2017年01月03日

時を超えて生きる力を宿す大ケヤキ ― 東京 練馬白山神社 ―

昨日、練馬白山神社に行ってみました。
こちらの神社の創建は平安時代に遡るそうですが、
近年はパワースポットとしても知られているようです。
樹齢7-800年ということですが
何百年もの時を経て、落雷や腐食で衰弱しながらも
生きる底力が引き出されて、空に向かって枝をいっぱい伸ばすケヤキは
とっても健気でした。
国指定天然記念物ですが
そういう指定云々といった枠を超えて
すごいことですね。

そして、美しい鳥の彫刻が四つ、
本殿外壁を飾っていました。

練馬白山神社、
小さいけれども、とっても清々しい場所だったので
今日はご紹介です。
今度は葉の茂る新緑の時期に
もう一度行かなくっちゃあ!



詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
充電できる癒しの場所
「時を超えて生きる力を宿す大ケヤキ
― 東京 練馬白山神社 ―」
http://www.lana-peace.com/3/3-2-038.html

2016年08月20日

整備された段葛(鎌倉)

昨年工事中で「残念だなー」って思っていた
鎌倉 鶴岡八幡宮の参道である段葛(だんかずら)。
こちら鎌倉市HPによると
「源頼朝公が妻政子の懐妊を機に安産祈願の願いを込め、
鶴岡若宮から由比ガ浜までの参道として作ったもの」だそうですが
今年はきれいに整備されていました。

大石段から見ると遠くにこんな風に見えますが

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実際、日中はこんな感じで

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夜はライトアップされて、とてもきれいです。

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2016年08月14日

水の美しい白川郷

初夏に訪れた白川郷ですが
合掌造りの景観も美しかったけれど

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水もとっても美しかったです。

和田家近くの水路はこんなに透明度が高く

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せせらぎ公園駐車場と白川郷集落を結ぶであい橋

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こちらの下を流れる庄川は

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ところどころがミニチュア渓谷のようです。

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水ってすべての基本ですね。
水の流れを眺めるだけでもいろんな表情があって
雑念を流してくれそうです。

2016年04月14日

新宿御苑の明治時代温室遺構 旧石器時代、縄文時代の新宿は…? 

平成22(2010)年、新宿御苑大温室の工事を行う際、
埋蔵文化財発掘調査が行われ、
明治時代の温室遺構が発掘されたそうです。
温室入口の左側に遺構が保存されているので、
スロープを進むと上からのぞくことが出来ます。

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明治20年代に築かれた温室一番東側の基礎部分は
基礎石部分、土台の切石、煉瓦の順で積まれていたのだそうです。

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また、この発掘調査によって、江戸時代の長屋跡、陶磁器、元禄一分金、
内藤家の家紋瓦、ガラスのかんざしが出土し、さらに時代をさかのぼって、
縄文時代の落とし穴や土器、
旧石器時代の石器も見つかったのだそうです!!!
(それは屋外展示されていないけれど)

新宿御苑の土地の歴史、すごいなあ。
そんな昔から人が住んでいた場所。
その場に立つと、なんだかとても不思議な気分になります。

2016年01月28日

入園料大人300円なのにとっても充実 足立区生物園

先日、東京の足立区生物園に行ってきました。

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こちら入園料が大人は300円、小中学生は150円です。
でも、内容はとっても充実で、驚きです!
とってもたくさんのこどもたちが来ていました。

まず入口を入ると、大きな水槽が。
それも水はとってもきれいで爽やか。

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ここは株式会社ヨシダより2014年12月に寄贈された
1000尾以上の様々な金魚が泳いでいます。
なんと文政2(1819)より金魚を養殖販売されていたそうですよ。
説明板によると、金魚の養殖は江戸時代中期以降に確立され、
上野の不忍池中心に大規模な養殖が始まったそうです。
このころ庶民にも浸透して金魚すくいの文化が生まれたとのこと。

ここの水槽は天井まであるような大きな水槽です。
泳ぐ金魚はきっと楽しいだろうな〜〜。

時間によってはダイバー服に身を包んだ職員さんが
水槽の中に登場して、金魚のえさをあげる楽しいパフォーマンスもあります。

そして金魚の真向かいにはシマリスのコーナーが。
でもこちら、リスさんが楽しく過ごせるように、工夫がいっぱい。

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天井に向かって伸びている網の筒、何だろうかと思ったら、
なんとリスさんの空中散歩道が作られているのです。

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すばしっこいシマリス、
空中散歩を見つけるのはなかなかの至難の業です!
でもこういう工夫がされているのって、
なんだかすごくうれしいね。
これを作った人たちのシマリスへのあったかい気持ちが
垣間見えてくるようで。

そして温室の中には緑のジャングルです。
ちょうちょの世界へようこそ!

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小さな滝もあります。

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ちょうちょがあっちもこっちも、
ひらひら。ひらひら。ひらひら。

この写真、本物のちょうちょですよ。
ただいま、ちょうちょが仲良く一休み中。

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あたたかい温室の中では、人より多いちょうちょの世界。
中には、あんまり近くでちょうちょをたくさん見れるものだから
びっくりして怖がっているお子さんもいました。
なんだか異次元に迷い込んだみたいです。

チンチラのコーナーではこどもたちがリアルに体感できるように
下から潜って、透明な壁から見えるようにしてありました。
そういえば、アメリカのオレゴン動物園では
こういう展示方法を見たのだけど、
日本でもこういう展示やっているんだなあ。

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親御さんにとってはチンチラよりも
楽しそうにそこから
のぞいているお子さんの姿が
シャッターチャンスのようです!

外にはお庭や小川があって、それを囲むように鳥や動物がいます。

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そして虫さんコーナーもあります。

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春になったら、新しい命が
いっぱいお出ましになることでしょう。
今は、こんな感じですけど。

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そして虫さんコーナーの横には、
大きな木の枠があって、何人か大人がその中でごそごそ。
それは腐葉土を作っていらっしゃったのです。
この寒空の下、職員の方とボランティアの方が。
カブトムシの幼虫は腐葉土を食べるんですって。
そのための、手作り腐葉土です。
すごいですね〜

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こじんまりとした生物園だけど、すごく充実してます。
小さいお子さん連れの場合は
歩いてみて回るには
「ちょうどいい」広さかもしれませんね。

派手な大きな動物はいないけど、
なんだかとっても居心地いい感じです。
そして職員さんたちの生き物への
あったかい視線も伝わってくるし。

大人もこどもも、ぜひお勧めです。
たくさん写真を撮ってきたので、
こどもたちには、また「けいこかふぇ」でご紹介しようと思います。

2015年09月06日

「どこもく地蔵尊」(神奈川県鎌倉市 瑞泉寺)

今夏訪れた鎌倉の瑞泉寺の本堂の背後には、
夢窓国師が山肌を活かして作庭された
天女洞をはじめとする素晴らしい岩庭がありますが
そのお庭にたどり着く前に、
左側にお地蔵様の小さなお堂がありました。

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お堂の手前には向かって左に大黒天、右側に恵比寿天が
にこやかな笑顔で、お地蔵様を守るように置かれています。

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ちょうど恵比寿天の後ろ辺りに、
お地蔵様の縁起が書かれた説明板がありました。

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説明板の字が写真では見にくいと思うので、書き出してみますね。
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鎌倉地蔵尊七番札所 どこもく地蔵尊縁起
昔 地蔵尊 扇谷の辻に在せり 堂守困窮し逃亡を謀る
地蔵尊夢に立ちて曰く「どこも どこも」その意を問ふに
八幡宮寺正覚院の住持答ふ
「この世はいづこも苦 楽を求めて逃げむよりは辛抱忍苦を学ぶべし」 
かくて堂守は地蔵尊に一生仕へしと 
「どこも地蔵尊」「どこも苦地蔵尊」と呼ばるる由縁なり
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なるほど…。
今ある苦難から逃げたとしても、
所詮、いつかそれは別の形で巡ってくるはず。
そう思えば、今の苦難から逃げることなく
乗り越えるための工夫や努力を続けたら
きっと何かが開けてくる…。
何か月か、何年か先に、
そんな風に変われた自分がいれば、いいなあ。

御堂の奥にいらっしゃるお地蔵様からは
とってもやさしい雰囲気が伝わってきました。

2014年09月20日

大正7年の植林(箱根 駒ケ岳)

箱根の駒ケ岳ロープウェイ、
芦ノ湖側から山頂に向かうと、
途中、ゴルフ場の広々した芝生を過ぎた頃に、
整然とした木々の並びが見えてきます。
車内アナウンスによると、そこはどうやら国有林で
大正7(1918)に植林されたものだそうです。
今は高さ15-20メートルにも育っているとのこと。

100年近く前に植えられた苗木が大地に根付いて、
こうして立派な姿を見せているのだなぁと
空から感慨深く眺めました。
まるで日本美術の技法、吹抜屋台のようです。
同じように生えている森の中の木々も、
地面から見上げている時には気付かないけれど、
俯瞰図になると、植林した人の努力が見えてきますね、
はっきりと周りとの違いが分かるから。

植えた人の人生は、きっともう寿命を迎えているだろうけれど
植えた木は育ち、植えたという行為が100年後も伝わることは
その人の命までずっと生き続けているような気がいたします。

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2014年09月08日

大人も遠足気分:箱根フリーパスで巡る芦ノ湖スカイライン

自家用車がなかったり、レンタカーを借りていなくても
箱根の湖畔のドライブ気分を味わいたい方へ。
芦ノ湖の北端の桃源台から南端の箱根町まで
箱根登山バスの芦ノ湖スカイライン線が通っています。

路線バスにも関わらず、経路には箱根峠とやすらぎの森の2か所しか
バス停はないので、乗客の乗降で途中あわただしいということもなく
約40分間の快適な湖畔ドライブを楽しむことができます。

交通マップ・時刻表で見る時は「F」の経路です。
1日の本数が上り2本、下り2本と少ないので
観光客から敬遠されているのか、あまり知られていないのか、
当日座席は空いていました。穴場です。

車窓から見える風景はこんな感じです。
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元箱根から海賊船で湖面を桃源台まで北上して、
桃源台から路線バスで山の中を通って箱根町まで南下すると
芦ノ湖もいろんな角度の表情があり、
大きな湖だなあと実感できます。

もしスケジュールの都合がよければとってもお勧め。
小田急 箱根フリーパスを購入された方は、
芦ノ湖スカイライン線のバスの乗車はもちろん無料ですし、
海賊船の乗船も無料です!
フリーパスを持っていない方は、PASMOやSuicaも利用できるそう。
(芦ノ湖スカイライン線バス料金 箱根町〜桃源台 おとな840円 こども420円)
大人も遠足気分を満喫できます。
秋の紅葉の時期もきれいだろうなあ。

2014年08月23日

1日2回、山を登る給水車(箱根園水族館)

先日、箱根の「箱根園水族館」に行ってきました。
箱根園のある場所は神奈川県足柄下郡箱根町で
芦ノ湖湖畔の東側、駒ケ岳ロープウェイの出発する麓にあります。
ここは 海抜723m、海水の水族館としては日本一高いところにあるのだそうです。
海水の生き物、淡水の生き物がとてもたくさん展示されています。
さて入口を入ると、右手にすぐとても大きな水槽がお出迎え。
一頭の大きなハナゴンドウ(イルカ)と無数のお魚が仲良く泳いでいました。
楽しそうに、のびのびと。
そして、水槽がとてもきれいな水なのでびっくりしました。

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スタッフの方のお話によると、この大水槽は1,250トン 
毎日駿河湾から1日2回、給水車が来て、海水を運び、
水の入れ替えに使っているのだそうです。
全部を入れ替えるわけにはいかないから、
その一部を毎日少しずつ入れ替えているのだとか。
海水といってもそのまま海の水が届けられるわけではなくて、
静岡県沼津市の伊豆・三津(みと)シーパラダイスで濾過され、
きれいにしてもらっているのだそうです。
また大水槽の地下自体にも濾過装置があるのだそうです。

毎日箱根の山のてっぺんまで、お水を運び、それを丁寧に入れ替えること、
本当に大変な労力だなあと思いました。
そのご苦労のおかげで、こどもも大人も水の生き物のことをよく知るきっかけを
得られるのだけれど。

当日、小さなこどもたちが、たくさん。あっちも、こっちも。
こどもは大人よりも魚の名前をよく知ってるね。
クマノミの水槽に駆け寄って「あ、ニモだ!かわいいなぁ」
というお子さんがいたから、アニメの力って大きいですね。
そしてちゃんと、そばにいたママに「クマノミだよ」って説明していた。
水槽の前で、クマノミをじっと見続けていたこども。
どんなことを考えていたのかな。

知るということは、世界が広がる。
自分の知らない世界を知ることによって、
改めて自分が知らなかったことの大きさに気付き、謙虚になれる。
そしてもっと世界のことを知りたいと思うようになる。
きっとそうしたことを繰り返して、こどもの感性は育つのだろうなあ。

2014年08月11日

イルカから考えるいろいろ(新江ノ島水族館にて)

先日、新江ノ島水族館のイルカショーを見ました。
ショーにはイルカと共に「アクアン」が登場しました。
歌も水中でのパフォーマンスもとても美しい、海の妖精のようです。
アクアンはまったくご褒美のお魚を使わなくて、
イルカとコミュニケーションをとります。
どんな方法なのかなあ?
イルカは「ご褒美のお魚がもらえる」から芸をするのではなくて
「楽しい」と思うから、芸をしてくれるのだとか…。

そしてバンドウイルカのマリンちゃんの紹介がありました。
世界でここだけなのだそうです。水族館で四世のイルカは。
ということは、マリンちゃんは自然の海の世界をまったく知らないということ?

それはどうなのかなあ。
イルカにとって、それって幸せなのかなあ…と考えていたのですが…

ショーが始まって、そんな思いは吹き飛びました。
イルカたちがいきいきと、元気にジャンプしたり
もぐったり、芸をしたり、とても楽しそうなのです。

イルカの様子を見て、はっと思いました。
アクアンと共に芸をしているイルカは自発的にやっていること。
つまり、今イルカたちは「楽しいなあ」と思って芸をしているのです。

満員御礼、座席の上方の柵からも立ち見がたくさんの会場内では、
イルカのジャンプと共に、大人も子どもも、凄い歓声があがりました。
そのたび、心なしかイルカの表情も誇らしげでした。

それを見ていたら「与えられた場で目一杯、素直に喜びを感じて生きる」
そんな思いが湧いてきました。

楽しいなあと思いながら、その場でベストを尽くす、
それによって、誰かの心の中にあたたかい風が吹いてくる。

青空に向かって一生懸命、ジャンプしているイルカの背中は、
太陽の光に照らされて、キラキラしていました。

「親の背を見て子は育つ」そんな諺がありますが、
一生懸命なイルカの背を見て、なんだか素直に感動しました。

新江ノ島水族館のイルカショー、お子さんも楽しいでしょうが
大人も感じるものいろいろあると思いますよ。

たくさん写真を撮ったので、あとでご紹介しようと思います。

2014年07月31日

宮澤賢治氏とやぶ屋のおそば

宮澤賢治氏は稗貫郡立稗貫農学校(のち県立花巻農学校)の教員をしていた頃、
好きで通っていたお蕎麦屋さんがありました。「やぶ屋」です。
初夏に訪れた盛岡で「やぶ屋」盛岡駅ビルフェザン店(本館B1F)
に行ってみました。
「宮澤賢治セット」というのがあって850円也。
どういうものかというと、天ぷらそばと三ツ矢サイダーの組み合わせ。
宮澤氏が好きだった組み合わせだそうです。
だし汁は本格熟成土佐鰹でおいしく、
そば粉は岩手県産で存在感のあるおそばでした。
サイダーと共に、さっぱりといただけます。
90年近く前に、宮澤はこの味を、どんな気持ちで食べたのかなあ。
食べ物によっていろいろとタイムトリップできる、
そんな時間はとっても貴重なお宝ですね。
歴史のあるお店って、そういうチャンスをもたらしてくれます。

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2014年05月30日

資源を有効活用する「バイオマスパワーしずくいし」

小岩井農場には牛や鶏の糞を資源として利用する循環システムが
しっかりと構築されていました。
「バイオマスパワーしずくいし」です。
糞のほかに、市場や学校給食から出た調理加工前の野菜や果物などの
食物残渣が混ぜ合わされるとのこと(肉や魚介、油はいれないそうです)。
本来破棄されるはずの資源が有効活用されるということです。
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それらは混合され、糞尿の中のメタン菌によって発酵し、メタンガスがとれるとのこと。
また80℃で微生物が死滅するのだそうです。
そして発酵過程でできた液肥は農作物のために使用されるのだと。
現在ここでは生成された電力の半分は施設で使い、
残りの半分を東北電力に販売しているのだそうです。
こうした取り組みは「未来への尊重」が表れているものだと思います。
人間の糞尿もかつては農作物の肥料として使われていましたが、
下水完備された現代、下水処理場からメタンガスが分離されて
それが新たに資源として活用される方法がもしも見つかったら、
発電の為にとても貢献できるのになあ などと思ってしまいました。

人間の頭や行動力は、自然環境のために多いに役立てるべきですよね。
多くの動物や野菜の命をいただくことによって、
人間は生かされているのですから。

2014年05月29日

明治大正の高い建築工芸技術を再認識「小岩井農場 本部事務所と四階倉庫」

今日は「ガイド付きバスツアー小岩井農場めぐり」の中で
「過去を尊重する」場所として印象深かった小岩井農場の本部事務所と
四階建て倉庫のご紹介です。

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本部事務所は何と明治36(1903)年の建物。
木造2階建鉄板葺の建物は現在、登録有形文化財になっていますが、
いまだ現役の施設として使用されています。
バスが建物の裏側を通った時、ハンギングの美しい鉢植えのお花と共に
「従業員通用口」の札が掲げられていました。
建物の一番上に見えるのは望楼(写真1)で、小岩井農場に異変がないか、
全体を見渡すための物見櫓的な意味でつけられたとのこと。
訪れた時、建物の周りが林に囲まれているので、
この高さの望楼で役に立つのだろうかと思ったところ、
開墾当時は火山灰のせいで酸性度の強いこの土地は、
木がなかったとのこと。
ということは緑の木陰は、すべてこれまで長い年月をかけて植樹され、
育ててこられた木の成長の証しですね。
車窓見学でバスが通りぬけてしまったので、林の様子をゆっくり
写真にとれなかったのですけど、辛うじて写真2でその雰囲気が
少しは伝わると良いのですけど…。
確かに視界を遮るような高さのものがなければ、
この望楼は十分役に立ったのだろうと思います。
建物の窓ガラスが少し表面がぼこぼこしていているのは、
当時の古いガラスがそのまま使われているからとのこと。
その凹凸の具合がとても味わい深いですね。
厳寒の地で今も窓として役割を果たすその力には、
当時のガラス職人の腕の確かさが伝わってくるようです。

そして木造四階建の四階倉庫(写真3)は大正5(1916)年建設。
こちらも登録有形文化財。
そして今も倉庫として使われているのだそうです。
内部にはエレベーターが設置されています。
大正時代にエレベーターを有する倉庫が作られるとは、本当に驚きです。

良いものはきちんと手入れをすれば、何年経っても、その力を発揮すること、
とても伝わってきますね。
そして明治、大正時代の建築、工芸の技術の確かさも。
「過去の尊重」がよく表れた場所だと思います。

2014年05月28日

100年後に託す夢 小岩井農場 法正林

岩手県 小岩井農場は所有する3,000ヘクタールの敷地のうち、
2,000ヘクタールが林業に用いられているそうで、
「ガイド付きバスツアー小岩井農場めぐり」では
法正林(ほうせいりん)を車窓見学することができました。
初めて聞く言葉だったのですけれど、それはどうやら
切った分、きちんと植林し、それを100年続けていくとのこと。
理論的にはシンプルでもそれを実行し続けていくことは難しく、
世界的にも珍しいのだそうです。
「帯状更新」(たいじょうこうしん)という方法で、
ある一定の区画だけを順に伐採し、植林していくようなのですが、
「昭和OO年」「昭和OO年」…と植樹された都市を示す看板の前を
バスで走りぬけたのですが、その区画、区画が経てきた年月を考えると、
感慨深いものがありました。
私は林業の事はまったく素人なので、バスツアーの短い間だけでは
詳しく理解することはできなかったのですけれど、ともかく、
今の利益だけを追求するのではなくて、何十年も先の人たちのために
植樹するという思想が、実に素晴らしいなあと思いました。

そういえば「木」と「100年」ということで思い出したのですが、
2006年、私がまだ京都造形芸術大学の通信教育部に在籍していた頃、
歴史遺産学のスクーリングを受講するため、京都のホテルに宿泊していたのですが、
朝食会場に置かれていた京都新聞朝刊2006年9月1日号に、印象深い記事
「京の寺院と女性のファッション」が載っていました。
そこには清水寺の本堂のヒノキの舞台が、参拝に来た女性の履くピンヒールの
重みのせいで、たくさん窪みが生じてしまい、大変であることが書かれてあると共に、
お寺の柱の修復対策について、報じられていました。
清水寺の舞台を支える139本の柱は、直径約80センチの見事なケヤキの大木だそうですが、
清水寺では数百年後に必要となる修復に備えて、自前の木を調達することを計画し、
左京区花背、右京区京北の山林を購入して、ケヤキ5000本、そのほかヒノキの苗を
植えているのだそうです。
確かに今の舞台を支える柱は、それを設置された時よりもはるか昔に植えられた
ケヤキが使われたものですね。
過去の恩恵に感謝して、それを未来に恩返しするという思想は、
時代を経て価値を継承してきたところならではの発想だと言えるでしょう。
そのように守られてきたものは、将来もきっと大切にされるように思います。

雫石の小岩井農場と京都の清水寺、随分離れたところではあるけれど
清水寺を建立したと言われる坂上田村麻呂は、雫石地域にも訪れたようで、
小岩井農場を5キロほど北上したあたりにある岩手山神社は
坂上田村麻呂が蝦夷平定のために御陣小屋を設けた跡と伝わる場所。
何だかいろんなところで、いろんなものが
時空を超えてつながっているような…不思議な気がいたします。

2014年05月26日

農場譲渡に託した夢と可能性

「小岩井農場 明治男の気概とロマン」では、
小岩井農場の経営権が途中で、井上氏から岩崎氏へ
譲渡されたことについて触れましたが
その後、老川慶喜氏の『井上勝 職掌は唯クロカネの道作に候』を
読みまして、井上氏は決して、採算の合わない事業に音を上げたわけて
投げ出したわけではないことがわかりました。

井上氏は当時の宮内省主馬頭で下総御料牧場に経営に携わっていた、
藤波言忠(ことただ)氏に相談したところ、
下総御料牧場長の新山荘輔氏が、小岩井農場に視察のため派遣されたのだそうです。
ヨーロッパの畜産業にも詳しかった新山氏は、
視察の結果、当時の小岩井農場の環境は困難な点がいろいろあるものの、
良さもあり、集約的牧畜によって見込みがもてることを報告し、
綿密な調査に基づき、牧畜を主とした五カ年計画を作成したのだそうです。

そして三菱では社長は岩崎彌之助氏から岩崎久弥氏に変わっていたそうですが、
井上氏は久弥氏にこうした事実調査に基づく将来展望を伝え、譲渡されたのだそうです。

参考文献:
老川慶喜(2013)『井上勝 職掌は唯クロカネの道作に候』ミネルヴァ書房, pp.177-178

そうした井上氏の姿勢は、難渋する経営に降参したというものではなく、
あくまでも前進的な譲渡であったと言えるでしょう。
仁義を尽くして、次の人へ可能性を託すという井上氏の潔さもすごいことだと思うし、
マイナスからの出発ではあっても、そこに可能性を信じた久弥氏もすごいですね。

先人にはいろいろと学ぶ姿が多いように思います。

2014年05月25日

小岩井農場 明治男の気概とロマン

先日訪れた岩手県 雫石町の小岩井農場ですが、
「過去への尊重と未来への尊重がある」と書きましたが
それは、最初の創立時に端を発していると言えます。

参加した「ガイド付きバスツアー小岩井農場めぐり」では
かつては語り部をやっていたこともあるというベテランのガイドさんが、
手製の絣のモンペ姿(小岩井農場創業当時に女性が着用していたそうです)で
登場して熱心に説明してくださいました。

明治21(1888)年6月、当時鉄道局長官だった井上勝氏が
東北本線の延伸工事視察のために盛岡を訪れた際、
視察の後で、網張温泉へ招待されたのだそうです。
その道が今はこんな風になっています。
(バスツアーの途中で車窓見学できます)
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井上氏は温泉に向かう途中その道で、岩手山南麓の姿を見渡し、
「荒れた官有地こそ開墾して、国民の為に尽くすべきだ。
後の国家公共の為になるように…」と考えたのだそうです。

これまで鉄道を作るために、本来田畑として役にたっていたはずの土地が
つぶされていたことに、心を痛めていたからとのこと。

今でこそ、豊かな緑の大地が広がり、
温泉に通じる道も緑深い林の中を抜けるような印象ですが、
当時このあたりは酸性の強い火山灰の影響で荒涼とし、
風の強い土地だったのだそうです。

肥沃な大地ならまだしも、そうした厳しい条件の場所を開墾するには
莫大な投資が必要となります。
そこで長州藩出身だった井上氏は
三菱社の社長であった岩崎彌之助氏に協力を求めたかったそうですが、
出身藩が違うため、口添えしてもらえるよう同じ土佐藩出身の
日本鉄道会社副社長 小野義眞氏に声をかけ、
何とか構想を事業化できることになったのだそうです。
「小」「岩」「井」はそれぞれの名字の頭文字を合わせたもの。

しかしながら酸性が強く、水はけが悪く、沼が多くあったというこの土地は
非常に開墾に難渋し、道を作ることさえも大変で、丸太を埋めて道を作る等、
大変多くの苦労があったのだそうです。
井上氏はこの開墾事業を8年頑張ったそうですが、
採算が合わず、井上氏は夢半ばにしてその経営権を譲渡したとのこと。
「今年こそは」と思いつつ、開墾事業を続け、成果がおもわしくなかったことは
井上氏にとって本当に大きな心労であったと思います。

あとで家に帰ってから河合 敦氏の書かれた『もう一人の「三菱」創業者、岩崎弥之助』
を読んでみると、毎年岩崎氏が約一万円投資し、井上氏が運営し、
損益は両者の折半だったそうです。
8年間の投資額73,862円に対して利益は3,386円だったとのこと。
投資額に対する利益額を見ると、いかにその事業が大変だったかがわかりますね。

一切の権限を譲渡された岩崎氏は小岩井農場での事業を牧畜中心に切り替え、
オランダから乳牛の種牛を輸入したり、乳製品の製造を始めたり、
下総御料牧場の幹部を経営責任者として抜擢し、
本格的な事業として展開していったのだそうです。

参考図書:
河合 敦(2012)『もう一人の「三菱」創業者、岩崎弥之助』
ソフトバンククリエイティブ, pp.131-132

開発する一方で、そこで失われゆくものに対する配慮を持った井上氏。
それは当時、未来を見据えた大きなビジョンがあったからこそ。
どんなに時代が変わっても、そうした姿勢は変わってはいけない大切なものだと思います。

そして、相当リスクの高い事業を丸ごと引き受けた岩崎氏。
それは不毛の土地を開墾して国民の為に尽くしたいと心に決めた
井上氏の初志(未来への尊重)に賛同したものであり、
初志が起こされた明治21年という過去への尊重だとも言えるでしょう。
採算の合わない事業を引き受けた度量の大きさは、本当にすごいものだと思います。
また経営手腕を持つ岩崎氏は、話を受けた時点で
この事業を軌道にのせるための青写真を、既に思い描いていたのかもしれません。


「明治男」とは、今では何か非常に頑固で融通が利かないような人の事を
揶揄する時に使われたりしますけれども、
明治男とは実は将来の展望を見据えて、多くの人の為に役に立つような気概ある
底力の持ち主を表すのではないかと思います。

牧歌的な風景の裏に、こんな苦節とロマンがあったとは…。
さて次回はツアーで見学した中から、「過去への尊重と未来への尊重」が
垣間見えるスポットについて取り上げたいと思います。

2014年05月23日

過去への尊重と未来への尊重 小岩井農場

先日訪れた岩手県雫石町の小岩井農場ですが
「ガイド付きバスツアー小岩井農場めぐり」に参加しました。
私はあまりよくわからないままに参加したのですけれど、
いろんなこと考えさせられる、とても良いツアーでした。
ただ楽しいとか、「へぇそうなのか」とかそういう発見だけではなくて、
日本の文明開化と共に苦労を重ねてきたこの場所を知ることは、
とても大切なことだし、貴重なことだという印象を受けました。
地域活性、事業経営、自然保護、新しいエネルギーの創造、
人間のくらしの発展と自然との共存…
そうしたものを学べるチャンスです。
小岩井農場って、実はものすごい知的財産とポテンシャルのある場所なのでは?
いろんな年代の人にも、それぞれ感じるものがあると思います。
どの角度からも掘り下げると、大変興味深く、勉強になることが多くありました。
なぜならその根底には、過去への尊重と未来への尊重が感じられるから。

これからこのブログで、いろいろお伝えしようと思います。