2017年12月13日

埴輪 水鳥(古墳時代5-6世紀)―送る魂、呼び戻す魂 水鳥埴輪に託す思い

こちらで韓半島における鳥型土器を取り上げた際
『三国志魏書』「東夷伝」の
「以大鳥羽送死 其意欲使死者飛揚」という一文から、
鳥は死者の魂を黄泉の国へと送リ届ける役割がある
という考え方をご紹介いたしました。
そうした考えは日本でも同じようにありました。
今日は東京国立博物館の水鳥の埴輪 水鳥についてご紹介したいと思います。
埼玉県行田市埼玉出土の古墳時代・6世紀の水鳥の埴輪と
大阪府羽曳野市 伝応神陵古墳出土の古墳時代・5世紀の水鳥の埴輪です。

古代の人々が鳥に向けた眼差しを考えると、
彼らの感性は本当に豊かだったのだなあと思います。
生者にとって鳥は現世での生命を支える穀物豊穣に寄与するものであり、
死者にとっては死後の世界へ導くもの(あるいは現世に呼び戻すもの)であり…。
それだけ鳥が暮らしの中で身近な存在だったことを示すと思います。

その中でも死に関する鳥へ託した思いは、
今の世にもしみじみ切々と伝わってきます。
以前こちらでご紹介した、渡り鳥アジサシを胸に置いて埋葬されていた
6歳くらいの少年(和歌山県 磯間岩陰遺跡)のように……。

詳しくはこちらに書きました。

アート・歴史から考えるグリーフケア
「埴輪 水鳥」
(東京国立博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-048.html
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2017年12月12日

鳥形土器(韓国 陜川 蔚山 金海出土) ―鳥に託した死者への思い

2017年春、韓国・金海市の国立金海博物館を訪れた際、
鳥形土器を見学しました。
その解説展示パネルには『三国志魏書』「東夷伝」の
「以大鳥羽送死 其意欲使死者飛揚」の一文が引用されていました。
鳥形土器は死者の魂の安寧な行方を鴨の飛翔に託す気持ちがこめられた
という解釈の根拠として引用されたものです。

形あるものには作り手の深い意味があるのだなあと、改めて感じた次第です。
詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「鳥形土器(韓国 陜川 蔚山 金海出土) 」
(韓国 国立金海博物館 所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-047.html
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2017年12月08日

古作貝塚 ―貝輪から感じられる死後の生と死者への眼差し

かつて昭和の初期、千葉県船橋市に中山競馬場を作るため
同市の古作(こさく)貝塚が破壊されることになってしまいました。
それはとても残念な話ではあるけれども、
その建設工事ゆえに明らかになったものもあったのです。
蓋付の2つの土器の中に水平に重ねられて、
大切に収められていた51枚もの美しい貝輪たち。

その古作貝塚からは貝輪をつけた人骨も見つかっています。

実際縄文時代に戻ってみなければ、アクセサリーやお守りの意味で
貝輪をずっと身につけていたのか、
あるいはそれが死出の旅を安らかにすることを願って添えられ、
共に埋葬されたものなのかはわかりません。
もし後者であれば、そこには当時の人々が感じていた
「死後の生」といった世界観が浮かび上がってきます。
そして死者へ向けられたあたたかい眼差しがだんだんと感じられます。

いろいろな人々の思いがたくさんつまった貝輪。
3千年、4千年もの時を経て
貝輪はいろいろなメッセージを伝えてくれそうです。
なにしろ蓋付土器で保管するほど、大切にされていたものなのですから。


詳しくはこちらに書きました。


アート・歴史から考えるグリーフケア
古作貝塚 貝輪
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-046.html
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2017年11月27日

黄泉国の炊飯具(古墳時代・6世紀 奈良県葛城市笛吹遊ケ岡出土)

こちらで前漢時代の明器「灰陶竈(かいとうかまど)」をご紹介しましたが、
今日は日本の「黄泉の国の炊飯具」をご紹介いたします。

奈良県葛城市笛吹遊ケ岡から出土した古墳時代(6世紀)の
小型置竈、小型羽釜、小型鉢、小型甑。

亡くなった後も、毎日炊きたてのあたたかいご飯をおなかいっぱい食べてほしい…
そんな思いが伝わってきそうな「黄泉国の炊飯具」です。
東京国立博物館平成館に展示されていました。



そして思い出したのが明治大学博物館に展示されていたままごと道具。
明治大学の駿河台のリバティタワー建設時に発掘調査が行われ
現われた江戸時代の中坊氏の屋敷跡から見つかったもの。

生と死は一続き、そんな気がいたしました。


詳しくはこちらに書きました。



Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「黄泉国の炊飯具」
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-045.html
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2017年11月26日

中国 前漢時代の灰陶竈と死後の世界観

亡くなった方を埋葬する際、一緒に納める副葬品の中でも
死後の生活に必要だと考えて納められた模倣の生活器物は
明器(めいき)と呼ばれます。
小さなサイズにして作られた明器ですが、
中国の前漢時代の明器「灰陶竈(かいとうかまど)」は
とても素晴らしい意味のある文様が施されていました。

亡くなった方に冷えたものではなくてあたたかいものを
乾物ではなくて肉や魚も。そしてこねて作るようなもの、
中国だったら饅頭や餃子などでしょうか。
あたたかい出来たてのおいしい料理をお腹いっぱい食べて、
素晴らしい世界で安らかに過ごしてほしいと願って。
そうした思いが滲み出ています。
当時の死後の世界観が伝わる竈です。


前漢時代、前2〜前1世紀の作と伝わるこの灰陶竈、
東京国立博物館東洋館に展示されていました。

詳しくはこちらに書きました。


アート・歴史から考えるグリーフケア
灰陶竈(前漢時代)
(東京国立博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-044.html
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2017年11月23日

埋甕(千葉県・海老ヶ作貝塚)と縄文時代のこどもを亡くした親のグリーフケア

千葉県船橋市の飛ノ台史跡公園博物館に
同市内の海老ヶ作貝塚から出土した甕が展示されていました。
こちら亡くなったこどもの埋葬のために使われたと考えられています。
その造形からいろいろ考えたことがありました。

尖底土器と言われる底面積の小さい土器。
不安定で自立した立位は難しい土器です。
でもそれは実は意味があったのかもしれません。
親が子との最後のお別れを惜しむ時間にとって
最も適した形だったのではないでしょうか。
そもそも調理の煮炊き用として紹介されることの多い尖底土器。
だけど、火の焚いた痕跡のない美しい土器は
食事の準備とは全く別物で、
こどものために新たに作られたのではないでしょうか。
今世で親ができる最後の贈り物として。
そのプロセスを考えると
縄目文様の一つ一つに親の涙がこもっているかのようです。
土器を作ることは当時の親にとってのグリーフケアの一つに
あたるようにも思います。


あくまでも私の個人的な私見ではあり、
考古学などの定説ではありません。
学者さんたちからは「そんなの感傷的な見方に過ぎない!」と
一喝されるかもしれないけれど、
じっと土器を見ていると、当時の状況が想像されてなりません。

発掘した現代の世の中にとっては学術的な出土物、ではあるけれども
何千年も時をさかのぼれば、それはとてもプライベートな
大切な思いの込められたものなのです…。
土器の見方についても、いろんな考え方があっても良いのではと思ったりして。


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
海老ヶ作貝塚 埋甕
(飛ノ台史跡公園博物館 蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-043.html
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2017年10月29日

東京都練馬区 丸山東遺跡 ガラス玉・管玉(石神井公園ふるさと文化館蔵)

1年前に訪れた石神井公園横の石神井公園ふるさと文化館蔵に
美しいガラス玉・管玉がありました。
渋滞解消のための外環道建設にあたり、平成2年から4年にかけて
東京都練馬区大泉町3丁目で発掘調査が行われて明らかになった
丸山東遺跡からの出土品です。
弥生時代後期〜古墳時代初めと伝わっています。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「丸山東遺跡 ガラス玉・管玉」
(石神井公園ふるさと文化館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-041.html
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2017年10月28日

縄文後期の母の慈愛 千葉県 古作貝塚の女性とこどもの人骨

千葉県の中山競馬場敷地内にある古作貝塚にて、
昭和58年(1983)、船橋市遺跡調査会による第2次発掘調査が行われました。
そこで縄文後期の人骨44 体が出土しましたが、
女性と小さなこどもが一緒に埋葬されている例が含まれていたのです。

2-3歳のこどもを慈しむように胸に抱きしめている女性
そして女性の太もものそばに眠る小さな赤ちゃん。
女性は二人のこどもの母親だったのでしょうか。
出土された人骨から女性の子への慈愛が滲み出ているかのようです。
縄文時代の人々は、死後の世界を確信して
ずっと3人が一緒に居られますようにと願って埋葬したのかなあ。



詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「古作貝塚 女性とこどもの人骨」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-040.html
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2017年10月12日

7000年も前の貝塚から発掘された抱き合う二人の人骨

千葉県船橋市の飛ノ台貝塚から
平成5(1993)年の発掘調査で二体の人骨が発見されました。
年の差数年の壮年期男性と思春期女性のお二人は
向かい合い、抱き合った状態で発掘されたのです。

7000年も前の時代の貝塚、
死後もずっと一緒にいたいと願った二人の思いは
ずっとずっと続いているのだなあと思います。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「飛ノ台貝塚 抱き合った男女の人骨(複製)」
(飛ノ台史跡公園博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-039.html
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2017年10月09日

岩名天神前遺跡の壺型土器・甕型土器・発掘骨(明治大学博物館 蔵)と古代人のグリーフケア

岩名天神前遺跡は昭和38(1963)年、千葉県佐倉市で耕作中に
偶然土器が発見されたことをきっかけに、
発掘が始まり、その存在が明らかになった遺跡です。
ここから弥生時代中期の7基の墓壙が発掘され
そのうち数点、壺型土器、甕型土器や発掘された骨が、
明治大学博物館に展示されていました。

甕型土器は日常使いの転用かも知れません。
しかし壺型土器はその高さに対して底面積が明らかに小さく
はじめから非日常の特別なもの、聖なるもの、とした扱いで
作っていたのかな?と想像します
表面の線描は円形、直線、曲線、いろいろな形が組み合わせられ、
そして壺開口部の形はシンプルなものもあれば、
すこし波がかったものもあります。
とても美しいです。

埋めてしまう、すなわち人目には触れなくなるものでありながら、
美しい壺を用意したということ…
それは故人を追悼し、敬う気持ちの現われだろうと思います。
美しい造形、線描を1つ1つ作りながら、
壺や甕を完成していく時間は、当時の人々にとって、
グリーフケアに相当したのではないでしょうか…。

明治大学博物館の展示物を見学した後
春成秀爾先生の論文(※)を合せ読むと
それぞれの発掘物の向こう側に、
当時の人々の人生や思いが垣間見えてくるようです。
※春成秀爾(1993)「弥生時代の再墓制」
『国立歴史民俗博物館研究報告』第49集, pp.47-91


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
岩名天神前遺跡 壺型土器・甕型土器
(明治大学博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-038.html
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2017年10月06日

出流原遺跡 顔面付壺型土器ほか(明治大学博物館蔵)

昭和39(1964)年、栃木県佐野市の市立出流原小学校の
プール建設の事前調査をきっかけに発見された出流原(いずるはら)遺跡。
こちらから出土した顔面付壺型土器と、
顔面のついていないシンプルな壺型土器、
素朴な美しさがあります。

弥生時代中期前半のものと推定されていますが
当時の人々は故人を再葬する時、掘り起こした骨を
単なる物質としてみなしたのではなく、
故人として尊重したことが、とても強く伝わってきます。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
顔面付壺型土器ほか
(明治大学博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-037.html
posted by Lana-Peace at 12:59| ☆ 歴史から考えるグリーフケア

2017年10月05日

岩櫃山遺跡 壺型土器(岩櫃山式)(明治大学博物館蔵)

群馬県吾妻郡の岩櫃山遺跡から出土した壺型土器、
こちら弥生時代中期の再葬墓遺跡だそうです。
岩肌が荒々しい存在感たっぷりの岩櫃山に
再葬のため用いられた壺型土器は
やさしい色合いで、直線、波線の美しい線文様で飾られていました。
底面に対してかなり真ん中が大きく膨らんだこの壺、
焼成するには随分、慎重さが求められたことでしょう。
長い時間の流れがあっても、故人を偲ぶ気持ちを持ち続けていたことが
伝わる壺型土器です。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
壺型土器(岩櫃山式)(明治大学博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-036.html
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2017年10月02日

山清全州崔氏古霊宅喪輿(韓国国立民俗博物館蔵)

赤や青や黄色の色鮮やかで美しい4層構造の建物
実は亡くなった方を埋葬された場所まで運ぶ喪輿です。
160年前、韓国で作られたこちらの喪輿、
韓国の国立民俗博物館(ソウル)に展示されていました。

死後、守られ導かれて行き着く先は
鮮やかな世界であり、そこで新たな生活が始まる
そう感じられる喪輿でした。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「山清全州崔氏古霊宅喪輿
(韓国国立民俗博物館蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-035.html
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2017年06月25日

瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥の出土当時

こちらで「瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥」について取り上げましたが、
昨日、船橋市郷土資料館に行ってみたところ、
館内に置かれていた過去の特別展パンフレットの中に
当時の出土写真などがありました。

そちらを元に、写真追加しました。
過去の遺物と当時の人々の思いって
あらためてすごいことだなあと思います。


アート・歴史から考えるグリーフケア
瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥
(船橋市郷土資料館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-029.html
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2017年06月22日

梅の花に託された弔いと故人への思い ―「瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥」(船橋市郷土資料館蔵)

先日、東京 赤坂 サントリー美術館で
開館10周年を記念して開催されていた
「神の宝の玉手箱」に行ってみました。

DSC08947.JPG


その中に千葉県船橋市の印内台遺跡群から発掘された
「瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥」が展示されていました。

平安時代の土坑墓に埋納されていたそうですが
実に見事なもので驚きました。
また、筥に納められた形で出土する鏡は
とても珍しいそうです。

梅の文様があしらわれた鏡と鏡筥。
そこには亡くなった方への弔いの気持ちや
永遠の再生を願う気持ちが
込められているようでした。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥(船橋市郷土資料館蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-029.html
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2017年06月14日

縄文時代の伏甕・埋設土器(盛岡県内の遺跡から出土・盛岡市遺跡の学び館蔵)

縄文時代、人々は夭逝したこどもたちの命を、
自分たちの暮らす場所の近くに葬っていたそうです。
それは「伏甕(ふせがめ)」とか「埋設土器」として今に伝わっています。
2014年5月、盛岡市遺跡学びの館を訪れた時、
初めてその違いを知りました。

そして、何千年もの時を経て発掘された甕や土器。
全体的な形をきれいに保ったまま出土するのには
理由があるそうです。
単に壊れて破棄された土器が出土するのではなくて
埋めることを目的に、きちんと埋められていた、ということ。
その裏にある人の気持ちを考えると
出土した甕や土器が
切なる親心を語リかけてくるかのようでした。

詳しくはこちらに書きました。



Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「伏甕・埋設土器
(盛岡県内の遺跡から出土・盛岡市遺跡の学び館蔵)」
http://www.lana-peace.com/2/2-4-028.html
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2016年12月23日

陶製騎馬像(地下鉄景福宮駅の騎馬像と大韓民国 国宝第91号)

2年前に旅したソウルの駅のホームで見つけた石像。
こちら地下鉄景福宮駅ホームの騎馬像です。

DSC06682.jpg

どうやら韓国の国宝第91号の陶製騎馬像を
模したものだそうで、オリジナルは5-6世紀に作られたもの。
韓国語ウィキペディアによると、
陶製騎馬像は1924年、
「死者の魂を陸地と水路を介してあの世に導いてくれる
呪術的な機能を持っている」のだそうです。


詳しくはこちらに取り上げました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
灰陶加彩雲気文双耳壺
(中国出土・東京富士美術館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-023.html
posted by Lana-Peace at 09:36| ☆ 歴史から考えるグリーフケア

2015年02月24日

古い時間が日常に溶け込む場所 ソウル 芳荑洞百済古墳群

古い写真を整理していたら出てきたソウルの古墳の写真
こちら2011年の1月に訪れたときのものです。
もう日が暮れるという時間に到着したので
じっくり見ることはできなかったのですけれど
こちら解説板によると1975年から1976年にかけて
8基の古墳が調査されて、復元工事を経て、
1983年に公園として造成されたのだそうです。
内部調査されたときは盗掘の後だったそうですが
灰青色硬質高坏や壺が見つかったとのこと。

町の中にある公園なので、住居ビルが近くにあったり、
古墳の向こう側には教会の十字架が見えたりします。

公園内の道が整備されていたので
寒いけれどランニングしたり、散歩している人もいました。

きれいに整備されて、日常に溶け込むような公園。
古きものが現代の時間の中で、仰々しいわけではなくて
日常の一部になっているってすごく新鮮で、
何か町の度量の大きさみたいな感じを受けました。

盗掘されてしまったけれど、
本来、亡くなった方が大事に葬られていた場所。
誰かのやさしい気持ちが集められたような場所は
時間がたっても、その土地の持つ力のようなものは
変わらないのかもしれない。
何か人を大事に守り続けるような。

DSC02049.jpg

そういう場所はお天気の良い日に訪れると
何か心静かに考え事ができるかもしれません。

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芳荑洞百済古墳群
指定番号史跡第270号
統一新羅時代
ソウル特別市松坡区
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2014年11月26日

韓国の葬送文化 死後の世界観と魂(歴史的な観点から)in ソウル 11/25(江華島 コインドル)

3日目のソウルでの滞在は江華島 富近里の
コインドル(支石墓)に行ってきました。
どなたか村の長のお墓と思われるコインドルですが
見事なバランスで立つ大きな石の組み合わせが
今から遥か昔に作られ、今に至っていることを考えると
そこに何か神秘な力の庇護がなくては、
成立しないように思うほどの迫力でした。
いろんな角度で現地で眺めると、そのすごさが実感できます。
コインドルに秘められた死者への祈りや思いが
その神秘な力を生み出しているのかもしれませんね。

たくさん写真をとってきましたので
また詳細はいろいろ調べたうえで、後ほどご紹介しようと思います。
posted by Lana-Peace at 00:29| ☆ 歴史から考えるグリーフケア

2014年11月25日

韓国の葬送文化 死後の世界観と魂(歴史的な観点から)in ソウル 11/24

2日目のソウルでの滞在は国立民俗博物館に行ってきました。
中でも印象的だったのは
渤海国第三代の王様 文王の四女貞孝
(チョンヒョ)公主の再現された玄室と
19世紀に使われた色鮮やか喪輿です。
また詳細はいろいろ調べたうえで、後ほどご紹介しようと思います。

posted by Lana-Peace at 00:21| ☆ 歴史から考えるグリーフケア
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