2016年09月09日

脳死となったお子さんの魂

アメリカの遺族カウンセラー ジョージ・アンダーソンさんは、
死とはすべての終わりを意味するものではなく、
魂が肉体から離れた後、別の次元へ移ることだと話しています

こうした考えを耳にすると、いくつか自分の中で、
改めて考え始めることがあるかもしれません。
そのうちの1つが「脳死」だと思います。

お子さんが脳死と告げられたら…

でも魂の自由さを知ると
苦悩の渦から、少し光が見えるかもしれません。

そうしたエピソードがこちら(※)の中にありました。
 ※糸川 洋(2012)『トゥルー・ミディアム』Kindle版,



詳しくはこちらに書きました。




Lana-Peaceエッセイ
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜 
「脳死となったお子さんの魂」
http://www.lana-peace.com/2/2-3-062.html

2015年01月15日

天国で思う存分、かけっこしてね

2013/1/13、特発性拡張型心筋症だった6歳未満の女の子が
脳死判定され、1/14に臓器摘出手術が行われたそうです。
これまで元気に育ってきたお嬢さん。
初めての幼稚園の運動会を楽しみにしていた前日に
体調を崩されて病院に行かれてから病気がわかり
補助人工心臓をつけ、移植の機会を待っていたとのこと。
闘病期間の3カ月間、何度も開胸手術を受けられていたようです。
ご家族は本当に苦しかったことでしょう。
でもきっと、大変なことがあっても
ご家族の看病があったからこそ、
女の子は乗り越えてこられたのでしょう。
女の子は本当によく頑張ったのだと思います。

女の子は今、ご縁のある方々が天からたくさん迎えに来て、
あたたかく守られて、天に向かったと思います。
そして今は補助人工心臓をはじめとする
様々な医療機器を必要とせず、
身軽になって、運動会のために練習していた
みんなでおどるダンスをしたり
お空を思う存分かけっこしたり、
心晴れやかに過ごしていると思います。
そして時々、ご家族のもとに遊びに来て
「元気をだしてね。私はもう大丈夫だよ」と
お話していると思います。
ご家族の目に見えていなくても。
耳に聞こえていなくても。

臓器提供によって女の子の命は
肺は8歳の女の子に
肝臓は50代の女性に
腎臓は40代の女性と30代の男性に
それぞれつながっていったそうです。

精一杯生きたその女の子。
生きた証はご家族の心の中でずっと生きるだけでなく
日本各地の4つの場所で、移植された方の
それぞれの人生の中で生きていく。
「燈燈代代(とうとうだいだい)」(※)
以前こちらでも紹介しましたが
骨肉腫で亡くなった医師 井村和清先生が
ご家族に遺されたメッセージに含まれていた言葉を
また思い出しました。
※『飛鳥へ, そしてまだ見ぬ子へ』より

女の子のおかげで、その4名の方が救われ、
それぞれのご家族も安心したことでしょう。

4名の方々は、つながった命を大事に生きてほしい。
楽しいことや嬉しいことがあった時は
心の中でその女の子に語りかけてほしい。
大変なことや苦しいことがあった時は
女の子の臓器提供を申し出たご家族の気持ちを
思い起こしてほしい。
それはきっと自分を励まし、
鼓舞する力へと変わってくれます。

そしてこれから何十年も生きて
ご自分の天寿を全うされた時は、
きっとその女の子が迎えに来てくれるはず。
その時、ちゃんとお伝えしてほしいです。
移植後、女の子のおかげで
どんな人生を生きることができたのか。

2014年09月14日

現在形の「意思・意志」として生きる〜こどもが脳死ドナーになるということ〜

昨日、都内で開催された第6回小児肝臓・肝移植セミナーに参加してきました。
「小児脳死肝移植の推進に向けて」と題されたこのセミナーでは、
実際に様々な立場で、こどもの脳死、脳死移植に関わっていらっしゃる5名の方々が、
演者として発表されました。
どのお話も、心の中にいろいろな投げかけをしてくる、深いお話ばかりでした。
脳死ドナーとなったお子さんとそのご家族に直接、あるいは間接的に関わってきた方々の
お話の中から、お子さんとご家族の真摯な気持ちが、しみじみと伝わってきました。

脳死移植医療とは「人の死の上に成り立つ生」を意味します。
しかしながら、昨日の話を聴講していた時、
「人の死の上に成り立つ生」ではなくて、
「人の生の上に成り立つ生」を意味するのではないかと思いました。
移植医療では臓器を提供する方をドナーと呼び、
提供された臓器を移植される方をレシピエントと呼びますが、
「レシピエントの生の上に成り立つドナーの生」だと思ったのです。
なぜなら脳死となったお子さんは、肉体的に死を迎えた後も、
お子さんの気持ちや夢が、亡くなった後、過去形の「遺志」にされてしまうのではなく、
現在進行形の「意思・意志」として生き続けていくことが
脳死移植医療によって実現されていくのではないかと思うからです。

今から25年ほど前のこと、まだ看護学生だった頃
井村和清先生の『飛鳥へ, そしてまだ見ぬ子へ』(※)を読みました。
※井村和清(1980)『飛鳥へ, そしてまだ見ぬ子へ』祥伝社

井村先生がご家族に遺されたメッセージに含まれていた
「燈燈代代(とうとうだいだい)」という言葉
脳死臓器提供されたお子さんとご家族の気持ちを表す言葉として、
ぴったりだと思います。

人はいろんな形で、生きることができます。

詳しくはこちらに書きました。
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜 
「現在形の「意思・意志」として生きる」
http://www.lana-peace.com/2/2-3-041.html

2014年01月10日

魂の雨宿り

女優の長岡輝子さんは有名なNHK連続テレビ小説「おしん」に登場された方で、
おしんの二度目の奉公先の祖母(八代くに)の役をなさった方です。

その長岡輝子さんは20代の時、最初のご主人を病気で亡くされました。
看取られた時にどのようなお気持ちであったのか、
草思社から出版されている『ふたりの夫からの贈りもの』に書かれています。
そこに表現されたお気持ちは「おしん」で長岡さんが喋られたような
東北の方言の自然なあたたかい響きを伴っているような感じがするものでした。
そして、それを読んでいるうちにお子さんが脳死と判定されて、
臓器提供を決断されたご両親のお気持ちに通じる部分があるのではないかと思いました。

詳細はこちらに書きました。
魂の雨宿り
http://www.lana-peace.com/2/2-3-011.html