2023年10月08日

死が近いことを意識した幼児が伝えたかったこと 111字の中に秘められた思いー鳥取西館新田藩 第五代藩主池田定常(松平冠山)公の十六女・露姫が母へ遺したメッセージ

虫の知らせ、とか胸騒ぎ等といった表現がありますが、
こどもの心の中にも何か感じ取るものがあるのかもしれません。

これまで鳥取西館新田藩 第五代藩主池田定常(松平冠山)公の
十六女・露姫について取り上げてきましたが今日は第7回目です。

露姫は生前、元気な頃に母たへにひらがなを羅列した紙を
渡したことがありました。
その数111字。
当初、こどもの遊び書きだと思い
たへは特に気にも留めずしまっていました。
しかし露姫の死後、気になり再び手にした所、
実はそこに五七調の美しくも悲しい和歌が
31字によって詠み込まれていたことがわかったのです。

まてしはし 
なきよのなかの 
いとまこい
むとせのゆめの
なこりおしさに

もう命は長くはないと知った時
露姫はその気持ちを母に伝えようと取った行動は
謎解きのような形で111字の中に思いを埋め込むことでした。

最期の時間を制約ばかりの重苦しい生活にするのではなく
できるだけのびのびと過ごしたかったからでしょう。

たとえ幼児であっても、自分の最期は
自分らしく自分の望むように過ごしたい
そうした意思が感じられます。
露姫は心の平安を自分で作り出したとも言えます。
また、母に心配させる時間を長く与えたくなかった、
そのような露姫の配慮も垣間見えます。



詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜
「111字の中に秘められた思い」
https://www.lana-peace.com/2/2-3-078.html
https://www.lana-peace.com/2/index.html

2019年05月04日

極上の微笑の時間を過ごせた少女 ―キリストの姿により安らぎを得て旅立った12歳の少女

Deathbed phenomena(DBP:臨終時現象) についてまとめられた
デイヴィッド ケスラー(David Kessler)氏の本
『死は永遠の別れなのか: 旅立つ人の最期の証言から』の中に
12歳の少女の話がありました。
生まれつきいくつもの病気があり
数えきれないほどの手術をしてきた12歳。
半身不随で、コミュニケーションは手話を利用していたけれど
12歳で旅立つ前の1週間、
少女は至福の時間を過ごすことが出来たのでした。
それはいったいどういうことなのか……?


人は皆、救いを得て旅立てるのだと私は思います。
信仰のある人はその神様、仏様の姿を得て。
そうでない人も先立った深いご縁のある人の導きによって。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
悲しみで心の中がふさがった時
「極上の微笑の時間を過ごせた少女」
http://www.lana-peace.com/2/2-1-065.html

2016年02月23日

安らぎと愛に包まれて眠っていた息子 〜天からの贈り物〜

昏睡状態となったお子さんのそばにずっといること、
それはご家族にとって、どれほど苦しいことでしょう。
「いつかきっと、目を覚ます」と希望を持ち続ける一方で、
「このままお別れかも…」と思う気持ちが、交錯し
胸が掻き乱されるような時間だと思います。

そしてそのまま、お子さんが目を覚ますことなく逝ってしまったら…
でも眠っているように見えていたお子さんは
実は深いところで癒されていたのです。

アメリカの脳神経外科医エベン・アレグザンダー先生の本(※)の中に
そうしたお母様のお話が登場していました。
 ※エベン・アレグザンダー, トレミー・トンプキンズ著, 白川貴子訳(2015)
  『マップ・オブ・ヘヴン―あなたのなかに眠る「天国」の記憶』早川書房

お母様の得られた不思議な経験は、
きっと旅立つ前に、言葉を交わすことのできなかった
お子さんからお母様への贈り物だったと思います。


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
悲しみで心の中がふさがった時 
「安らぎと愛に包まれて眠っていた息子」
http://www.lana-peace.com/2/2-1-052.html

2015年05月10日

帰り着く家、そこにある慈愛

詩人 土井晩翠氏の長女照子さんは病気のため、27歳で逝去されましたが、
亡くなる前、お父様に頼んで、19世紀に活躍したイギリスの詩人
アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson)の詩「Crossing the Bar」を
音読してもらったことをこちらでご紹介いたしました。
詩を聴く照子さんのその表情は、晴れやかに輝き、
とても死が間近に迫っている人とは思えなかったそうです。

その詩を実際に読んでみると、
死に瀕した人の枕元で、「安心して光の方へ進むように」と
説き続けるチベットの『死者の書』に通じるものがあるように思えます。

また、以前紹介したポール・ギャリコの『雪のひとひら』の
最後のあたりと重なり合ってくるようにも思いました。

行くべき、戻るべき場所があり、そこに自分の居場所があって、
何者かが(人によっては神、仏、あるいは懐かしい縁のある人々だと思いますが)
そこで自分を待ち受け、ねぎらい迎えてくれるのだという感覚は、
洋の東西を問わず、人の心の波立ちを穏やかにしてくれるのだと思います。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜 
「帰り着く家、そこにある慈愛」
http://www.lana-peace.com/2/2-3-051.html

2015年03月04日

ふっと火が消され、ふわっと平安へ導かれる 〜 山の事故でお子さんを亡くされたご両親へ

山が大好きな人は、「山で死ねたら本望だ」と言います。
でも、どんなに山が好きだったとしても、お子さんが突然、山で滑落し、
そのまま帰らぬ人となってしまったとしたら、
遺されたご家族はどれほど心が締め付けられることでしょう。
今日は、そうした気持ちを抱えて苦しんできた方へ、
お伝えしたい話をご紹介したいと思います。
チューリッヒ大学で地質学の教鞭をとられ、
また登山家としての一面もお持ちだったアルベルト・ハイム先生は
1892年、スイス・アルペンクラブ年鑑に
「転落死に関する覚え書き」(※)を寄稿されました。
その内容を読むと、滑落死されたお子さんは、
ふっと火を消されたように、絶対の平安の中へ溶け込んでいったことを、
今ご家族に伝えたいのだろうと思うのです。

※下記の本に転載されています。
 ラインホルト・メスナー著, 尾崎ル治訳(1983)『死の地帯』山と渓谷社



詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
悲しみで心の中がふさがった時 
「ふっと火が消され、ふわっと平安へ導かれる」
http://www.lana-peace.com/2/2-1-046.html

2014年10月12日

死後も続くきょうだい愛(姉を迎えに来た妹)

元気だったお子さんが急に具合が悪くなり、
短期間のうちに二人のお子さんが次々に亡くなってしまった時、
ご両親は悲しみ、恐怖、信じられない気持ちでいっぱいと思います。
そして、十分な期間、看病することのできなかったことが
多くの心残りを生み出し、先立ったお子さんの行く末を案じていることでしょう。

今日ご紹介したいのは今から100年ほど前のお話、
アイルランドのウィリアム・バレット先生の報告によるものです。
天然痘で逝ったイギリスの二人の姉妹の最期のお話を知ると
きょうだい愛は存命中も、死後の生においても
変わることのないものなのだなあと実感することができます。
また、死後も変わらぬ互いへの愛情が続くことを知り、
安らかな笑みを浮かべて逝った娘の顔を見たことにより
遺されたお母様は大きく慰められることとなりました。


詳しくはこちらに書きました。

魂・霊と死後の生〜様々な思想〜 
いつまでも続くきょうだい愛
http://www.lana-peace.com/2/2-3-045.html

2014年09月27日

「死後も娘を守ろうとする父」

お子さんが亡くなる時、先に亡くなっているお子さんの友達が
迎えに来てくれる例
を紹介いたしましたが
亡くなった家族も来てくれます。
それをしっかり実感できるお話が、アイルランドでありました。
ウィリアム・バレット先生の報告によるものです。
レイモンド・ムーディー先生の著書(※)の中に登場します。
  ※レイモンド・ムーディ著, ポール・ペリー著, 堀天作訳(2012)
   『臨死共有体験 永遠の別世界をかいま見る』ヒカルランド

ダブリン王立科学大学の物理学教授ウィリアム・バレット先生は、
19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍された、物理学者ですが
1924年、奥様で産科医のフローレンス・バレット先生から、
ある不思議なお話をを聞いたことにより、
人の最期について研究するようになっていきました。
ウィリアム先生の調べた事例の中で
17歳のお嬢さんを病気で亡くされた女性の文章が、残されています。
5年にわたる闘病生活は、後半の8カ月間、寝たきりとなりましたが
娘の最期の時期に、既に他界していた父親が
現れてきてくれました。
それは自分の死後も「すべてが無に帰するわけではない」と
娘に安心感を与えてくれたことでしょう。

キリスト教の結婚式では「死が二人を分かつまで…」といった文言によって、
お互いの愛情が確認される場面があります。
でも死が人々を別れ別れにさせるわけではありません。
大切な人とのつながりは、この世とあちらの世界といった違いを超越して、
続いていくのだろうと思います。

詳しくはこちらに書きました。
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜 
「死後も娘を守ろうとする父」
http://www.lana-peace.com/2/2-3-044.html

2014年09月18日

死の間際のこどもの心を救う神様の贈り物

あなたのお子さんが入院中、
仲の良かった同室のお友達が亡くなってしまった時、
お子さんはがっくりと気落ちしていたかもしれません。
せっかく仲良くなって、お互いの支えや励みになっていたというのに…
でもその友情は、ずっと続いています。
あなたのお子さんが亡くなった時、先に亡くなっていたお友達は、
あなたのお子さんが安心できるようにと遊びに来てくれることもあるようです。

アメリカの小児科医メルヴィン・モース先生の本
『死にゆく者たちからのメッセージ』(※)の中には、
そうしたことがわかる事例として、
カナダのブリティッシュコロンビア州パンクーバーにある
エナービー・バンクーバー総合病院の小児科准教授(当時)である
デビッド・スミス先生の報告と
アメリカ心霊研究会(American Society of Psychical Research〉の
創設者のお一人であり、またコロンビア大学で倫理学と論理学の教授
として教鞭をとられていたアーネスト・ハイスロップ先生の報告されている
1889年6月に起こったお話が登場します。

※メルヴィン・モース/ポール・ペリー著, 池田真紀子訳(1995)
『死にゆく者たちからのメッセージ』同朋舎出版

亡くなった友人との再会(ビジョン)は懐かしさをもたらしただけでなく、
死をむやみに怖れない心境をもたらしてることに気付くことができます。
死はただ居場所が変わるだけであり、すべてが消滅するわけではなく、
こうして必要な時にこの世の親しい人の元に現れることができるのだと…。
仲良しの友達との再会を通して少女たちが得た理解。
それは、死が近づいた少女たちを恐怖から守るよう
神様のもたらしてくれた贈り物かもしれませんね。

詳しくはこちらに書きました。

魂・霊と死後の生〜様々な思想〜 
「神様からの贈り物〜友との再会〜」
http://www.lana-peace.com/2/2-3-043.html