2021年12月29日

縄文時代 病気のこどもを大切にお世話してきた人々の優しさや慈愛の表われ(北海道・入江貝塚)修正再掲

縄文時代、病気のこどもを大切にお世話してきた
人々の優しさや慈愛の表われとして
北海道虻田郡洞爺湖町の入江貝塚から出土した
入江9号と呼ばれる人骨のことを数年前にご紹介しましたが
執筆後、公表された研究結果によると
ポリオの女性と考えられていた入江9号は男性であり
筋ジストロフィーに罹患していた可能性も挙げられることが
明らかにされたそうです。

それに伴い、当方のエッセイも一部修正いたしました。

Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと
「縄文時代、四肢麻痺を生き抜いた人 1. 北海道 入江貝塚・前編」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-102.html
「縄文時代、四肢麻痺を生き抜いた人 2. 北海道 入江貝塚・後編(現地訪問記)」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-102a.html
http://www.lana-peace.com

2018年09月03日

塞ぎふこんだ心の底にあるもの ―退院後の葛藤と克服 家族としてできること(西城秀樹さん)

昨日に引き続き、
本日は二度の脳梗塞を患った西城秀樹さんの闘病記から学ぶこと、
第5回目、本日で最終回です。

これまで患者本人の気持ちについて4回に渡って見てきましたが
最後に「家族の立場」から考えてみます。

秀樹さんは二度目の脳梗塞発症で退院した後、
自宅でしばらく鬱々とした気持ちで過ごした時期があったそうです。
様々な理由があったと思いますが、
奥様、お子さんの存在によって大きな気付きと力を得て
秀樹さんは前向きに変わっていったのでした。


本人の周りに重苦しい空気が立ち込めている時
家族はそれをどう考えれば良いのか?
どう接すれば良いのか?


思春期を迎えたお子さんや、段々思考が深くなる年齢のお子さんたちの
心情を理解するために、きっとご家族の参考になると思いますので、
ご紹介したいと思います。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
家族の気持ちが行き詰まった時
「塞ぎふこんだ心の底にあるもの」
http://www.lana-peace.com/1/1-2-067.html

2018年09月02日

ありのままで生きること―二度の脳梗塞を経て得た境地(西城秀樹さん)

昨日に引き続き、
本日は二度の脳梗塞を患った西城秀樹さんの闘病記から学ぶこと、
第4回目です。

秀樹さんは一度目の脳梗塞発症時、
「あきらめない」という言葉により
自分の心を叱咤激励してきました。
その後、二度目の発症の後には
そこに新たな言葉が「ありのまま」加わるようになったのです。

十二分に生活に気を付けても、それでも発症した二度目の脳梗塞。
人はそういう時、「こんなに頑張ってきたのに…」と
自暴自棄になってしまうかもしれません。
しかし秀樹さんは紆余曲折を経て
自分自身を受け容れるようになっていったのでした。
「ありのまま」
そこには飾り立てた虚構とは異なる、
輝きの本質があります。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと
「ありのままの自分で生きること」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-110.html

2018年09月01日

「進行形」で生きるためにー心の弱さと対峙して出した答え(西城秀樹さん)

昨日に引き続き、
本日は二度の脳梗塞を患った西城秀樹さんの闘病記から学ぶこと、
第3回目です。

秀樹さんは自分の心の中にある弱さと対峙し、
そこから頑張っていこうと思うようになりました。

そして人間だれしもが迎える人生のゴール地点
すなわち「死」の時にも
きちんと前を向いた「進行形」でいたいと
心に決めたのです。

生きていく上で立ちはだかる不安や恐怖、
進行形の歩みを止まらせないためにも
秀樹さんはそれとどう向き合っていたのか?

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと
「弱さと対峙し、動き出した進行形の人生」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-109.html

2018年08月31日

「気持ち、心持ちの秘めた力」ー病室で迎えたクリスマスイブに訪れた転機(西城秀樹さん)

昨日に引き続き、
本日は二度の脳梗塞を患った西城秀樹さんの闘病記から学ぶこと、
第2回目です。

再発した脳梗塞は一度目より症状が重く、
これではゼロからの出発ではなく、
これでやはマイナスからの出発だ…と秀樹さんは非常に落ち込みましたが
気を紛らわせるためにつけたテレビの中のある女性の姿により
心励まされ、心を切り替えることとなりました。
自分とは異なる境遇であっても、
それぞれの大変さを抱えながらも頑張っている人の存在を知ることが、
閉塞感でいっぱいだった秀樹さんの気持ちに風穴を開けてくれたわけです。

やがて秀樹さんは過酷なリハビリ生活の中で
「「気持ち」「心持ち」が非常に重要」と思うように
なっていったのでした。
その心の軌跡、病気のこどもたちにも知ってほしいです。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと
「気持ち、心持ちの秘めた力」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-108.html

2018年08月29日

「自分を導く言葉との出会い「あきらめない」」―国民的スターが脳梗塞に倒れた時(西城秀樹さん)

2018年5月、函館で開催される小田和正さんのコンサートへ行くため、
羽田発函館行の機内でそもそも私が小田さんのことを知ったのは、
いつのことだったのだろうか……と記憶をたどっていたら、
小学校6年生の冬休みだったと思い出しました。
新春お正月番組で、西城秀樹さんが「眠れぬ夜」を歌っていたのです。
後で作詞・作曲が小田和正さんだと知り、
そこから小田さんの歌(当時オフコース)を聴くようになっていったのでした。
あれから38年ほど経ってしまいましたが、
小田さんを知るきっかけは秀樹さんがくれたものだったなあと、
東北上空の雲の合間から見えた美しい山並みを見ながら、
しみじみ考えていました。その2日後です。
ネットニュースで秀樹さんの訃報を知ったのは。
とても驚きました…。

脳梗塞を患った秀樹さんが闘病記を出されていたことは知っており、
何年か前に読んでいましたが、改めてその本を読み返してみました。
そこには病気と共に生きていくことの葛藤、気持ちの変遷など、
実に学ぶべきものが多くありました。
秀樹さんの発症は四十代、そして再梗塞は五十代になってからですが、
夢半ばで突然重い病気になった幼いこどもたちにも、
ぜひ知ってほしいと思うことが多々ありました。
そこで数回に分けて、ご紹介したいと思います。
まずは第1回目です。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと
「自分を導く言葉との出会い「あきらめない」」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-107.html

2018年07月03日

縄文時代、ポリオによる四肢麻痺を生き抜いた人骨のレプリカ(北海道 入江貝塚出土・国立科学博物館)

昨年12月にご紹介した北海道 入江貝塚の人骨ですが
先月東京の国立科学博物館を訪れた際
日本館でその人骨レプリカを見ることが出来ました。
ケースの中で頭蓋骨を中心に
コンパクトに展示されていました。
長骨系の細さは私の人差し指の半分くらいで
びっくりしましたが、
歯や歯並びの美しさは素晴らしかったです。
なぜかそのレプリカから放たれている雰囲気が
とても明るいイメージがありました。

写真を追加し、詳しくはこちらに書きました。



Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと
「縄文時代、四肢麻痺を生き抜いた人 1. 北海道
(北海道 入江貝塚出土の人骨から考える)」
改変 2018/7/3, 初出2017/12/2
http://www.lana-peace.com/1/1-1-102.html

2018年02月12日

縄文時代の宇都宮 大谷寺岩陰遺跡と現代の宇都宮から得た気付き ― 足が不自由でも出かけたい!

昨年12月、栃木県宇都宮市の大谷寺に行ってきました。
こちら磨崖仏が実に見事なことで有名ですが
脇堂の下は実は「大谷寺岩陰遺跡」。
昭和40年の脇堂防災工事のために撤去された時、
調査で分かったものですが
ここから出土した縄文時代の人骨には
左腕の麻痺があったと考えられる人、
右足の麻痺があった考えられる人
膝、肘の変形性関節症があった人、
いろいろな病気の痕跡が見つかっています。

中にはポリオの感染による後遺症ではないか?
と考えられるものもあるそうです。
縄文時代、予防注射もなければ感染症は広がりやすいし
そうであれば後遺症に悩む人も多かったのだろうなあ。
そうであれば後遺症を持つ人がお互いにお互いを支え合いながら生きていた、
そういうことはごく日常だったのかもしれない。
健康な人が病気の人をお世話する、といった見方ではなくて。
みんな病気でも、みんなでなんとか乗り切って暮らしていく
縄文時代の看護や介護、福祉、
実はすごいものなのかもしれない。

そして大谷寺を訪れた翌日、
宇都宮市内のバスの中で
実に心洗われるような気付きを与えられる場面に遭遇しました。
バスをとっても楽しみにしていた車椅子の少年と
いっしょに乗ってきた男性のお話。

両足が不自由でも日常をエンジョイするってどういうことか。
こどもはいつまでも赤ちゃんなのではなくて
やがて一人の大人として自立し成長していくことを踏まえると
どう関わっていくことが、こどもの可能性を伸ばすことにつながるのか…

あっというまの時間だったけれど
すごくすごく、後から考えさせられるきっかけとなりました。


縄文時代の宇都宮と現代の宇都宮
学びのきっかけを得られた場所です。


詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
家族の気持ちが行き詰まった時
「縄文時代、手足が不自由な人を支えること 3. 栃木県」
http://www.lana-peace.com/1/1-2-066.html
http://www.lana-peace.com/index.html

2017年12月18日

縄文時代、片足の麻痺を生き抜いた人 ―岩手県 中沢浜貝塚出土の人骨から考える

岩手県陸前高田市の広田半島に位置する中沢浜貝塚、
そこは縄文時代からの遺構が見つかっている場所です。
海抜5〜20mの場所の地点にある貝塚ですが、
かつて縄文時代には縄文海進と言って今よりも気温が高く
水面も高かったことから、遺跡前面まで海が湾入し、
白砂の砂浜があったのだそうです。
海の大きな恵みを得ながら暮らした人々の生活。
その貝塚から見つかった人骨KG-40は
生前ポリオに罹患したことが推察されています。
左右非対称で見つかったその骨。
そこには片足麻痺となりながらも、
懸命に自分の人生を生きた証が現われています。




詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと
「縄文時代、片足麻痺でも自分の人生を歩む 2. 岩手県」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-103.html

2017年12月02日

縄文時代、四肢麻痺を生き抜いた人 ―北海道 入江貝塚出土の人骨から考える

北海道虻田郡洞爺湖町の入江貝塚から出土した
10代後半の少女と思われるその人骨は
とても華奢な両手両足でした。
幼い頃に四肢麻痺になり、
そのため骨に廃用性萎縮が生じたと考えられているそうです。
いくつもの疾患の可能性から考えられたのはポリオ。

麻痺となった後の年月の長さを物語る入江9号の華奢な手足の骨は
もちろん彼女自身が懸命に生きた証でもあるけれど、
周りの人から受けた愛情の年月を表わしていると思います。

そして出土した彼女の他の骨や歯を見ると
彼女の笑顔と周囲の人の深い愛情と
あたたかい空気感がしみじみ伝わってくるようでした。


4000年前の慈愛を骨を通して知ることができます。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと
「縄文時代、四肢麻痺を生き抜いた人 1. 北海道」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-102.html

2016年09月15日

立ちはだかる障壁と洋洋たる可能性 たとえ小児麻痺にかかったとしても ―物理学者 小柴昌俊先生―

超新星1987Aの爆発により地球にやってきたニュートリノを、
世界で初めて観測し、新しい学問の境地を開拓され、
2002年にノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生。
小柴先生は中学生の頃
ポリオ(小児麻痺)とジフテリアにかかって
何度も悔しい思いや挫折を繰り返しながら
随分ご苦労されて、人生を歩んでこられたことを知りました。

人生、何が正解かなんて誰にも分からないし、
正解自体も存在しないのだろうと思うけれど、
自分が納得して、自分が踏み出した一歩ならば、
きっとそれが正解になっていくのだろうと思います。

そして立ちはだかる障壁の向こうには、
洋洋たる可能性が開けてくるのだろうと思います。

自分自身を突き動かす心のエネルギーによって、
人は人生をいかようにも変えていける…
小柴先生の人生からは、素直にそう感じられます。

病気で自分の人生を見失いそうになっている
思春期のこどもたちに
ぜひ、ご紹介したいと思います。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと 
「立ちはだかる障壁と洋洋たる可能性」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-093.html

2016年06月02日

「7年越しの贈り物」―佐々木志穂美『さん さん さん〜幸せは、いろんなかたちでそこにある〜』より考える

「きっと良くなる」そう思っていたのに、
もう長い間、ずっとベッドに横たわる我が子の横にいて、
どうやったら気持ちを立て直すことができるだろうかと、
悩んでいる親御さん、いらっしゃるかもしれません。
何かしなくては…と、いてもたってもいられないような気持ちになることもあれば、
時には無気力で、何をする気にもなれない時もあるかもしれません。
そうした心の波がいくつも繰り返して押し寄せるうちに、
心のセンサーをわざと鈍くしている方もいらっしゃるかもしれません。

でも親が悩んでいる間にも、こどもの心は育っているのだと感じられるお話が、
佐々木志穂美さんの著書(※)の中にありました。

  ※佐々木志穂美(2006)
  『さん さん さん〜幸せは、いろんなかたちでそこにある〜』新風舎


日々のお世話、それはお子さんが心地良く過ごす上で役立っているけれど、
身体のみならず心を育てることにつながっていく…
それがしみじみ感じられるエピソードです。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
家族の気持ちが行き詰まった時 
「7年越しの贈り物」
http://www.lana-peace.com/1/1-2-064.html

2016年03月18日

あえて雪道を歩こうとした少女 ――菊池桃子『午後には陽のあたる場所』より考える――

こどもは大人が考える以上に、成長の伸びしろを持ち、
そして大人が考える以上に強い存在なのかもしれません。
そして幼い頃から病気であることがハンディになるのではなく、
むしろ成長する能力や可能性を、
もっともっと引き出しているのかもしれません。
ある本(※)の中から中学1年生の少女の言葉を知って、
そういう思いが強くなりました。
  ※菊池桃子(2015)『午後には陽のあたる場所』扶桑社

13年前、脳梗塞と診断されたその少女。
でも、その少女の魂は熟達した魂、
まさにオールドソウルだなあって思いました。

魂に肉体年齢は関係ないですね。


今日はその言葉をご紹介したいと思います。
詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと 
「あえて雪道を歩こうとした少女」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-087.html

2014年11月09日

半分から切り開く人生(左半球のない赤ちゃんの成長)

授かった新しい命。
その大切な赤ちゃんの脳に、
形成不全が起きていたと知ったら…
29年後、その赤ちゃんは素敵な女性になって、
日々の暮らしを楽しんでいるとしたら…。

私たち人間の命というものは、
想像を遥かに超える壮大な底力を持っているのだと
感じられるようなお話が、
精神科医ノーマン・ドイジ先生の著書※の中にありました。

※ノーマン・ドイジ著, 竹迫仁子訳 (2008)
『脳は奇跡を起こす』講談社インターナショナル

詳しくはこちらに取り上げました。
Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと 
「半分から切り開く人生」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-065.html

2014年10月25日

妊娠12週、生後7カ月の時に脳卒中となったお子さんが少年野球で活躍したら…

妊娠12週の時に、お母さんのおなかの中でお子さんが脳卒中となり、
生まれて7カ月の時にまたお子さんが脳卒中となり
「これからはいはいもできないし、歩けないし、お話しもできない」
そう医師から告げられたご家族。
でも数年後、お話もできるし、少年野球で活躍できるようになったとしたら…

本人や家族の意思の力と、続ける努力と、適切な働きかけによって、
思わぬ変化が起きることがあります。
お子さんに対する愛が根底にあることは言うまでもありませんが…
人間には遥かに大きな力強い能力があることを、忘れてはいけないですね。

アメリカの行動神経科学者であるエドワード・タウブ(Edward Taub)先生の
クリニックに通っていたお子さんが教えてくれます。

詳しくはこちらに書きました。
家族の気持ちが行き詰まった時 
「グローブに縫い付けたマジックテープ」
http://www.lana-peace.com/1/1-2-034.html

2014年10月23日

思い立ったら、その日が吉日

麻痺で不自由な期間が長いと、もう何をやっても駄目だと、
諦めが先に立つことがあります。
でも、アメリカの精神科医ノーマン・ドイジ先生の本の中に、
どきどきする、嬉しいお話がありました。
※ノーマン・ドイジ著, 竹迫仁子訳 (2008)『脳は奇跡を起こす』
 講談社インターナショナル

小学校1年生の時に起こった麻痺、
その後リハビリで杖を使って歩けるようになったものの
大人になってから1年間に150回も転んでいた方が
49歳の時に腰の骨を折ったことによって
リハビリを開始。
すると、なんと転倒回数が激減したのです。
1年間150回の転倒が、3年間で7回に!

人はいつでも変わることができますね。
たとえ小さい時に麻痺が起こったとしても。

詳しくはこちらに書きました。

病気と一緒に生きていくこと 
「思い立ったら、その日が吉日」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-064.html

2014年10月03日

未来を信じて力に変える〜脳の可塑性を最大限に!〜

脳卒中から回復されたペドロ・バキリタ先生のお話をご紹介しながら
脳の可塑性について考えてきました。
「ポジティブな努力が生んだ新たな能力」
「続けることの意味と価値」
今日はご本人の心の力に注目したいと思います。
心の力は、どんな困難にもめげないタフさを導きだしてくれる…
そう信じることのできる、バキリタ先生のお話です。

詳しくはこちらに書いています。

病気と一緒に生きていくこと 
「未来を信じて力に変える」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-063.html

2014年09月30日

リハビリに取り組むお子さんへ「続けることの意味と価値」

「ポジティブな努力が生んだ新たな能力」では、脳の可塑性を証明することとなった
ペドロ・バキリタ先生のお話をご紹介いたしましたが
今日は取り組まれたリハビリとご家族の関わりについて
考えたいと思います。

詳しくはこちらに書いています。

病気と一緒に生きていくこと 
「続けることの意味と価値」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-062.html

2014年09月29日

脳の可塑性を考える〜ポジティブな努力が生んだ新たな能力

生後、何らかの理由で脳に酸素が十分行きとどかないために、
脳の神経細胞にダメージが起こり、麻痺が生じるお子さんがいらっしゃいます。
一生懸命リハビリに取り組んでも、遅々として進まない回復に、
絶望的な気持ちで過ごしていらっしゃるかもしれません。
でもどうか諦めないでください。
人間の脳は、私たちの常識的な理解を覆してしまうような事柄を
起こす力ももっているようです。
先日読んだノーマン・ドイジ先生の本『脳は奇跡を起こす』(※)
そうしたお話が登場していました。
※ノーマン・ドイジ著, 竹迫仁子訳 (2008)『脳は奇跡を起こす』講談社インターナショナル

ある高齢者の方の例ですが、お子さんはもっと大きな可能性を持っていると思います。
脳の可塑性についてわくわくするようなお話です。
もっと詳細が知りたくて、調べてみたところ、
リハビリに関わった息子さんの電話インタビューの模様が
英文で克明に載っていたので、そちらも合わせて読んでみました。

詳しくはこちらに書いています。

病気と一緒に生きていくこと 
ポジティブな努力が生んだ新たな能力
http://www.lana-peace.com/1/1-1-061.html

2014年08月07日

こどもの麻痺へのアプローチ(気を巡らす)

お子さんの麻痺のことで「何かこどもにいい治療はないだろうか」と
探していらっしゃるご家族にとって、朗報と思える選択肢を知りました。
頭皮に鍼を使って治療する方法です。

1歳2カ月のお子さんが長い痙攣をおこし、その後硬直が起こり、脳波にも異常が出て
どんどん悪化が進行して、某病院の医師から「命の保証はない」とまで告げられる
ほど深刻な状態だったお子さんが救命され、懸命の治療が続けられ、
4カ月後、リハビリ病院に転院となったある日、ご家族はある医師の紹介で
頭皮針の治療を知ることとなりました。
早速お子さんにその治療を受けさせたところ
翌日寝返りができるようになり、足の力が増したのだそうです。
その1週間後には腹這いをするようになったとのこと。
そして治療は続けられ、保育園の年中さんのときに
つかまり立ちで歩けるようになったのだそうです。

1つ1つの細胞にエネルギー(気)が満ち溢れ、それがそれぞれの役割を果たしながら
互いに協調し合って身体の仕組みができあがっていることを考えれば、
エネルギー(気)の滞りを失くして協調できる状態にすることは
良い結果を導くことができるのですね。
救われたお子さんがいたことを知って、私はとっても嬉しかったです!

永野先生の本に、そのお子さんの話が書かれていますので、
詳細をお知りになりたい方は、本を手に取られると良いと思います。
永野剛造(2014)『命をひらく頭皮針: 未来型治療で難病克服!!』三和書籍

なお、永野先生にうかがったところ、始めるのは早ければ早い方がいいけれど、
お子さんは大泉門が閉じていることが必要な条件となるそうです。

寝たきりの方が施術によって劇的に、今日から歩ける魔法ではありません。
すこしずつ変化を積み重ねる必要があります。
でもそれが、お子さんのより良く生きていける力を引き出すきっかけになるといいですね。

2014年08月05日

ジル・ボルト・テイラー先生『奇跡の脳』

37歳の時に左脳の脳出血に倒れられたアメリカの神経解剖学者
ジル・ボルト・テイラー先生は、
身体を動かす能力を司る運動野、
皮膚と筋肉で世界を感じる能力を司る感覚野、
文章を作る能力を司るブローカ野、
言葉の意味を理解する能力を司るウェルニッケ野、
そして身体の境界や空間時間を認識する方向定位連合野にわたって
ダメージを受けてしまいました。
しかしテイラー先生はその後、リハビリに励まれ、
目覚ましい回復を遂げ、新たな人生を歩み始められました。

それは『My Stroke of Insight』として本にまとめられ、
現在和訳版『奇跡の脳』として手に取ることができます。
ジル・ボルト・テイラー著, 竹内薫訳(2009)『奇跡の脳』新潮社
人間の持つ底力の偉大さがとても伝わってくる良書です。

テイラー先生は発症前から神経解剖学者として
脳の働きについて深く研究されていたことから
ご自身に起こった病的変化を非常に冷静に、科学的に記されていますが
その一方で、非常に心充たされ、宇宙につながる感覚を得たことも記されています。
そこの部分だけ取り上げられると、どこか胡散臭い何か怪しげな精神世界の
話のように誤解されてしまうかもしれません。
しかしながら、神経解剖学者であるテイラー先生は、それを科学的に追及されていきます。
人間はそもそも振動する原子の集合体であるといったところまで、
話を進めて考えられ、どうしてそうした不思議な感覚が導かれたのか考察されています。

闘病記はたくさん世に出ていますが、一味違ったその記録の中には、
ぜひ病気のお子さんと共に過ごすご家族に、分かち合いたい情報がたくさんありました。

あまりにもたくさんなので、回数を分けてお伝えしようと思います。
まずは初回はこちらです。

病気と一緒に生きていくこと 
「消えてしまったなら、作り出す」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-056.html
http://www.lana-peace.com/index.html

テイラー先生はどうしてミネストローネではなくて、
グリルド・チーズ・サンドイッチではなくて
ツナサラダを選んだのか……。
学ぶということは、いろいろなところにチャンスがあるのですね。

2014年03月31日

ルノワール「力を生み出すこと」

印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワール氏は、
リウマチを患いながらも、絵をひたすら描き続けるための努力を続けてきました。
詳しくは既にこちらに書いています。
http://www.lana-peace.com/1/1-1-047.html
http://www.lana-peace.com/1/1-1-048.html
http://www.lana-peace.com/1/1-1-049.html
手の歪みはやがて、指先の細かい動きを妨げるようになっていきました。
それでも、ルノワールは諦めず、小さな薪を使って、リハビリしました。
階下に住む門番に、薪を落とすたびに生じる騒音を詫び、頭を下げながらも。

ルノワールが亡くなる前の年、1918年頃に完成したと伝わる
「Woman tying her shoe(靴の紐を結ぶ女)」
(油彩, カンヴァス, 50.5×56.5cm, 英国 コートールド美術館所蔵)は、
若い女性が椅子に腰かけて、身支度をしている途中、
右足の靴の紐をきゅっと結んでいる様子が描かれたものです。
自分の姿とは正反対の若い女性の様子を描きながら、
ルノワールは、自由闊達な大きなエネルギーを感じとっていたのかもしれません。

何か一生懸命になることがあって、そこから自分がパワーを得るということは、
病いを患う人にとって、大切だと思います。
薬や手術や何かの治療法によって得るのではなく、自分自身の力で生み出したり、
手に入れるパワーは、何より大きな効果を導くはずですから…。

詳しくはこちらに書きました。

病気のお子さんとご家族のために
「ルノワール 4 力を生み出すこと」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-050.html

2014年03月27日

ルノワール「何のためのリハビリか」

「ルノワール 1 不器用なほど効き目がある」と
「ルノワール 2 プレッシャーが力に変わる時」で書きましたが、
印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワール氏は
1897年から1898年にかけて、右腕が不自由になっていきました。
やがて病気による変化は手だけでなく、眼にも及んでいきました。
細かい指の力の調整もうまくできなくなっていきました。
それでも、絵を描き続けるために彼は工夫を続けていきました。
そうした不屈の生きる姿は、同じような境遇の病気のお子さんに、
何か元気を与えてくれるような気がいたします。
詳しくはこちらに書きました。

病気のお子さんとご家族のために
ルノワール 3 何のためのリハビリか
http://www.lana-peace.com/1/1-1-049.html

2014年03月07日

自力で窓辺に移動した麻痺の青年

両親が青年をロッキングチェアに革紐で固定したのは
両親が外出中、留守番をする息子がずり落ちないように…
そう考えた上でのことでした。
その青年は小児麻痺のために体が不自由だったのです。

でも青年は窓から外を見たかった。
窓からはるか遠くに座っていたのだけれど。

そして、本当に、窓にたどり着いたのです。
午後いっぱいかかって。

20世紀の催眠療法家として知られる
アメリカの精神科医 ミルトン・エリクソン先生の実話です。

常識的な考え方の道筋が出来上がってしまった大人に比べて、
子どもの方が遥かに豊かな才能を秘めているのだろうと思います。

「できないかもしれないけど、でも何か方法を考えれば、
 どうにかできるかもしれない…」
そんな風に考えていくと、お子さんにとっても、
ご両親にとっても、楽しさや心の昂揚が得られるようになるでしょう。

そして、それは何もかも病気を理由にして、
諦めていたお子さんにとって、大きな一歩です。
自分自身のことを信頼するきっかけになりますから。


詳しくはこちらに書きました。

病気のお子さんとご家族のために
自力で窓辺に移動した麻痺の青年
http://www.lana-peace.com/1/1-2-027.html