2018年12月14日

函館市縄文文化交流センター 13)函館まで路線バスで帰る時

函館市縄文文化交流センターから路線バスで帰る時は
函館・鹿部(川汲経由)・函館バスセンター行に乗車です。
バス停は「臼尻小学校前」から乗車となります。
大船遺跡からバスで来た時に降りたバス停です。
こちらでご紹介した順路を縄文文化交流センターセンターから
バス停まで逆行します。
本数少ないので、乗り遅れは注意です。
1時間20分くらいで函館市街に戻れました。
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2018年12月12日

函館市縄文文化交流センター 12)垣ノ島遺跡の遠景

国宝「土偶」入口付近を見学した後に、2階に上がっていくと
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休憩スペースは広々した窓がありますが

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このあたりで一休みして、ぼんやり外を眺めていると
外に広がる世界はなんだか縄文時代にタイムスリップしたみたい。

向こう側に一面に広がっているのが垣ノ島遺跡です。
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函館市縄文文化交流センター 11)国宝「土偶」(著保内野遺跡)

土版のあった展示室3を過ぎると

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展示室4はたった1点だけ展示されたコーナー。
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著保内野遺跡から出土した「土偶」です。

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1975年、農作業中に偶然発見されたこちらの土偶。
1979年に重要文化財指定され、
その後2007年に国宝指定されました。

函館の展示ではひっそりと静かに心地よさそうに立っていました。
今夏、東京国立博物館で開催された特別展
「縄文―1万年の美の鼓動」で出展されていた時は
すごい黒山の人、人、人でした。

こちらの土偶、出土時点の発掘再調査が2006年に行われ
その結果、葬送儀礼の一部として用いられたと考えられています。
詳しくはまた調べてLana-Peaceのエッセイで取り上げようと思います。
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函館市縄文文化交流センター 10)大火事をくぐりぬけた鳥型土笛

2002年12月28日深夜、発掘調査をしていた調査事務所が
放火によって全焼してしましました。

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その焼け跡から見つかった
縄文時代後期の鳥形土笛です。

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数千年の時を経て出土したこの土笛、
そして平成の時代に火災の受難を潜り抜け、
頭と背中の一部が黒くなってしまったけれども、
それでもこうして原型を留めている土笛。
焼け跡の様子を見ると、
本当によく残っていたものだと思います。


すごい、ものすごい力を宿した鳥なんだと思います。

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函館市縄文文化交流センター 9)足形付土版の展示

先日に引き続き、函館市縄文文化交流センターのご紹介です。

展示室2から3に向かうと「縄文の精神」のコーナーとなります。
生と死について考えるきっかけとなる遺物がたくさんです。

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最初は足形付土版のコーナーです。
約6,500年前、縄文時代早期末の垣ノ島遺跡と豊原遺跡のお墓から出土した
足形付土版がそれぞれ17点、5点展示されています。

Lana-Peaceのエッセイでも以前取り上げました。
垣ノ島A遺跡出土 足形・手形付土製品
豊原4遺跡出土 足形・手形付土製品

こちらは垣ノ島A遺跡から出土した土版の展示。
残念ながらレプリカですが。
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こちらは豊原4遺跡に関する展示
2016年、重要文化財に指定されています。
土版以外にもつまみ付ナイフをはじめとする石器が
副葬品として出土しています。
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出土状況を示す写真が添えられた解説パネルも充実しています。
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縄文時代の人々の生と死に対する精神性を考える上で、
とても中身の濃い展示です。
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2018年12月10日

函館市縄文文化交流センター 8)縄文時代の交流(ヒスイ・アスファルト)

ヒスイは縄文時代の遺跡から出土する翡翠のほとんどが
新潟県糸魚川市姫川周辺の物と判明していますが、
函館市の著保内野遺跡からもヒスイが見つかっています。
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縄文時代にアスファルトも使われており、
壊れた土器の補修、弓矢の矢柄と石鏃の接合などに
接着剤として用いられていました。
秋田産や新潟産のアスファルトが見つかっています。
こちら磨光B遺跡、豊崎B遺跡から見つかった
アスファルト付着の土器片。
当時、はるばる運ばれてきたアスファルトは
とても貴重なものだったはず。
土器はまた作れるだろうけれど、
そのアスファルトとわざわざ使ったということは
その土器がとても大切な意味を持っていたのだろうと思います。
誰かの形見とか。もう二度と同じものを作れないとか。そういう意味で。

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函館市縄文文化交流センター 7)縄文時代の漆

縄文時代、漆が利用されていました。
こちら磨光B遺跡の赤漆塗り土器片です。
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こちらは臼尻小学校遺跡の漆入り注口土器
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赤色顔料としてベンガラ(酸化第二鉄)や水銀朱を使うこと、
黒漆の上に赤漆を塗布する技術は現代にも通じているそうです。
また、漆製品の変遷は
漆糸製品(糸に漆を塗った)から始まり、
やがて土器や木器に漆を塗る「陶胎(とうたい)漆」「木胎(もくたい)漆」
籠や編み物に塗る「籃胎(らんたい)漆」へと発展するそうですが、
最初の「漆糸」は縄文時代だけに見られる技法なのだそうです。
その漆糸製品をまとって埋葬された方のお墓も見つかっています。
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(詳しくはこちらで紹介しました)

posted by Lana-Peace at 00:34| □ アート / 歴史 いろいろ

函館市縄文文化交流センター 6)縄文時代の貯蔵(土器・フラスコ状土坑)

南北海道と北東北の土器の比較が出されていました。
早期→前期→中期→後期→晩期
津軽海峡を隔てても確かに非常に類似点が多いですね。
連絡船も新幹線も飛行機も無い時代の縄文人。
荒波を越えて、強風も味方につけて交流していた人々。
なんだかロマンですねー!
こうした土器は食料や水の貯蔵に使ったり、煮炊きに使ったりといった
毎日の暮らしの中だけでなく、
人が亡くなった時の埋葬時の棺として用いられる場合もあり
実に多様な用途があったわけです。

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さて、こちらは縄文時代後期の八木B遺跡から出土した注口土器。
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青森県の亀ヶ岡石器時代遺跡から出土した
遮光器土偶(前1000-前400年)みたいです!
液体を入れて日常生活の飲み物を入れていた、というよりは
特別な儀式など本当に大切な場面で大事に使っていた、
そんな印象がある注口土器です。

そして大地を利用した「貯蔵」もありました。
こちら函館市豊崎O(オー)遺跡の「フラスコ状土坑」です。
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名称の由来は地表に近い入口よりも
地中側の底の方が広く、まるでフラスコのようだから。
この土坑からは木の実、動物の骨、土器などが見つかることが多いため、
食料を貯蔵していた穴だと考えられているそうです。

この土坑、縄文時代早期に作られた土坑の剥ぎ取り展示ですが
深さ3メートルもあるのです。
そんなに深く掘るって、すごい土木技術だし、
貯蔵できる食物が豊富にあったということの証しですね!
会場であまりの大きさに圧倒されました。

約6,000年前の駒ヶ岳火山灰の下に黒色土があり、
その下にフラスコ状土坑が広がります。
そしてその土坑が掘られた土壌がまたすごい!
駒ヶ岳の火山灰です。
32,000年前、17,000年前の火山灰!!!。
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あまりの悠久の時に頭の中は大混乱。
でも火山灰はもっとびっくりしたことだろう。
平成の時代に地表にあらわれることになって。
posted by Lana-Peace at 00:34| □ アート / 歴史 いろいろ

函館市縄文文化交流センター 5)縄文時代の食生活(貝塚・石皿)

こちらは戸井貝塚、湯川貝塚、石倉貝塚、大船遺跡から出土した
貝殻や魚の骨などです。昔の人々も結構グルメです。
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貝塚からはいろいろなものが発見されています。
人間が生きるために利用した生き物や土器・道具などの送りの場。
こうした堆積を見ると、時間の流れってすごいなあと思います。
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南茅部の遺跡からは石皿がたくさん見つかっています。
そういえば大船遺跡のそばにあった管理棟の建物脇にも
石皿がたくさん置かれていました。
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縄文文化交流センターの展示によると石皿は
こんな風に使用されていたようです。
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函館市縄文文化交流センター 4)縄文時代の住居

函館市縄文文化交流センターのご紹介。
1階展示室2では縄文時代の暮らしを知ることができます。
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縄文時代こんな集落がつくられていたわけですが
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こちら大船遺跡の復元住居
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その床面は地表を深く掘り下げられていました。
外気の影響を受けにくく、
内部の温度をある程度一定に保つことが可能で
なおかつ夏涼しく、冬暖かいからだそうです。

大船遺跡のこちらの住居跡は深さ2.4mまで掘られています。
こちら縄文文化交流センターのパネル写真。
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そしてこんなジオラマがありました。
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大船遺跡で復元されていた住居骨組みの内側にあった床面の棒は
当時こんな感じだったわけですね。
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2018年12月09日

函館市縄文文化交流センター 3)モダンアートみたいな土器の展示

函館市縄文文化交流センターのご紹介。
1階展示室2の壁面。
モダンアートのようだと思いませんか?
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実はこちら函館の遺跡で出土した土器。
こうして壁面にオブジェのように展示されています。
フロアにいた職員さん曰く、レプリカじゃなくて「本物」。
ホントにたくさん出土しているからこういうことができるそうです。
10年ほど前、在学していた京都造形芸術大学通信教育部の
スクーリングで訪れた某資料館での見学、
出土した土器の破片の数が膨大過ぎて整理・修復しきれなくて
収蔵庫に入ったままになっていたのを思い出しました。
決して出土物を粗末に扱っているのではなくて
そうした作業には人手もお金も時間も必要で
だから展示会場でこうして日の目を浴びている土器たちが
なんだかとっても嬉しそうでした。

もちろん地震対策はバッチリと思います。
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posted by Lana-Peace at 21:23| □ アート / 歴史 いろいろ

函館市縄文文化交流センター 2)入館いろいろ

函館市縄文文化交流センターは「道の駅」縄文ロマン南かやべの
併設されている建物。
車で来る方は道の駅の駐車場のすぐ前がセンターなので、
すごく便利です。
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券売機で入場券を購入します。
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コインロッカーは100円返却式。
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そしてコインロッカーのそばに車椅子とベビーカーがありました。
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posted by Lana-Peace at 21:03| □ アート / 歴史 いろいろ

函館市縄文文化交流センター 1)大船遺跡から路線バスで向かう時

DSC03983.JPGこちらでご紹介した北海道函館市の大船遺跡ですが、その後、路線バスで
函館市縄文文化交流センターへ行きました。

函館市縄文文化交流センターは
今迄訪れた数々の博物館の中でも
心の中に問いかけるものが多かったところで
非常に印象深いところです。
家が近ければ毎月訪れたいくらい
とても心地良い場所なのだけど
まあそういうわけにもいかないので、
いつか機会があればまた行こうと思います。

国宝の中空土偶もあり、
大切なたくさんの収蔵品を火災から守るために
かなりお金をかけて施設が作られたそうですが、
入場料大人たったの300円。
運営も大変だろうと思います。
ぜひ函館観光の際は足を伸ばしてほしい場所です。

ということで、函館市縄文文化交流センター勝手に応援隊!
その魅力を何回かに分けてご紹介しようかと思います。
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まずは大船遺跡から函館市縄文文化交流センターへ
路線バスで向かう方法はこちらの通り。

1  大船遺跡から海側の坂を下ってT字路を右折して「大船小学校」のバス停へ
2  函館バス「鹿部・古部行き」に乗車
3 「臼尻小学校前」下車
4 進行方向にすぐに「スポーツセンター」の青い看板が見えます。
こちらのT字路を右折して斜面を登ります。
5 Y字路は左へ直進。
6 右手に臼尻小学校が見えてきます。
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7 T字路に出るので左折します。
8 直進します。交通量も少なくて見通しの良い直線道路。
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でも、あとでセンター到着後、こんな掲示を見てびっくり。
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ヒグマの新聞記事の場所はセンターの近くではないけれど
そもそもセンター所在地は山を切り開いてできた場所だから
注意した方が良いと言われました。
確かにそうですね。

9 ようやく左手に広々した駐車場と共に見えてきました。
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posted by Lana-Peace at 17:28| □ アート / 歴史 いろいろ

2018年12月01日

北海道函館市 大船遺跡 路線バスで行く場合

こちらでご紹介した北海道函館市の大船遺跡ですが
自家用車やレンタカーなどを利用しない場合は
1日運行本数の限られている路線バスを頼るしかないため
参考までにご紹介しておきます。(2018年5月利用時情報)

函館市内に宿泊して大船遺跡に向かう場合は
川汲経由鹿部出張所行のバスが便利です。
函館バスのページはかなりユーザーフレンドリーな視点で作られています。

私は「松風町」から利用しました。
「松風町」という名前のバス停は5箇所あるようですが
今回はプレイガイド前の松風町バス停を利用です。
ここから約1時間半、路線バスの旅となります。

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路線バスではありますが、座席は観光バスのように豪華です。
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バスはしばらく町の中を通ります。
五稜郭の近く、函館アリーナ前、トラピスチヌ入口等を通るため、
なんとなく函館の町のマップが頭の中に入ってきます。

町を抜けていよいよ緑が深くなってくると、
亀田半島を縦断する形で噴火湾の方に向かい、
そこから海沿いを北上します。

そして海沿いのバス停「大船小学校前」で下車。
そこから大船小学校を左手に、海を右手に見ながら
国道278号線を直進します。
少し歩くと左手にこの看板が。
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そしてもう少し進むとこの看板が。
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大船「C」遺跡とあります。
大船遺跡はAとかBとかいろいろあるのかしら?
近くの垣ノ島遺跡は垣ノ島川を挟んで
「垣ノ島A遺跡」と「垣ノ島B遺跡」があるので。
後日訪れた国会図書館にあった南茅部町教育委員会発行の発掘調査報告書も
「大船C遺跡」と表記されていました。
そこで函館市縄文文化交流センターの学芸員さんにメールで問い合わせたところ
「函館市大船町にはAからIまでの遺跡が存在しており、
そのうちのC遺跡が国の史跡に指定され、大船C遺跡は
大船遺跡に名前が変わった」と丁寧にご回答をいただきました。
なるほど。
お忙しいところありがとうございます!


さて、ここを左折して坂を上っていきます。
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結構勾配のある坂ですが、
坂の途中にも随分工夫がされています。

色つきの石を使って、壁には土器が表現されています。
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こちらは函館市の著保内野遺跡から出土した国宝の中空土偶。
(今から行くところは大船遺跡だけど、函館と言えばこの土偶。)
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そしてこちらはシカの絵です。
函館市の臼尻B遺跡からシカ絵画土器も出土していますから
函館つながりで描かれているというわけですね。
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あら、「リス注意」の看板。
やっぱり北海道!
エゾリスが出てくるのかな?
エゾシマリスが出てくるのかな?
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そしていよいよ左側に見えてきました。
大船遺跡の登場です。やっとついた!
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遺跡のそばには管理棟があって、
パネル解説展示や机・椅子、お手洗いが設置されています。
あたたかいストーブもありました。
(5月だったけれど、暴風雨でけっこう寒かったので助かりました)
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ぜひもう1回、今度はお天気の良い時に
行ってみたい遺跡です。

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posted by Lana-Peace at 16:51| □ アート / 歴史 いろいろ

2018年08月29日

平成と明治と縄文を感じられる空間―「特別展「縄文―1万年の美の鼓動」(東京国立博物館)

先日、東京国立博物館平成館で開催されていた
「特別展「縄文―1万年の美の鼓動」に行ってみました。

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印象深かった作品はまた後日ご紹介するとして、
平成館に入館する前の長蛇の列は
ちょうど平成館前の広場に面しているわけですが
こちらの一帯は、明治15(1882)年に博物館が上野に移転してから、
展示棟に付属する事務棟の建物が多く建てられたそうです。
そしてこの広場付近に帝室博物館を統括する総長の居室があり、
森林太郎(鴎外)が大正6(1917)12月から大正11年7月まで
総長としてここで執務していたのだそうです。

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広場からも近い本館前のユリノキは
背丈は本館の屋根よりも軽く超えて
こんなに青々と葉っぱを茂らせていました。
明治の初めに渡来した30粒の種のうち、
育ったものが、明治14(1881)年、ここに植えられたもの。
ということは、森林太郎(鴎外)が見ていたユリノキは
今よりももっともっと、小さなユリノキだったのだろうなあ。

平成、明治、縄文。
時の流れ、何だか感慨深いです。

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posted by Lana-Peace at 10:25| □ アート / 歴史 いろいろ

2018年08月04日

函館空港に行ったらぜひ函館空港遺跡群の展示をどうぞ!

2018年5月、函館空港を発つ際、出発手荷物検査の長蛇の列に並んでいると、
ふと見上げた上方に「函館空港遺跡群」の横断幕が!

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慌てて3階のオープンスペースに行ってみると、
そこには同遺跡群から出土したいくつかの遺物と解説パネルが設置されていました。

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出発前、お時間のある方、ぜひお立ち寄りになってみてください。
もちろん無料です。
展示品の数は限られているので、すぐに見終わってしまいますが、
飛行機の離発着する土の下に、
縄文時代の人々の暮らしがあったのかーとしみじみ思います。

posted by Lana-Peace at 12:07| □ アート / 歴史 いろいろ

2018年02月27日

縄文時代4000年前の炉(神奈川県足柄上郡松田町)

神奈川県足柄上郡松田町の西平畑公園には
「子どもの館」と「ハーブ館」の間に炉がありました。
こちら現地にあった松田町教育委員会の解説板によると、
平成元年から二年にかけて行われた東名高速道路拡巾工事の際、
松田山の根石台地で発掘された
なんと約4千年前の縄文時代の住居跡群にあった屋外炉を
移築したものなんだそうです。

4千年前の松田山周辺はどんな風景だったんだろう。

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posted by Lana-Peace at 00:24| □ アート / 歴史 いろいろ

2017年11月18日

「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」(国立東京博物館・上野 2017)

先日、国立東京博物館展示(東京・上野)で開催されていた
「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」に行ってみました。
すごい混雑ぶりでしたが、それもまあ予想通りということで……。

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ちょうど「TOKYO数寄フェス2017 」も開催中だったのですが、
東京国立博物館前の上野公園噴水にはこんな作品がありました。

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こちらかつて寛永寺の仏閣が立ち並んでいた殊にちなみ、
寛永寺の山門「文殊楼」をモチーフに作られた大巻伸嗣氏の作品だそうです。

そして博物館前のユリノキはこんなに美しく大きく彩っていました。

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現代アートに負けない堂々とした自然の織り成すアートです。

当日は運慶展だけでなく、本館・平成館・東洋館・法隆寺宝物館の
常設展示品にも足を運んだので
一日の中で何千年もぐるぐるタイムトリップ、ワープした感じでした。
そういう時間も、なかなかいいですね。

帰りの夕暮れ時は、上野駅方面の道はピンク色のイルミネーションが。

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春の上野の花見を髣髴とさせるピンク色です。


印象深かった作品をブログ内でいくつかご紹介したいと思います。
posted by Lana-Peace at 11:43| □ アート / 歴史 いろいろ

2017年10月29日

滝沢馬琴も食べた大根と下掃除

今日の東京は冷たい雨で、おでんが一層おいしく感じられる季節です。
おでんの中に欠かせないのが大根、大根と言えば浮かんでくるのは練馬大根ですが、
徳川5代将軍綱吉によって始まったという説と
上練馬村に住む農家の又六さんが作り始めたという説があります。

起源はいかなるものか、定かではありませんが、まあそれはよしとして
東京都練馬区の石神井公園のそばにある石神井公園ふるさと文化館には
農作物を題材にした戯画『山畑道化合戦之図』で描かれている大将を
練馬大根と解説されていましたから、
江戸時代の練馬大根は相当有名だったことでしょう。

『南総里見八犬伝』の著者として知られる滝沢馬琴の『馬琴日記』にも
大根の話が登場するのだそうです。
天保2(1831)年11月10日のこと
馬琴宅のトイレの汲み取り掃除をした伊左衛門さんが、
掃除代として持ってきた干し大根300本を
翌日、妻お百と嫁おみちの二人で三樽分の沢庵糠漬けにしたというお話です。

今では掃除をしてもらった方が掃除をした方にお金を払いますが
当時は逆でした。
下掃除で得られる糞尿は、農家の大切な肥料源だったからです。

さて下掃除と大根のことで、興味深い文書が残っていました。
馬琴の日記から10年経った天保12(1841)年2月のことです。
石神井公園ふるさと文化館に「御請書一札之事(おうけしょいっさつのこと)」が
展示されていました。
虫食い跡の残る文書はいかにも、年代を感じさせます。

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今から10年前、在籍していた京都造形芸術大学の
古文書解読のスクーリング授業の時には
何度崩し文字の古文書を読んでも、はーとため息ばかりで
頭を抱えていたなあと思い出しましたが
こちらの文書には読み下し文と解説がありましたので
そちらの助けを借りてご紹介いたします。

豊島郡土支田村の金治郎さんは、武家屋敷の下掃除をする契約を結んでいました。
掃除にあたって年間金2両を支払う、
ただし物納の場合は沢庵漬1500本を納めるという契約だったのです。

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しかし大根の価格が上がり、天保12年当時は
沢庵漬1500本は金2両以上の価値があるから、
差額分を金治郎側に払ってくださいと大沢修理太夫宛にお願いをしたのでした。

江戸時代の人はきっと今のスーパーの大根の安売りを見たら、
仰天することでしょうね。

大根の中にいろんな歴史あり……です。
そう考えると何気なく食べる大根によって、昔の人と繋がっている
そんな不思議な感覚になります。
posted by Lana-Peace at 13:10| □ アート / 歴史 いろいろ

2017年06月26日

西ヶ堀込遺跡(千葉県船橋市)の公開発掘調査現場 見学(2017/6/24)

おととい6/24、千葉県船橋市の西ヶ堀込(さいがほりこめ)遺跡の
発掘調査現場を見学してきました。
平日の発掘時間以外は保護シートで覆われているそうですが
6/24(土)は特別に午前中のみ公開。
こちら25年ぶりの発掘調査(本調査)ということなので
ぜひぜひ行ってみたい!とはるばる千葉まで遠征です。
10年ほど前、京都造形芸術大学の通信教育部で
歴史を学んでいた頃は、発掘したものに関する勉強はいろいろしたけれど
実際の発掘現場には行っていなかったので、楽しみ楽しみ。

場所はここ。
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(図は飛ノ台史跡公園博物館 H27年度船橋の遺跡展パンフレットより抜粋)


薬園台駅から近いですが、バスは津田沼駅から二宮神社行のバス
にのるとバス停 田喜野井入口で下車して数分の場所になります。

突如道沿いに、こんなお知らせが。
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そこからほどなく、大きなマンションや一戸建て、
畑に囲まれた場所に発掘現場がありました。
その住宅地一帯も、土の下は遺跡なのだそうです。
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なんと4000年も前のこと
縄文時代後期、このあたりに人々が
生活していたんだなーと思うと、ドキドキでした。

そこの場所では何代にもわたり家が築かれ、
家の跡が重なりあって作り直されている様子が
分かるのだそうです。
またそのあたりは当時水を確保しやすい場所だったようで、
川や池が2箇所あったそうです。

そして家の中で火を燃やした「炉」の跡がありました。
土の上で直に火をたいた炉は土が赤く変色していました。
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土に土器を埋め込んで、その中で火をたく炉もあって
その埋め込まれた土器の頭も、発掘現場で見ることが
できました。
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家の中で煮炊きしていろいろな料理をしていたんだなー。
始めは屋外にあった炉も
縄文前期から屋内に炉を作るようになったのだそうです。

現地からの発掘物に関しても
当日みせてくださいました。
なんと船橋市教育委員会の文化課で
埋蔵文化財調査に関わる責任者の方が、
発掘物を手に取りながら
一般の人の質問に直接答えてくれるのです!

こちら縄文式土器の破片
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こういった石器も出土しています。
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実にきれいな曲線です。

貝もいろいろ
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どんな質問も、にこにこと、
そして、実に詳しく、
一般の人にわかるように説明されていました。
専門家の話は、もうすごい、すごい。

現場からは大きな土器だけでなく
手のひらサイズのミニチュア土器も、
たくさん出土してくるそうです。
そうした土器は、かつてお祭りに使われたのではと
言われていたけれども、量が多く出てくるので
実は液体を入れていたのではないかとも
言われているんですよーとか、そういった新しい情報も。

関東ローム層は酸性とのことで、
骨は埋まっていても溶けてしまうそうですが
貝が捨てられていると、そのカルシウム分によって
土のペーハーも酸性度が弱くなって、
骨成分は守られるのだとか。

それから土器をつくる時に植物の種などがくっついたまま
焼成されると、その部分に穴が開いてできあがるので
出土した土器の穴にシリコンを入れてみると
種の形がわかって、
当時どんな植物があったのかわかる、
という話もされていました。
シルエットクイズみたいです。

出土したものは5ミリ、3ミリ、1ミリのふるいに順にかけて
それから水で洗うと話していました。
そうした手間は、大切な遺物を一気に流さないために。

現代の生活の土の下は数千年前の生活の痕跡。
発掘現場の横は畑になって
野菜が元気に育っていました。
こうした野菜が古代遺跡に向かって、根を伸ばしていく!?
そう思うと、なんだか、土の中は栄養だけでなく
ロマンがいっぱいです。
posted by Lana-Peace at 08:24| □ アート / 歴史 いろいろ