こどもが生まれ、賑やかで、大変で、でも幸せで
そんな日々が積み重なって
それぞれの我が家の「日常」の姿が出来上がっていった頃
突然我が子が重い病気の可能性があると医師から指摘された時、
余りにも大きなギャップに現実を直視することがなかなかできない、
それが人の心の在り様だと思います。
そんな時、どうしていけば良いのでしょうか。
良い、悪い、そういう表現は適切ではないと思うけれど、
どうしていけば親は苦しい時間から脱していけるのでしょうか。
あるお父様は突如訪れた危機的な状況の時、
自分が家の中での大黒柱であることを強く思い返したのでした。
自分がおろおろしていたら、家族はどこに向かって進むこともできない。
だからこそ、毅然とした大丈夫なふりをしたのだそうです。
自分はへこたれたりはしないと。
最初は「ふり」をしていても、
やがて時間と共に自分は本当に「大丈夫」になっていったのです。
心の耐性がついた、というか
初めての様々な危機的状況を経験していくうちに
自分なりの対処法を編み出していけたからです。
やがていつのまにか「ふり」ではなくて「真の姿」になっていきました。
周りの人にとってはそれが
いつまでが「ふり」でいつからが「真の姿」か
それはわかりません。
でも少なくとも共に暮らす家族にとっては
毅然とした彼の態度に大きな頼りがいを感じられ、
そうしていくうちにそれぞれが力を蓄え、養い
皆が大丈夫になっていくことができたのでした。
どうして最初に「ふり」をしたのか。
その部分を問いかけた時、
その状況から逃げ出すことができないからだと
お父様はおっしゃいました。
本当の自分自身をもう一人の自分自身が鼓舞し、励ましてくれる。
「ふり」でもなんでも良いから
その場にとどまっているうちに
絶対それが本物に変わっていくから。
そうもう一人の自分が導いてくれたのかもしれません。
そういう彼の姿を「強がっている」「本音じゃない」「不自然」
そのように批判する方々もいるかもしれません。
でも、人間は千差万別。
危機に対して様々な向かい方があって良いのだと思います。
すべての人に彼のやり方が通用するわけではない。
もしかしたら「ふり」をすることが
後々大きな心の負担になるケースもあることでしょう。
だからすべての人に彼のやり方をお勧めするわけではありませんので
どうかご注意を。
自分の役割意識となりたい自分像がはっきりしていたから
彼の場合うまくいったのかもしれません。
彼のお話を伺いながら心がとてもジーンとしました。
人は自分自身を変えていくことができる。
人は本人も気付いていない潜在的な巨大な底力を秘めている。
それをどう引き出していくか。
そのアプローチは100人には100通りの方法があるのだと
改めて思いました。
お子さんどうか元気になりますように。