2018年06月17日

希望を育てていった母

お子さんの病気がとても重くて
「うちの病院よりもっと大きいところに行きましょう」って
入院中の病院側から転院を勧められることもあります。
特に症状が急に悪化している時は
そう聞いただけでもう心臓はドキドキなのに
新しい病院にたどり着いたら
いろいろ検査を受けるうちに
「今後のこと考えて、もっと大きいところに行きましょう」って
もう一つ別の病院へ行くことになった、という場合もあります。
急な症状の展開、追いつかない心。
信頼を築きあげるにはあまりにも短すぎる時間。
そんな中で、親御さんはいろいろな選択を迫られることになります。
不安ばかりが募って、自分の選択がこれで良いのだろうかと
自信を持てなくなってしまいます。
あるお母様、まさに不安に押しつぶされそうだったけれども
新しい大きな治療に取り組むことを決断したことをきっかけに
心を切り替えていったそうです。
不安を希望に変えようと思ったのだそうです。
すごい底力のある方だなあ……そう思いました。

不安、それは決して悪いわけじゃない。
人間の自然な心の成り行き。
でも不安に駆られることによって
気持ちはどんどん二次的に悪い方向へと
引きずられてしまうことって多いのです。
それが自分を更に苦しめることになる。

そういう状態の中で。僅かでも希望を見出せるようになると
自分の気持ちが変わっていけます。
希望、そこに寄せる期待が
自分自身の視線、それは自分の周りを取り巻くあらゆるものへの
視線を変えてくれるのです。
そのお母様は「希望を育てていく」そうおっしゃっていました。


新しい治療きっとうまくいく。
不安で押しつぶされそうな苦しみの中から
希望を見出し、育てて行こうと決めたお母様。
人間が動物と違うところはそういうところなんだと思う。

動物だってもちろん
嬉しいとか、悲しいとかそういう感情はあるだろう。
怒った、そして悔しくなった、そういう同じ系列の発展的な感情もあるだろう。
でも一次的な感情から化学反応的な思考を起こして
全く別方向の新たな二次的な感情を作り出すこと。
それができるのが人間なのだと思う。
でも決してそれはたやすいことではない。
だけどそれができる人はどんな苦境も
しっかりと地に足をつけて乗り越えていけるんだと思う。

そんなママの存在はお子さんに
何にも代え難い心強さを与えてくれるのだと思う。

新しい治療、きっとうまくいく!
元気になろうね。

2018年06月02日

子亡き後の心の穴を感謝で埋める母

お子さんが亡くなった後、
開いてしまった大きな大きな心の穴。
その穴を抱えながらどうやって生きていけばいいんだろう…
そう途方に暮れるご両親は多いことでしょう。

あるお母様、こうおっしゃっていました。
わーっと思いきり泣いた後に
悲しみで開いた穴を感謝で埋めるのだと。

感謝で埋める?
それはまずはお子さんへの感謝。
重い病気でも一生懸命頑張って生きたね、そういう感謝。
そのあなたの姿に私達親はとても心動かされたよ、そういう感謝。
そしてもう1つの感謝、それは
そのお子さんを取り巻く医療従事者達への感謝。
あんなこと、こんなこと
いろんな場面で医師が、看護師が
そして病室のお掃除で出入りしていたスタッフの人にも
心を向ける感謝。
我が子のためにいろんな形でいろんな人が
関わってくれたのだなあという感謝。

そのすべてがそのお子さんの人生を彩る
まさに1コマ、1コマだから。
それを丁寧に思い起こすことによって
穴が少しずつ埋められていくということ。

彼女からそのお話を伺った時
心の中でしとしと雨が降るような気がした。

そうかあ・・・
愛おしむように、思い出す我が子の人生。
それは短かったかもしれないけれど
そこには数えきれないほどの場面が
ちりばめられている。

彼女はご主人の選んでくれたお子さんの写真と共に
いつもお出かけするそうです。

今迄入院でお出かけが不自由だった分
こんどは身軽になったお子さんの魂と一緒に
あっちにも、こっちにも出かけて
幸せの波動で心の中を満たしてほしい。
それはお子さんの魂にもすぐに伝わるのだから。

2018年06月01日

可能性を掴み取ろうと決めた父

お子さんが重い病気と言われたら、
親御さんはどうにかして治る手段はないかと
頭を悩ますところですね。
医師からいろいろ説明を受けて、
その中で我が子には何が一番良いのか?
でもそこに副作用は、後遺症はないのか?

いろいろ、いろいろ考えて
起こる確率がほんのわずかなことであっても
心配が拭えなくて、一歩をなかなか踏み出せない。

そんな時、あなただったらどうしますか?


先日あるお父様がおっしゃっていました。
治るための選択肢があるなら
その可能性を潰したくないと。

心配を数え上げたらきりがないけれど
でもどういう状況になっても
治る希望を掲げて、みんなで一緒に頑張っていきたいんだ、と
そうおっしゃっていました。
バラバラじゃなくて、一緒に。
今迄そのお子さんを守るために
本当にご家族みんなで一緒に頑張ってきたから
ここで崩れたくないんだと。


進んでみなければわからない。
そしてもし望まないような副作用が起こっても
決してなすすべがないのではなくて
必ずどうにか軽減、好転させるすべはある。
医師は多くの努力と経験を
積み重ねてきているのだから。

そして、何より一番なのは
いくつもの大変だった状況を乗り越えて
今、新しい治療を始めようとするそのステージまで
お子さんがたどり着けたという事実。

これまでの厳しかった道のりを考えたら、
そのお子さんは限りなく、果てしなく
力強い生命力を秘めているって確信します。


新しい治療頑張ろうね。
パパはあなたのために心を決めたよ。
新しい治療と共に、可能性にかけてみようと。
ママもお姉ちゃんもあなたのことを応援しているよ。
おじいちゃんも、おばあちゃんも。
みんな、みんな。

きっと元気になるね!

2018年05月26日

良いことも、聞きたくないことも、両方消化して強くなった母

医師から我が子が1万に1人の病気だと言われても、頭の中は混乱で
とてもその事実を受け止められない……
あるお母様は赤ちゃんに、
元気な身体じゃなくてごめんね、っていう気持ち、
大変な思いさせちゃってごめんね、そういう気持ちで
いっぱいになったそうです。
でもでも、彼女は変わっていきました。
ごめんねっていう気持ちは残しつつも
どんなに赤ちゃんに申し訳なく思っても
その病気である事実を変えられないなら
自分はとにかく我が子を支えていこうって。

医学部の図書館にあるような本じゃないと、
なかなか書かれていないような病気。
だからまずはできることから、ということで
インターネットでいろいろ調べていくと
ショック受けるようなことを書いているページもあれば
親のブログなどでポジティブなことを書いている人のページにも出くわす。
彼女はその両方を知って、それを両方ずつ消化していったのですって。
両方ずつ消化。すごいなあ。。。


彼女のさわやかな笑顔には
そんなに大変な苦労を経て来たことを
微塵も感じさせる気配はなかった。
きっと苦労を自分の糧に変えていける人なんだなあ。彼女は。


赤ちゃん、あなたに新しく始まる治療、きっとうまくいく!
あんなに地に足のついたママが一緒に頑張ってくれるのだから。
そして何よりあなたのことを文字通り目の中に入れても痛くないっていうくらい
愛しく思っているパパもいるのだから。

2018年05月16日

誉命を生き抜いてお空に還っていった少年  

ずっと頑張ってきたあなたのことを
私は決して忘れないよ。

今日の東京の空は澄み渡る青空で良かった。
まぶしいくらいのお日様の光と共に。
お迎えに来た天使さんたちとの空中散歩は
楽しくなるといいなあ。

身体から解き放たれて自由になったあなたの魂は
きっとこれからうんといっぱい遊んで
ママと一緒にはらぺこ青虫の本を読んだり
パパのお膝に抱っこされたり
お兄ちゃんとお絵かきしたり、
自由に自由にいろんなことできるといいな。

ママとパパとお兄ちゃんが
これまで溢れるほどの愛情であなたのことを包んで
あなたのことをしっかり守ってきたように
これからはあなたがママとパパとお兄ちゃんのことを
しっかり守ってほしいのです。

医師から余命を告げられた最期の時間を随分越えて
あなたは頑張って、日々生きていた。
それは素晴らしい緩和医療の先生との出会いもあったのだけど
家族の愛情は魔法のように彼の命を活き活きとさせた。

誉れ高きその命、私はあなたのことを忘れないよ。

2018年05月13日

「症候群」と聞いた時、それをどう受け止めるか? ――ある若い父親の話

医師からお子さんの病気について説明を受けた時
「○○病」とか「△△△」というような
はっきりした名前のつくものもあれば
「□□□症候群」といった名前を告げられる場合もあります。
症候群とは共通する病的変化が幾つか集まっている場合に
そう呼ばれるわけですが、
定義づけに必要とされる症候のうち、
必ずしもそのすべてが揃って診断される
というわけではありません。
あるお父様はお子さんの病気の説明時
医師からある症候群の名前を告げられました。
普段の生活の中ではあまり耳にすることのない名前。
随分不安やとまどいがあったことでしょう。

でも、彼はこう考えたそうです。
「□□□症候群」と言われてもその症状のすべてが我が子に起きるわけではない。
起こっているものが、すべてのうちのいくつかであったら
ああ、すべてじゃなくて良かった、と。
それはすべての症状だったら今よりもっと重症だったかもしれないけれど、
そうじゃなくて、ああほっとした、という気持ちです。

「症候群」と聞いた時、人によっては
まるで病気の寄せ集めのように聞こえたかもしれません。
「えー、そんなにあるんですか?」って。
でも彼の捉え方は逆でした。
あるかもしれないはずだったけど、全部じゃないなら良かった、
そういう気持ちです。

彼のそのお話を伺って、すごくジーンとしました。
そうか、そういう捉え方があるのかって。

お父様がお部屋を出られた後、
思い出した話がありました。
私が20代の頃、当時盛んにCMで流れていた
某英会話学校に駅前留学してせっせと通っていた頃のことを。
奮起して通い始めた割には
自分のあまりのできなさに愕然としたり
夜勤明けの頭には、ぽろぽろ言葉が零れ落ちていったり…。
そんなある日マンツーマンで授業を取っていた時に
あるカナダ人の先生がコップのお話を始めたのです。
コップの中に水がある、それを「これだけしかない」と思うか
「こんなにある」と思うか。あなたはどう考えるか、と。
日本語でもそんな会話、禅問答のような何か思想を問われることはなかったし
当時そんな自己啓発本も読んでいなかったことから
そう言われて私はすごく衝撃的でした。
事実は変わらなくても、その事実の捉え方によって
自分の心の行方は随分変わっていくのだと気付かされたのです。

そしてこどもが「症候群」と聞かされた時の
「ああ、全部じゃない。良かった」と
思えた彼の言葉とコップの水の話が重なるような気がしました。
少しのものを、こんなにあると思ってハッピーになれるのか。
あるいはたくさん症状があっても、
ああまだ全部じゃない、だから良かったと思って
ハッピーになれるのか。

私が英会話学校で目から鱗が落ちたような思いをした、あの年代と
そのお父様はまさに同じころ。
私は人から聞いて初めてそういう考えを知ったけれども
彼は自分の口からそう発言することができた。
なんとすごい人なんだろう。

こどもの病気、それはすぐ治るものもあれば
これからずっと一生付き合っていく病気もある。
だけど、彼のような捉え方をしていけば
どういう状況になっても、その一瞬一瞬の中で
幸せを見出していけるんだろうなあ。

また若い世代から一つ、大きなことを教えてもらった。


あなたは決して派手なパフォーマンスをする人ではないけれど
あなたの寡黙で実直な姿と言葉から、
その素晴らしさは、しっかり伝わってくるよ。
奥様も、お子さんもあなたの存在にどれだけ心救われる思いか…。

新しい治療、きっとうまくいく!

2018年05月09日

我が子を亡くした苦悩の日々から見出したもの

待ち望んでようやく対面できた赤ちゃん、
だけど病気とわかって、あっというまに病院を移って
ICUで治療が始まり、たくさんの医療機器に取り囲まれて
ベッドの上で横たわっている我が子に対面した時、
それは産後の心も身体もとても不安定な時期のママの目に
どれほど強烈で、衝撃的だったことでしょう。
パパにとっても本当に苦しい時間だったことでしょう。

大人でも大変な治療を
生まれたばかりの小さな赤ちゃんが
本当に頑張って、頑張って生き抜いたのだけど
1カ月で天命を全うしてお空に還ってしまった。

その悲しみをママはご主人以外に話すことはできなかった。
だけど、ご主人も仕事があるから始終家にいるわけじゃない。
苦悩がますます募って、不安定な気持ちが悪化した時
最初に受診した病院では多量のお薬を処方されそうになったのだそうです。
だけど彼女はこう考えた。
「我が子を亡くした悲しさを薬が全部とってくれるのか?」
もちろん薬が本当に必要だ、というケースもあるでしょう。
それは悲しみを取り去る、という薬効なのではなくて
まずは日常生活を立て直すためのサポートとなる薬、という意味で。
しかし、そこで彼女が選んだのは語ることだったのだそうです。
だけど親しい周りの人が相手では、
かえって聴く側の方の心労が大きくなるだろうと
彼女は心配しました。
そこで語りを聴いてくれる別の医師の元へ通ったのだそうです。
1回あたりは短い時間だけれども、それを続けていくことによって
彼女は苦悩の中から光を見出すことができた。
我が子がどんなに立派に人生を生き抜いたのか。
短い人生ではあったけれど
どれほど大きな贈り物を両親に届けてくれたのか。
命が大切ってどういうことなのか、その本当のところを
息子の生きる姿から彼女はひしひしと感じたのだそうです。
我が子にまつわる思い出が
悲しみばかりで埋め尽くされる状態から抜け出していったのです。
我が子が訴えかけたメッセージをしっかり受け止めたいと。
ただ悲しみに暮れてばかりいたら
そのメッセージを見つけ出すこともできなくて
いつしか無になってしまうからと。

彼女は赤ちゃんと1カ月しか過ごせなかったけど
彼女は赤ちゃんが亡くなった後
少しずつ時間をかけてお母さんになったんだなあ。
その赤ちゃんにとって、かけがえのないお母さん。

ああ、本当に良かったなあ。
彼女のお話を伺いながらしみじみそう思いました。

信頼できる医師に出会えて本当に良かったなあ。
初診の時、その医師が彼女にかけてくれた言葉は
医師としてというよりは
同じ人間として彼女の心に寄り添ったものでした。

息子さんの話を語る時、彼女の両頬には涙が流れていたけれど
それは悲しいというよりは
やっぱり、長く健やかに生きることができたらなあという切ない気持ちと
それでも本当に息子は偉大だった、そういう感動の色を伴う涙
そんな風に感じました。

彼女のこれから歩もうとする道を
赤ちゃんはきっと見守ってくれる。
そう思いました。

2018年05月07日

角が丸いこどもの悲しみ

こどもが死をどう認識しているか、
そういうことを心理学とか死生学の本などには
まあ、いろいろ書かれているわけですが
そんな学問的な解釈が吹き飛ばされるような
お話を先日あるお母様から伺いました。
こどもの死の認識は大人の理解の「枠」をはるかに超えて
柔軟であるのだなあと気付かされるお話。

そのおうちではお姉ちゃんの生活の中に
今も亡くなった赤ちゃんの存在がしっかりあって
日常の言葉などのなかにもそれが現われてくるのだけれど
空想しているとか、死を否定しているからとか
ちっともそんな理由ではないのです。
お姉ちゃんの中ではそれがごく自然なことなのです。

大人は「見えない」「聞こえない」
だからそこに赤ちゃんがいるわけない、って思う。
でも猜疑心、邪心を持たないピュアな心のこどもには
亡くなったこどもの姿や声が
本当に感じられるのだろうと思う。
亡くなって魂の存在となって現世と異なる次元を自由に行き来している
赤ちゃんを感じられる力があるのだと思う。

そしてお姉ちゃんは亡くなった妹だけでなく
その後、残念ながら流産になってしまって
この世に生まれ出ることのできなかったきょうだいのことも
ちゃんと自分の「きょうだいだ」って思っているんですって。
流産となった赤ちゃんの魂、波動をお姉ちゃんは感じているのかなあ。

流産のこと「辛いこと、悲しいことは早く忘れたい」
そう切実に感じる大人もいることでしょう。
でもお姉ちゃんにとっては
生まれ出ても、生まれ出なくてもきょうだいはきょうだい。
だからお姉ちゃんは流産のことを
きょうだいの大切な思い出の一部として知りたがろうとする。


そのお話をお母様から聞いた時、
こどもは大人以上に死について
すごいスケールで受け止めているのだと思いました。
まだこどもの思考や理解力は未熟だから、わかっていないとか、
認識できていないとか、そんなこと言っちゃだめですね。
そもそもこどもの心の底にある哲学みたいなもの
それは大人が「こうなんです」みたいなこととは全然スタートが違うのだから。
大人が「考えが幼い」「夢物語」「まだこどもだから」
そんな風に切り捨ててしまうところの陰に
実は本質が隠れているのだろうと思います。
こどもの感性に学ぶことはとても多いのだけれど
大人になるうちにその感性をすっかりどこかに置き忘れてくると
大人はごつごつした角がたくさんある悲しみを抱えるようになるのだと
私は思いました。
そのお姉ちゃん、赤ちゃんが亡くなった時、彼女にも悲しみはあったわけです。
だけどその悲しみは角の丸い悲しみで、
そのふちは自然に周りに溶け込むようになっていたのだと思います。
なぜ角が丸い悲しみなのか?
それはお姉ちゃんの心の底にある哲学のおかげで。
だからこそ自分の人生の中で起こった衝撃的な出来事、悲しい出来事
きょうだいとの死別というそういう出来事を
丸ごと自分の人生の一部として溶かし込んで生きてこれたし
その悲しみと共に今も生きていける、そういう力強さがあるのです。

もちろんお姉ちゃんだって大変な時期があった。
だけどお姉ちゃんはそれを乗り越えていった。
そこには時間という「日薬(ひぐすり)」が大事な役割を果たしていったけれど
ただ単に時間が「薬」になったわけじゃない。
お姉ちゃんの態度、言葉、親に投げかける死にまつわる質問
それに対して親御さんがないがしろにしないで
一つ一つ誠実に向き合って対応していたことが
時間を加速的に薬に変えていったのだと思う。

幼いこども、その小さな背中からリアルにこうして学ばせてもらうものは
本当に限りなく多い。

2018年04月30日

苦しそうに見える時、その背景にある真理とは?

お子さんの病気が治れば、それは本当に嬉しいことだけれど
現代医療で頑張っても、それを完治させることが難しい時
ずっとお子さんはその一生を悲しい気持ちのモードで過ごさなくてはいけないの?
本人も、親も?

あるお母様はこうおっしゃっていました。
こどもは越えられない物を持って生まれて来ないはずだから
親の目にはこどもが苦しそうに映っていても、
実はこどもは困ったり苦しんでいるのではなくて
まさに今、越えようとしているところなんだって。
だから彼女はお子さんに対して「ああかわいそうに」みたいに思うのではなくて
頑張る我が子にポジティブな気持ちで自分も寄り添うのだって。

かわいそうな子、じゃなくて
頑張っている子なんだものね。
その頑張っている様子に対してかわいそうっていう気持ちを向けるのは
頑張っている本人に失礼だものね。
自分の頑張りはかわいそう、なんて憐れむものなんかじゃないぞって
こどもは怒っているかもしれないものね。
そんな眼差し、自分に向けないでよって。

単に発想の転換してるのではなくて
物事に対する自分の考えの一番目自体から大きく変えたから
できる発想なのだろうなあ。
そしてそういう発想を親がするようになると
こどもに寄り添う親の放つ波動も変わってくるのかもしれない。

今週もそのお子さんと彼女とご家族に
ハッピーなことがいっぱいあるといいなあ。

2018年04月20日

今だからできることは、何かを考えた父

お子さんが1万人に1人の病気だと言われた時
しばらく親御さんの心の中は動揺が続いて
なかなか整理がつかないのは当然だろうと思います。
そして自分のことで精いっぱいだと
ご夫婦の間で気持ちが噛みあわないときも
あるかもしれません。
お互い辛い時に、いたわりの言葉をかける余裕も
まったく失ってしまって。

あるお父様、そのことでとても悩んだそうです。
妻を理解しきれない自分を不甲斐なく思っているところもあって。
心の中がぐるぐるして。
でもでも、こう思ったんですって。
今、そんなことで立ち止まってどうしようなんて言ってる場合じゃないと。
まずはこどものことだろうって。

だから今も奥様のこと理解しようと日々努力しながら
お子さんのことで考えなくちゃいけない治療の選択などに
気持ちをしっかり向けるようにしていったそうです。

今できることは、何か。
今しかできないことは、何か。
今だからこそできることは、何か。
時は待ってくれないのだから。


若いお父様。
だけど朴訥としたなかに、父としての責任感に溢れた
立派な眼差しがありました。

このお父様だったら、これからどんなことがあっても
お子さんと奥様を大事にして
大変な時を乗り越えていけるなあって思いました。

2018年04月18日

優しさが引き出す前向きな強さ ―慰めだけが優しさがじゃなくて

お子さんが生まれて、さあおうちに帰ろう
そんなワクワクした時間を迎えるはずだったのに
病気かもしれないと大きな病院に移ることになって
次々始まる検査や処置、治療。
ああ、一体どうなってしまうんだろうと
不安は尽きないですね。
そして、出産して日の浅い母体にとって
身も心も大変な時なのに。

あるお母様、とても気持ちがドーンと落ち込んでしまったそうです。
そんな時、ご主人が力になってくれたそうです。
妻の気持ちが上向きになれるように、妻のことを気遣って、いろいろと。
お母様はそういうご主人の優しさが本当にありがたく
嬉しかったそうです。
人一倍繊細な心を持つご主人だって、本当はとても辛かったはずなのに。
同じこどもの「親」という立場は一緒なのに。
そういう時に自分を気遣ってくれたご主人の優しさ。
慰めとか、決してそういうことではないけれども
彼女はご主人のいろいろな言動、振る舞いから
彼の心の底にある優しさを感じ取っていた。

そして彼女は気持ちを切り替えたんですって。
「どうして、どうして……」と落ち込んでいる時間、
それは「我が身」に起きた不幸を嘆いていたんじゃないかって。
自分は立ち止まっていながらも
刻々とお子さんを取り巻く状況は変わっていく。
そこに気付いたら、こどもとご主人と一緒に頑張ろう!
そう思えたんですって。

もちろんご主人の優しさはあるけれど
そこに気付けた彼女の感性は、ご主人と同じ位、
鋭敏なのだろうと思う。

新しい治療、きっとうまくいく。
そして信頼し合っているパパとママは
あなたのことをしっかり守ってくれる。
小さなお兄ちゃんもあなたのこと応援しているよ。
弟は病院で頑張っているんだぞって。

2018年04月17日

人の形をした魂を神様からお預かりしていると考える母

完治することをゴールにしたら
その果てしない道に挫折を感じてしまうかもしれない。
お子さんの病気が現代医学で挑んでも完治が難しい病気であったなら
一番近くにいつもいるご両親は
心が何度もくじけそうになるかもしれない。

でもそうした次元をはるかに超えた境地の人もいる。
まるで座禅の警策で肩をピシッと叩かれて迷いが吹き飛ばされた、
そんな思いをする言葉を、あるお母様から伺いました。

彼女は我が子のそばに居る時、ある時ふとこう思ったのだそうです。
「人の形をした魂を神様からお預かりしている」

何かの特別な宗教でもなんでもなくて
ただ彼女の中に突然ふっと湧き上がった思い。
自分の置かれた病身という環境で日々生きていく我が子。
何か文句を言うわけでもなく、そうして日々生きていくことのすごさを
彼女は一番そばで見ていた。そして今もこれからも見ていく。

そして、そうしたすごい存在である息子に恥じないよう
自分もしっかり生きていこう……
彼女はそう、思ったのだそうです。


病床の息子のそばに寄り添う母の姿。
つい、ベッドにもたれてうたた寝をしてしまう時もある母。
遠くから見たら、ああ疲れているんだろうか……
そんな風に人は思うかもしれない。
でも、その背中で彼女が感じているものは
疲れだけじゃない。

「人の形をした魂を神様からお預かりしている」
なんとすごい名言なんだろうか。
そういう境地に到るまでに
彼女が流した涙と苦悩の日々は
決してたやすく語れるようなものではなかった。
それをわずかながらでも一端を知っている者としては
彼女の飛躍を本当に眩しく思うし
心から彼女に敬服の思いでいっぱいになる。
そして、病身の我が子との関わりの中で
そうした言葉を生み出した彼女に
どうかもっともっと幸せなひとときが増えますようにと
祈らずにはいられない。

2018年04月16日

他人に価値観を押し付けてはいけないと思った父

お子さんが病気で自宅から遠く離れた病院へ入院した時
たとえ1時間しか会えなくても、面会に行きたい…
そう思って仕事終わりの夜、車を走らせたお父様。
疲れた身体で往復数時間かけて通う病院、
それでも、なかなか元気にならないお子さんの病状…
前向きに、上向きに気持ちを保つことは
とても大変だったはず。
周りに当り散らしたいほどの鬱憤が生まれても
おかしくはありません。
だけど、お父様こうはこう思ったんですって。
「自分の大変さを周りや他人に押し付けちゃいけない」って。

日常のふとした場面で
たとえばもっと頑張ったら良くなれるはずの状況なのに
頑張らないで愚痴ばかり言う人などを目にすると
「こんなにうちの子は頑張っているのに、どうしてあの人は…」
そんな思いが頭をよぎることも多々あったそうです。
でも、こう思うようにしたんですって。
「大変と感じる度合いは人によって違うんだ」って。
自分から見たら大変じゃないと思っても
実はその人にとってはすごく頑張って大変なことなのかもしれないって。

そのお話を伺って、私は心が洗われる思いがしました。
私の半分もいかない年齢のお父様。
だけど彼の頭の中、心の中は
遥かに熟成して、人としてとても立派だと思いました。


肉体年齢よりも魂年齢。
人は見た目じゃわからないですね。
若い父親の実直なまなざしから、いろいろ教えてもらった時間でした。


新しい治療、きっとうまくいく!
そしてお子さんが元気になったら、
お子さんと行きたいなあって思っていた旅行にも行って
お子さんと奥様と家族みんなで楽しい思い出どんどん増やしてほしいなあ。

2018年03月31日

娘の笑顔に気付きを得た母

産後の女性のなかには産後鬱になってしまうこともあります。
ましてや産後数日のうちに赤ちゃんに病気があると知らされ
もっと大きな病院に移って
詳しい検査や治療、手術を受けなくてはと
医師から説明を受けたら……
気持ちを何とかしっかり保とうと思っても
そうはいかないものです。
「どうしてなの?」「これからどうしよう」「赤ちゃんは大丈夫なの?」

悲しくなったり、苛立ったり、
パートナーの何気ない行動に無性に立腹したり。
あるお母様、彼女はまさにそういう気持ちだったけれど
だんだん気持ちが変わっていったのだそうです。
「生まれてきてくれてありがとう」
赤ちゃんと触れ合ううちに
そういう風に思えるようになったのだそうです。
どういう状況でもベッドにいる我が子は
自分が笑いかけるとニコーッと笑い返してくれる。
その事実に気付いた彼女は
我が子の前ではニコニコした笑顔を向けるようにしたのだそうです。
彼女の話を聞きながらその場面を想像したら、
思わずこちらまでホロッと、ジーンとしちゃった…。

そして、彼女は当時ご主人の明るさに苛立っていた自分だったけれども
実はその明るさに救われていたんだと気付いたそうです。


時間は過ぎる。
ずっと同じままじゃない。
そして人は変わる。
その変化を待つことが、時には何より大事なんだと思う。
そして時間が経てば振り返った時に
あんなに辛かった、苦しかったモードの自分から抜け出して
誰よりも前向きに、強くなってお子さんと向き合っている
自分がいることに気付くと思う。

彼女はまさに言葉の通りきっと涙の分だけ、強くなったんだと思う。

そして変わりゆく自分に気付いて、
その背景にあるものに感謝を向けられるようになる人は
その成長が飛びぬけて大きいのだろうなあ。


これから始まる新しい治療、きっとうまくいく。
あなたの強さと共に、あなたの赤ちゃんは元気になって
新しい生活が待っているよ。
赤ちゃんがニコーッと笑ってくれる時間はもっともっと増えて
今度は赤ちゃんの方からあなたに笑いかけてくれるよ。
「ママ、元気?」って。

2018年03月26日

理不尽なことがあった時に

自分の望まないような出来事が起こってしまった時
人の心はその過去の一点に足元がとらわれてしまって
なかなか先に進めないこともある。
それでも日々、毎日進んでいく時間。
怒りに充ちた時間の中で留まるか
そこから抜け出していくのか?

それは自分自身の選択ではあるのですが…。

あるお母様のお話を伺って思いました。
もちろん自分が決して何も悪くないのに
理不尽なことが降りかかってきた時
憤りや怒りや悔しさが湧き上がってくるけれど
実はその理不尽なこと以上に素晴らしいことが起こってくる。
でもその素晴らしいことは怒りに充ちている時には、
うっかり見過ごすかもしれなくて…。

自分の目は一体何を見ているんだろう。
自分の気持ち次第で見えて来るものが変わってくる。
そしてその見えてくるものによって
自分の周りに形作られていく生活の時間。

彼女のお話はそういう気付きを与えてくれました。
病気のお子さんと一緒に過ごす時間の中で
小さな小さな、でも実は大きなキラキラした奇跡を
どうすれば見失わずにいられるのかを。
自分の暮らす世界は自分の認識によって形作られているものなのだと。

2018年03月22日

週末の朝のコーヒーがもたらしたもの

お子さんの入院生活が続くと、ICUや病室で顔を合わす他のご家族の姿が
どうしても気になる方もいらっしゃるかもしれません。
他の家族はどんな時でも前向きで
精神的に崩れることもなくしっかりしている、ように思えて
それに比べて自分は心の中がぐちゃぐちゃで
こんなままじゃだめだ、と思いつつ
そうは言っても、私だって辛いのよ、
誰もわかってくれない…そういう思いの親御さんは
実は多いかもしれません。

でも他の家族と比べる必要はないし
自分は自分で良いのだと思う。
そしてちゃんとしっかりしているように見える他の家族が
実は過去にすごく大変な時期があって
その時間を経て今がある、という場合もあるのです。

他の家族に比べて、自分だけ取り残されている…
そんな風に思わないで。
みんな人それぞれなのだから。

お子さんの病状、現状を受け入れ難い時、
自分の気持ちが脆く崩れていきそうだと自覚していても
それをどうにもできない時
自分の心をなんとか保っていくためにはどうすれば良いか?
お子さんが回復することが一番の解決策だけどそうはいかない。
そんな時は自分の心の負荷、お子さんの病気に関すること以外の負荷を
どんどん減らしていくことが役に立ちます。
面会の後、家に戻ってする家事
それが「気分転換になる」と思える人もいれば
それが「きつい」と思う人もいる。
きつい、と思うなら完璧に家事をやろうと思わないで
できる範囲で、負担にならないようにしていけば良いのだと思う。
夜寝る前に「あれもできなかった」「これもできなかった」
そんな風にできない自分を追い込んでいくと
お子さんの病状のことでどんと沈んだ気持ちは
どんどんすごい勢いを持って沈んでいく。
だけど「あれができた」「これができた」
そういう風に思えるようになると
自分の心に重くのしかかっていたプレッシャーは
少しずつ形を変えて消えていくようになります。

あるお母様、心の悲鳴をご主人に正直に話したそうです。
仕事が忙しくてなかなか面会にいけないご主人は
彼女の気持ちを知って、随分変わっていったそうです。
ご主人が完璧に家事をこなす、そうじゃないですよ。
ご主人は家事が苦手。
でもできることをやってくれるようになったのです。
週末の朝、ご主人がコーヒーを淹れてくれる。
他の人から見たら「それが何?」そう思うかもしれない。
でも彼女はそれがたまらなく嬉しいのだと
お話してくれました。
そういうご主人の気遣いを心に受けると
その日1日、お子さんにとって何か良いことが起こりそうな
前向きな弾む気持ちになれるんだろうなあ。

みんな初めから前向きな人ばかりじゃない。
他の人と比べる必要なんかない。
きっとあなたも何かのきっかけによって、心が前向きに変われるはず。
そしてそれは心地良い時間をあなたに多くもたらすことになるはず。

2018年03月18日

信じる力が引き寄せたもの

入院中、お子さんの調子が今ひとつで
熱が出たり、いろいろある時、
もう心はいくつあっても足りないくらい心配……
どんどんネガティブな方向に考えて、
頭の中では悪い展開ばかりが浮かんでくる
そういう気持ちになるけれど
でも、そういう時こそ
こどもの治る力を信じるって大事なんだと思う。

あるお母様が教えてくれました。
元々は慎重でいろんな想定が頭に浮かんで
もう心配で心がはじけてしまいそうな人だったけれど
自分で考え方や価値観を変えるよう努力を始めてから
今は不必要な心配をしないで
とにかく我が子の治る力を信じて
医療者の行う治療に信頼を寄せて過ごすのだと。

お子さんが調子を崩してから1週間。
そうやって彼女は過ごしたわけですが
本当にお元気になったお子さんの写真を目の当たりにすると
信じる、信頼、それってすごく大事だなあと思いました。

アメリカでは祈りの効用についていろいろ研究発表されています。
祈られることによって患者の回復過程が有意に変化するのだと。
今回のお母様の場合、それに通じるところがあるのかもしれない。
気持ちの向け方によって物事に何か影響が起こるという意味で。
彼女は助けて下さい、と祈った訳ではないけれど
彼女は信じる、ことによって望む結果を引き寄せた。

信じることによって変わることって何だろう。
それはすなわち、親自身の表情、行動、言動が変わるのかも。
そこから生み出される様々な出来事によって、
それらに取り囲まれることによって
こどもは元気になっていくのだろうか?
信じるだけで、そんなに都合よくいくわけない、と思う人もいるかもしれない。
もちろんそこには、適切な医療の介入があったことは間違いない事実。
でも感染を契機に全身状態が急速に悪化しかねない状態だったお子さんなのに
にこやかに今、親の膝の上に座って過ごす姿を見たら…
そしてそのお子さんが、元々元気いっぱい溌剌と過ごしていたお子さんではなくて
余命わずかと言われていたお子さんだったら…
だからこそ、何事もなかったかのように穏やかな彼の笑顔を前にすると
親が子の治る力を信じること、医療者を信頼すること
それらのもたらす働きを頭ごなしに否定することは、私にはできない。
そしてやっぱり信じることの意味があるのだと、思わずにはいられない。

今週も彼らにハッピーなことが多くありますように!

2018年03月16日

過去には戻れないのだから…

元気だったお子さんが体調を崩した時、
疲れたのかな? 風邪ひいたのかな?
最初多くの親御さんはそう思うことでしょう。
だけど、思いもしなかった方向へ診断が進んで
様々な治療が始まった時
親としてはどうして?どうして?
そんな風に心の中がぐるぐる収拾がつかなくなるかもしれません。
あるお母様が仰ってました。
ああすれば良かった、そう考えても
発症した当時にはもう戻れないのだから、解決につながるわけじゃない。
だから今、親として前を向いてできることをやっているだけです、と。

これまで流したたくさんの涙によって見出した気持ちの方向性。
すばらしいなあ。

涙でいっぱいだったけれども、
でも彼女の見ているのはずっとずっと先の未来だった。
元気になって、みんなでまた一緒に暮らせる時間。

彼女の柔らかな雰囲気の中に潜んだ凛とした芯の強さは
これからのお子さんの治療の道程を
しっかりと支える力に変わっていく…。
そう思いました。

新しい治療、きっとうまくいく。
そしていつか、親子留学できるといいね。
治療後の新しい人生、新しい広がりと共に。

2018年03月15日

事実が心の許容量を超える時

突然の出来事、連日もたらされるお子さんの病状のアンハッピーな話に
とまどいと混乱で自分自身の心が機能停止みたいになって
このままでは自分がどうにかなってしまいそうだって
お話されていたお母様がいらっしゃいました。
自分でもこの出来事にどう向かい合えば良いのかわからなくて
それでも、何とか自分の心を持ち直そうとしていた彼女は
都会のスクランブル交差点の中に身を置いて
目的もなく歩き回ったり…そんな時間もあったそうです。

そんな風に何とか頑張ってみても
病院へ向かう足取りは重いままだけど
医師からは、容赦なく心が苦しくなるような事実を聞かされます。
静かに相槌を打って、医師の顔を見て、
傍目にはきちんと聞いているように見えるけれど
実際心は上の空であったり、言葉が素通りして
さざなみが立つ心の中に残る医師の説明がほとんどない…
そういうことは多々あるものです。
説明に同席できなかったお父様のために
その場では「忘れないぞ」としっかり記憶したつもりでも
説明が終わって緊張の糸が切れると
忘れてしまったり…。

彼女がこうおっしゃっていました。
「人間だから忘れることだってある。
次、聞ける機会を作ればいいんだと思う」

その通りだなあって思いました。
1回言ったから、忘れているあなたが悪い、なんて
医師は思いません。
わかったと思っても、いざ、後になってちっとも理解できていなかった、
そういうことは往々にしてあるものです。
説明を思い出せない自分を責めたり
うまく後で自分の言葉で説明できない自分を不甲斐なく思う必要等ないのです。

理解できないほど、説明できないほど
事実があなたの心の許容量を超えていた、
そういうことです。

だってあなたはロボットではないのですから。

2018年03月14日

自分で道を切り開いた少女

高校3年生の時にとても大きな手術を受けて
その後、あえて1年間の浪人生活を自分で選んだ少女に
嬉しい春がやってきたと教えてもらいました。
術後、とても気持ちが辛かった時期もあるけれど
彼女はそこから頑張った。
そして、今につながっている。

彼女の努力と根性に本当に頭が下がる思いです。
自分の人生、自分で切り開くものだなあって
改めて思いました。

どんな状況であっても、
そこから努力して這い上がっていく人がいる。
その事実は紛れもない事実。

彼女がうんと苦労してきた分、
いや、もっとそれ以上に彼女には幸せになってもらいたい。
切にそう思います。