2023年12月10日

君の中の神性がくすんでしまわないように

人それぞれ、背負っているものは違うけれど
生まれた時から何かの病気だったり、
小学校に上がる頃から病気がわかったり
そういうこどもたちと話していると
キラリと光る神性が突然垣間見えてくることがあります。

君の心の中にある尊い気持ちは
黙っていては周りの人はわからないのだよ。
そのために、君は周りから誤解されていることも
あるかもしれない。


誰かに良く見られたいとか
そういう理由なんかじゃなくて
君が君らしく生きるために
本当の君を周りに理解してもらうために
自分の思っていること、
時にはしっかり表現することは
とても大事なことだと思うよ。

これからいろいろ
大変なことがあるかもしれないけど
でも本当の君はきっとそこから
思いもかけない程、成長するはずだから。
その力を君が秘めていることは
私にはわかるよ。
だから、自分の力を
「ここまでだ」って自分で決めつけないでほしい。


自分の最大の敵は
周りじゃなくて
自分という時もあるから。


これから君の中の神性がくすんでしまわないように…
キラッとした神性が
もっと、もっと増えますように。


どうか、いつか君の心に届きますように。
そう思って今日ここに書いておきます。

元気になれますように。
応援しているよ。

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2021年11月04日

何かを頼るということは

何かを頼るということは
責任を放棄したり、現実逃避したり
決してそういうことではないのです。
とても苦しい時
自分が本当の自分らしくいられるために
ひとときの間、心を預けて、
復活したらまた自分に戻って
やるべきことに邁進していく。
頼らなくても自分で考えて、自分で感じて
自分にとって必要な選択ができるようになる。
そのために大事な機会なのだと思います。
何かを頼るということは。


頼る、その先が実際の人物であったり
あるいは心の中に思い描く人物であったり
あるいは神様とか仏様とか
人智をはるかに超えた存在であったとしても
自分の中で信頼が寄せられる安全な対象に心を預けて
時間を過ぎ去るのを待つということは
賢明なやり方なのだろうと思います。

そしていつか必ず、心に力が宿る時がやってくるから
その時、預けた心を引き寄せて歩いていけば良い。
そんな風に私は思います。


お子さんどうか、元気になりますように。
そしてあなたの心にも力が宿りますように。

2021年09月11日

限界の枠を超えていくこと ―数年かけて幸せを手にした人

何年も前にとても大きな手術を受けた彼女
もう形容しがたいほど素敵なキラキラオーラに包まれていました。

たとえ健康で丈夫な体の同級生がいても
彼女と同じ境遇に置かれたら
気持ちがへこんで鬱々として
やけになって世の中斜めに見てしまうだろうなあって思う程
彼女には実に大変なことがいろいろあった。
それも随分長い間に渡って。

けれども、そこでその時、その場でできる
最善の努力を彼女はしてきた。
こういうやり方でダメなら、別のやり方でやればいいんじゃないかって。

自分の夢がはっきりしていたから
そこに向かって努力を惜しまずにチャレンジしてきた。
そして得られた幸せは小さくても見逃さないで、忘れないで
そのたび幸せを満喫していた。

彼女の控えめだけど、幸せがこぼれてくるような笑顔、
彼女のこれまでの苦労の連続を乗り越えてきた自信に
満ち溢れているようでした。

「今」がすべてじゃない。
思いもかけないご褒美は数年経って突然やってくる。

この世界に神様がいるのならば
神様は彼女の頑張りを
1つ残さず見逃してはいなかったんだなあって思う。

そして神様は頑張った彼女を称賛して
「あなたはもっとできる人だから
ステージアップしてもっと違う世界で頑張ってみなさい!」
そんな風に新たなご褒美チャンスを与えてくれて
後押ししてくれたのだと思う。

今日、明日、目先の都合や
得をするとかしないとか
そんなこどに惑わされてはいけない。
病気であること、それはどんなに治療をしても事実として存在するなら
それと共にどう自分が生きていくのか。

限界とは病気だからとかそういうことではなくて
自分自身の心が決めてしまうこと。
そして限界の枠をはずせるのも、自分自身の心の中でできること。
彼女の笑顔から、しみじみとたくさんのことを教えてもらった。

彼女の幸せが心から、とても嬉しい。

もっともっと、彼女の夢がこれからも叶っていきますように。

2021年09月01日

「なんだかなー」と思う時 10年経って舞い込むこと

人間思うようにはいかないものだなあと
日々毎日が、なんだかなー、どうなんだかなーと思うことはあっても
でも自分の中で譲れないもの、これだけは、って思うもの
そういうことは損得考えずにこつこつ地道に続けていく、
それは10年位経って、思わぬ時に思わぬところから
舞い込んできたお知らせが自分の心に
もう1回トントンって嬉しい響きをもたらしてくれる。


10年後の自分がどうであるのか、どうありたいのか
それは今日1日でわかることはないけれど
その毎日が10年後に繋がっていく。
そう思えることがありました。


今、嘆く気持ちは10年後も同じままじゃない。
だからと言って今嘆くのはダメだ、と言っているのではなくて
もうこれ以上嘆くことができないくらい十分嘆いて、
その後、空っぽになった自分から
また日々が始まっていけば、
10年後はきっと違う人生になっていく。

それを病気のお子さんに伝えたいなあって思いました。
「今」がすべてじゃないから。
そしてどこかで何かと誰かとあなたは繋がっているのだから。
あなたはそれを普段、まったく意識しているわけではないけれど
その何かや誰かが未来のいつかのあなたの心を
トントンってノックしてくれるから。
それが思いもよらずあなたを励ましてくれることになるから。

2021年07月03日

今のあなたは以前のあなたとは違うから… 決断したい時に過去の苦しい思い出が蘇る時

我が子が重い病気だとわかり、手術や投薬など
いろいろ始まって、
医師から新しい治療を提案された時、
本当は心からそれをやりたい!と思っても
自分は親としてその治療を受けるこどもを支えていけるのか?
これから自分たち家族の生活、どうなっていくんだろう?
まったく自分に自信が持てなくて、
心があっちにこっちに揺れてしまう。
周りからは「すごく一生懸命に頑張ってるなあ」
って思われているのに。

自分でも理由がわからないけれども
なぜだか自分に自信を持てないのは
親自身がこどもの頃に受けた体験が影響していること
実は結構、あるのです。
それはご本人も気付いていないけれど。

過去、理不尽に馬鹿にされたり、
いじめでひどい目に遭ったり、
そういうことが理由で自分に自信を持てない。
あるいは本当の自分を分かってもらう機会がなくて
本当は違うのに、ってすごく苦しかったとか。

大人になってから今、そうした気持ちを
いつも引きずっているわけではないけど
何か大きな決め事とか、大きく何かが変わる時に
自分がすごく親として至らないような気持ちになって
親として決断が求められる時に躊躇する。
自信をなくしたこどもの頃の苦しかった気持ちが
浮上して重なってしまうから。


そういう時に思い出してほしいです。
もう、あなたはあの頃の
弱かったあなたではないということを。
あれからもう何年もの年月が経って、
あなたも十分に変わっている。

もちろんあなたがあなたであることに変わりはないけど
様々な経験があなたを強く変えている。

思い出してほしい。
これからいろいろなことがあっても
そこからどうにかしていく力を
今のあなたは持っていることを。
そしてそういうあなたの頑張りを
ちゃんと周りは知っているということを。

苦しいと思う時ほど、
あなたの素晴らしい真価が発揮される時だということを。

それをお伝えしたいなあって思って。

お子さんきっと元気になりますように。

2021年05月22日

病気のこどものきょうだいから「自分はいらない子だったから」と言われた時

幼い頃からこどもが病気で入院を繰り返す時、
親が病院側から24時間の付き添いを求められて
自宅を長期間不在にすることもあります。
そうした場合、入院するこどもの心配だけでなく
家に残してくることになる兄弟姉妹のことも
心配ですね。
親は気がかりで、毎日電話やメールで連絡を取って
できる限りの努力をして、どうにかその時期を乗り切る。
なのに数年経って、物事の分別が分かるような時期になってから
当時を振り返り「自分はいらない子だったから」などと
口にされると、親の心はどうにもこうにも苦しくなる。
親だって一生懸命だったのに・・・と。

過ぎ去った時間はもう取り戻せない。
いや、取り戻せてあらゆる手を尽くしたとしても
やっぱり同じように「自分はいらない子だったから」と
言われるかもしれない。
人の心はうつろうものだから。
じゃあ、どうすれば良いのか?


心は上書きしていけば良いのだろうと思います。
過去の記憶やその時に感じた思いを消去するのではなく
それはそれ、とひとまず置いておく。
肝心なことはその後の今、どうなのか、だと思います。

少しだけ時間に余裕ができた時、
あるいは兄弟姉妹の認識・理解力が成長した今、
少しは親の心の機微もわかるようになった今、
「自分はいらない子だった」
かつてそのように感じていた思いを
上書きするような時間を持つことが大事なのだろうと思います。

共に過ごす物理的な時間の多さを求めているのか、
あるいは時間云々ではなく自分に対する視線の温かさを求めているのか
こどもによってそれぞれです。
それも特別な機会を求めているのではなく
日常のありふれた時間の中でハッと気づくような機会が
実はとても大事で、とても思い出深い時間になるのかなあ。
小さなその日常の積み重ねが、心の中で氷結していた塊を
やがて少しずつ溶かしてくれるのだと
あるお母様とお話しながら思いました。

親だって心揺れる人間だけど、親も一生懸命頑張っている。
それは大きくなって、こどもが気付くことです。
その一生懸命さがやがて、こどもにとって無言の教えになっていきます。

今、親はその一生懸命さが報われないように思っても
きっと何年か経って一生懸命さがその子を導く時が来る。
それも、こどもの心の中で醸成して。
あなたの今の一生懸命さは無駄なんかじゃない。

それが彼女に伝えたいこと。

2021年04月17日

「親は何もできない」のは本当か? ――絶望から抜け出した親

我が子の病気が告げられたある親御さんの心の中に
広がり渡った感情は絶望ばかりだったのでした。

これからのことを考えると莫大な不安が押し寄せて
我が身が削がれるような苦しさを感じていた時間、
それは第三者が容易に推し量ることなどできないものでした。
その中で親御さんは
「そもそも不安が生まれる根源は何だろうか?」
「自分は何に対してそんなに脅えているのだろうか?」
と辿っていかれたのでした。

我が子が難病と診断された時
何もわからず、今後の見通しも立たず途方に暮れることは
ごく自然な心の在り様なのだと思います。
そして自分のことを親として無力に思い、
自分にネガティブな感情を向けてしまう。

自分の不安の元を辿る、
それは決して容易なことではありません。
なぜなら自分の避けたい感情や事実を明らかにしていくことだから。
それをやってみよう、と取り組む自体、素晴らしいことだと思います。
やがて親御さんは自分にもできることがある、と
みつけていかれたのでした。
そしてあれほど絶望を感じていた心の中に
小さな幸せや希望が舞い込むようになってきました。
自分を変える強さを持つってすごいことだなあと思いました。


人は「何もできない」「もう手立てがない」
そう感じる時に不安が一層押し寄せます。
でもその中で「何も」ではなく
1つでも、2つでもできる「何か」を見つけると
少しずつ道が開けていきます。
「私は何もできない」と思う時は
「でも・・・」と自分に問いかけてほしいです。
そもそもできないと自分が思考を向けた領域や対象が適切だったのか?

こどもという存在は病気だけで構成されているわけではありません。
「〇〇(病名)の〇〇くん」ではなく
「小学校〇年生の〇〇くん」
「塗り絵とブロックが好きな〇〇くん」
「物真似をして人を笑わせるのが得意な〇〇くん」
〇〇くんを形作る様々なものに対して
親はいろいろな方法で支援をすることができるように思います。
病気はその子にとっての一部にすぎない。
改めてそう思いました。

2021年02月18日

消せない思いを抱える時に ―ある母の変化

待ちに待った我が子の誕生、
その喜びで充たされた日々もつかの間、
医師から我が子に重い病気があると知らされた時、
「どうして?」「何かの間違いじゃないか?」という思いと
子へ「病気でごめんね」って思う申し訳なさ。
そういう思いを消し去ろうとしてもどうにもできなくて
更に日々苦しくなってくる自分。

あるお母様は抜け出せないループの中で
出口を見い出せなくなっていたのでした。
そういう日々は心身共に力を奪われてしまいます。
そして、もうそういう自分の気持ちに蓋をするのも限界だと思って
彼女は現状を受け入れようと思ったのでした。
自分にできることって何かな?って思うようになったのだそうです。

今を嘆くよりも、こどもがこれからより良く生きていけるように
母だからできることを導いてあげたい。
それが彼女の至った答えでした。

もちろん気持ちは行きつ戻りつ、
前向きに思える日もあれば、逆戻りもあるけれど、
「でもそれでいいんだ」と思えるそうです。
なぜならそれが自分のペースだから。
彼女の言葉に心がジーンとしました。

人生は誰かとの競争じゃなくて
自分でこの子の母として、どう生きていくか
そういう気持ちの切り替えができたんだなあって思いました。

変化を受け入れる人は強い。
そしてその強さは美しいなあとしみじみ思いました。

お子さん、どうか少しずつ元気になりますように。

2021年01月28日

「勉強したい」 心から湧き上がるこどもの声

あるお子さん、入院中
「勉強したい」ってポツリと。

テストでいい点数がとりたいとか、
親から勉強しなさいって言われたとか
そういうことじゃないですよ。

「できるようになるって楽しい」って思うんですって。

まっすぐ私に向けられた彼の瞳には
虚勢をはって格好つけようとか
大人の前で自分を大きく見せようとか
そんなものは微塵も感じられなかった。
私には見えていないもの、感じていないものを感じている人の瞳。
これまで数えきれないほど入院してきた
たくさんの苦しみを経てきた人の瞳。
病気は彼自身だけではどうにもできないところがあって
医師にお願いしなければいけないけれど
勉強は自分で頑張ればどんどん学んでいけるものね。

大部屋でこそこそっと小さな声で話した彼の言葉は
私の心の中にジーンと染みてきた。

オールドソウルなんだなあ。彼は。

人間は年を重ねているから見識が深まるとか
決してそういうわけではないですね。


彼が友達と会ったり話したり、
好きなことどんどん学んで、学ぶ喜びが充たされて
病気が少しずつ良くなって
彼の世界に幸せが降り注ぎますようにと
願わずにはいられない。
神様がいるならば、彼の存在をしっかり見つけてほしい。

2021年01月12日

良くなるために必要なことだから  一進一退を繰り返す時の親の心の中

入院している我が子の治療、
もちろん主治医のことを信頼しているけれど
病状が悪化して一進一退を繰り返すと
心の中がざわざわしてくるものです。

そういう時、思い出すあるお母様の言葉がある。
「良くなるために必要なことだから」
彼女はそうおっしゃっていた。

これまで何度も一進一退、
いや、一退どころかもっともっとかもしれないけれど
それでもこれまでの経験から
「何があっても何とかなる」
そう確信していたのだそうです。
それは祈りにも似た確信。

渦中にいるこどもと家族にとって
いつ一進がくるのかわからない。
でもそこで気持ちをどう立て直していくか。
不安だらけで過ごして家族全体が揺れるのか
少しの不安を残しながらも
きっと大丈夫だって思って信じて親が過ごすか。

それは入院しているきょうだいを
自宅で待つ他のこどもたちにとっても
とても大きな影響を及ぼします。
入院している子も、家にいる子も
みんな大事な子。

「良くなるために必要なことだから」
彼女のその言葉はきっと家族みんなのために必要な言葉なんだなあと
しみじみ思いました。

お子さん少しずつ元気になりますように。

2020年12月14日

どうしたら「かわいそう」ではなくなるのか?

我が子の病気という事実を変えることなどできないけれど。
その事実がイコール「かわいそう」「気の毒」「不憫」
そうなってしまうことは
どうにもこうにも受け入れ難い。
そこであるお母様は考えたのでした。
「どうしたらかわいそうな人生ではなくなるのか?」

たどり着いた彼女の答えは
お子さんが充実した人生を送ること、だったのでした。

如何ともし難い事実にうちひしがれる時間があれば
今ある能力、今親さえも気付いていない潜んだ能力を
どう引き出して、どう伸ばしていくか。
彼女はそこにフォーカスした。
それは我が子の持っている大切な宝物だから。
それぞれのこどもがそれぞれの能力を持っているのだから。

なんとなく過ぎていく時間が
目的を持った時間に変わることによって
彼女の心の張りまで変わっていきました。
何か流行りの英才教育をしようというのではなく
巷で長く良しとされてきた教育法も
そのまま受け売りでやるのではなくて
自分が「そうだな」って共感できる部分だけを取り入れていく。

こども、そう考えるとか弱い存在に思えるけれど
一人の人間として
こどもの自主性や尊厳を大事にして。

彼女の気持ちを知って心がジーンとしました。
長く苦しい時間は彼女の心を痛め付けたのではなく
自分の心をお手当しながら
いつのまにか彼女を開眼させる、醸成の時間に変わっていった。


健康に生まれていれば、
記憶にも残らないようないくつもの日々の積み重ね、
それが彼女親子にとってはかけがえのない貴重な日々の積み重ね。
多くの試練を乗り越えてきて、つかんできた日々は
本当は今こうしてあり得なかった日々だったかもしれなかったから。

お子さん、どうか一歩一歩、着実に元気になっていきますように。

2020年11月22日

受け止めたいけど、受け止められない、そう思う時。

我が子が重い病気にかかっていて、新しい治療に取り組む時、
親は次から次へと考えなければいけないことが出てくる。
今のこと、これからのこと、
ちょっと先のこと、すごく先のこと
こどもだけじゃない、家のこと、他の家族のこと
そのすべてを「今この瞬間」に考えて、道をつけておかなくちゃ

彼女の頭の中は常にフル稼働だったのでした。
だけどある時、感情の糸が切れてしまったのでした。
突然プツリと。
「受け止めたいけど、受け止められない」
心の中はいっぱいいっぱいだったのでした。

自分が泣いていたらこどもが心配するから
溢れる涙を一筋も零れ落ちないようにと
急いでハンカチでぬぐい取っていた彼女の姿を見て
心がジーンとしました。


親だって人間だもの。


彼女は辛い時も、そうでない時も
ひとしきり胸の内をご主人に話すと
また気持ちをリセットしてやり直すことを繰り返す。
それをこれまで何度も何度も何年も続けてきたのでした。
とてもとても深い信頼を寄せて。


病気のこどもの親であることを
誰かに変わってもらうわけにはいかないけれど
頑張っている自分のいっぱいいっぱいな気持ちを
一番近くにいる人がわかっていてくれる。
その事実が何よりも彼女に力を授けてくれる。
そう思いました。


お子さん少しずつ元気になりますように。

2020年11月09日

どこまで心をゆるゆるにして良いのか ―ある母の悩み

自分の心の中では
もうこれ以上頑張れないよっていうくらい
毎日、毎日頑張って
こどもの新しく始まる治療に備えて
不安や心配や期待、
今の事、将来の事、
たくさんの感情が同居して
だけど親として自分は気が抜けないぞ!

彼女はそう思っていたのでした。

だけどある日、はたと気付く。
「自分も相当疲れている」と。

だけどそこで休めない。
立ち止まって一息つくのが怖かったのだそうです。
どこまでどう自分の心をゆるゆるにして良いのかと。


そうやって、これまでずっと過ごしてきたんだなあ。
彼女は。

そのお話を伺った時、心がジーンとしました。


20年以上前、ハワイでアメリカ心臓協会(AHA)の
心肺蘇生コースのトレーニングを受けた時、
インストラクターが住民としてホノルルマラソンの
ボランティアスタッフをしていたので
私もボランティアに参加したことがありました。
その時、初めてホノルルマラソンの膨大な数のランナーたちを
間近で見たのだけれど、
タイムを競う人ばかりじゃなくて
走っていること自体や美しい街並み、一緒に走る仲間、
そういったことをそれぞれマイペースで
思い出作りながら
心に刻みながら走っている人たちが
結構多いのでびっくりした。

その時の風景を今でも思い出します。
看病はあの時のホノルルマラソンと同じかなあ。

頑張って、息抜きして、また頑張って
そうやってゴールを目指す。
そうすると頑張るプロセスが
ただ苦しいだけじゃなくなるから。


ちょこちょこ息抜きしながら
頑張っていけば良いのだと思う。

親だって人間だもの。


お子さん元気になりますように。

2020年11月01日

自分が変わるということは ―我が子が難病と言われた時

「自分は普段ネガティブ思考だけど、
我が子の事を考える時はポジティブになる」

彼女はそうおっしゃっていた。
こどもが難病だという事実は
誰にも変えることはできないけれど、
そこから派生する感情や思考をどうしていくかは
「その人」の手中にある。

ずっと苦しい時間を過ごしていくの?
ずっとこれからも落ち込んで、悲しくて、
そうでなくてはいけないの?

いや、そんなことは望んでいない。


こどものためなら新しい自分に変わることができる。
こどもが自分にくれた大きなチャンス。


彼女の変化を知って心がジーンとしました。


お子さん、元気になっていきますように。

2020年10月29日

「1万人に1人の強運の持ち主だ!」 あるご夫婦のお話

我が子が1万人に1人の難病だと言われた時、
とても信じられなくて、
何かの間違いなんじゃないかと思って
どうしてうちの子なんだって怒りが湧いてきて
そのうちどんどん悲しくなって、
涙が止まらなくて……

ひとしきりそういう時期を経た後に
彼女はすーっと心の中に覚悟ができたのだそうです。
「越えられない壁はないぞ」って覚悟ができたそうです。

「1万人に1人の病気」
そういう確率にあたった我が子を
「1万人に1人の強運の持ち主だ!」
そういう眼差しを向けるようになったのだそうです。

たくさんたくさん流した涙の時間、
それは大きく変容するために必要だった大切な時間。
彼女の長く辛かった時間から
立ち上がった姿を知って
心がジーンとしました。
そこには彼女を「大丈夫だから」と
ずっと支え続けた御主人の力の大きさがあることも
忘れてはいけない。


泣き上戸で、でも笑顔もとってもチャーミングな
素敵な彼女。
信頼から新たな時間を生み出した素敵なご夫婦。


お子さん、ゆっくりしっかり、
元気になっていきますように。

2020年10月08日

人生の幅を狭められない ―ある青年の言葉

「人生の幅を狭められない」

そう語った青年がいました。
とても静かに。

私は心がジーンとして、
何度も何度もその言葉が
頭の中で共鳴するようでした。


小学生の頃から、大変な病気で入退院を繰り返して
他のこどもたちがステップアップする時期に
同じようにチャンスを手にすることができなくて
それでも、また別の方法を考えて
そしてより良き時期を待って、
そのチャンスをどうにか手にしていく。
それを何度も繰り返してきた人です。
頑張っても、頑張っても病気のために
次のステップへのはしごを外される。
そうした悔しさは
他人が容易にわかる道ではありません。

何より自分自身の中で起こる葛藤と
どう向き合って折り合いをつけていくのか。
実にそこが難しい。

物静かで、はにかみ屋さんで
でも心の中に熱いものをずっと持っていて
自分の夢を忘れない青年。


そういう青年がポツリと語ったその言葉
「人生の幅を狭められない」

そこにすべてが集約されているのだと思いました。
彼の生きてきたこれまでの原動力が。


私の人生の半分の長さもまだ生きていない若者が放った言葉は
私の中で生涯忘れられない言葉になると思う。


病気が人を成長させる、
そういう表現がありますが、
彼の言葉はそんな表現では収まりきらないのだと思う。


彼の人生にどうかあたたかな陽が照らされますように。
幸せになって、夢を叶えていってほしい。

心からそう思います。

2020年09月25日

流れを変えるということは ーある父の話

普段は慎重派で自分のことはついネガティブに考えてしまいがちだけど
こどものことになると、俄然ポジティブになることができる。

そうおっしゃったお父様がいらっしゃいました。

我が子が難病だと言われて、何もかもが手探りの日々、
相談したくても同じような境遇の親御さんに出会うことは
まず、なくて。。。

そういう時、人はどうしても悪い方にばかり考えてしまう。

でもそんな中、彼の気持ちをしっかり支えてくれたのは
我が子のすべてをポジティブに考えていこうとする
そういう彼自身の思考姿勢だったのでした。

悪い方に考えれば、もうそれはきりがなくて
そこからどんどん落ちる気持ちは加速するけれど
ポジティブに考えてみることで、そうした流れをまず止める。
そしてそこから何が必要なのか、
父親として自分は何ができるんだろうか、
それを考えて、実行してみる。


とても穏やかで、お話していると
まるで一緒にひなたぼっこしているような
そんな気持ちがじわじわ周囲に伝染していくような方。
そういう方の心の奥底にある力強さを垣間見た時
とても心がジーンとしました。

自分のできることを
とにかくひたすらやっていく。
我が子の将来を常にポジティブに考えながら。

そういう彼の姿勢は不確かだったかもしれない幸せを
今こうして確かに引き寄せる力を持っているんだなあと思いました。

人は自分次第でどのようにでも変わっていける。
彼の言葉から、しみじみそう思いました。

お子さん元気になりますように。

2020年09月12日

小さなゴール

こどもが難病だと診断された時
これからの道のりを考えた時
これから将来の成長の行方を考えた時
確かに医師から治療の道筋を聞かされても
何を頼りにどう進めば良いのか
途方にくれることありますよね。

あるお母様がおっしゃっていました。
「小さなゴールを達成していく」と。
聞いた時、ああ、良い言葉だなあって思いました。

小さなゴールを繰り返していくうちに
それまでは気付かなかった世界が見えてくる。
小さなゴールなしではたどり着かない大きなゴール。

無力だと思っていたけれども
こうして小さなゴールの結果を出せている。
そうした自信は親の心の力になっていく。
それがこどもの力に影響していく。

毎日が小さなゴールの連続だから
1日を達成感で締めくくれたら
きっと次の日も「よし今日もまたまた頑張ろう」って思える。

大事です。小さなゴール。

彼女の言葉からしみじみそう思いました。

お子さん元気になりますように。

2020年08月20日

「ふり」をやがて「真実」にした父 その心の根底にあるものとは

こどもが生まれ、賑やかで、大変で、でも幸せで
そんな日々が積み重なって
それぞれの我が家の「日常」の姿が出来上がっていった頃
突然我が子が重い病気の可能性があると医師から指摘された時、
余りにも大きなギャップに現実を直視することがなかなかできない、
それが人の心の在り様だと思います。
そんな時、どうしていけば良いのでしょうか。
良い、悪い、そういう表現は適切ではないと思うけれど、
どうしていけば親は苦しい時間から脱していけるのでしょうか。

あるお父様は突如訪れた危機的な状況の時、
自分が家の中での大黒柱であることを強く思い返したのでした。
自分がおろおろしていたら、家族はどこに向かって進むこともできない。
だからこそ、毅然とした大丈夫なふりをしたのだそうです。
自分はへこたれたりはしないと。
最初は「ふり」をしていても、
やがて時間と共に自分は本当に「大丈夫」になっていったのです。
心の耐性がついた、というか
初めての様々な危機的状況を経験していくうちに
自分なりの対処法を編み出していけたからです。
やがていつのまにか「ふり」ではなくて「真の姿」になっていきました。

周りの人にとってはそれが
いつまでが「ふり」でいつからが「真の姿」か
それはわかりません。
でも少なくとも共に暮らす家族にとっては
毅然とした彼の態度に大きな頼りがいを感じられ、
そうしていくうちにそれぞれが力を蓄え、養い
皆が大丈夫になっていくことができたのでした。

どうして最初に「ふり」をしたのか。
その部分を問いかけた時、
その状況から逃げ出すことができないからだと
お父様はおっしゃいました。
本当の自分自身をもう一人の自分自身が鼓舞し、励ましてくれる。
「ふり」でもなんでも良いから
その場にとどまっているうちに
絶対それが本物に変わっていくから。
そうもう一人の自分が導いてくれたのかもしれません。

そういう彼の姿を「強がっている」「本音じゃない」「不自然」
そのように批判する方々もいるかもしれません。
でも、人間は千差万別。
危機に対して様々な向かい方があって良いのだと思います。
すべての人に彼のやり方が通用するわけではない。
もしかしたら「ふり」をすることが
後々大きな心の負担になるケースもあることでしょう。
だからすべての人に彼のやり方をお勧めするわけではありませんので
どうかご注意を。
自分の役割意識となりたい自分像がはっきりしていたから
彼の場合うまくいったのかもしれません。

彼のお話を伺いながら心がとてもジーンとしました。
人は自分自身を変えていくことができる。
人は本人も気付いていない潜在的な巨大な底力を秘めている。
それをどう引き出していくか。
そのアプローチは100人には100通りの方法があるのだと
改めて思いました。

お子さんどうか元気になりますように。

2020年08月04日

自分にできることはニコニコしていること ―そう心に決めた母

我が子が「とても数の少ない病気」だと主治医から言われ
医師は一生懸命説明してくれるけれども
何度説明を聞いても、とにかく難しくて
親にとってはわからない。
そういう病気だった時、
あなただったらそれをどう受容していきますか?

あるお母様はニコニコして
こどもが頑張っていけるように応援する
そういう風に生きてきたのだと振り返ります。
自分は医者ではないのだから
自分がどうこうできるわけではない。
自分にできるのはニコニコしていることだけだと。
お子さんの一番近くにいつも、いるものね。

朗らかで、あたたかくて
彼女はとても素敵な女性で
周りの人にいつのまにか幸せな気持ちを
さりげなくお裾分けしているような方。
でも、彼女がニコニコして応援して・・・
そういう心境になるまでに
3、4年かかったのだそうです。
あまりの理不尽さに八つ当たりしたい気持ちも
あったのだそうです。

どれほど長く苦しい時間を過ごしてきたのか。
彼女のこれまでの道のりを思うと
心がジーンとしました。
今の彼女からはとても想像つかない。

それでもその時間は
彼女を素晴らしく飛躍させたのだなあって思いました。
もちろん元々素敵な人だったのかもしれないけれど
私はずっと前のことはわからないけれど。

「病気だけれども
楽しい時間もあるし、幸せだし。
何とかなるかって思えるし。」


そういう彼女の言葉が
すごく神々しく思えました。


今の世の中、
新型コロナの渦中で人々の心が
カサカサしてしまうところもあるけれど
彼女の話を伺っていると
襟を正す、そういう気持ちになりました。


お子さん、元気になりますように。
彼女が幸せを感じられる時間が
もっと増えますように。

世の中に神様がいるならば
こういう人のところにこそ
多くの恵みをもたらすべきだとつくづく思う。

2020年07月24日

封印した涙の訳 ―重い病気のこどもと長く向き合う親の苦しみ

今日も明日もあさっても、
重い病気の我が子のために
いつも頑張る親でありたいと頑張ってきたけれど
そうした緊張の毎日がもう何カ月も続くと
人の心はだんだんバランスを崩していく。

一粒の涙がきっかけとなって、
もう今までの気丈な自分が
どこか遠くへ消え去ってしまいそうな気持ちになる、
泣くことによって今までの自分が歯止めなく崩れてしまいそう、
だから自由な感情や涙を彼女は封印してきたのでした。

その彼女がポロリと流した涙を知った時
ああ、どんなに彼女の苦しみが大きかったのだろうと思いました。
そこに凝縮されてきた時間はとてつもなく膨大な量です。

本人でなければたとえ家族であっても
本当の気持ちなどわからない。
まして第三者、他人には決してわからるなどとは言えない。
だけど、わかってほしいのではなくて
わかろうとしてほしい。
彼女の涙にはそういうメッセージがあるのだと感じました。

彼女が求めているのは同情とか憐憫を寄せるとか
優しい言葉で慰めてほしいとか、そんなことではなくて
我が子の病気に限らず、
困難な中で逃げずに(逃げられずに)
どうにか踏みとどまって頑張ろうとしている
そういう自分の存在と自分の生き様を
誰かに知ってほしい、そういうことなのだと思います。

人間らしく過ごしていくには
涙を封印する呪縛からは解き放っても良いと思います。
泣いたから気丈な自分が消失するわけではありません。
解放して、リセットして。
その繰り返しで前より一段一段ステップアップされていくのだと思います。

その親の軌跡を誰よりも一番近くで見続けているのが
紛れもなくお子さんだから。
人はいろいろ大変なことをどうやって乗り越えていくのか、
そのとても難しくて大切なことを
お子さんは赤ちゃんの頃から親の姿を見て学んでいる。


お子さん、少しずつ元気になっていけますように。

2020年07月16日

重い病気のこどもをお世話する親の心の中 ―親の心の1%の希望

生まれて間もない時からいくつも重い病気を抱えるこどもにとって
親とは自分に代わって治療の選択をしてくれる人であり、
医師の話す事実を受け止めてくれる人であり、
病気で不自由な体をお世話してくれたり
病気で自由に遊べないストレスで鬱屈した心を
丁寧にフォローしてくれる、
そのような八面六臂の活躍が求められる人です。

「今」この時間を生きている時、
とにかく今が一生懸命で毎日を過ごしている。
けれどもそうした生活が1年、5年、10年と続いていくと
親は「お父さん」「お母さん」の役割を外した
20代、30代、40代、50代の「人」としての
望む姿を追えない場合も出てきます。

自分の中に99%一生懸命なお母さんの部分があって
1%はこどもの話とは別に
自分の希望や目標に向かって頑張りたいけれど
それ自体が叶わない自分。
その1%に気付いた時、
ある女性は自己嫌悪や罪悪感を強く持ったのでした。
こどもに申し訳ない、と。


でも。。。
親だって人間だもの。
自分自身の密かな希望や目標があって当然ですよ。
それを自分勝手とか、現状をわかっていないとか
頭ごなしに否定するのは違うのだと思います。
親は自問自答しながら、自分の希望と現状との間に
折り合いをつけて、自分の気持ちをうまく整えていく。
そして時期が来たら、
親も子もどちらにとってもハッピーな
状態だなって思える時が来たら
修正した自分の希望を少しずつ叶えていく。
そうやって親が自分の人生を生きていく。

そういうことで良いのではないかなあと思います。

そういう時の自分の変わる苦しみ、
整えていく途中の苦しみは
とても尊いことだと思います。
そして誰かに知ってもらうべき、
意味のあることなのだと思います。
人が困難を受け入れて
何か新しくステージアップしていく時、
やっぱり一人ぼっちで変わるのではなく、
誰かそれを分かち合う、見守る人がいた方が良い。
彼女の涙からそう思いました。

そうやってきた親の軌跡を
お子さんは大きくなって知った時、
きっと誇りに思うはず。
自分のために親は苦労ばかりしてきた
気の毒な人、なのではない。
自分と共に親もどんどんステージアップしてきた人なのだと。

2020年07月03日

長くお世話が必要な病気のこどものいる共働きの家庭

こどもが成長することは
とても楽しみではありますが
そういった成長がなかなか難しい病気もあります。

自分でスプーンが使えるようになって
ほっぺにご飯粒をつけながらおいしくご飯を食べたり、
コップのお茶をこぼしながらもゴクゴク飲んだり
お天気の良い日には公園で駆けまわったり
雨の降る日はわざと水たまりのなかにポチャっと飛んでみたり
そういう何気ない日常の場面が
病気のために成長として成り立たない場合
親御さんがお子さんをお世話をする期間は
長く長く、続いていきます。

もうずいぶん前になるのだけれど
すごく心に残ったエピソードがありました。
ある女性は我が子がそういう病気だと
生まれて少しして分かった時、
自分は仕事を辞めないで
何とか頑張ろうと思ったのだそうです。

それはそういうお世話が必要なこどもたちが
世の中で特別視されるのではなく
社会の中の一人としてごく自然に存在して
家族も、たまたまそういう病気のこどもがいて
だけど健康なこどものいる他の家族が考えるのと決して違いはなく、
同じように幸せになりたいなって思っている。
そういう病気のこどもと家族が
世の中で自然に生きていけるといいなあって思って
そのためにはそういうこどもがいる、そういう家族がいる、ということを
職場を通して社会の中で知ってほしいなあと思って
働き続けようと決めたのだそうです。

もちろんそれはすごく大変で
大変さは当事者でないとわからないもの。
夫婦双方の実家の支援を受けるわけでもないのです。
決して理想論だけではうまくいくわけではなく
様々なサービスや制度を活用しなくてはいかない。
夫婦協力して家事も育児も分担していかなくては成り立たない。
そういう妻の思いをご主人が「そうだよね」って賛同して
同じベクトルで歩いているのだと知って
すごく心がジーンとしました。
思いを実行に移すって
それはなんとすごいことなんだろうって思いました。

決してこどもの重い病気が理由で
どちらかの親が仕事を辞めて家でお世話を続けることを
否定しているのではありません。
その家族の中で「こうしたい、こうだといいな」
そう思うことがあって、そのために夫婦そろって一歩踏み出した、
という事実に対して素晴らしいなあと思いました。

2020年06月30日

「個人差」という深き闇

こどもの病気はたとえ同じ病名であったとしても
病状、年齢、合併症、既往歴、その他様々な要因が重なり合って
随分個人差が大きくあります。
親御さんの側から考えてみると、
同じ病名の情報をたくさん調べて
そこから「きっとこうなって、それからこうなって・・・」
そんな風にいろいろ考えが進むこともあるでしょう。
それは親として何ができるか自分たちが考えたい、
だから、未来を知りたい、そういう気持ちの表れとも言えます。
ただ、医療側からはっきりと具体的なことを言うことは難しい場合もある。

そんな時は、とにかく基本に立ち返って
そのお子さんの明らかになっている情報を整理して
これまでの経験値の中から考え得る見立てをお伝えして
そこで親御さんが自分のアクションプランを考える。
そこに尽きるのではないかなあ。
そんな風に思います。

「個人差があるから・・・」
それが崖の端の終わりになってしまうのは悲しすぎる。
これから何をどうすれば良いのか?
親御さんはそれを知りたいのだから。
手を切り離さないでほしい。
指先だけでも繋がっていたい、そういう心境なのだから。

もちろん親御さんはその見立てが
我が子に100%確実に起こる未来とイコールではない、と
それはちゃんとわかっている。
ただ、医療者が真剣に一生懸命考えて
その見立てによって親がこどものために
1つでも、2つでも、何かできることがあって
それが何か良きことにつながるのであれば
「見立て」から「善」が生まれることになる。

その積み重ねがお子さんの人生の時間を作っていく。

親は決して無力な存在ではないのだから。
そう思います。

2020年06月25日

「できる」ということがこどもにもたらすこと

こどもが何度も入院を繰り返す時、
親御さんは気持ちが沈んでしまうこともあるでしょう。
でも「前の入院の時よりこどもが一歩成長しているから、同じじゃない。」
そう思ったお父様がいらっしゃいました。
こどもはいつまでも同じじゃない。
少しずつ成長している。
前とは違うちょっと成長した時点から
入院がスタートするから
前と同じことで悩むのではないのだと。

前は家から離れて過ごすことが寂しくて、
薬を飲んだり、点滴をしたり、治療が嫌で
そういう気持ちがいっぱいだったかもしれないけど
退院して、また入院して
でも前の入院で何とかその嫌なことを頑張れた新しい自分として
入院1日目のスタートが始まる。

かつてできなかった自分が、できる自分になっている。
いろいろ大変でも、涙が出ちゃう時があっても
なんとかできている自分がいる。
それがこどもにとって達成感と自信を増やして
自己肯定につながる。
だから入院自体は同じでも、前と同じじゃない。

彼の眼差しは小さな前進を成長として喜ぶだけでなく
自己肯定ができる我が子の成長を喜んでいたんだなあと気付いて
心がジーンとしました。

お子さん元気になりますように。

2020年06月18日

説明がわからないーその背景にある孤独

今まで聞いたことのないような病名を
お子さんに診断された時
医師の説明が親の頭には
なかなか収まらない時があります。

平易な言葉で話せばわかる?
図で示せばわかる?

どんなに工夫を施して
何度数を重ねても、
それでもうまく伝わらない。
親の気持ちの中に
その治療に対する理解や賛同が
生まれにくい時があります。

親側の理解力が足りない?
いえ、そうではありません。
親自身が強い衝撃を受けて
とても事実を直視できないような時、
そういう自分の気持ちを
周りから理解を示してもらえない時
その孤独感は日を追うごとに高まって
新しい病状の説明、治療の説明を
聞いて理解するような余裕など
なくなってしまうのです。


医師が何度も工夫を施して説明しても
それでも親が理解を深めていないような時
それは親の気持ちが危機的状況に陥っていないか
そこにまず目を向けるべきではないか。

親だからといって
強靭な精神力と明晰な理解力で
どんな困難にも立ち向かえる、
そういうわけにはいかないのです。
親だって人間なのですもの。

親、という前に
一人の人間としてその方に眼差しを向ける。
そこで初めて見えてくるものが出てくる。
理解力を求める前に、
まずはそこに心を寄せてみる。

辛さや苦しさを他者から認められた時、
人は心の奥底にある強さを少しずつ発揮することができ始めると
最近そのように強く思います。

2020年06月12日

人が変わるということは ―行動の変化がもたらす新たな境地

周囲の対人関係などで悩む時
「人はそんなに簡単に変わらない、自分が変わらなきゃ」
といった話をよく聞きますね。
確かにその通りではありますが
それでも「人が大きく変わる」こともあります。
それはあるお父様のお話。
生まれてきた我が子がとても重い病気だとわかり
彼は大きく変わったのだそうです。
もしも我が子が何も病気がなく、健やかに育っていれば
きっと育児は妻任せの生活になっていたはず。
そもそも彼は子煩悩に育児するタイプの方ではなかった。
だからこそ彼の変化は妻にとって驚きでした。

それはもちろん妻にとっては
とてもありがたいことでした。
それはなぜ?
身体的に楽になる、睡眠時間がとれる、
もちろんそういう理由は
誰もが容易に想像できます。
でも、そんな表面的なことではありません。

「しっかりしなくちゃ」

そう気を張りつめて頑張っていたけれども
実は心細くてたまらなかった妻にとって
子煩悩になった夫の行動の変化が
とても大きな安心感をもたらしてくれたのです。

我が子の病気がわかって
「しっかりしなくちゃ」
そう親の自覚を新たにしたのは
自分だけじゃない。
口にはしなくても夫も同じようにそう思っていた。

そういう部分に気付くことができると
心がとてもあたたかくなったのですね。彼女は。

いいご夫婦だなあ。
彼女の話を伺って、私も心がジーンとしました。


お子さん少しずつ元気になりますように。
山あり谷あり、でも少しずつ上っていけますように。

2020年05月28日

時は何を生み出すのか ―こどもの病気と親の心

いろいろと大変なことが人生降りかかり
気持ちがいっぱいいっぱいになって
心が振り回されて、もう疲れたよ・・・
誰しも経験したことはあると思います。
それがもし我が子の病気に関わることであったら
その苦しみはより一層重く感じる。

とにかくこの状態から抜け出したいのに
どうしたら良いかわからない。

かといって、どんなに良いアドバイスを受けても
それが心に届く状態ではない。
周囲の人も何とか助けたいと思うけれど
でも、どうしたら良いものかと考えあぐねてしまう。

そのようなある女性の心を救ってくれたのは
ご主人の姿勢だったのでした。
とにかく彼女の心の中の思いを
話してもらう。それをひたすら聞く。聞く。聞く。

そしてある時すっと心が落ち着いた頃を見計らって
彼女に言葉をかけてくれたのでした。
それを繰り返していくうちに
彼女の疲れきっていた心が
段々力を取り戻して
少々のことではへこたれない強さを
身に着けていかれたのでした。

南北朝時代に北畠親房が南朝の正統性を述べた歴史書
『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)では
自分と他者の信仰が異なるからと言って、
他者の信仰を非難するとは極めて大きな誤りであり
罪であると述べる際に、次の文章が添えられています。
「人の機根(きこん)もしなじななれば教法も無尽なり」
それぞれの人の気質、性質、能力、理解力、
人を形作るものは皆違うのであるから、
そこで良しとする教えやその教えを説く方法も様々、
それで良いのである。」という意味だろうと私は思います。
人の機根とはもちろん他者それぞれ違いがありますが
一人の人間の中でも時により、様々にうつろいゆくものであるはず。

だからこそいくら正論を説いても心に届かない状況であれば
時を選ぶ。時の隔たりによって「間」が生み出され、
そこでクールダウンできることにより、
落ち着いて周りを見渡せる自分が取り戻されくる。
そこで初めてその人の心に言葉が届く。
ご主人の行ったひたすら聞く姿勢は
そういうことだったのだなあと思いました。

でも、そこで話が終わるのではありません。

彼女は長い時を経た後、
当時のご主人のそうした関わりがあったからこそ
立ち上がることができた今の自分がいるのだと
しっかり認識していたのでした。

素敵なご夫婦だなあって思いました。

我が子の病気は親に辛さばかりをもたらすわけじゃない。
そこで初めて相手の懐の深さとか本当の意味での優しさとか
気付くきっかけにもなる。


お子さん、これから元気になっていきますように。

2020年05月22日

逆境の中だからこそ生まれた新たな気付き ―ある母の話

我が子の病気は自分の病気よりも心が苦しい。
親が望んだように順調に治るとは限らない。
焦り、苛立ち、苦しさ、
様々な感情が渦巻いていて
やり場のない怒りをぶつけるあてもない。
そんな時、あなただったらどうしますか?
今の世情ではストレス発散しようにも、
なかなか容易にできないし。

あるお母さまは物事を全く別の角度で
見るようになったのでした。
ともすると、ネガティブなことばかりが
気持ちの中でいっぱいになりそうな時、
別の視点を持ってみる。
そうすると今迄何も良いことがなかったような状況に
あれ?実はこんな良いことがあったじゃないか!って
気付きを得る瞬間があったのでした。

そしてああ、良かった、と思える時間の先に
続いてくる感情は自分にとって楽なものとなる。
自分を苦しめるものではなくて
自分にとって居心地の良い感情、
それが本来の自分の心にあった柔らかな部分を取り戻す。

そうした良い循環が始まると
ネガティブな因子が降ってきても
簡単にへこたれないようになってくる。

苦しさや辛さを十二分に経てきたからこそ
彼女は逆境での強さを身に着けていったんだなあって思いました。
良いことばかり続いていたら
決して強さなど必要ないものね。

彼女の強い立ち上がりを知って
すごい方だなあって心から尊敬の思いでいっぱいになりました。
そして本当に嬉しかったです。

お子さん元気になっていきますように。

2020年05月16日

開き直るということは ―ある母親の語り

我が子に診断された病気が難病だと知った時、
「いや、そんなはずはない」と思ったり
「この先どうしていけば良いのだろうか」と途方にくれたり
「どうしてなの!」って思ったり
その感情はとても混沌として、
そうした気持ちを抱えて翻弄される日々を
すごくきついと感じる親御さんもいらっしゃることでしょう。

あるお母さまがおっしゃっていました。
「開き直ったっていうか、整理したというか。」
開き直る、という言葉はどこかネガティブなトーンを
含んでいるように感じられるかもしれないけれど、
彼女の語る「開き直る」とはそうではなかったのでした。
こどもの難病、という事実に対して
常に感情の振れ幅を大きく揺らすのではなく
それはそれ、という感じで受け止めるという意味。
否認といった感情から生まれるいくつもの感情、
それはより一層自分を苦しめることになる感情、
それがこれ以上増えないようにとする対策だったのだなあと思いました。
彼女にとっての「開き直る」って
事実に背を向けるのではなく
自分の心を開いて
自分の心をこうありたい、と思う状態に戻す。
そういうことだったんだなあって気付きました。

柔らかな彼女の笑顔の中にある
一段上のステップに自分で上がった強さは
とても美しいなあと思いました。

お子さん、元気になっていきますように。

2020年05月01日

未来を考えるということは ―親役割の果たし方

お子さんが極めて重い病状である時、
親御さんが「今この瞬間」を意識して
そこから何か小さな希望を見出せることは
とても意味のあることだと思う。
でも、今この瞬間ばかりにフォーカスすると
心がとても苦しくなる時もある。

そういう時はこの瞬間から抜け出して
少し離れた未来の良き時間を思い描くことは
親御さんにとって大事なこと。
それは自分の心の波動を整えるためにも
親として自分ができる積極的な
行動の取り方の一つなのだと私は思う。

眠っているように見えるこどもは
実は様々なことを波動によって知り得ているのだから。


今の現実を受け止めながら
我が子の良き未来を引き寄せるかのように
親の心の中に良き未来を思い描く。
それはすなわち親の心の良き波動を
こどもの心におすそ分けすることになります。
現実逃避なんかじゃありません。
一歩も二歩も先に進んだ話です。

あるお母様のお話を伺って
そのように思いました。

一日一日、お子さんが元気になるためのステップを
少しずつ上っていけますように。
そしてお母様の心にもほのかなぬくもりが
一日一日感じられますように。

2020年04月21日

親の心がもうポキンと折れてしまいそうな時に読んでほしい本 ―ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』新潮社

お子さんの病状がとても厳しくて
親の心はもうこれ以上ないというくらい
大きく揺さぶられて
親の心がもうポキンと折れてしまいそうな時。

お守り代わりで手に取ってほしい本があります。
もっともっと研究に邁進しようという30代で
左脳に脳出血が起こった
アメリカの神経解剖学者
ジル・ボルト・テイラー先生の
闘病、回復の軌跡が綴られた本です。

ジル・ボルト・テイラー著, 竹内 薫訳(2009)『奇跡の脳』新潮社

とても本の活字を追うような気にはなれなくても
そばに置いておくだけでも良いから
いつかページを開いてほしいです。

海を隔てた同じ空の向こう、
お子さんと同じような苦しみを経験しながらも
光を見出していった人の話は
きっとあなたの心にも届くものがあるはず。

全部読むには心の体力まだまだ追いつかない、
そういう方は6年前にLana-Peaceで
『奇跡の脳』について取り上げた
下記のエッセイをお読みください。
何かのお役に立てれば嬉しいです。


<当事者の立場>
消えてしまったなら、作り出す
信じる力を味方につけて
自分が育てる心の庭
細胞へ届ける感謝の気持ち
<家族の立場>
小さな前進と大きな喜び


心の中に小さな光を絶やさない限り
その光はいつか必ずあなたとお子さんを導いてくれる。
今は魂がゆっくりお休みしている時間です。
身体を少しずつ治すために必要な時間。

1日、1日、今日の命に感謝して
それがお子さんの人生につながっていく。
どうか小さな前進を積み重ねられますように。

3日前の夕方、雨上がりの東京の空、
東の方向に見えた虹。
ちゃんと写っているかな。
肉眼では確かに大きく見えたのだけど。
IMG_6790.JPG

2020年04月16日

神様はきっとすごい力を授けてくれたんだ ―小さく生まれた病気のこども

他のこどもたちよりも
随分小さく生まれて
いくつかの病気を抱えていると
医師から説明を受けたら
親御さんは途方に暮れることでしょう。

あまりにもショックが大きすぎて
明るい未来を思い描いて
頑張ろうと自分を励ます心の余裕は
まだちっともないかもしれない。

でも。
小さく見えるその身体の中に
とてつもなく大きな
親でさえも想像し得ないような
生命力が潜んでいる。

ほんの数年前、
NICUで大変な治療や手術を
受けてきたとは
とても想像し得ないほど
成長したお子さんとの出会いで
強くそう思いました。

もちろん同じ頃に生まれた
健康でしっかり体重のあるこどもたちに
追いついたわけではないけれど、
あどけない、素朴なこどもらしい
表情や仕草を見ていると
その子もしっかり成長している。

「人それぞれ」

その子にはその子の成長と幸せが
たくさんあるなあってしみじみ思いました。

こうしてこの世に生まれ出て
確かに命をつないで
今の時間まで生きてきた。
そして今もこうして生きている。
その力に素直に感動してほしいなあと思います。
これまで決して手放しで安心できるような
時間を過ごしてきたわけではないけれど
でも、そういう生の時間を重ねてきたこどもには
逆境から伸びあがっていく強さが備わっています。

それはなぜなのだろう?
本人の資質? 周りの環境の影響? 親の関わり方?

何がどうとは言い切れないけれど
きっと神様はそういうこどもたちに
週数満ちて健康に大きく生まれてきた
こどもたちとは「違う強さ」を授けて
この世に送り出してくれたのだろうと思います。

例えば1万人に1人の病気だったとしたら
9,999人の人には持ち得ない強さを
その子に神様は授けてくれたのだろう。きっと。


これから控えるいろいろな治療も
どうか乗り越えていけますように。

2020年04月06日

次々浮かぶ不安と向き合い、未来を引き寄せる父

あるお父様は我が子の病気の治療の行く末が
これからどうなっていくんだろうかと
次から次へと不安が浮かんで
自分の心の所在を持て余していたのでした。
自分の病気、じゃなくて
我が子の病気、だからなおさら辛い。

そしてどんどん気持ちは落ち込んでいく。
でも彼は思ったのでした。
「きりがない。」
そしてとにかく今できること、1つずつやっていこうと
決めたのでした。

制限だらけの生活で
他人からは一体どこに楽しみがあるのだろうかと
思われるような生活の中で
彼は楽しみを自分で考え出すようになって
気持ちを上向きにすることができたのでした。

楽しみって何?

それはこれからお子さんが元気になった未来を思い描いて
様々なことを自分と一緒にできるようになるって想像すること。
様々なこと、それはすごく特別なことではなくて
お庭で一緒に遊ぶとか
お散歩に出かけるとか。
そういう穏やかなささやかな日々。
だけどしみじみ嬉しい日々。

そういう未来を必ず手にするぞ!
自分の中でしっかり目標を掲げて
「これでいいか」っていう現状維持の気持ちは
やめたのだそうです。

今の苦しさはこれからの楽しさにきっとつながる
だからこそ、親の自分も一緒に頑張る。
とは言え、過去の彼は決して強いポジティブな
人間ではなかったのだそうです。
でも、お子さんのことをきっかけに
彼は大きく変わっていった。

だってお子さんにとって頼れる父親は
紛れもなく彼一人なのだから。
よし、って覚悟を決めた。

今、笑顔で快活に語る彼の横顔の裏に
これまできっとたくさんの戸惑いや涙やため息が
あったのだろうなあ。

今、この一点と考えると苦しいけれど
その一点が壮大な時間の流れにつながっていく。
自ら引き寄せる望む未来。
彼の言葉を聞いて
人は自分で人生作っていくんだなあって
改めて感じました。

また一人、若い父親の背中に教えられた。
お子さん元気になりますように!

2020年04月02日

悪いことばかり目につく時に「安心」を得た父

人の心は厄介なもので、
いろいろ情報を探し始めた時に
なぜか悪いことは容易にいくらでも出てくる。
そしてそれらの事柄に自分の心がとても揺さぶられて
ますます追い詰められていく。
それが我が子の病気のことであると
親としていてもたってもいられない気持ちになる。

あるお父様がおっしゃっていました。
だからこそ、自分の中で確信が得られるものだけを選択して、
記憶の中に「いい面」を強くインプットするようにされたことを。
今の時代、ネットですぐに世界中の情報にアクセスできて
中にはそれが正しいのか不適切であるのか
判断がつかないようなものもあります。
彼は専門的な話についてちゃんと医師から話を聞き
定かではない情報からは距離を置くようにしたのだそうです。

それって自分でとれる最も大切な策の一つと思います。

そしてとにかく医師への信頼を強めていったそうです。
どんなに自分がこどものことを愛していたとしても
直接治療の手段を講じることができるのは医師だから
信頼できる人に任せよう。
そう委ねる心のやりとりが
彼の心の中に安心をもたらすようになっていったそうです。

彼の取った行動は闇から光を生み出すことに
等しい話と思います。

きっと奥様もお子さんも
揺れる日々の中で変化していく夫、父の存在が
どんなに心強かったことだろう。


人間の心は厄介であるけれども
人間の心は実に力強い一面を持つ。
彼のお話を伺ってしみじみそのように思いました。

2020年03月28日

変えられない事実と生きる上で何が光になるのか ―遺伝と病気

変えられない事実と共に生きていく、
それが自分にとって苦しみを伴う事実であれば
生きている間、その人はずっと苦しいまま
過ごさなければいけないのでしょうか。

ある女性は我が子の病気が遺伝によるものだと知りました。
過去に戻ってどの時点からやり直せばいいのだろうかと
思い悩んでも、彼女はどうすることもできません。
日々の暮らしの中で突如、八方ふさがりのような
気持ちが高ぶって自分を苦しめることがありました。
そしてどんなに彼女が落ち込んで
暗い気持ちで過ごしたとしても、
お子さんは日々成長しているのでした。

ずっと自分の気持ちだけにとらわれているわけにはいかない。
やらなければいけないこと、たくさんある。
彼女はそう気付きました。
どんなに自分が行き場のない怒りをぶつけても
病気という事実は変わるわけではない。
じゃあ怒ってもしょうがないじゃないかと。

彼女は「良いとこ探し」をするようになりました。
こどもは重い病気であったとしても
必要な治療の機会を今、受けることのできる状況にいるのだと。
根治するわけではないけれど、
でも今よりはずっとずっと良い状態になって
成長するお子さんの広がる未来を引き寄せるのだと。

たとえどんなにポジティブシンキングになったとしても
苦悩は一生続くと彼女はおっしゃっていました。
でも以前の彼女と違う所は
自分ではどうにもできない状況の中で
幸せをちゃんと感じることができる、ということです。
そして自己肯定できるようになったことです。

もちろん世の中には
恵まれた環境、恵まれた生活、
不自由のない身体、
そういう整った条件で暮らして幸せな人もいるだろうけれど
何か欠けたものの中で見つけ出す幸せって
当人にとても力強さを授けてくれるのだと思う。

はらはらと流れたたくさんの涙の後の
彼女の笑顔は本当に素敵でした。


お子さん、これから元気になりますように。

2020年03月25日

弱点を自分の強みに変えていった父

自分と他人を比べて
「自分はなんて心の弱い人間なんだろう」と落ち込む日々。
人の強さ、弱さって
何をもって判断するのでしょうか?
そして強いから良い、弱いからダメ、
なんとなくそういうモードに流される時って
ありませんか?

あるお父様は自分の心がぶれてしまうことを
自分の弱さだと感じていた。
そしてそういう自分を周りに悟られてはいけないと思っていた。
でも。。。
ある方がおっしゃったのだそうです。
そういう弱さを含めてそれが彼自身なのだと。
弱さがあるからダメだとか、認めないとか
そんなことではなくて
弱さを含めて、丸ごと彼として認めてくれるのだと。

その言葉でお父様は気持ちがすっと落ち着いたのでした。
そして思わぬところでその変化が頭角を発揮してきました。
彼のお子さんが難病だと診断され、
そこから山あり谷ありの時間を過ごしてきた時
心許なく「ぶれる」のではなく
山も谷も我が子に起こっている事実の一部として
親として向かい合うための心の柔軟なかわし方へと
応用されていったのです。

本人が「ぶれる」とネガティブに思っていたことは
見方を変えれば実は
一筋縄ではいかない状況に適応する能力に
長けているということなのだと私は思います。
それは難局に対して打たれ強くなった、
ということでもあります。
嬉しい事実も悲しい事実も
全部含めて我が子のことだと
引き受ける強さなのだと思います。

何も事情を知らない人はきっと
彼は何か答えを得るために
随分回り道してきたように感じるかもしれないけれど
でも彼はすごく実りのある回り道をしてきたんだなあって思いました。
自分で弱点と思っていたことを
自分の強みへと変えていったのだから。

そう変えていった彼もすごいけれど
弱さをひっくるめてそれが彼だと
新しい視点を授けてくれたその人もすごいなあって思う。

お子さんきっと元気になりますように。

2020年03月13日

他者と違う自分を受け入れ難かったこどもが自己肯定して得た変化 ―思春期世代の悩み

お子さんが大きくなって病気のことをある程度理解するようになると
「自分はどうしてそうなの?」といった思いが出るようになり
それがやがて「自分だけ違う」と他者との違いに対して
強く意識が集中するようになっていくことがあります。
皆と同じであることに安心を覚える世代にとっては
(大人になってからもそうした傾向は続くのかもしれませんが)
皆と同じになれない自分を肯定できなくなり
自分という存在を受け入れ難くなってしまう。
そういう時、どうすれば良いのか?


あるお子さんはその「違い」を逆手に理解するようになりました。
自分は「OOできない」けれども
「その自分」を支えてくれる人が周りにいるのだと。
そして「OOできる」こどもたちの周りには
支えてくれる人はいないのだと。


支えてくれる人たちの存在を改めて認識することは
感謝の念を持つようになるだけではありません。
「OOできない自分」を
どこか軽んじてしまうところがあったけれど
そういう自分であっても
元気になって、長く人生が続くようにと
他者から願われた存在であることを
認識する機会にもなるのです。


自己肯定できなかった自分が
自己肯定できるようになる。

それはこどもにとって
非常に大きな転換です。

彼は何かを諦める気持ちから
頑張る気持ちに変わったそうです。
諦めたらそこで終わりだからって。

いくら自己肯定しても
他者との違いが消滅するわけではないけれど
そういう自分であっても
他者と同じ機会に参加することができる
時間と場を共に過ごすことができる、
そこに喜びも見出せるようになったそうです。

自分とは何か?
そのあたりに目覚めてくるようなお年頃。
だからこそ他者との違いに悩み
そこを突き抜けると自分を受け入れられる大きな器に
段々育っていく。

大きな治療を受ける時
人一倍他者との違いに目が向いてしまうけれど
だからこそもう一度また感じ取ってほしい。
多くの人が今、集結して尽力しているのは
あなたが元気な人生を手にするためであることを。

2020年03月07日

涙も出ないほどの衝撃の後 ――ある母親の話

小さなこどもに「よくある」症状が起きて
病院に連れて行った時、
まさかそれが重病のサインだとは
考えもしなかったことでしょう。
だってそれは恐らく
小さなこどもであれば100人中100人は
経験したことがあるような症状だから。

少したってから彼女が我が子の病名として
医師から聞かされたものは
1回では覚えられないような
聞いたこともないような難病だったのでした。
その日を境に突然世界が変わってしまったような
強い衝撃はあまりにも彼女を打ちのめして
当時涙も出なかったそうです。
それからようやく現実だと受け入れるようになってから
涙があふれてきたのでした。

そして彼女は自分が今、何ができるかを
必死に考えたのでした。
こどもは幼すぎて訳はわからなくても
親が泣くとなぜだか自分も悲しくなって
親につられて泣いてしまう。
そういう揺れやすいピュアな心の我が子の前で
自分ができることは
笑顔で過ごすことだ。
そう気付いたのです。

いくら自分が泣いていても、状況は変わらないから
それなら現実を受け入れるしかない、と腹をくくって。

ダメな方向ばかり考えていたら
すべての自分のエネルギーが
ダメな方向に流れていくから
下を向くのはもうやめようと。

そして何とかならないのだろうか
そうもがく気持ちを彼女は
こどもとの生活を
はりのある活気あるものへと変えるための
エネルギーにしていったのでした。

彼女のその軌跡を伺って
心がジーンとしました。
彼女がこれまでの話を
今、笑顔で語れば語るほど
衝撃を受けた当時から経た飛躍が
どれほど大きいものであるかが
伝わってくるようでした。

また一つとても大切なことを
若い母から学ばせてもらった。
ありがたいことです。

彼女の生きてきた姿は
きっとお子さんの心の中にも
焼き付いて、しみ込んでいると思う。
それはとても大きな力に変わる。
これから始まる治療の中で。

きっとお子さん元気になりますように。

2020年03月01日

ストレスフルな時間を「良い思い出」と言える理由 ―ある母の話

食べ物を食べた後、それが無事に栄養素として
身体の中に取り込まれ、必要な場所で活かされて
それが身体を作っていく、
それはとても当たり前のように聞こえるけれど
実はいくつもの代謝を必要とし
その過程がスムーズに進むために
手助けする役割をするものが身体には備わっています。
そこに何か不具合があると、
食べること自体が大きな困難を伴うことに
なってしまいます。
中には生まれつきそういう病気のお子さんもいます。
食べることに予防と治療の意味が
大きくかかわってきますし
まだ自分で食事をどうにかできる年齢ではないお子さんにとって
親御さんの果たす役割は本当に大きいのです。
毎日、細心の注意を払いながら
三食日々続くのですから、
親御さんの抱えるプレッシャーは計り知れません。

でもあるお母さまがおっしゃいました。
「いろいろあったけど。
今は良い思い出としか言いようがない。」

え? どうしてそんな風に言えるの?

忙しい子育ての日々、パートの仕事にも出るし
目が回るような忙しさだけど、
その忙しさの中でするべきことをやっていくと
達成感や楽しさがある、とおっしゃるのです。

こどもが寝た後にようやくできる自分の時間が
たとえ短いほんのちょっとの時間でも
「めっちゃある」と思う彼女は
「今自分にあるものに満足している」のだと。

どんなに大変なことがあって
果てしなく繰り返す毎日であっても
それを自分の人生の一部の中に
拒絶しないで取り入れて
共存してハッピーに生きてきた彼女の生き方に
心がジーンとしました。

彼女と同じ年頃の遥か昔の自分に問いかけてみる。
自分がその立場だったら、同じように感じられたのか?と。
そうです、と言えない自分がいる。
きっと周りの人と比べて
「どうして私だけこんなに大変なの!」って
思っていたことだろう。

溌溂とした若い母親の笑顔に
また一つ大切なことを教えてもらった。


お子さん、これから始まる治療で
きっと元気になりますように。

2020年02月18日

心戸惑う時にどうするか ―ある母の気持ち

我が子の病気、医師からいろいろ説明されても
心戸惑う時はありますね。
親は何から手を付けて良いものやら。
自分が今この子に求められることって何なのか。
その中で優先度をどう考えるか。
考え始めるときりがなくて
収拾がつかなくなる時。。。

あるお母様がおっしゃっていました。
今、できることをやっていくしかない。
今できる、それは何なのか?
できたとしても、
そこに不安があったとしても
それが自分の目の前にあることならば
そこにかけてみようと。

彼女は一生懸命そこに向き合っていく。
そのうち当初の不安がどこかに消えて
一生懸命な気持ちの方が上回って
彼女の中で心の透明度が上がっていくのでした。


不安をかき消すことができるほど
一生懸命向き合ってきた、
それはどれほど大変だったことだろう。
第三者の想像をはるかに超えるものであることは間違いない。
そしてその彼女の姿を誰よりもお子さんが一番知っている。

どうかお子さん元気になりますように。

2020年02月11日

語ることは愚痴なのか、何なのか? ―父からの問いかけ

病気の我が子のお世話をしながら
仕事や家事に励む家族にとって
24時間、365日、1年、10年と続くことは
本当に大変なことです。
時には親の心身が大きく崩れることもあります。
きれいごとばかりではいられない。
腹が立つこともあれば
苛立つこともある。
どうしてこんなに頑張っているのに……と思うことも。

心配は現在のことばかりじゃない。
将来のことも。
それは自分たち親が他界した後にも及んで。

自分のそういう気持ちを
話したところで事態は何も変わるわけではないし
他人の善意のサポートだって限界がある。
愚痴みたいになっちゃうしなあ。。。

あるお父様はずっとそう思っていたそうです。
だから誰にも自分の気持ちを言わない。
大変さは内に秘めたままずっと現在進行形を続けてきた。

確かにどんなに理解しようと努めても
当事者にならなければ
本当の大変さはわからない。

でも。
語ることってきっと
吐き出すことに意味があるのだと思う。
吐き出さないと心の中は
いつもぐるぐる、混沌としたまま。
そんな時は何をやっても気持ちは晴れない。
うまくいかない。達成感もない。
だけど吐き出すことによって、
小さな風穴が開く。

そして吐き出した分だけ
ほんの少し自分の心に余裕が生まれる。
それが心の中の淀んだ流れを変えていく。
それは自分自身の力を引き出すきっかけを生み出す。

だから何?
そう思う人もいるかもしれない。
決して自分の苦労を誰かが肩代わりしてくれるわけじゃない。

だけどあなたが人知れず積み重ねてきた
苦労、苦悩の片鱗を誰かが少しでも知ることは
誰かの心の中に一石を投じることになる。
同じ空の下、同じ時間の中で
自分の知らない人生を歩んできた誰かに
襟を正す思いにつながる。

今言えることは、そういうこと。
またこれは自分の宿題としてとっておこう。

2020年02月03日

憂いが歩みを引き留める時 ―自分を変えることのできた父

先のことを考えると
心が沈みこんでしまうようなことばかり
頭の中を埋め尽くす、
だからそれらを想定して事前に準備を備えておく。
そんな風に行動を起こす人もいます。
備えあれば憂いなし。
確かにその通り。
そうした過去の自分に救われた!
と思うこともあるでしょう。

でもそうばかりとは限らない。
想定することに自分のエネルギーが吸い取られて
本来やらなければいけないことに
力が入らなくなってしまう。
あるお子さんのお父様は
そうした状態に自分が陥っていると
気付いたのそうです。

そんな自分はもったいない。
起こるかどうかわからないことに
時間と労力を費やして
それが自分と病気の我が子、
そして他の家族の歩みを引き留めてしまい
自分たち家族のためにならないのだったら
憂う前に進もうと思ったのだそうです。

もちろん無鉄砲なことを
するわけではありません。
今迄十分すぎるほど時間をかけて
憂い、準備、それを繰り返してきたから
どこか突き抜けた気持ちになれたのだろうと思いました。
備えがない時でもどうにか、なんとか
事態を好転させることができた自分たちに
正当な評価と自信を持てたのかなと思います。


モードを変えたい、でも怖くて変えられない、
そんな時はこれまでを振り返ってみると良いのかもしれない。

お父様の静かな自信に満ちた横顔から
そのように思いました。

2020年01月25日

医師の説明時、不安な心を埋めていくには ―ある父親の話

我が子が難病だと診断され、治療を受けていく中
親の心の中は不安が募る一方です。
医師から説明を受ける時、
必ずしも希望に満ちた話ばかりではなくて
起こってほしくない状況やリスクなど
思わず尻込みしてしまうような話も
聞かなければならない。

焦っても仕方ないと思いつつ、
ほんの少しでもいいから、
何か明るい兆しが見えてほしい。

そんな状況の折、ある難病のお子さんのお父様は
医師の話を聞きながら、
心の中の不安の隙間を埋めていったのだそうです。
医師の話を丹念に心に刻みながら、理解しながら
これまでその医師がどういう治療経験を積み重ねてきて
その中でどう考えてきて、
だからこそ今我が子に
今、こういう治療をしようと選択するのだなあと
思いを巡らすのだそうです。
難病だからこそ症例数、経験数が限られている。
その医師の過去の治療経験に敬意を払うことは
医師への信頼感へつながっていったのでした。
彼のその話を伺って心がジーンとしました。

医師の話を聞いている時にそんな心の余裕などない、
そう思う人ももちろんいらっしゃるでしょう。
不安が更に不安を呼ぶ。
それは人間の自然な心の行方です。
それでも、その流れに翻弄され続けていくことは
彼だけでなく彼のお子さん、家族に
良い影響を与えることはない。
だからこそ彼は自分の中で
不安の連鎖をできるだけ断ち切っていこうとしたのでした。
そして新しく信頼を生み出していく。
それは父として自分が能動的にできる
こどもへのとても大きな役目であるから。

困難、苦境の中で
新しい自分の在り方を見つけていく人もいる。

また若い父親から大事なことを1つ教えてもらった。
お子さん、これから始まる治療で
きっと元気になりますように。

2020年01月21日

難しいお年頃 ―実は変わりたいけれど途方に暮れるお年頃の君たちへ

お年頃のこどもたち、
揺れる心は難しいですね。
周りから見たら自分の意思で、
自分のやり方を突き通しているように見えて
それがあまり好ましくないものとして
周りの目に映っていたとする。
それは本人の意思だし、ということで
周りは諦めモードで手を引いて
静観していることってありますね。

でも実はその本人が
本当はそういう自分でいたくはなくて
「変わりたい」と切実に思っているけれど、
どうすればこれまでの自分から
脱却できるかわからなくて途方に暮れていた。
周りに積極的にそういう気持ちを見せないまま。
そういうことがありました。


周りの大人に相談することって
決して恥ずかしいことなんかではないよ。
もちろん同級生に相談するのも
すごく大事だと思う。
だけど、同じ価値観、同じ世界、同じ時間を
ずっと一緒に生きてきた友人たちは
変わりたいあなたの気持ちに
必ずしもYESの姿勢ではないこともある。
あるいは君と同じように答えが探し出せない場合もある。


大人たちは君たちよりも
もっともっと長く生きてきた分
君たちのまだ知らないような
大変なこと、困ったこと、
悲しいこと、辛いことを経験している確率は
きっと同世代の友人よりも高いはず。
でもそれは決して大人が君たちよりも偉いとか
そういう話なのではなくて、
君たちよりも長く生きてきた分、
ほんの少しだけ深く知っていることもある、
ただそれだけのこと。


だから、本当に困っていて
何だか苦しい、
そういう時には大人に相談するのもありです。
それは君が弱いとか、そういうことではないから。
誰かに相談する、そこで君の心の中で
何かひらめくものがある。
それは君にとって大事な一歩。
大人の押し付けではなくて
君が選びとる一歩なのだから。


それを君に知ってほしいなって思って。

2019年12月31日

嫌な思い出とどう向き合うか ―ある少年の言葉

過去の思い出したくないような出来事
それが恐怖だったり、孤独だったり、悲しみだったり、痛みだったり、
様々な感情が呼び起こされる時、
その出来事をあなたは心の中でどういう風に処理しますか?

ある少年が語った言葉
とても衝撃的でした。
普段はその出来事をすっかり忘れているけれど
何かの拍子に突然浮上して
思い出してしまった時、
彼は「嫌な思い出」そのことばかり
考えるのだそうです。
「楽しいから」と。

嫌な思い出なのに楽しい?
一体どういうことなのか?
私には当初その意味がまったくわからなかった。
頭の中が真っ白になって
彼の話を理解しようとしてみたけれど
まったく、わからない。
クエスチョンマークがぐるぐる。

どうして楽しいのか、
その理由を尋ねてみると
彼はまったく気負うこともなく教えてくれました。
もしその出来事と同じようなことが
これから起こったら
どんなふうに自分が回避するのかを考えるのだと。
自分の頭からその思考が消えるまでずっと。


随分前、もう何年も前のその出来事に対して
彼はまだ自分自身の答えを見つけていないそうです。
それも私はびっくりした。
何年もそれを考えているの?
答えを見つけようとするために?

私が彼と同じ年だった頃に遡ってみた時
そうしていただろうか?
いや、とてもそうはできていない。
蓋をして隅に追いやって
知らんぷりして生き続けてきただろう。


その少年の後ろ姿を見送った後、
私は何度も何度も彼の言葉を反芻しながら
考えてみました。
どういうことなんだろう。

それは彼しかわからないことだけど
彼のこれまでの過ごしてきた時間が
そういう思考を生み出してきたのだろう、
というのが私の答えです。

彼は赤ちゃんの頃からずっと辛い治療を
何度も何度も繰り返してきた。
こどもの立場ではきっと理不尽な思いも
あったことだろう。
治療の過程で嫌な出来事、嫌な思い出も
たくさんあったことだろう。

その中で彼は自分の人生を「嫌なことだらけ」
にしないようにする努力を続けてきたのだろう。
きっと。


何か起こる、そこで自分が嫌な思いをする。
また同じことが起こるかもしれない。
だけど未来の自分はそれをきっとうまく対応できる。
逃げるんじゃなくて、うまくそれをかわしていける。
未来の自分がそうあるために
彼は考えているのだろうと思う。


病気のこどもに大人が向ける眼差しの中に
自然と「不憫だ」と思う気持ちを重ねてしまうことは否めない。
でも病気のこどもたちは
気の毒で、かわいそうで、あわれむ
そういった存在以上の「存在」であることも
忘れてはいけない。


あなたは今まで何を考えて生きてきたの?
そんな風に彼に問いかけられているような気がしました。


若い命にまた一つ諭された思いです。
彼との出会いに感謝です。



今年も1年、出会ってきた病気のこどもたち
そしてそのご家族にたくさんのことを教えてもらいました。
彼女、彼らに広がる未来の時間が
幸多きものでありますように。
そういうお手伝いができるように
来年も努力していきたいと思います。

2019年12月23日

ネガティブ一直線の歩みを止めて新たに生まれ変わった母

出産は女性の心身に本当に大きな変化をもたらします。
喜び、嬉しさ、感動、そうした気持ちで
いっぱいになる人ばかりではありません。
彼女はネガティブな方向に心が沈み込んでしまい、
どうにも引き上げられなくてどんどん追い詰められていった。
そして追い打ちをかけるかのように医師から聞かされたのは
お子さんがいくつもの病気の可能性がある、という話だったのでした。

こんなに辛い気持ちならもう何もかも終わらせたい
そこまで思った彼女の心を引き留めることができたのは
ICUで横たわっていた我が子の姿でした。
自分の気持ちとは裏腹に
病気という事実も何も知らない我が子。
頑張って生きていた我が子。

そしてご主人の言葉は彼女の周りを
泥のようにひたすら覆っていたネガティブな感情を
少しずつ洗い落していったのでした。

自分は周囲から必要とされた存在である。

ご主人の言葉から彼女はそう気付くことにより
ネガティブな階段を降り続けることを
止めることができたのでした。

そしてようやくありのままの今の自分を
肯定することができて
我が子を守っていこう、
そういう気持ちになれたのだそうです。

どうしてネガティブな感情一直線に進んでいくのか、
その極端さは本人にしかわからないものです。
決して周りが容易に理解できるようなものではありません。
でも逆に考えてみれば、周りが理解できないほど
それほど辛い時間を彼女が送ってきたということでもあるのです。

引き返すことができて良かった。
誰かに無理やりネガティブな歩みを阻止されるのではなく
自分自身の意思でネガティブな歩みを止める。
だからこそ、その決意は強いものになったのでした。
そして底が見えないネガティブ感情の沼から
少しずつ水面まで自分で這い上がっていこうと頑張ってみる。
彼女のそうした静かな力強さに心がじーんとしました。

そしてそして。
母の人生を救ってくれた赤ちゃん。
小さな体でとても大きなお仕事を果たしてくれた赤ちゃん。
すごい!

彼女が赤ちゃんとご家族と
うんと幸せになれますように。

2019年12月18日

医療者ではない親が無力感に駆られる時

お子さんがICUに入るような重症で
限られた時間しか面会に会えなくて
忙しそうに働く医療従事者に囲まれた我が子を見ると
自分はこの子に何もしてあげられないって
無力感に駆られること、きっとあるでしょう。
あるお父様がおっしゃっていました。
自分は医者ではないから
我が子に何も治療をすることはできないけれど
重症であっても治療できる環境に
我が子を連れてくることができた。
治療できる医療者たちに巡り合うチャンスを
我が子のためにこうしてつかむことができた。

そこに感謝するのだと。

そして自分に課せられた辛い時間も乗り切れば
きっとこの先、何か別の形でその経験が生きてくるのだと。
今は何もできなくても
親として何かできる場面を迎えた時に
辛さの中で考えたことが活かせるのだろう。
彼はそう語っていました。


一見、周りから見たら辛すぎて逃げ出したいような時間。
でもその中で一回り大きく成長している
現在進行形の若い父親がいる。
朴訥と語る彼の姿に心がジーンとしました。

お子さん、きっと元気になりますように。
パパと楽しく遊べる時間が
再び戻ってきますように。

2019年12月09日

小さな前進にその都度感謝する父

お子さんが長く治療のために入院している時
「今度こそは」「きっと大丈夫」
そう願っても、親の望むように
順調に回復する時ばかりではありません。
親御さんの方は気持ちはぐんと落ち込む。

そういう時どうすれば良いのだろう?

あるお父様はいろいろ望ましくない出来事が
起こったら、むしろそのおかげで
きっともっと良い結果につながっていくのだろうと
考えるようになったのだそうです。
急がば回れ、というように。

そして「大丈夫」と思える
何か小さなことがあった時、
「きっとこれをきっかけに、今から大丈夫だ」って
思いたい心の流れはあるけれど、でもそうしない。
そこで過剰に飛躍して
大きな幸運を期待することはしないで
小さな前進にその都度感謝することを
語っていらっしゃいました。

それは我が子の回復を期待しない、のではありません。
ある日突然予想もしなかった病気が
我が子の身の上に起きた時
親の気持ちはジェットコースターのように
アップダウンが激しい状況にさらされることになった。
そのような状況で彼自身自分の気持ちを
しっかりさせなくてはいけなかった。

薄氷を踏み進めるような時間を過ごしてきたからこそ
我が子の小さな前進は
彼にとって本当に大きな一歩であり、
決して見過ごすことなどできなかった。
そしてそこで彼にとって欠かせなかったことは
小さな前進に関わったあらゆる人・ものへの感謝の念を
忘れないことでした。
妻と一緒に喜びをあらためて噛みしめる。
一つずつを見逃さないように。

そのように彼らが過ごしてきた時間を振り返ると
心が洗われる思いがしました。

小さな前進。
その積み重ねが明日につながるのだものね。


周りにとっては全く変わりがなかったり
喜びにつながるような面を見いだせないことであっても。
そこに何か前進を見出せる人は
きっと幸せになる近道を知っている。


ゆっくり小さな前進を1つずつ増やして
お子さんがきっと元気になりますように。

2019年11月26日

できることとできないことを見極める父 ―「しょうがない」の底にある愛情

お子さんが重い病気でしばらく入院が必要で
退院したと思ったら、また入院。
それを繰り返すと、親の心も疲弊してくるのは当然です。
焦りもあったり、怒りも湧いてきたり
これからもずっとこうなのかなあって
不安になったり。

それでもそこから逃げ出すわけにはいかない現実。
どうすればいいのか?


「しょうがない。」
あるお父様はこれまでのことを語る時
その言葉を何度も口にしていました。
まるで自分に言い聞かせるかのように。
それを聞きながら
彼にとっての「しょうがない。」って
暗示の言葉なのかもしれないって思いました。
自分の心の振れ幅が大きくて
自分自身がまいってしまう時は
「しょうがない。」って自分に言い聞かせてみる。
親が努力して、どうにかできることもあれば
どうにもできないことがある。
それが分かってはいても
できるまでどうにかしないと気が済まなくて
どうにかできないという事実は
まるで自分が努力を怠っているせいのような罪悪感が生まれてくる。
まじめにひたすら一途になってしまう人ほど
そういう傾向に陥りやすいのだろうと思います。
そして親の気持ちはどんどん気持ちは苦しくなる。


「しょうがない。」
きっとそれは自分を解放するための魔法の言葉。
自分の手の届くこと、届かないことを見極める、
それは大切な親の役割の一つなのだと思います。
手の届かないことに無力感を感じるのではなく、
努力しようとしたその心の余力の分を
手の届く、そしてお子さんにとって
良き結果を導きやすい何かのために
使えば良いのだと思います。
「しょうがない。」と繰り返す彼の言葉の中に
その言葉の底辺に流れるお子さんへの深い愛情と
これまで積み重ねてきた多くの葛藤を
垣間見た思いがしました。