよりも多く丹が撒かれていたこの二人、
当時、彼らを弔った里浜の人々の
彼らへのあたたかい思いが溢れています。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「死後も人々から愛され、幸せを願われた人」
(宮城県東松島市・里浜貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-095.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
早坂一郎先生らによって宮城県東松島市の宮戸島の
里浜貝塚で行われた発掘調査に関するお話、
今日はその3回目です。
寺下囲地点から出土した18体の人骨中、
成人と小児が共に埋葬された例が見つかりました。
初老男性と6歳未満前後と考えられる人骨は
二人寄り添い、まるでこどもを安心させるかのように
男性は腕枕をし、こどもの頭に手を添え
永遠の眠りについていました。
同時期に同貝塚から発掘された人骨の
どれよりも多く丹が撒かれていたこの二人、
当時、彼らを弔った里浜の人々の
彼らへのあたたかい思いが溢れています。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「死後も人々から愛され、幸せを願われた人」
(宮城県東松島市・里浜貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-095.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 15:22| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2020年05月23日
石に癒しの力を期待した親心(宮城県東松島市・里浜貝塚)
大正7(1918)年、東北帝国大学の松本彦七郎先生、
早坂一郎先生らによって宮城県東松島市の宮戸島の
里浜貝塚で行われた発掘調査に関するお話、
今日はその2回目です。
出土したこどもの7号人骨は
頭の下に枕のように石が置かれ、
首飾りと思われる小さな石も見つかりました。
松本先生はそこにアイヌの人々がお墓に収めたガラス玉と
同じ意味が込められているだろうと考えられました。
アイヌの人々が大切にしたガラス玉、
調べてみるとそこには大陸とのつながりも浮かび上がってきます。
縄文時代の里浜の人々が大事にした臼玉と
後世、アイヌの人々が大切にした大陸からのガラス玉、
そこに共通するものは何なのか?
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「石に癒しの力を期待した親心」
(宮城県東松島市・里浜貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-094.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
早坂一郎先生らによって宮城県東松島市の宮戸島の
里浜貝塚で行われた発掘調査に関するお話、
今日はその2回目です。
出土したこどもの7号人骨は
頭の下に枕のように石が置かれ、
首飾りと思われる小さな石も見つかりました。
松本先生はそこにアイヌの人々がお墓に収めたガラス玉と
同じ意味が込められているだろうと考えられました。
アイヌの人々が大切にしたガラス玉、
調べてみるとそこには大陸とのつながりも浮かび上がってきます。
縄文時代の里浜の人々が大事にした臼玉と
後世、アイヌの人々が大切にした大陸からのガラス玉、
そこに共通するものは何なのか?
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「石に癒しの力を期待した親心」
(宮城県東松島市・里浜貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-094.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 12:33| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2020年05月10日
あたたかい寝床に込められた亡き子への思い(宮城県東松島市・里浜貝塚)
2019年7月に訪れた宮城県東松島市の里浜貝塚、
土器の中に埋葬されていた3000年前の
赤ちゃんのお骨が見つかったことを
以前こちらで紹介しましたが
平成10年に行われた発掘の80年ほど前
松本彦七郎先生、早坂一郎先生により
大正時代に行われた学術的発掘調査で、
こどもの埋葬跡が数例見つかっています。
当時の親心や死生観が反映されているものなので、
これから4回にわけてご紹介したいと思います。
こどもを埋葬する前の墓穴で火を焚いた親、
焚くことのできなかった親
数千年前のそれぞれの思いが
伝わってくるようです。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「あたたかい寝床に込められた亡き子への思い
(宮城県東松島市・里浜貝塚)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-093.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
土器の中に埋葬されていた3000年前の
赤ちゃんのお骨が見つかったことを
以前こちらで紹介しましたが
平成10年に行われた発掘の80年ほど前
松本彦七郎先生、早坂一郎先生により
大正時代に行われた学術的発掘調査で、
こどもの埋葬跡が数例見つかっています。
当時の親心や死生観が反映されているものなので、
これから4回にわけてご紹介したいと思います。
こどもを埋葬する前の墓穴で火を焚いた親、
焚くことのできなかった親
数千年前のそれぞれの思いが
伝わってくるようです。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「あたたかい寝床に込められた亡き子への思い
(宮城県東松島市・里浜貝塚)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-093.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 22:02| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2020年03月15日
二十代で三度の死別を経験した父の軌跡 ―仙台藩第四代藩主 伊達綱村公の生き方から考える
昨年夏、仙台市経ヶ峰の御子様御廟に行きましたが
五代藩主吉村によって始まった早世した子らの御廟に
なぜか四代藩主綱村の子伯姫のお墓がありました。
それも伯姫が亡くなって240年近く経った後に
東京の弘福寺から仙台の経ヶ峯まで
改葬されていたのでした。
御廟の中では数多くの石灯籠が献納されていますが
伯姫の周りに献灯は1基もなく、
ひっそりと墓石が佇んでいましたが
五代吉宗養女の孝姫と尼の墓石の間で
二人に見守られるかのようでもありました。
伯姫について調べていくうちに
伯姫には実は幼いうちに亡くなった
兄と姉がいたことが分かりました。
そして兄扇千代の葬られていた瑞聖寺(東京)の
伊達家墓所跡から扇千代の胞衣桶(えなおけ)が
見つかったことも知りました。
胞衣桶とは赤ちゃんが生まれた後、
胎盤を納めるための容器です。
先月初めに港区立郷土資料館で見たその桶は
実物は想像していたよりも大きく
そして非常に美しい品のあるものでした。
幼い三人の子を四年半の間に亡くした綱村は
その後実子に恵まれる機会はありませんでした。
藩主として懸命に藩政に取り組みましたが
その人生は必ずしも順風満帆ではありません。
周りからの評価を得にくい部分もあったようで
その退き方は勇退という望ましい形ではなく
非常に不本意なものだったのでした。
彼の取り組んだ仕事の軌跡
その「事実」だけに目を向けると
確かに藩の財政的には厳しい部分もあったことでしょう。
しかしながら時系列に仕事を並べ
その仕事の特徴について吟味してみると
仕事に打ち込む彼の表の顔の裏に
悲しい涙が流れていただろうことが
ひしひしと伝わってきます。
20代で3度も我が子に先立たれた一人の男性が
60歳で天寿を全うするまで、どう生きていったのか。
死別の悲しみを抱えながら、
自分が生きていく意味を求めて
必死だった一人の男性の姿が浮かび上がってきます。
今日は仙台藩第四代藩主伊達綱村公の人生を
取り上げたいと思いますが
余談を1点。
扇千代の胞衣桶について調べていくうちに
その中に含まれていた竹で作られた小刀は
非常に歴史的に奥深いものであることを知りました。
『日本書紀』には木花開耶姫が邇邇芸命との間に
授かった三柱の御子を出産した時、
臍の緒を青竹を薄くへぎとって作った小刀で切断し、
捨てた小刀が後に竹林になったという話が出てきます。
人々の暮らしの中で行われる事柄が、
壮大な時間を経ながら続いているものだと
改めて驚きと感動が起こります。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
お子さんを亡くした古今東西の人々
「二十代で三度の死別を経験した父の軌跡」
http://www.lana-peace.com/2/2-2-032.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
五代藩主吉村によって始まった早世した子らの御廟に
なぜか四代藩主綱村の子伯姫のお墓がありました。
それも伯姫が亡くなって240年近く経った後に
東京の弘福寺から仙台の経ヶ峯まで
改葬されていたのでした。
御廟の中では数多くの石灯籠が献納されていますが
伯姫の周りに献灯は1基もなく、
ひっそりと墓石が佇んでいましたが
五代吉宗養女の孝姫と尼の墓石の間で
二人に見守られるかのようでもありました。
伯姫について調べていくうちに
伯姫には実は幼いうちに亡くなった
兄と姉がいたことが分かりました。
そして兄扇千代の葬られていた瑞聖寺(東京)の
伊達家墓所跡から扇千代の胞衣桶(えなおけ)が
見つかったことも知りました。
胞衣桶とは赤ちゃんが生まれた後、
胎盤を納めるための容器です。
先月初めに港区立郷土資料館で見たその桶は
実物は想像していたよりも大きく
そして非常に美しい品のあるものでした。
幼い三人の子を四年半の間に亡くした綱村は
その後実子に恵まれる機会はありませんでした。
藩主として懸命に藩政に取り組みましたが
その人生は必ずしも順風満帆ではありません。
周りからの評価を得にくい部分もあったようで
その退き方は勇退という望ましい形ではなく
非常に不本意なものだったのでした。
彼の取り組んだ仕事の軌跡
その「事実」だけに目を向けると
確かに藩の財政的には厳しい部分もあったことでしょう。
しかしながら時系列に仕事を並べ
その仕事の特徴について吟味してみると
仕事に打ち込む彼の表の顔の裏に
悲しい涙が流れていただろうことが
ひしひしと伝わってきます。
20代で3度も我が子に先立たれた一人の男性が
60歳で天寿を全うするまで、どう生きていったのか。
死別の悲しみを抱えながら、
自分が生きていく意味を求めて
必死だった一人の男性の姿が浮かび上がってきます。
今日は仙台藩第四代藩主伊達綱村公の人生を
取り上げたいと思いますが
余談を1点。
扇千代の胞衣桶について調べていくうちに
その中に含まれていた竹で作られた小刀は
非常に歴史的に奥深いものであることを知りました。
『日本書紀』には木花開耶姫が邇邇芸命との間に
授かった三柱の御子を出産した時、
臍の緒を青竹を薄くへぎとって作った小刀で切断し、
捨てた小刀が後に竹林になったという話が出てきます。
人々の暮らしの中で行われる事柄が、
壮大な時間を経ながら続いているものだと
改めて驚きと感動が起こります。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
お子さんを亡くした古今東西の人々
「二十代で三度の死別を経験した父の軌跡」
http://www.lana-peace.com/2/2-2-032.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 15:48| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2020年02月22日
仙台藩五代藩主伊達吉村の寄進した鳥居と扁額
先日、宮城県仙台市の経ヶ峯の御子様御廟についてご紹介いたしましたが
こちらを始めた仙台藩五代藩主伊達吉村の寄進した鳥居と
吉村の揮毫による扁額が
仙台市の大崎八幡宮にありました。
字の一画、一画に意味が込められているような
とてもアートなセンスが溢れる扁額です。
吉村の人となりを理解するうえで
大切だなと思いましたので、
ページに加筆修正いたしました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
御子様御廟(公子公女御廟)
(宮城県仙台市 経ヶ峯)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-092.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
こちらを始めた仙台藩五代藩主伊達吉村の寄進した鳥居と
吉村の揮毫による扁額が
仙台市の大崎八幡宮にありました。
字の一画、一画に意味が込められているような
とてもアートなセンスが溢れる扁額です。
吉村の人となりを理解するうえで
大切だなと思いましたので、
ページに加筆修正いたしました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
御子様御廟(公子公女御廟)
(宮城県仙台市 経ヶ峯)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-092.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 13:37| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2020年02月15日
早世したこどもたちの命をいつまでも慈しむ場所 ―御子様御廟(宮城県仙台市経ヶ峯)
宮城県仙台市の瑞鳳殿は
初代仙台藩主伊達政宗公の霊廟として広く知られた場所ですが、
この伊達家墓所のある経ヶ峯の中腹に
五代藩主吉村以降、早世した藩主の子らが葬られた
「御子様御廟」がありました。
昨夏、仙台を訪れた時、
経ヶ峯に行ってその存在を初めて知りました。
22名の公子と側室・尼等6名が葬られ、
献納された石灯籠は84基にも及びます。
紫陽花の咲く杉木立の間を通って訪れてみると
とても神聖な空気が漂っていました。
御子様御廟を開いた五代藩主吉村について
調べてみると、実に素晴らしい人物でした。
百数十年にも渡り大切に営まれてきた御廟、
中には生まれたその日に亡くなった子も葬られています。
早世した子らの死を悼む
大切な思いが引き継がれてきた場所です。
昨夏はまったく前知識もなく訪れてしまったけれど
次回仙台を訪れる機会があれば
是非もう一度行きたい場所です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
御子様御廟(公子公女御廟)
(宮城県仙台市 経ヶ峯)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-092.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
初代仙台藩主伊達政宗公の霊廟として広く知られた場所ですが、
この伊達家墓所のある経ヶ峯の中腹に
五代藩主吉村以降、早世した藩主の子らが葬られた
「御子様御廟」がありました。
昨夏、仙台を訪れた時、
経ヶ峯に行ってその存在を初めて知りました。
22名の公子と側室・尼等6名が葬られ、
献納された石灯籠は84基にも及びます。
紫陽花の咲く杉木立の間を通って訪れてみると
とても神聖な空気が漂っていました。
御子様御廟を開いた五代藩主吉村について
調べてみると、実に素晴らしい人物でした。
百数十年にも渡り大切に営まれてきた御廟、
中には生まれたその日に亡くなった子も葬られています。
早世した子らの死を悼む
大切な思いが引き継がれてきた場所です。
昨夏はまったく前知識もなく訪れてしまったけれど
次回仙台を訪れる機会があれば
是非もう一度行きたい場所です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
御子様御廟(公子公女御廟)
(宮城県仙台市 経ヶ峯)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-092.html
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posted by Lana-Peace at 17:49| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2020年01月25日
こどもを守り続けた松菊里式甕棺・管玉(韓国・松菊里遺跡)
こちらで昨夏、宮城県東松島市の奥松島縄文村歴史資料館で見た
3000年前の赤ちゃんを葬った里浜貝塚の深鉢型土器を取り上げましたが
昨秋、訪れた韓国の国立扶余博物館に展示されていた
韓国・青銅器時代の松菊里式甕棺は
里浜貝塚の土器の底と非常に似通っており
底部中央に大きな穴が開けられていました。
当時の死後の世界観が映し出されているようです。
甕棺からはヒスイの管玉が見つかっています。
こちらで紹介したように
北海道 高砂遺跡で8歳のこどもが埋葬されていた土坑墓からも
ヒスイの管玉が見つかっていました。
海を越え、時代を超えても
こどもの弔いの根底に流れる思想は
非常に似通っているのだと改めて思いました。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「こどもを守り続けた松菊里式甕棺・管玉」
(韓国 忠清南道 扶余郡・松菊里遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-091.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
3000年前の赤ちゃんを葬った里浜貝塚の深鉢型土器を取り上げましたが
昨秋、訪れた韓国の国立扶余博物館に展示されていた
韓国・青銅器時代の松菊里式甕棺は
里浜貝塚の土器の底と非常に似通っており
底部中央に大きな穴が開けられていました。
当時の死後の世界観が映し出されているようです。
甕棺からはヒスイの管玉が見つかっています。
こちらで紹介したように
北海道 高砂遺跡で8歳のこどもが埋葬されていた土坑墓からも
ヒスイの管玉が見つかっていました。
海を越え、時代を超えても
こどもの弔いの根底に流れる思想は
非常に似通っているのだと改めて思いました。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「こどもを守り続けた松菊里式甕棺・管玉」
(韓国 忠清南道 扶余郡・松菊里遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-091.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 16:04| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2020年01月11日
鹿角製垂飾品と共に眠った3000年前の赤ちゃん(宮城県東松島市・里浜貝塚)
昨年夏に仙台を訪れた時、
松島まで足を延ばして東松島市の里浜貝塚に行ってきました。
海に面して、緑の丘に人々が暮らしを営んでいた場所。
その貝塚そばに奥松島縄文村歴史資料館があり
土器に埋葬された3000年前の赤ちゃんの人骨がありました。
ベンガラと鹿角製垂飾品と共に埋葬されていた
10カ月の胎児と考えられているこちらのお骨。
赤ちゃんを守り続けていた土器の外壁面は
とてもシンプルな縄文だったけれども
それはまるで毛糸で一目一目心を込めて編んだ
おくるみのようでした。
こうした素朴な文様は時に思わずホロリとさせられます。
この世の命は短かったけれども
長く、大事にずっと守られてきた。
親の悲しみと慈しみが伝わってくるような土器でした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
鹿角製垂飾品と共に眠った3000年前の赤ちゃん
(宮城県東松島市・里浜貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-090.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
松島まで足を延ばして東松島市の里浜貝塚に行ってきました。
海に面して、緑の丘に人々が暮らしを営んでいた場所。
その貝塚そばに奥松島縄文村歴史資料館があり
土器に埋葬された3000年前の赤ちゃんの人骨がありました。
ベンガラと鹿角製垂飾品と共に埋葬されていた
10カ月の胎児と考えられているこちらのお骨。
赤ちゃんを守り続けていた土器の外壁面は
とてもシンプルな縄文だったけれども
それはまるで毛糸で一目一目心を込めて編んだ
おくるみのようでした。
こうした素朴な文様は時に思わずホロリとさせられます。
この世の命は短かったけれども
長く、大事にずっと守られてきた。
親の悲しみと慈しみが伝わってくるような土器でした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
鹿角製垂飾品と共に眠った3000年前の赤ちゃん
(宮城県東松島市・里浜貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-090.html
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posted by Lana-Peace at 12:25| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2019年12月08日
古作貝塚 貝輪・貝輪入り蓋付土器(千葉県船橋市)
こちらで紹介した千葉県船橋市の古作貝塚の貝輪ですが
東京大学総合研究博物館本郷本館に
貝塚遺物が保管されていると知りました。
本郷本館は耐震工事に入るためにしばらく休館されると聞いて
慌てていったのが今年の7月。
たくさんの収蔵品の中に貝塚から出土した
蓋付土器と貝輪が展示されていました。
やっぱり本物を見ると
すごくじわじわ伝わってくるものがあります。
素朴であたたかい土器と貝輪でした。
写真を追加して記事修正しました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「古作貝塚 貝輪・貝輪入り蓋付土器」
(東京国立博物館・東京大学総合研究博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-046.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
東京大学総合研究博物館本郷本館に
貝塚遺物が保管されていると知りました。
本郷本館は耐震工事に入るためにしばらく休館されると聞いて
慌てていったのが今年の7月。
たくさんの収蔵品の中に貝塚から出土した
蓋付土器と貝輪が展示されていました。
やっぱり本物を見ると
すごくじわじわ伝わってくるものがあります。
素朴であたたかい土器と貝輪でした。
写真を追加して記事修正しました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「古作貝塚 貝輪・貝輪入り蓋付土器」
(東京国立博物館・東京大学総合研究博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-046.html
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posted by Lana-Peace at 10:47| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2019年11月18日
生と死と再生への思いが滲み溢れる遺物たち ―手形・足形付土製品ほか(北海道恵庭市・柏木川4遺跡)
2018年5月、函館市縄文文化交流センターで
垣ノ島A遺跡と豊原4遺跡から出土した
手形・足形土製品に出会って以降、
手形・足形土製品についていろいろと調べる機会が増え、
北海道恵庭市の柏木川4遺跡からも
手形・足形土製品が出土していたことを知りました。
そして今年6月ようやく恵庭市郷土資料館で
見ることができました。
ひっそりと資料館の展示ケースの中に佇んでいた
実物の手形・足形土製品は素朴であるけれども
強い存在感を放っていました。
その後、北海道埋蔵文化財センターから刊行された
調査報告書第249集に収載されていた口絵の写真
(遺物の出土時の位置関係がわかる写真)を見て、
ある思いが浮かんできました。
この手形・足形土製品が出土した土壙KP-397から
遺骨は見つかっていないけれども
恐らく赤ちゃんが葬られていたものであり、
土製品と共に埋納されていた土器等は
赤ちゃんが母親の胸に抱かれて授乳される
幸せなひと時を表したものではないかと。
土壙の中央、ひときわ華やかな装飾の鉢の底に
穴が開けられていたのも、
実は母親の子宮に見立てた鉢に
亡くなった赤ちゃんを骨盤位(逆子)の
ポジションで納めたのではないかと。
あくまでも私個人の勝手な想像ではありますが。
かつての幸せな生を表現した上にある現実の死、
これらのすべてがあまりにも早過ぎる我が子の死を悼み、
赤ちゃんを優しくしっかりと包み込み守りながらも、
その命の再生・再会を望む親心が溢れていると思いました。
手形・足形土製品が注目されるけれども
一緒に埋納された遺物も
大変素晴らしい慈愛に満ちた遺物だと思います。
恵庭市郷土資料館でぜひそれら実物を見たかったなあ。
出土時の様子を表した土壙のレプリカと共に。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「手形・足形付土製品ほか
(北海道恵庭市・柏木川4遺跡)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-089.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
垣ノ島A遺跡と豊原4遺跡から出土した
手形・足形土製品に出会って以降、
手形・足形土製品についていろいろと調べる機会が増え、
北海道恵庭市の柏木川4遺跡からも
手形・足形土製品が出土していたことを知りました。
そして今年6月ようやく恵庭市郷土資料館で
見ることができました。
ひっそりと資料館の展示ケースの中に佇んでいた
実物の手形・足形土製品は素朴であるけれども
強い存在感を放っていました。
その後、北海道埋蔵文化財センターから刊行された
調査報告書第249集に収載されていた口絵の写真
(遺物の出土時の位置関係がわかる写真)を見て、
ある思いが浮かんできました。
この手形・足形土製品が出土した土壙KP-397から
遺骨は見つかっていないけれども
恐らく赤ちゃんが葬られていたものであり、
土製品と共に埋納されていた土器等は
赤ちゃんが母親の胸に抱かれて授乳される
幸せなひと時を表したものではないかと。
土壙の中央、ひときわ華やかな装飾の鉢の底に
穴が開けられていたのも、
実は母親の子宮に見立てた鉢に
亡くなった赤ちゃんを骨盤位(逆子)の
ポジションで納めたのではないかと。
あくまでも私個人の勝手な想像ではありますが。
かつての幸せな生を表現した上にある現実の死、
これらのすべてがあまりにも早過ぎる我が子の死を悼み、
赤ちゃんを優しくしっかりと包み込み守りながらも、
その命の再生・再会を望む親心が溢れていると思いました。
手形・足形土製品が注目されるけれども
一緒に埋納された遺物も
大変素晴らしい慈愛に満ちた遺物だと思います。
恵庭市郷土資料館でぜひそれら実物を見たかったなあ。
出土時の様子を表した土壙のレプリカと共に。
詳しくはこちらに書きました。
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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「手形・足形付土製品ほか
(北海道恵庭市・柏木川4遺跡)」
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posted by Lana-Peace at 00:36| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2019年09月21日
出産時の悲しみを癒す石(北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚)
北海道虻田郡洞爺湖町の入江・高砂貝塚館に
美しい存在感のあるヒスイ製勾玉が展示されていました。
これは高砂貝塚のG4号墳墓から出土したもの。
出産時、亡くなったと思われる女性の
腹部から見つかったものです。
G4号墳墓発掘時、豪雨が降ってきて
発掘作業は中断され
女性の足元と腰の後ろのあたりに相当する箇所は
ブロック状に取り上げられ、
持ち帰って調べが続けられました。
そこから見つかったのは
在胎40週の赤ちゃんのお骨でした。
G4号墳墓に埋葬されていた女性の夫
そして赤ちゃんの父は
どれほど深い悲しみに陥ったことでしょう。
とてもとても丁寧に埋葬されたその墳墓には
彼の妻と子への思いがあふれているかのようでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
出産時の悲しみを癒す石
(北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-088.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
美しい存在感のあるヒスイ製勾玉が展示されていました。
これは高砂貝塚のG4号墳墓から出土したもの。
出産時、亡くなったと思われる女性の
腹部から見つかったものです。
G4号墳墓発掘時、豪雨が降ってきて
発掘作業は中断され
女性の足元と腰の後ろのあたりに相当する箇所は
ブロック状に取り上げられ、
持ち帰って調べが続けられました。
そこから見つかったのは
在胎40週の赤ちゃんのお骨でした。
G4号墳墓に埋葬されていた女性の夫
そして赤ちゃんの父は
どれほど深い悲しみに陥ったことでしょう。
とてもとても丁寧に埋葬されたその墳墓には
彼の妻と子への思いがあふれているかのようでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
出産時の悲しみを癒す石
(北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-088.html
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posted by Lana-Peace at 13:47| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2019年09月16日
9歳のこどもが胸に抱いた石
古き時代の墳墓が発掘された折、
人骨の胸腹部のあたりから大きな石が見つかることがあります。
抱石葬(ほうせきそう・だきいしそう)と呼称され
死者の再帰を防ぐといった意味に解釈されていますが
実は別の意味があるのではないか、と個人的に感じる例が
北海道の高砂貝塚にありました。
9歳前後のこどもが埋葬されていたG8号墳墓です。
緑色凝灰岩を抱き、
ベンガラも散布されていました。
まるでこの世に生き返ることを望むために置かれた石、
あるいは死後の世界で元気に生きてほしいと願い込めて置かれた石
そのように感じられてなりません。
長い時を経ても、その9歳のこどもの親心が
今に伝わってくるようです。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
9歳のこどもが胸に抱いた石
(北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-087.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
人骨の胸腹部のあたりから大きな石が見つかることがあります。
抱石葬(ほうせきそう・だきいしそう)と呼称され
死者の再帰を防ぐといった意味に解釈されていますが
実は別の意味があるのではないか、と個人的に感じる例が
北海道の高砂貝塚にありました。
9歳前後のこどもが埋葬されていたG8号墳墓です。
緑色凝灰岩を抱き、
ベンガラも散布されていました。
まるでこの世に生き返ることを望むために置かれた石、
あるいは死後の世界で元気に生きてほしいと願い込めて置かれた石
そのように感じられてなりません。
長い時を経ても、その9歳のこどもの親心が
今に伝わってくるようです。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
9歳のこどもが胸に抱いた石
(北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-087.html
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posted by Lana-Peace at 14:36| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2019年09月07日
4歳のこどもを守り続けた2つの土器と30個の玉―北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚
北海道虻田郡洞爺湖町の高砂貝塚から
4歳のこどもの埋葬された墳墓が見つかり
緑色凝灰岩製の30個の小玉が収められた土器が
出土しました。
そのお墓の外側には一段高いところに
張り出し構造が設けられ
そこにも美しい土器が置かれていたのでした。
土器は洞爺湖町の
入江・高砂貝塚館で見ることができます。
当時の人が死後の生を強く信じ
死後の生を生きる我が子を守りたいと思う
親心が切々と伝わってくるようなお墓です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「4歳のこどもを守り続けた2つの土器と30個の玉」
(北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-086.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
4歳のこどもの埋葬された墳墓が見つかり
緑色凝灰岩製の30個の小玉が収められた土器が
出土しました。
そのお墓の外側には一段高いところに
張り出し構造が設けられ
そこにも美しい土器が置かれていたのでした。
土器は洞爺湖町の
入江・高砂貝塚館で見ることができます。
当時の人が死後の生を強く信じ
死後の生を生きる我が子を守りたいと思う
親心が切々と伝わってくるようなお墓です。
詳しくはこちらに書きました。
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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「4歳のこどもを守り続けた2つの土器と30個の玉」
(北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-086.html
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posted by Lana-Peace at 11:04| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2019年08月31日
1歳のこどもを守り続けたホタテガイ ―北海道・高砂貝塚G25号墳墓から考える
2019年6月、北海道虻田郡の入江・高砂貝塚館と
入江貝塚・高砂貝塚に行ってきたのですが
こちらの展示物、すごく心打たれるものがたくさんありました。
これらについてもっと知りたいと思ってたどりついたのが
札幌医大解剖学第二講座が出されている『高砂貝塚』。
こちら国会図書館で調べてもなかったけれど
都内では首都大学東京と東京大学農学生命科学図書館
にあるとわかりました。
でも残念ながら首都大学図書館は都民は本館は利用できても
人文社会学部図書室の利用はできないと知り、アウト。
そして東京大学農学生命科学図書館は一般利用でもOKと知り
早速出かけてみたところ、あるべき書棚にない。
その周辺、ありそうな書棚を散々探したけれどない。
そしてカウンターの職員さんにお尋ねしたら
ご親切にも一緒に暫く探してくれたのだけれど、
やっぱりない。
途方に暮れてしまったけれど
都内の古本屋さんで扱っていることを知り、
ようやく手に入れることが出来たのでした。
三橋公平教授退職記念号の分厚い立派な本だったのですが
実に素晴らしい本(※)でした。
※三橋公平ほか(1987)
『高砂貝塚 噴火湾沿岸貝塚遺跡調査報告2三橋公平教授退職記念号 』
札幌医科大学解剖学第二講座
そして読み進めていくうちに
入江・高砂貝塚館に展示されていたものが
奥深い背景を持つものだと知り、
「これを読んでから見たかったなー」と
しみじみ思うこと多々あり。
いろいろ調べていたので
2ヵ月以上、時間がかかってしまいましたが
その中から今日はG25号墳墓のお話を取り上げたいと思います。
縄文時代晩期の土坑墓から見つかった
1歳のこどもはお顔にホタテガイが被せられていたのでした。
そして30個の安山岩礫も見つかったのでした。
報告書の出土記録を読むと、もちろん淡々と事実が記されているけれど
親やきょうだいたちの愛情が感じられる埋葬でした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「1歳のこどもを守り続けたホタテガイ」
(北海道虻田郡洞爺湖町)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-085.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
入江貝塚・高砂貝塚に行ってきたのですが
こちらの展示物、すごく心打たれるものがたくさんありました。
これらについてもっと知りたいと思ってたどりついたのが
札幌医大解剖学第二講座が出されている『高砂貝塚』。
こちら国会図書館で調べてもなかったけれど
都内では首都大学東京と東京大学農学生命科学図書館
にあるとわかりました。
でも残念ながら首都大学図書館は都民は本館は利用できても
人文社会学部図書室の利用はできないと知り、アウト。
そして東京大学農学生命科学図書館は一般利用でもOKと知り
早速出かけてみたところ、あるべき書棚にない。
その周辺、ありそうな書棚を散々探したけれどない。
そしてカウンターの職員さんにお尋ねしたら
ご親切にも一緒に暫く探してくれたのだけれど、
やっぱりない。
途方に暮れてしまったけれど
都内の古本屋さんで扱っていることを知り、
ようやく手に入れることが出来たのでした。
三橋公平教授退職記念号の分厚い立派な本だったのですが
実に素晴らしい本(※)でした。
※三橋公平ほか(1987)
『高砂貝塚 噴火湾沿岸貝塚遺跡調査報告2三橋公平教授退職記念号 』
札幌医科大学解剖学第二講座
そして読み進めていくうちに
入江・高砂貝塚館に展示されていたものが
奥深い背景を持つものだと知り、
「これを読んでから見たかったなー」と
しみじみ思うこと多々あり。
いろいろ調べていたので
2ヵ月以上、時間がかかってしまいましたが
その中から今日はG25号墳墓のお話を取り上げたいと思います。
縄文時代晩期の土坑墓から見つかった
1歳のこどもはお顔にホタテガイが被せられていたのでした。
そして30個の安山岩礫も見つかったのでした。
報告書の出土記録を読むと、もちろん淡々と事実が記されているけれど
親やきょうだいたちの愛情が感じられる埋葬でした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「1歳のこどもを守り続けたホタテガイ」
(北海道虻田郡洞爺湖町)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-085.html
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posted by Lana-Peace at 17:44| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2019年05月29日
翡翠と漆に込められた死者への思い(北海道函館市 著保内野遺跡)
先日こちらでご紹介した
北海道発の国宝に指定された中空土偶は
北海道函館市の著保内野遺跡の土坑墓から出土したものですが
平成18(2006)年の調査により同遺跡から
土坑環状配石遺構やその他の土坑墓等も見つかりました。
中でもGP-2と名付けられた土坑墓からは
翡翠製玉と漆片が見つかりました。
函館市縄文文化交流センターの展示パネルに書かれていた
翡翠に関する解説文、
雪国の遺跡としてとても印象的だったので
ご紹介したいと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「翡翠と漆に込められた死者への思い」
(北海道函館市 著保内野遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-084.html
北海道発の国宝に指定された中空土偶は
北海道函館市の著保内野遺跡の土坑墓から出土したものですが
平成18(2006)年の調査により同遺跡から
土坑環状配石遺構やその他の土坑墓等も見つかりました。
中でもGP-2と名付けられた土坑墓からは
翡翠製玉と漆片が見つかりました。
函館市縄文文化交流センターの展示パネルに書かれていた
翡翠に関する解説文、
雪国の遺跡としてとても印象的だったので
ご紹介したいと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「翡翠と漆に込められた死者への思い」
(北海道函館市 著保内野遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-084.html
posted by Lana-Peace at 11:18| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2019年05月17日
歩き出そうとする土偶 ―北海道函館市 著保内野遺跡
今から40年以上前、北海道 南茅部町(現在函館市)の家庭菜園から
出土した中空土偶は後に国宝第42号に指定されました。
昨年、函館市縄文文化交流センターの常設展と
国立東京博物館の特別展の両方で見て、
ずっと心に残っていた土偶でした。
1年も経ってようやく時間が出来た時に
研究者の報告を読んでみると
いくつか驚く事実があったことを知りました。
展示している時は凛とした立位の正面像ですが
実はこの土偶、歩き出そうとする様子を表したものなのだそうです。
そしてあえて別の場所で意図的に壊され、一部欠損した状態で
古代人のお墓に埋納されたのだそうです。
見事に作り上げられた土偶
それは壊すことを前提に作られたことを裏付ける痕跡も
CT検査で明らかになったのだそうです。
ああ、そういうことを知った上で
見学すれば良かった。。。
さて、気を取り直して。
死者に対して何らかの丁寧な思いがあったからこそ、
こうした手間と時間のかかる過程を経て、
土偶の埋納が行われたのだろうと思います。
死に至った病気や大けがをリセットし、
死後、のびのびと自由に過ごすことができるように
願われたのではないか……そんな風に(私は勝手に)想像します。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「歩き出そうとする土偶」
(北海道函館市 著保内野遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-083.html
出土した中空土偶は後に国宝第42号に指定されました。
昨年、函館市縄文文化交流センターの常設展と
国立東京博物館の特別展の両方で見て、
ずっと心に残っていた土偶でした。
1年も経ってようやく時間が出来た時に
研究者の報告を読んでみると
いくつか驚く事実があったことを知りました。
展示している時は凛とした立位の正面像ですが
実はこの土偶、歩き出そうとする様子を表したものなのだそうです。
そしてあえて別の場所で意図的に壊され、一部欠損した状態で
古代人のお墓に埋納されたのだそうです。
見事に作り上げられた土偶
それは壊すことを前提に作られたことを裏付ける痕跡も
CT検査で明らかになったのだそうです。
ああ、そういうことを知った上で
見学すれば良かった。。。
さて、気を取り直して。
死者に対して何らかの丁寧な思いがあったからこそ、
こうした手間と時間のかかる過程を経て、
土偶の埋納が行われたのだろうと思います。
死に至った病気や大けがをリセットし、
死後、のびのびと自由に過ごすことができるように
願われたのではないか……そんな風に(私は勝手に)想像します。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「歩き出そうとする土偶」
(北海道函館市 著保内野遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-083.html
posted by Lana-Peace at 15:05| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2019年01月15日
函館市 臼尻B遺跡 大人の足元に寄り添う4,000年前のこども
2018年5月、北海道函館市の大船遺跡を訪れた時、
遺跡そばの大船遺跡管理棟内に同じく函館市の臼尻B遺跡に
関する解説展示パネルが設置されていました。
大きなパネルに出されていた写真、
それは遺跡のフラスコ状土坑から出土した2体の人骨でした。
こどもの人骨は母の子宮に再び吸い込まれて
生まれ変わることを望むかのような姿勢で埋葬されていました。
詳しく調べてみると
そこに収められていた副葬品の土器には
永遠や再生を象徴するかのような波や水泡を再現したような
模様が施されていました。
臼尻B遺跡からはシカと追い込み猟に使った落とし穴が
描かれた深鉢が出土しています。
漆が検出された土坑墓もあります。
シカの角は毎年生え変わる力強さと再生能力、
そして漆は熱や酸、アルカリにも耐えうる恒久性があります。
臼尻B遺跡の人々は何かに思いを託して表現することが
とても長けていたのだろうと思います。
かつて4000年も前に臼尻に住んでいた人々にとって
死は再生への始まりだったのかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「臼尻B遺跡 大人の足元に寄り添う4,000年前のこども」
(北海道 臼尻B遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-082.html
遺跡そばの大船遺跡管理棟内に同じく函館市の臼尻B遺跡に
関する解説展示パネルが設置されていました。
大きなパネルに出されていた写真、
それは遺跡のフラスコ状土坑から出土した2体の人骨でした。
こどもの人骨は母の子宮に再び吸い込まれて
生まれ変わることを望むかのような姿勢で埋葬されていました。
詳しく調べてみると
そこに収められていた副葬品の土器には
永遠や再生を象徴するかのような波や水泡を再現したような
模様が施されていました。
臼尻B遺跡からはシカと追い込み猟に使った落とし穴が
描かれた深鉢が出土しています。
漆が検出された土坑墓もあります。
シカの角は毎年生え変わる力強さと再生能力、
そして漆は熱や酸、アルカリにも耐えうる恒久性があります。
臼尻B遺跡の人々は何かに思いを託して表現することが
とても長けていたのだろうと思います。
かつて4000年も前に臼尻に住んでいた人々にとって
死は再生への始まりだったのかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
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「臼尻B遺跡 大人の足元に寄り添う4,000年前のこども」
(北海道 臼尻B遺跡)
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posted by Lana-Peace at 00:44| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年12月01日
深鉢と共に眠っていた縄文時代中期の少年(北海道・大船遺跡)
北海道函館市の大船(おおふね)遺跡から
廃屋跡を利用したお墓が見つかりました、
そこに埋葬されていたのは10歳の少年。
歯が6本見つかったのだそうです。
そして副葬品としてお墓に土器が埋められていたのですが
報告書に描かれていた土器の文様を見て
とても驚きました。
深鉢は縄目の文様だけでなく、
直線、弧、渦巻などいくつかの形状が見られますが、
それが死者の癒しや死者の再生、
あるいは、人が死する時、精神を支える気の「魂」は天に帰り、
肉体を支える気の「魄」(はく)は地に留まるという
中国の道教の魂魄(こんぱく)思想が
まるで凝縮されているかのような文様です。
そして頭の向きと同じ方向に向けられた
2つの土器の開口部は
実は真東の方向、すなわち噴火湾・太平洋に向かっていたのでした。
闇夜を消し去り、昇り行く朝日のエネルギーを
存分に受けるためだったのでしょうか?
今となっては想像するしかないけれど
それにしても、大船遺跡に生きていた人々は、
非常に奥深い精神文化の生活をしていたのだろうと思います。
歯と土器は大事にどこか収蔵されているのかなあ。
いつかちゃんと実物を見てみたいです。
少年の生きた証だものね。
今は報告書やパンフレットの世界の中でしか
わからないのだけど。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「深鉢と共に眠っていた縄文時代中期の少年」
(北海道 大船遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-081.html
廃屋跡を利用したお墓が見つかりました、
そこに埋葬されていたのは10歳の少年。
歯が6本見つかったのだそうです。
そして副葬品としてお墓に土器が埋められていたのですが
報告書に描かれていた土器の文様を見て
とても驚きました。
深鉢は縄目の文様だけでなく、
直線、弧、渦巻などいくつかの形状が見られますが、
それが死者の癒しや死者の再生、
あるいは、人が死する時、精神を支える気の「魂」は天に帰り、
肉体を支える気の「魄」(はく)は地に留まるという
中国の道教の魂魄(こんぱく)思想が
まるで凝縮されているかのような文様です。
そして頭の向きと同じ方向に向けられた
2つの土器の開口部は
実は真東の方向、すなわち噴火湾・太平洋に向かっていたのでした。
闇夜を消し去り、昇り行く朝日のエネルギーを
存分に受けるためだったのでしょうか?
今となっては想像するしかないけれど
それにしても、大船遺跡に生きていた人々は、
非常に奥深い精神文化の生活をしていたのだろうと思います。
歯と土器は大事にどこか収蔵されているのかなあ。
いつかちゃんと実物を見てみたいです。
少年の生きた証だものね。
今は報告書やパンフレットの世界の中でしか
わからないのだけど。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「深鉢と共に眠っていた縄文時代中期の少年」
(北海道 大船遺跡)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-081.html
posted by Lana-Peace at 16:50| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年10月07日
垣ノ島B遺跡 9,000年前の墓から出土した漆製品(北海道函館市 蔵)
縄文時代早期前半の土坑墓から見つかった
9,000年も前の漆製品、
それはまるで東洋医学の経穴・経絡の要所、要所を
押さえたかのように、埋葬された人の頭、肩、手頸、すねを
飾っていた装飾品でした。
こちら、出来上がった布に漆が塗られているのではなく、
漆の糸からわざわざ作られたものでした。
当時の人々は漆かぶれを起こすウルシノキに
敵を撃退するような強い特別な力を見い出し、
漆液から作り出される漆製品に
その力が宿っているように感じていたのかもしれません。
「死」は「終わり」を意味するものではなく、
死後の世界の存在を認識していたからこそ、
こうした漆製品による装飾で死者を守ったのだろうと思います。
邪悪なものから死者を守り、安寧な時間を過ごしてもらうために。
それは9,000年前の人々の、死者へのあたたかい眼差しの表れだと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「垣ノ島B遺跡 9,000年前の墓から出土した漆製品(北海道函館市 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-080.html
9,000年も前の漆製品、
それはまるで東洋医学の経穴・経絡の要所、要所を
押さえたかのように、埋葬された人の頭、肩、手頸、すねを
飾っていた装飾品でした。
こちら、出来上がった布に漆が塗られているのではなく、
漆の糸からわざわざ作られたものでした。
当時の人々は漆かぶれを起こすウルシノキに
敵を撃退するような強い特別な力を見い出し、
漆液から作り出される漆製品に
その力が宿っているように感じていたのかもしれません。
「死」は「終わり」を意味するものではなく、
死後の世界の存在を認識していたからこそ、
こうした漆製品による装飾で死者を守ったのだろうと思います。
邪悪なものから死者を守り、安寧な時間を過ごしてもらうために。
それは9,000年前の人々の、死者へのあたたかい眼差しの表れだと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「垣ノ島B遺跡 9,000年前の墓から出土した漆製品(北海道函館市 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-080.html
posted by Lana-Peace at 16:49| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年10月04日
垣ノ島A遺跡 足形・手形付土製品(北海道函館市 蔵)
先日こちらで北海道函館市の豊原4遺跡出土の
足形・手形付土製品についてご紹介しましたが
今日は同じく函館市の垣ノ島A遺跡から出土した
足形・手形付土製品をご紹介したいと思います。
全体で17枚もの土版が出土しましたが
中でも12畳相当以上のスペースもある大きな
土坑墓P-181から10枚の土版が出土しました。
そのそばにあった柱の跡は勝手に想像を膨らませると
まるで結界が張られ、祭壇が築かれていたかのようです。
出土したつまみ付ナイフも色の順番などがありました。
そして土坑墓で火を使って何らかの儀式が行われたと
推測できる痕跡もありました。
その背後にあるストーリーはとても奥深そうです。
謎だらけではあるけれど
6500年前の彼の地の海岸段丘に
こどもの命を慈しみ、土版にこどもの足跡を残した人々が
いたことは紛れもない事実です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
垣ノ島A遺跡 足形・手形付土製品
(北海道函館市 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-079.html
足形・手形付土製品についてご紹介しましたが
今日は同じく函館市の垣ノ島A遺跡から出土した
足形・手形付土製品をご紹介したいと思います。
全体で17枚もの土版が出土しましたが
中でも12畳相当以上のスペースもある大きな
土坑墓P-181から10枚の土版が出土しました。
そのそばにあった柱の跡は勝手に想像を膨らませると
まるで結界が張られ、祭壇が築かれていたかのようです。
出土したつまみ付ナイフも色の順番などがありました。
そして土坑墓で火を使って何らかの儀式が行われたと
推測できる痕跡もありました。
その背後にあるストーリーはとても奥深そうです。
謎だらけではあるけれど
6500年前の彼の地の海岸段丘に
こどもの命を慈しみ、土版にこどもの足跡を残した人々が
いたことは紛れもない事実です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
垣ノ島A遺跡 足形・手形付土製品
(北海道函館市 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-079.html
posted by Lana-Peace at 00:59| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年09月20日
6,500年前の夭逝したこどもの命と親の愛情が感じられる足形・手形付土製品(北海道函館市 蔵)
2018年5月、北海道の函館市縄文文化交流センターを訪れた時、
とても印象深く釘付けになったものがありました。
それは函館市の遺跡から出土した縄文時代の土版です。
素朴な形と色合いの土版には、
小さなこどもの足形が残されていたのでした。
数千年もの時間を経て、見つかったこの土版。
そこにはっきりと残っていたこどもたちの足指の跡は、
たしかにあの時代、あの場所でこどもたちの人生が
息付いていた事実を物語っていました。
その後2018年8月、東京国立博物館で開催された
特別展「縄文―1万年の美の鼓動」に行ったところ、
なんとあの時の土版がまた出展されていたではありませんか!
土版がかわいらしい声で語りかけてくるかのようでした。
後日、土版出土時の情報が詳しく記された豊原4遺跡報告書を
東京 千代田区の国会図書館で閲覧してみました。
函館市教育委員会編(2003)『豊原4遺跡』函館市教育委員会
展示会場では館内照度の具合や、ケースの反射などの関係で、
隅々まで十分見れるわけではないし、
私の事前の情報収集が不十分で
肝心な所をいくつも見落としていたのですが
報告書にあった土版の写真、線描画、拓本、その他の文字情報により
会場の展示ではまったく気付けなかったことを知ることができました。
冊子の報告書だけでなく、付帯のCD-Rの中には
パワーポイントやエクセルの画像・データなどが収載されていて
あまりのリアルな情報と膨大な存在感に圧倒されました。
1枚1枚ゆっくり見てみたかったけれど、図書館の閉館時間までには
とても間に合いそうもなかったので、途中で諦めました。
この発掘調査に携わったあらゆる方々の
丁寧な仕事ぶりや努力が伝わってくるようでした。
土版の作成事情など、当時に遡らなければ、
わからないことが多いけれども、
こどもへの愛情や思慕の情があふれているこの土版、
たくさんの人に知ってほしいなと思いました。
心が荒んだ人にはあの土版に残された小さな指の跡を
見てほしいと思います。
いろいろなことを語りかけてくれるはずです。
あの土版は本当に……泣けてくる。
北の大地に眠っていた6500年前の
こどもの命、親の気持ち。
土版の足形の裏面は、なんと手形が残っています。
こどもの手形?そう思っていましたが
そうではありません。
土版に足底を押し当てるために
土版に添えられた大人の手。
それはその子の親の手でしょうか?
表にはこどもの命、裏には親の命。
実物を見ても手形までは気付かなかったのですが
拓本ではその存在がリアルに蘇っています。
土版は土坑墓という当時のお墓から見つかっています。
我が子が夭逝した後、親も亡くなり、
その時、我が子の足形の土版と共に葬られたのだと思います。
死は終わりではない、そう思って。
死は新たな世界での始まりだったのかもしれません。
親子が再会して、また共に暮らす人生の新たな始まり。
北海道函館市の豊原4遺跡から出土した
こどもの足形をとった土版のお話、
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「足形・手形付土製品(北海道函館市 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-078.html
とても印象深く釘付けになったものがありました。
それは函館市の遺跡から出土した縄文時代の土版です。
素朴な形と色合いの土版には、
小さなこどもの足形が残されていたのでした。
数千年もの時間を経て、見つかったこの土版。
そこにはっきりと残っていたこどもたちの足指の跡は、
たしかにあの時代、あの場所でこどもたちの人生が
息付いていた事実を物語っていました。
その後2018年8月、東京国立博物館で開催された
特別展「縄文―1万年の美の鼓動」に行ったところ、
なんとあの時の土版がまた出展されていたではありませんか!
土版がかわいらしい声で語りかけてくるかのようでした。
後日、土版出土時の情報が詳しく記された豊原4遺跡報告書を
東京 千代田区の国会図書館で閲覧してみました。
函館市教育委員会編(2003)『豊原4遺跡』函館市教育委員会
展示会場では館内照度の具合や、ケースの反射などの関係で、
隅々まで十分見れるわけではないし、
私の事前の情報収集が不十分で
肝心な所をいくつも見落としていたのですが
報告書にあった土版の写真、線描画、拓本、その他の文字情報により
会場の展示ではまったく気付けなかったことを知ることができました。
冊子の報告書だけでなく、付帯のCD-Rの中には
パワーポイントやエクセルの画像・データなどが収載されていて
あまりのリアルな情報と膨大な存在感に圧倒されました。
1枚1枚ゆっくり見てみたかったけれど、図書館の閉館時間までには
とても間に合いそうもなかったので、途中で諦めました。
この発掘調査に携わったあらゆる方々の
丁寧な仕事ぶりや努力が伝わってくるようでした。
土版の作成事情など、当時に遡らなければ、
わからないことが多いけれども、
こどもへの愛情や思慕の情があふれているこの土版、
たくさんの人に知ってほしいなと思いました。
心が荒んだ人にはあの土版に残された小さな指の跡を
見てほしいと思います。
いろいろなことを語りかけてくれるはずです。
あの土版は本当に……泣けてくる。
北の大地に眠っていた6500年前の
こどもの命、親の気持ち。
土版の足形の裏面は、なんと手形が残っています。
こどもの手形?そう思っていましたが
そうではありません。
土版に足底を押し当てるために
土版に添えられた大人の手。
それはその子の親の手でしょうか?
表にはこどもの命、裏には親の命。
実物を見ても手形までは気付かなかったのですが
拓本ではその存在がリアルに蘇っています。
土版は土坑墓という当時のお墓から見つかっています。
我が子が夭逝した後、親も亡くなり、
その時、我が子の足形の土版と共に葬られたのだと思います。
死は終わりではない、そう思って。
死は新たな世界での始まりだったのかもしれません。
親子が再会して、また共に暮らす人生の新たな始まり。
北海道函館市の豊原4遺跡から出土した
こどもの足形をとった土版のお話、
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「足形・手形付土製品(北海道函館市 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-078.html
posted by Lana-Peace at 01:44| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年09月05日
「棺に由来するマスク(ルーヴル美術館 蔵)」
こちらでご紹介した国立新美術館のルーヴル美術館展に
棺に由来するマスク(エジプト美術部門 E11647)が
出展されていました。
ミイラのマスクは変遷を遂げて
肖像画へと変わっていきますが
永遠の生を求めた古代の人々の願いは
その制作技法にまでもこめられていたように思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「棺に由来するマスク(ルーヴル美術館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-077.html
棺に由来するマスク(エジプト美術部門 E11647)が
出展されていました。
ミイラのマスクは変遷を遂げて
肖像画へと変わっていきますが
永遠の生を求めた古代の人々の願いは
その制作技法にまでもこめられていたように思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「棺に由来するマスク(ルーヴル美術館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-077.html
posted by Lana-Peace at 16:00| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月25日
秋草文壺(国宝)(慶応義塾 蔵・東京国立博物館 展示)
2017年冬に川崎市夢見ケ崎動物公園を訪れた際、
近くの白山古墳から「秋草文壺」が出土したことが
公園内看板に記されていました。
それについてはブログでも紹介しましたが、
その実物を東京国立博物館で見ることができました。
秋草文壺、シンプルで素朴な図柄ではありますが、
どことなく品のあるあたたかい感じの壺でした。
線描された薄の様子は、
まるで穂を揺らす風の音さえも聞こえてきそうな、
そんな風情を醸し出しています。
故人の魂はこの壺の中でずっと秋を感じ、
秋草やトンボたちを愛でていたことでしょう
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「秋草文壺(国宝)」
(慶応義塾 蔵・東京国立博物館 展示)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-076.html
近くの白山古墳から「秋草文壺」が出土したことが
公園内看板に記されていました。
それについてはブログでも紹介しましたが、
その実物を東京国立博物館で見ることができました。
秋草文壺、シンプルで素朴な図柄ではありますが、
どことなく品のあるあたたかい感じの壺でした。
線描された薄の様子は、
まるで穂を揺らす風の音さえも聞こえてきそうな、
そんな風情を醸し出しています。
故人の魂はこの壺の中でずっと秋を感じ、
秋草やトンボたちを愛でていたことでしょう
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「秋草文壺(国宝)」
(慶応義塾 蔵・東京国立博物館 展示)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-076.html
posted by Lana-Peace at 11:13| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月24日
法隆寺献納宝物 光背(東京国立博物館 蔵)
東京国立博物館の法隆寺宝物館に
法隆寺献納宝物の光背がありました。
その中にひときわかわいい光背が。
銅板打ち出しによる化仏がついています。
お顔立ちは丸顔でふっくらとしていて、
何ともかわいらしく、微笑んでいるようです。
頸を少し左に傾げて合掌しています。
このような化仏に囲まれていれば、
亡くなった人も安らかで穏やかな時間が過ごせそうな気がします。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
光背(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-075.html
法隆寺献納宝物の光背がありました。
その中にひときわかわいい光背が。
銅板打ち出しによる化仏がついています。
お顔立ちは丸顔でふっくらとしていて、
何ともかわいらしく、微笑んでいるようです。
頸を少し左に傾げて合掌しています。
このような化仏に囲まれていれば、
亡くなった人も安らかで穏やかな時間が過ごせそうな気がします。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
光背(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-075.html
posted by Lana-Peace at 07:07| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月23日
小型陶棺(東京国立博物館 蔵)
東京国立博物館に岡山県津山市河辺と
群馬県太田市から出土した
小型陶棺がありました。
がっしりした円柱型の脚部がついた
高床の陶棺です。
亡き人が心地良く過ごせるように、
身分の高い人がかつて生前暮らしていた家を模して、
陶棺を作ったのではないでしょうか。
高床であった方が雨や雪、風通し、
虫の害に悩まされることも少ないでしょう。
それは死者への思いやりかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
小型陶棺
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-074.html
群馬県太田市から出土した
小型陶棺がありました。
がっしりした円柱型の脚部がついた
高床の陶棺です。
亡き人が心地良く過ごせるように、
身分の高い人がかつて生前暮らしていた家を模して、
陶棺を作ったのではないでしょうか。
高床であった方が雨や雪、風通し、
虫の害に悩まされることも少ないでしょう。
それは死者への思いやりかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
小型陶棺
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-074.html
posted by Lana-Peace at 06:43| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月22日
岡山県 本坊山古墳出土の陶棺(東京国立博物館 蔵)
今日は岡山県瀬戸内市の桂山にあった本坊山(ほんぼうざん)古墳から、
須恵器の杯と共に明治16(1883)年、見つかった
須恵質の陶棺のご紹介です。
東京国立博物館にありました。
美しい複弁蓮華文が印象的です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
陶棺(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-073.html
須恵器の杯と共に明治16(1883)年、見つかった
須恵質の陶棺のご紹介です。
東京国立博物館にありました。
美しい複弁蓮華文が印象的です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
陶棺(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-073.html
posted by Lana-Peace at 17:31| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月21日
「小児用甕棺」(東京国立博物館 蔵)
東京国立博物館に佐賀県出土の弥生時代の甕がありました。
こちら二つ合せてこどもの棺として用いられたものです。
二つの甕を合せる口縁部は帽子のつばのように
少し広くなっていました。
亡くなった人が眠る空間(甕の内側)を
土砂や異物が入り込まないように、
落ち着いた空間を作ってあげたいという気遣いから
生まれた工夫のように思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「小児用甕棺」
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-072.html
こちら二つ合せてこどもの棺として用いられたものです。
二つの甕を合せる口縁部は帽子のつばのように
少し広くなっていました。
亡くなった人が眠る空間(甕の内側)を
土砂や異物が入り込まないように、
落ち着いた空間を作ってあげたいという気遣いから
生まれた工夫のように思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「小児用甕棺」
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-072.html
posted by Lana-Peace at 06:32| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月20日
あどけない表情の土面(長野県松本市出土・東京国立博物館 蔵)
縄文時代に作られた土面、
それは儀式に使われたと考えられています。
でも長野県松本市から出土し、
東京国立博物館に展示されていた3000年から4000年前の土面は
素朴であどけない口元の表情で
まるでかわいいこどもの一瞬の表情を切り取ったかのようです。
夭逝したこどものデスマスクとして作って
おうちの中で飾っていたのかなあと
個人的には思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
土面(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-071.html
それは儀式に使われたと考えられています。
でも長野県松本市から出土し、
東京国立博物館に展示されていた3000年から4000年前の土面は
素朴であどけない口元の表情で
まるでかわいいこどもの一瞬の表情を切り取ったかのようです。
夭逝したこどものデスマスクとして作って
おうちの中で飾っていたのかなあと
個人的には思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
土面(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-071.html
posted by Lana-Peace at 06:39| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月19日
三彩女子(東京国立博物館 蔵)
かわいい小鳥を右手に微笑む三彩女子、
東京国立博物館に展示されていました。
かわいい小鳥の清らかなさえずりが聞こえれば、
死後の世界でも穏やかな時間を過ごせるのではないか……
遺された者たちのそういった死者への願いが込められているようでした。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
三彩女子
(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-070.html
東京国立博物館に展示されていました。
かわいい小鳥の清らかなさえずりが聞こえれば、
死後の世界でも穏やかな時間を過ごせるのではないか……
遺された者たちのそういった死者への願いが込められているようでした。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
三彩女子
(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-070.html
posted by Lana-Peace at 15:06| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月18日
三彩牛車・馭者(東京国立博物館 蔵)
東京国立博物館に展示されていた7世紀の三彩牛車・馭者、
とてもきれいでしっかりした作りです。
死後の世界でも、思うままにお出かけして、
楽しく過ごすことができますように…
そういう願いが伝わってくるようでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
三彩牛車・馭者
(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-069.html
とてもきれいでしっかりした作りです。
死後の世界でも、思うままにお出かけして、
楽しく過ごすことができますように…
そういう願いが伝わってくるようでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
三彩牛車・馭者
(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-069.html
posted by Lana-Peace at 13:25| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月17日
加彩方壺(かさいほうこ)(東京国立博物館 蔵)
前漢時代の明器、加彩方壺が東京国立博物館に展示されていました。
形も色合いも、とても美しい明器です。
漆器を写した明器と考えられているこの壺、
共に埋葬されていた死者もきっと
美しいものをこよなく愛していた方なのだろうと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
加彩方壺(かさいほうこ)
(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-068.html
形も色合いも、とても美しい明器です。
漆器を写した明器と考えられているこの壺、
共に埋葬されていた死者もきっと
美しいものをこよなく愛していた方なのだろうと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
加彩方壺(かさいほうこ)
(個人寄贈・東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-068.html
posted by Lana-Peace at 07:03| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月16日
加彩しきょう壺(東京国立博物館 蔵)
東京国立博物館にかわいいミミズクの小さな壺がありました。
亡くなった方の死後の世界での生活に困らないように
納められた明器です。
2000年ほど前の中国で作られた「加彩しきょう壺」
存在感は抜群です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「加彩しきょう壺(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-067.html
亡くなった方の死後の世界での生活に困らないように
納められた明器です。
2000年ほど前の中国で作られた「加彩しきょう壺」
存在感は抜群です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「加彩しきょう壺(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-067.html
posted by Lana-Peace at 08:00| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月15日
東小田七板遺跡出土の土器(福岡・筑前町教育委員会 蔵, 東京国立博物館展示)
東京国立博物館に福岡県の東小田七板遺跡出土の
土器が展示されていました。
数多く発見された甕棺墓と共に見つかった
祭祀土坑から発掘された丹塗磨研土器です。
赤色顔料が塗られ、土器表面が丁寧に磨かれているこの土器、
赤い土器、と言われても現代人のイメージする「赤」とは違い
経年退色の影響なのか、明るいブラウンの土器だけど
確かに他の土器と比べると、随分異なります。
こちらでは黒く着色した土器も見つかっているそうです。
赤と黒の土器の意味、
いろいろ考えてみると弥生時代の精神世界、奥深いです。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
東小田七板遺跡出土の土器
(福岡・筑前町教育委員会 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-066.html
土器が展示されていました。
数多く発見された甕棺墓と共に見つかった
祭祀土坑から発掘された丹塗磨研土器です。
赤色顔料が塗られ、土器表面が丁寧に磨かれているこの土器、
赤い土器、と言われても現代人のイメージする「赤」とは違い
経年退色の影響なのか、明るいブラウンの土器だけど
確かに他の土器と比べると、随分異なります。
こちらでは黒く着色した土器も見つかっているそうです。
赤と黒の土器の意味、
いろいろ考えてみると弥生時代の精神世界、奥深いです。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
東小田七板遺跡出土の土器
(福岡・筑前町教育委員会 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-066.html
posted by Lana-Peace at 07:12| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月14日
加彩楽人(東京国立博物館 蔵)
唐時代・7〜8世紀の女性の加彩楽人俑は
全体的にあたたかみのある、優美な雰囲気を強く漂わせていました。
4体の楽人の奏でる弦楽器と打楽器の音楽のおかげで、
俑と共に埋葬されていた人は
きっと心地良く過ごせていたことでしょう。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「加彩楽人(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-065.html
全体的にあたたかみのある、優美な雰囲気を強く漂わせていました。
4体の楽人の奏でる弦楽器と打楽器の音楽のおかげで、
俑と共に埋葬されていた人は
きっと心地良く過ごせていたことでしょう。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「加彩楽人(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-065.html
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2018年08月13日
画像石 舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)
中国山東省魚台県から出土した
後漢時代の舞人・楽人の画像石が
東京国立博物館に展示されていました。
太鼓を叩く人、お手玉でジャグリングをする人、
長い袖を振り回して踊る人、琴を弾く人、
手拍子を打ちながら歌う人、
簫(しょう)を奏で、でんでん太鼓でリズムをとる人。
とっても賑やかで活気溢れる場面です。
この画像石が飾られていたお墓で眠っていた人はきっと、
死後の世界で明るく、楽しい気持ちで過ごせていたことでしょう。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「画像石 舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-064.html
後漢時代の舞人・楽人の画像石が
東京国立博物館に展示されていました。
太鼓を叩く人、お手玉でジャグリングをする人、
長い袖を振り回して踊る人、琴を弾く人、
手拍子を打ちながら歌う人、
簫(しょう)を奏で、でんでん太鼓でリズムをとる人。
とっても賑やかで活気溢れる場面です。
この画像石が飾られていたお墓で眠っていた人はきっと、
死後の世界で明るく、楽しい気持ちで過ごせていたことでしょう。
詳しくはこちらに書きました。
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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「画像石 舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-064.html
posted by Lana-Peace at 18:43| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月12日
加彩舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)
東京国立博物館に展示されていた「加彩舞人・楽人」。
中国では後漢時代、墳墓に葬られる主人に娯楽を提供する舞人・楽人の俑が
とても流行したそうです。
死者の魂を慰め、死後の世界での生を楽しいものでありますように、
という願いが感じられる元気いっぱいの俑です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「加彩舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-063.html
中国では後漢時代、墳墓に葬られる主人に娯楽を提供する舞人・楽人の俑が
とても流行したそうです。
死者の魂を慰め、死後の世界での生を楽しいものでありますように、
という願いが感じられる元気いっぱいの俑です。
詳しくはこちらに書きました。
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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「加彩舞人・楽人(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-063.html
posted by Lana-Peace at 09:02| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月11日
埴輪 琴をひく男子(個人 蔵・東京国立博物館展示)
東京国立博物館に椅子に座って、膝の上に琴をのせて弾いている
男性の埴輪がありました。
琴、と聞くと美しい音色を思い浮かべますが
古代では神と人とを結ぶものであり、
神託を受けるために使われていたそうです。
そうすると、生前そうした仕事に携わり、亡くなった被葬者は
亡くなってもなお、死後の世界で神の言葉を受けて、
この世の人の生活が安寧であるように守るお仕事を
埴輪と共にしていたのかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「埴輪 琴をひく男子
(個人 蔵・東京国立博物館展示)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-062.html
男性の埴輪がありました。
琴、と聞くと美しい音色を思い浮かべますが
古代では神と人とを結ぶものであり、
神託を受けるために使われていたそうです。
そうすると、生前そうした仕事に携わり、亡くなった被葬者は
亡くなってもなお、死後の世界で神の言葉を受けて、
この世の人の生活が安寧であるように守るお仕事を
埴輪と共にしていたのかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「埴輪 琴をひく男子
(個人 蔵・東京国立博物館展示)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-062.html
posted by Lana-Peace at 08:51| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月09日
埴輪「両手を挙げる女子」(茨城県水戸市愛宕町出土)
東京国立博物館に展示されていた
埴輪「両手を挙げる女子」のご紹介。
茨城県水戸市愛宕町出土のこちらの埴輪、
両手を挙げる、という名称がついていますが
両手はまるで一緒に埋葬された人を大事に守るかのような
抱きかかえるかのような表情です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「埴輪 両手を挙げる女子(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-061.html
埴輪「両手を挙げる女子」のご紹介。
茨城県水戸市愛宕町出土のこちらの埴輪、
両手を挙げる、という名称がついていますが
両手はまるで一緒に埋葬された人を大事に守るかのような
抱きかかえるかのような表情です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「埴輪 両手を挙げる女子(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-061.html
posted by Lana-Peace at 08:53| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月06日
「埴輪 船」西都原170号墳出土・重要文化財(東京国立博物館蔵)
東京国立博物館で見た重要文化財の船の埴輪、
宮崎県西都原170号墳から出土したものです。
埴輪の船と言えども、とてもしっかりした作りの船です。
当日、会場では「被葬者の魂を運ぶため、または
外洋への交流を象徴するために、船の埴輪は重要でした」と
説明文が添えられていました。
荒波と風雨を越えてしっかり死者の魂を届けたい、
そういう気持ちが伝わってくる埴輪です。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「埴輪 船(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-060.html
宮崎県西都原170号墳から出土したものです。
埴輪の船と言えども、とてもしっかりした作りの船です。
当日、会場では「被葬者の魂を運ぶため、または
外洋への交流を象徴するために、船の埴輪は重要でした」と
説明文が添えられていました。
荒波と風雨を越えてしっかり死者の魂を届けたい、
そういう気持ちが伝わってくる埴輪です。
詳しくはこちらに書きました。
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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「埴輪 船(東京国立博物館 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-060.html
posted by Lana-Peace at 00:14| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月04日
石倉貝塚 甕棺土器(縄文時代後期)
こちらでご紹介した「函館空港遺跡群」ですが
空港3階のオープンフロアで展示されていたもの中で
ひときわ目を引く美しい土器がありました。
そちら、函館空港遺跡群の中でも東端、
滑走路から外れたところにある石倉貝塚の「甕棺土器」です。
石倉貝塚は大型の盛土、柱穴・配石遺構を伴うところで
死者を弔う祭祀が行われた場所と考えられているそうです。
こどもを弔う甕棺土器のほか、
いろいろ調べてみると石倉貝塚からは
新潟県糸魚川産のヒスイの玉も出土しているそうです。
死者を見送る気持ち、弔う気持ちが
伝わってくるものでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「甕棺土器(北海道函館市 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-059.html
空港3階のオープンフロアで展示されていたもの中で
ひときわ目を引く美しい土器がありました。
そちら、函館空港遺跡群の中でも東端、
滑走路から外れたところにある石倉貝塚の「甕棺土器」です。
石倉貝塚は大型の盛土、柱穴・配石遺構を伴うところで
死者を弔う祭祀が行われた場所と考えられているそうです。
こどもを弔う甕棺土器のほか、
いろいろ調べてみると石倉貝塚からは
新潟県糸魚川産のヒスイの玉も出土しているそうです。
死者を見送る気持ち、弔う気持ちが
伝わってくるものでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「甕棺土器(北海道函館市 蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-059.html
posted by Lana-Peace at 12:08| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年08月01日
石人(福岡県八女市 岩戸山古墳出土・重要文化財)
東京国立博物館で見た石人、
福岡県八女市の岩戸山古墳から出土した
6世紀(古墳時代)の石人です。
とっても迫力があります。
1つの阿蘇溶結凝灰岩から
1体の大きな石人ができたことに驚きです。
ここに眠る故人を守りたい、そういう思いが
とても伝わってくるものでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「石人(東京国立博物館所蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-058.html
福岡県八女市の岩戸山古墳から出土した
6世紀(古墳時代)の石人です。
とっても迫力があります。
1つの阿蘇溶結凝灰岩から
1体の大きな石人ができたことに驚きです。
ここに眠る故人を守りたい、そういう思いが
とても伝わってくるものでした。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
「石人(東京国立博物館所蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-058.html
posted by Lana-Peace at 10:05| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年07月31日
イノシシの持つ神聖な力 ― 埴輪 猪(群馬県伊勢崎市 天神山出土・重要文化財)から考える
群馬県の天神山古墳(前方後円墳)の前方部の基壇上に
犬形埴輪と一緒に置かれていたというイノシシの埴輪。
重要文化財です。
とてもカワイイ埴輪ですが
イノシシ、について調べてみると
古代の人々はとても神聖な力を
イノシシに見い出していたことがわかります。
そしてそれは現世の人々の暮らしにおいてだけでなく
死後の世界にもその思いを延長させていたことが考えられます。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「埴輪 猪」
(東京国立博物館所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-057.html
犬形埴輪と一緒に置かれていたというイノシシの埴輪。
重要文化財です。
とてもカワイイ埴輪ですが
イノシシ、について調べてみると
古代の人々はとても神聖な力を
イノシシに見い出していたことがわかります。
そしてそれは現世の人々の暮らしにおいてだけでなく
死後の世界にもその思いを延長させていたことが考えられます。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「埴輪 猪」
(東京国立博物館所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-057.html
posted by Lana-Peace at 01:04| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年07月10日
みみずく土偶・猿形土製品(前2000〜前1000年, 前1000〜前400年)
埼玉県の真福寺貝塚から出土した
「みみずく土偶」と「猿形土製品」。
真福寺貝塚からは人骨が出土したという記録は見当たりませんが
縄文時代の精神性をアイヌのイオマンテの中に共通性を見出していた
河野広道先生の説を当てはめて考えてみると、
もしかしたらこのみみずく土偶や猿形土製品は、
例えば亡くなった人の魂を天へ送るための儀式などで使われたのかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「みみずく土偶・猿形土製品(前2000〜前1000年, 前1000〜前400年)」
(東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-056.html
「みみずく土偶」と「猿形土製品」。
真福寺貝塚からは人骨が出土したという記録は見当たりませんが
縄文時代の精神性をアイヌのイオマンテの中に共通性を見出していた
河野広道先生の説を当てはめて考えてみると、
もしかしたらこのみみずく土偶や猿形土製品は、
例えば亡くなった人の魂を天へ送るための儀式などで使われたのかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「みみずく土偶・猿形土製品(前2000〜前1000年, 前1000〜前400年)」
(東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-056.html
posted by Lana-Peace at 00:55| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年05月14日
貝塚はこの世と神の国、死後の世界を結ぶ神聖な場所だったのでは? ――河野広道先生の論文「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」(『人類学雜誌』50(4))を読んで考えたこと
昨年10月、千葉県の飛ノ台貝塚から出土した人骨に関して
こちらのエッセイで取り上げたのですが
その後もどうしても解せない部分がありました。
貝塚は当時のゴミ捨て場として利用された跡だと私は理解していたからです。
そのような場所になぜ人骨が…?
何だかもやもやした気分だったのですが、
その後ある論文の存在を知りました。
昭和10(1935)年、人類学雑誌に発表された河野広道先生の
「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」です。
現在はWEB上、無料で論文を拝読することが可能です。
河野広道(1935)「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」『人類学雜誌』50(4), pp.151-160
昆虫学を収めた河野先生ですが
尊父は道史編纂の初代編纂主任を務めた河野常吉氏であり
恐らく幼い頃より北海道の考古学、歴史、
アイヌ文化などへの造詣は深かったのでしょう。
その後、研究分野は考古学領域へと広がり
北海道での遺跡、貝塚の調査に多く携わられた河野先生は
少なくとも北海道の貝塚から出土する人骨は
丁寧に埋葬された場合が多いという事実から
アイヌの思想、習俗を鑑みて
貝塚に埋葬された人骨は遺棄されたものではなく
「イオマンテ」として送られたものだと考えられたのです。
今では熊の霊を神の国へ返すものとして知られていますが
河野先生によると食料とした動物、鳥、魚介類のうち食べられなかったところの他
生活に必要な猟の道具、武具、農耕具、その他食器等で不用となったもの、
壊れたものなども「送り」の対象として祭壇のそばにまとめられたそうです。
炉の灰さえも多量になると、まとめて一箇所にして神と人間との間を取り持つ
イナウを立てておくという徹底ぶりでした。
すべてのものに神を見出し、
すべてのものに感謝する、そういう思想ですね。
貝塚はこの世と神の国、あるいは死後の世界とをつなぐ
実に神聖な場所だったのだろうと思います。
そして貝塚に葬られた人骨は「送られる」人への
思いがとてもこもった証だと思いました。
故人を大切に悼む思いが今に伝わる場所、それが貝塚なのかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
飛ノ台貝塚 抱き合った男女の人骨(複製)
(飛ノ台史跡公園博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-039.html
改変 2018/5/14, 初出 2017/10/12
こちらのエッセイで取り上げたのですが
その後もどうしても解せない部分がありました。
貝塚は当時のゴミ捨て場として利用された跡だと私は理解していたからです。
そのような場所になぜ人骨が…?
何だかもやもやした気分だったのですが、
その後ある論文の存在を知りました。
昭和10(1935)年、人類学雑誌に発表された河野広道先生の
「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」です。
現在はWEB上、無料で論文を拝読することが可能です。
河野広道(1935)「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」『人類学雜誌』50(4), pp.151-160
昆虫学を収めた河野先生ですが
尊父は道史編纂の初代編纂主任を務めた河野常吉氏であり
恐らく幼い頃より北海道の考古学、歴史、
アイヌ文化などへの造詣は深かったのでしょう。
その後、研究分野は考古学領域へと広がり
北海道での遺跡、貝塚の調査に多く携わられた河野先生は
少なくとも北海道の貝塚から出土する人骨は
丁寧に埋葬された場合が多いという事実から
アイヌの思想、習俗を鑑みて
貝塚に埋葬された人骨は遺棄されたものではなく
「イオマンテ」として送られたものだと考えられたのです。
今では熊の霊を神の国へ返すものとして知られていますが
河野先生によると食料とした動物、鳥、魚介類のうち食べられなかったところの他
生活に必要な猟の道具、武具、農耕具、その他食器等で不用となったもの、
壊れたものなども「送り」の対象として祭壇のそばにまとめられたそうです。
炉の灰さえも多量になると、まとめて一箇所にして神と人間との間を取り持つ
イナウを立てておくという徹底ぶりでした。
すべてのものに神を見出し、
すべてのものに感謝する、そういう思想ですね。
貝塚はこの世と神の国、あるいは死後の世界とをつなぐ
実に神聖な場所だったのだろうと思います。
そして貝塚に葬られた人骨は「送られる」人への
思いがとてもこもった証だと思いました。
故人を大切に悼む思いが今に伝わる場所、それが貝塚なのかもしれません。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
飛ノ台貝塚 抱き合った男女の人骨(複製)
(飛ノ台史跡公園博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-039.html
改変 2018/5/14, 初出 2017/10/12
posted by Lana-Peace at 13:18| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
2018年05月05日
揺銭樹(ようせんじゅ)(中国出土・東京国立博物館蔵)
2015/2/18に取り上げた中国四川省出土の揺銭樹(ようせんじゅ)ですが
東京国立博物館でもう1度見て、改めてその精巧な作りに驚かされました。
死後の世界とお金、その関係はあまりに似つかわしくないけれど
「死は終わりなのではなく、現実社会の延長線上にあるんだ…」
そういう考えの現われのようにも思えます。
詳しくはこちらに書きました。
アート・歴史から考えるグリーフケア
揺銭樹(ようせんじゅ)(中国出土・東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-011.html
東京国立博物館でもう1度見て、改めてその精巧な作りに驚かされました。
死後の世界とお金、その関係はあまりに似つかわしくないけれど
「死は終わりなのではなく、現実社会の延長線上にあるんだ…」
そういう考えの現われのようにも思えます。
詳しくはこちらに書きました。
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揺銭樹(ようせんじゅ)(中国出土・東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-011.html
posted by Lana-Peace at 00:28| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死
金銅製沓(国宝) (江田船山古墳出土・東京国立博物館蔵)
以前、2015/2/24に熊本県の江田船山古墳出土の金銅製沓を取り上げましたが、
その後、韓国の国立全州博物館で韓国 高敞郡
鳳徳里古墳群1号墳出土の金銅飾履を見た時
「江田船山の金銅製沓もすごかったはずだ!」と思い出し、
もう一度ちゃんと日本の沓も見ようと思い、
2018/4、東京国立博物館に行ってみました。
金銅製沓、実に見事な亀甲文でした。
それと共に古代の中国、朝鮮半島と日本のつながりが
強く感じられるものでした。
詳しくはこちらに書きました。
アート・歴史から考えるグリーフケア
金銅製沓(国宝) (江田船山古墳出土・東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-012.html
その後、韓国の国立全州博物館で韓国 高敞郡
鳳徳里古墳群1号墳出土の金銅飾履を見た時
「江田船山の金銅製沓もすごかったはずだ!」と思い出し、
もう一度ちゃんと日本の沓も見ようと思い、
2018/4、東京国立博物館に行ってみました。
金銅製沓、実に見事な亀甲文でした。
それと共に古代の中国、朝鮮半島と日本のつながりが
強く感じられるものでした。
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金銅製沓(国宝) (江田船山古墳出土・東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-012.html
posted by Lana-Peace at 00:20| こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死