2018年05月14日

貝塚はこの世と神の国、死後の世界を結ぶ神聖な場所だったのでは? ――河野広道先生の論文「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」(『人類学雜誌』50(4))を読んで考えたこと

昨年10月、千葉県の飛ノ台貝塚から出土した人骨に関して
こちらのエッセイで取り上げたのですが
その後もどうしても解せない部分がありました。
貝塚は当時のゴミ捨て場として利用された跡だと私は理解していたからです。
そのような場所になぜ人骨が…?
何だかもやもやした気分だったのですが、
その後ある論文の存在を知りました。
昭和10(1935)年、人類学雑誌に発表された河野広道先生の
「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」です。

現在はWEB上、無料で論文を拝読することが可能です。
河野広道(1935)「貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ」『人類学雜誌』50(4), pp.151-160


昆虫学を収めた河野先生ですが
尊父は道史編纂の初代編纂主任を務めた河野常吉氏であり
恐らく幼い頃より北海道の考古学、歴史、
アイヌ文化などへの造詣は深かったのでしょう。
その後、研究分野は考古学領域へと広がり
北海道での遺跡、貝塚の調査に多く携わられた河野先生は
少なくとも北海道の貝塚から出土する人骨は
丁寧に埋葬された場合が多いという事実から
アイヌの思想、習俗を鑑みて
貝塚に埋葬された人骨は遺棄されたものではなく
「イオマンテ」として送られたものだと考えられたのです。
今では熊の霊を神の国へ返すものとして知られていますが
河野先生によると食料とした動物、鳥、魚介類のうち食べられなかったところの他
生活に必要な猟の道具、武具、農耕具、その他食器等で不用となったもの、
壊れたものなども「送り」の対象として祭壇のそばにまとめられたそうです。
炉の灰さえも多量になると、まとめて一箇所にして神と人間との間を取り持つ
イナウを立てておくという徹底ぶりでした。
すべてのものに神を見出し、
すべてのものに感謝する、そういう思想ですね。


貝塚はこの世と神の国、あるいは死後の世界とをつなぐ
実に神聖な場所だったのだろうと思います。
そして貝塚に葬られた人骨は「送られる」人への
思いがとてもこもった証だと思いました。
故人を大切に悼む思いが今に伝わる場所、それが貝塚なのかもしれません。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
飛ノ台貝塚 抱き合った男女の人骨(複製)
(飛ノ台史跡公園博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-039.html
改変 2018/5/14, 初出 2017/10/12
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2018年05月05日

揺銭樹(ようせんじゅ)(中国出土・東京国立博物館蔵)

2015/2/18に取り上げた中国四川省出土の揺銭樹(ようせんじゅ)ですが
東京国立博物館でもう1度見て、改めてその精巧な作りに驚かされました。

死後の世界とお金、その関係はあまりに似つかわしくないけれど
「死は終わりなのではなく、現実社会の延長線上にあるんだ…」
そういう考えの現われのようにも思えます。


詳しくはこちらに書きました。
アート・歴史から考えるグリーフケア
揺銭樹(ようせんじゅ)(中国出土・東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-011.html
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金銅製沓(国宝) (江田船山古墳出土・東京国立博物館蔵)

以前、2015/2/24に熊本県の江田船山古墳出土の金銅製沓を取り上げましたが、
その後、韓国の国立全州博物館で韓国 高敞郡
鳳徳里古墳群1号墳出土の金銅飾履を見た時
「江田船山の金銅製沓もすごかったはずだ!」と思い出し、
もう一度ちゃんと日本の沓も見ようと思い、
2018/4、東京国立博物館に行ってみました。

金銅製沓、実に見事な亀甲文でした。

それと共に古代の中国、朝鮮半島と日本のつながりが
強く感じられるものでした。


詳しくはこちらに書きました。

アート・歴史から考えるグリーフケア
金銅製沓(国宝) (江田船山古墳出土・東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-012.html
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2018年05月04日

埴輪「猿」と古代のグリーフケア(6世紀・伝茨城県行方市 大日塚古墳出土・重要文化財)

東京国立博物館に展示されていた6世紀の埴輪「猿」。
茨城県行方市 大日塚古墳から出土したその猿の埴輪は
ほんわか、あたたかい雰囲気でかわいい猿です。

でもお顔の朱色
そして背中の剥がれ落ちたような跡…
いろいろ調べてみると、何だかとても奥深い。

明治、大正、昭和と活躍した考古学者の柴田常恵氏は
日本人類学会の学会誌に「猿形埴輪」という報告を出されていますが
その中では『日本書紀』や『和名類聚抄』を参考に
猿の埴輪の意味をいろいろと考察されていました(※)。

※ 柴田常恵(1906)「猿形埴輪」『東京人類学会雜誌』21(244), pp.400-403


古代の人々が副葬品として埋葬した埴輪、
そこに子猿を背負った親猿の埴輪が登場していることに
しみじみいろいろ考える機会となりました。

詳しくはこちらに書きました。



アート・歴史から考えるグリーフケア
埴輪「猿」
(東京国立博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-051.html
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2018年04月11日

金銅飾履(韓国 高敞郡 鳳徳里古墳群1号墳出土・国立全州博物館所蔵)

昨年秋訪れた韓国の全州博物館には
全羅北道 高敞郡の鳳徳里古墳群1号墳から出土した
一双の金銅飾履がありました。
5世紀百済のこの飾履、素晴らしい彫金です。
日本の江田船山古墳出土の国宝 金銅製沓にもよく似ています。
副葬品の一つではありますが、1600年ほど前にこれほど緻密なものが
造られていたことが本当に驚きです。
また同じ頃の時代に朝鮮半島と熊本で同じような飾履が
古墳に収められていたことを考えると、
死者に向けるまなざしは海を越えても変わらぬものだったと
知ることができます。

丁寧に形作っていく一刀一刀、そこには死出の旅路の向かう先が、
美しく光り輝く飾り履きが似合うような素晴らしい世界でありますように…
そんな願いが込められていたのだろうと思います。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「金銅飾履」
(韓国・国立全州博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-050.html
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2018年03月03日

埴輪 鶏(古墳時代6世紀)― 夜明けに魂を呼び戻す

埴輪の中には鳥の形状を模したものがありますが
パッと見たらただの鳥でも
鳥は鳥でも「鶏(にわとり)」については
意味があるのだそうです。
夜明けにコケコッコーとなくオスの鶏に託した思い。
それは死者の魂の再生とも関係があるそうで…

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「埴輪 鶏(にわとり)」
(東京国立博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-049.html
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2017年12月13日

埴輪 水鳥(古墳時代5-6世紀)―送る魂、呼び戻す魂 水鳥埴輪に託す思い

こちらで韓半島における鳥型土器を取り上げた際
『三国志魏書』「東夷伝」の
「以大鳥羽送死 其意欲使死者飛揚」という一文から、
鳥は死者の魂を黄泉の国へと送リ届ける役割がある
という考え方をご紹介いたしました。
そうした考えは日本でも同じようにありました。
今日は東京国立博物館の水鳥の埴輪 水鳥についてご紹介したいと思います。
埼玉県行田市埼玉出土の古墳時代・6世紀の水鳥の埴輪と
大阪府羽曳野市 伝応神陵古墳出土の古墳時代・5世紀の水鳥の埴輪です。

古代の人々が鳥に向けた眼差しを考えると、
彼らの感性は本当に豊かだったのだなあと思います。
生者にとって鳥は現世での生命を支える穀物豊穣に寄与するものであり、
死者にとっては死後の世界へ導くもの(あるいは現世に呼び戻すもの)であり…。
それだけ鳥が暮らしの中で身近な存在だったことを示すと思います。

その中でも死に関する鳥へ託した思いは、
今の世にもしみじみ切々と伝わってきます。
以前こちらでご紹介した、渡り鳥アジサシを胸に置いて埋葬されていた
6歳くらいの少年(和歌山県 磯間岩陰遺跡)のように……。

詳しくはこちらに書きました。

アート・歴史から考えるグリーフケア
「埴輪 水鳥」
(東京国立博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-048.html
posted by Lana-Peace at 11:20| ☆ 歴史から考えるグリーフケア

2017年12月12日

鳥形土器(韓国 陜川 蔚山 金海出土) ―鳥に託した死者への思い

2017年春、韓国・金海市の国立金海博物館を訪れた際、
鳥形土器を見学しました。
その解説展示パネルには『三国志魏書』「東夷伝」の
「以大鳥羽送死 其意欲使死者飛揚」の一文が引用されていました。
鳥形土器は死者の魂の安寧な行方を鴨の飛翔に託す気持ちがこめられた
という解釈の根拠として引用されたものです。

形あるものには作り手の深い意味があるのだなあと、改めて感じた次第です。
詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「鳥形土器(韓国 陜川 蔚山 金海出土) 」
(韓国 国立金海博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-047.html
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2017年12月08日

古作貝塚 ―貝輪から感じられる死後の生と死者への眼差し

かつて昭和の初期、千葉県船橋市に中山競馬場を作るため
同市の古作(こさく)貝塚が破壊されることになってしまいました。
それはとても残念な話ではあるけれども、
その建設工事ゆえに明らかになったものもあったのです。
蓋付の2つの土器の中に水平に重ねられて、
大切に収められていた51枚もの美しい貝輪たち。

その古作貝塚からは貝輪をつけた人骨も見つかっています。

実際縄文時代に戻ってみなければ、アクセサリーやお守りの意味で
貝輪をずっと身につけていたのか、
あるいはそれが死出の旅を安らかにすることを願って添えられ、
共に埋葬されたものなのかはわかりません。
もし後者であれば、そこには当時の人々が感じていた
「死後の生」といった世界観が浮かび上がってきます。
そして死者へ向けられたあたたかい眼差しがだんだんと感じられます。

いろいろな人々の思いがたくさんつまった貝輪。
3千年、4千年もの時を経て
貝輪はいろいろなメッセージを伝えてくれそうです。
なにしろ蓋付土器で保管するほど、大切にされていたものなのですから。


詳しくはこちらに書きました。


アート・歴史から考えるグリーフケア
古作貝塚 貝輪
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-046.html
posted by Lana-Peace at 01:20| ☆ 歴史から考えるグリーフケア

2017年11月27日

黄泉国の炊飯具(古墳時代・6世紀 奈良県葛城市笛吹遊ケ岡出土)

こちらで前漢時代の明器「灰陶竈(かいとうかまど)」をご紹介しましたが、
今日は日本の「黄泉の国の炊飯具」をご紹介いたします。

奈良県葛城市笛吹遊ケ岡から出土した古墳時代(6世紀)の
小型置竈、小型羽釜、小型鉢、小型甑。

亡くなった後も、毎日炊きたてのあたたかいご飯をおなかいっぱい食べてほしい…
そんな思いが伝わってきそうな「黄泉国の炊飯具」です。
東京国立博物館平成館に展示されていました。



そして思い出したのが明治大学博物館に展示されていたままごと道具。
明治大学の駿河台のリバティタワー建設時に発掘調査が行われ
現われた江戸時代の中坊氏の屋敷跡から見つかったもの。

生と死は一続き、そんな気がいたしました。


詳しくはこちらに書きました。



Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「黄泉国の炊飯具」
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-045.html
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2017年11月26日

中国 前漢時代の灰陶竈と死後の世界観

亡くなった方を埋葬する際、一緒に納める副葬品の中でも
死後の生活に必要だと考えて納められた模倣の生活器物は
明器(めいき)と呼ばれます。
小さなサイズにして作られた明器ですが、
中国の前漢時代の明器「灰陶竈(かいとうかまど)」は
とても素晴らしい意味のある文様が施されていました。

亡くなった方に冷えたものではなくてあたたかいものを
乾物ではなくて肉や魚も。そしてこねて作るようなもの、
中国だったら饅頭や餃子などでしょうか。
あたたかい出来たてのおいしい料理をお腹いっぱい食べて、
素晴らしい世界で安らかに過ごしてほしいと願って。
そうした思いが滲み出ています。
当時の死後の世界観が伝わる竈です。


前漢時代、前2〜前1世紀の作と伝わるこの灰陶竈、
東京国立博物館東洋館に展示されていました。

詳しくはこちらに書きました。


アート・歴史から考えるグリーフケア
灰陶竈(前漢時代)
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-044.html
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2017年11月23日

埋甕(千葉県・海老ヶ作貝塚)と縄文時代のこどもを亡くした親のグリーフケア

千葉県船橋市の飛ノ台史跡公園博物館に
同市内の海老ヶ作貝塚から出土した甕が展示されていました。
こちら亡くなったこどもの埋葬のために使われたと考えられています。
その造形からいろいろ考えたことがありました。

尖底土器と言われる底面積の小さい土器。
不安定で自立した立位は難しい土器です。
でもそれは実は意味があったのかもしれません。
親が子との最後のお別れを惜しむ時間にとって
最も適した形だったのではないでしょうか。
そもそも調理の煮炊き用として紹介されることの多い尖底土器。
だけど、火の焚いた痕跡のない美しい土器は
食事の準備とは全く別物で、
こどものために新たに作られたのではないでしょうか。
今世で親ができる最後の贈り物として。
そのプロセスを考えると
縄目文様の一つ一つに親の涙がこもっているかのようです。
土器を作ることは当時の親にとってのグリーフケアの一つに
あたるようにも思います。


あくまでも私の個人的な私見ではあり、
考古学などの定説ではありません。
学者さんたちからは「そんなの感傷的な見方に過ぎない!」と
一喝されるかもしれないけれど、
じっと土器を見ていると、当時の状況が想像されてなりません。

発掘した現代の世の中にとっては学術的な出土物、ではあるけれども
何千年も時をさかのぼれば、それはとてもプライベートな
大切な思いの込められたものなのです…。
土器の見方についても、いろんな考え方があっても良いのではと思ったりして。


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
海老ヶ作貝塚 埋甕
(飛ノ台史跡公園博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-043.html
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2017年10月29日

東京都練馬区 丸山東遺跡 ガラス玉・管玉(石神井公園ふるさと文化館蔵)

1年前に訪れた石神井公園横の石神井公園ふるさと文化館蔵に
美しいガラス玉・管玉がありました。
渋滞解消のための外環道建設にあたり、平成2年から4年にかけて
東京都練馬区大泉町3丁目で発掘調査が行われて明らかになった
丸山東遺跡からの出土品です。
弥生時代後期〜古墳時代初めと伝わっています。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「丸山東遺跡 ガラス玉・管玉」
(石神井公園ふるさと文化館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-041.html
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2017年10月28日

縄文後期の母の慈愛 千葉県 古作貝塚の女性とこどもの人骨

千葉県の中山競馬場敷地内にある古作貝塚にて、
昭和58年(1983)、船橋市遺跡調査会による第2次発掘調査が行われました。
そこで縄文後期の人骨44 体が出土しましたが、
女性と小さなこどもが一緒に埋葬されている例が含まれていたのです。

2-3歳のこどもを慈しむように胸に抱きしめている女性
そして女性の太もものそばに眠る小さな赤ちゃん。
女性は二人のこどもの母親だったのでしょうか。
出土された人骨から女性の子への慈愛が滲み出ているかのようです。
縄文時代の人々は、死後の世界を確信して
ずっと3人が一緒に居られますようにと願って埋葬したのかなあ。



詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「古作貝塚 女性とこどもの人骨」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-040.html
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2017年10月12日

7000年も前の貝塚から発掘された抱き合う二人の人骨

千葉県船橋市の飛ノ台貝塚から
平成5(1993)年の発掘調査で二体の人骨が発見されました。
年の差数年の壮年期男性と思春期女性のお二人は
向かい合い、抱き合った状態で発掘されたのです。

7000年も前の時代の貝塚、
死後もずっと一緒にいたいと願った二人の思いは
ずっとずっと続いているのだなあと思います。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「飛ノ台貝塚 抱き合った男女の人骨(複製)」
(飛ノ台史跡公園博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-039.html
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2017年10月09日

岩名天神前遺跡の壺型土器・甕型土器・発掘骨(明治大学博物館 蔵)と古代人のグリーフケア

岩名天神前遺跡は昭和38(1963)年、千葉県佐倉市で耕作中に
偶然土器が発見されたことをきっかけに、
発掘が始まり、その存在が明らかになった遺跡です。
ここから弥生時代中期の7基の墓壙が発掘され
そのうち数点、壺型土器、甕型土器や発掘された骨が、
明治大学博物館に展示されていました。

甕型土器は日常使いの転用かも知れません。
しかし壺型土器はその高さに対して底面積が明らかに小さく
はじめから非日常の特別なもの、聖なるもの、とした扱いで
作っていたのかな?と想像します
表面の線描は円形、直線、曲線、いろいろな形が組み合わせられ、
そして壺開口部の形はシンプルなものもあれば、
すこし波がかったものもあります。
とても美しいです。

埋めてしまう、すなわち人目には触れなくなるものでありながら、
美しい壺を用意したということ…
それは故人を追悼し、敬う気持ちの現われだろうと思います。
美しい造形、線描を1つ1つ作りながら、
壺や甕を完成していく時間は、当時の人々にとって、
グリーフケアに相当したのではないでしょうか…。

明治大学博物館の展示物を見学した後
春成秀爾先生の論文(※)を合せ読むと
それぞれの発掘物の向こう側に、
当時の人々の人生や思いが垣間見えてくるようです。
※春成秀爾(1993)「弥生時代の再墓制」
『国立歴史民俗博物館研究報告』第49集, pp.47-91


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
岩名天神前遺跡 壺型土器・甕型土器
(明治大学博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-038.html
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2017年10月06日

出流原遺跡 顔面付壺型土器ほか(明治大学博物館蔵)

昭和39(1964)年、栃木県佐野市の市立出流原小学校の
プール建設の事前調査をきっかけに発見された出流原(いずるはら)遺跡。
こちらから出土した顔面付壺型土器と、
顔面のついていないシンプルな壺型土器、
素朴な美しさがあります。

弥生時代中期前半のものと推定されていますが
当時の人々は故人を再葬する時、掘り起こした骨を
単なる物質としてみなしたのではなく、
故人として尊重したことが、とても強く伝わってきます。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
顔面付壺型土器ほか
(明治大学博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-037.html
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2017年10月05日

岩櫃山遺跡 壺型土器(岩櫃山式)(明治大学博物館蔵)

群馬県吾妻郡の岩櫃山遺跡から出土した壺型土器、
こちら弥生時代中期の再葬墓遺跡だそうです。
岩肌が荒々しい存在感たっぷりの岩櫃山に
再葬のため用いられた壺型土器は
やさしい色合いで、直線、波線の美しい線文様で飾られていました。
底面に対してかなり真ん中が大きく膨らんだこの壺、
焼成するには随分、慎重さが求められたことでしょう。
長い時間の流れがあっても、故人を偲ぶ気持ちを持ち続けていたことが
伝わる壺型土器です。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
壺型土器(岩櫃山式)(明治大学博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-036.html
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2017年10月02日

山清全州崔氏古霊宅喪輿(韓国国立民俗博物館蔵)

赤や青や黄色の色鮮やかで美しい4層構造の建物
実は亡くなった方を埋葬された場所まで運ぶ喪輿です。
160年前、韓国で作られたこちらの喪輿、
韓国の国立民俗博物館(ソウル)に展示されていました。

死後、守られ導かれて行き着く先は
鮮やかな世界であり、そこで新たな生活が始まる
そう感じられる喪輿でした。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「山清全州崔氏古霊宅喪輿
(韓国国立民俗博物館蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-035.html
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2017年06月25日

瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥の出土当時

こちらで「瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥」について取り上げましたが、
昨日、船橋市郷土資料館に行ってみたところ、
館内に置かれていた過去の特別展パンフレットの中に
当時の出土写真などがありました。

そちらを元に、写真追加しました。
過去の遺物と当時の人々の思いって
あらためてすごいことだなあと思います。


アート・歴史から考えるグリーフケア
瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥
(船橋市郷土資料館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-029.html
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