2015年09月17日

仏教の父とキリスト教の子

お子さんに先立たれた後、
遺された人々の持つ死後の世界観の違いは
いろいろと摩擦が生まれる原因になるかもしれません。
でも、考え方次第で、そうした摩擦は減るように思います。

土井晩翠氏が次のような言葉を遺されています。
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「道は一つ理に二つなし種々の教の名をば問はずもあらなむ
 名は仮ぞのりの教の名の差別争きたす悲しからずや 」

引用文献:
成田正毅(1955)『想い出の土井晩翠先生』晩翠先生を讃える会, p.71
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親子・夫婦で異なる信仰、考え方であっても、
先だったお子さんが安らかで楽しい場所で過ごせていることは
変わりないと思うのです。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜
「仏教の父とキリスト教の子」
posted by Lana-Peace at 16:22| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2014年06月09日

次男を亡くされた広井勇先生とキリスト教

明治、大正、昭和にわたり、日本の土木工学の発展に寄与された
広井勇先生(1862-1928)は、小樽港の美しい北防波堤を造営された方でもありますが、
とても素晴らしい言葉を遺されています。

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若し工学が唯に人生を繁雑にするのみのものならば
何の意味もない事である。
是によって数日を要するところを数時間の距離に短縮し、
一日の労役を一時間に止め、人をして静かに人生を思惟せしめ、
反省せしめ、神に帰るの余裕を与へないものであるならば、
我等の工学には全く意味を見出すことが出来ない

引用文献:
故広井工学博士記念事業会編(1930)『工学博士広井勇伝』工事画報社, p.98
※現在、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030859
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とても潔く、またとても立派な言葉だと思いませんか?
広井先生の生きていた時代よりも、もっと便利になった世の中。
そこで得られた時間と余裕を無駄にしてはいけませんね。

さてその広井先生ですが、大正7(1918)年9月、
生来身体が不自由だった息子さんを、12歳で亡くされました。
広井先生は息子さんの人生を振り返り、家族にとって、
とても大きな感化を与えたのだと表現されました。
そこには、札幌農学校2期生時代に、
内村鑑三先生と共にキリスト教の洗礼を受けた
その信仰が根底にあるのだと思います。

短い命だと嘆くことよりも、
生きた人生を十分に振り返ることは
寂しさを埋めていく力になっていくのかもしれません。

詳しくはこちらに書きました。

悲しみで心の中がふさがってしまった時
甚大なる感化とは
http://www.lana-peace.com/2/2-1-026.html
posted by Lana-Peace at 00:26| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2014年05月07日

長女を亡くされた安部磯雄氏とキリスト教

明治、大正、昭和に活躍した社会主義者、社会大衆党党首であり、
またキリスト教徒でもあった安部磯雄(あべ いそお)氏は
長女富士子さんを満9歳5カ月の時に亡くされました。
当時なすすべもなかった結核性脳膜炎で苦しむ娘を前に、
どれほど悲しく、悔しい思いでいっぱいだったでしょう。
富士子さんが亡くなった後、安部氏の心のエネルギーは
娘の短い生涯を嘆き、慟哭する気持ちから
娘との出会いに感謝する気持ちへと振り向けられていきました。
そこにはキリスト教の信仰が深く関わっていました。
詳しくはこちらに書きました。

先立ったお子さんとご家族のために
お子さんを亡くした古今東西の人々
「憾」を超える思い
http://www.lana-peace.com/2/2-2-017.html
posted by Lana-Peace at 10:30| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2014年04月15日

リンカーン「信仰と救命筏」

エイブラハム・リンカーン氏は三男を亡くされた後、大変落ち込んだ時期に、
長老派教会の牧師、フィニアス・D・ガーリー氏の言葉から、
救いを得ることができました。
その詳細はこちらに記されています。
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ジョシュア・ウルフ・シェンク著,越智道雄訳(2013)
『リンカーン うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領』明石書店
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リンカーンは苦しみを取り除いてほしいと神に願ったのではなく、
この苦しみと共に生きていける強さをくださいと、願ったのでしょう。
それは自分が子どもに先立たれても、枯れることのない愛情を子どもに持ち続け、
自分はその子どもの「父」であり続けることを選んだからなのだろうと思います。
苦しい時に、自分を立て直すために後押ししてくれるもの、
それが信仰の果たす大きな役割ではないでしょうか。

詳しくはこちらに書きました。


先立ったお子さんとご家族のために

悲しみで心の中がふさがった時
救命筏(いかだ)となるもの
http://www.lana-peace.com/2/2-1-024.html

posted by Lana-Peace at 01:30| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2014年03月28日

内村鑑三先生 愛娘ルツ子さんの死と信仰

キリスト教思想家 内村鑑三先生は、19歳のお嬢さんルツ子さんを
1912(明治45)年1月、7か月の療養の末、亡くされました。
療養最期の12日間、一家は祈りだけに身を任せる日々を過ごしました。
そして亡くなる12分前にルツ子さんは「もう、往きます」
そうおっしゃったのだそうです。
「もう」という言葉はいくつもの意味の可能性を持っているけれど、
熟慮の末、新しい別の世界へ往こうとすることを、自分で決めたように思えます。

ルツ子さんにとって死という概念は、途切れることのない生の続きの先に待つ、
新しいバージョンの世界への移動、そのような解釈であったのかもしれませんね。

その後、内村先生は「我等は四人である」という詩にご自分の気持ちを表現されました。
短い詩の中に、タイトルを含め、七回も「四人」という言葉が登場します。
父、母、娘、息子の四人家族。
娘が亡くなっても、過去も、現在も、未来も、四人家族。
篤い信仰に基づく「復活と再会」を頼りにして、
自分の生きる力に変えていったことが強く現れています。

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参考文献:
内村鑑三「ルツ子の性格」,
村田勤・鈴木龍司編(1937)『子を喪へる親の心』岩波書店, pp76-88
(本編は「聖書之研究ルツ子号」(大正二年三月)にも前出)
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信念や信仰は人それぞれ異なりますが、
それらは、時に、迷いの多い時期の心のベクトルをうまく導き、
遺されたご両親の生きる希望につながることがあります。
宗教とは本来、そうした力を引き出してくれるはずのもの…


詳しくはこちらに書きました。

先立ったお子さんとご家族のために
我等は四人である
http://www.lana-peace.com/2/2-3-026.html
posted by Lana-Peace at 01:44| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2014年02月25日

端山から見守る心

2007年10月、当時在籍していた京都造形芸術大学で
東北の風土を歴史的な観点から学ぶ授業(歴史遺産学5)を
受講したのですが端山(はやま)・深山(みやま)信仰というものを学びました。

人は亡くなると、人里に近い小さな山(端山)にいて、
祖霊として家族の生活を見守り、33年経つと、
端山よりももっと奥深いところにある高い山(深山)に昇り、
やがて天に昇るという信仰なのだそうです。
亡くなった方が新たな時間軸の中で、
新たなお役目として、この世で生きている家族たちの生活を
しっかりと守っていくという考え方は、
遺された方から心細さを取り除いてくれるような、
そんな気がいたしました。


詳しくはこちらに書きました。

先立ったお子さんとご家族のために
「端山から見守る心」
http://www.lana-peace.com/2/2-3-022.html
posted by Lana-Peace at 01:26| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2014年02月18日

日を経るほどに募る恋しさ 大谷句仏氏

エッセイ「ご住職だって悲しい」では
突然事故で息子さんを亡くされた僧侶の悲しみについて触れましたが、
今日は、病気療養の末、年頃のお嬢さんに先立たれた僧侶の
お話を取り上げたいと思います。

京都駅から京都タワーを超えて七条通を過ぎたところにある
浄土真宗のお寺、東本願寺の第二十三代法主 彰如(大谷光演氏)は、
書や画に長け「句仏」との俳号をお持ちになり、
明治、大正、昭和にかけて、文化人としても活躍された方です。
光演氏は大正8(1919)年2月27日、
病に臥せっていた22歳のお嬢さんを亡くされました。
その心の内は「冴え返る思ひ出」と題されて、
「大谷句仏」のお名前で綴られ、発表されました。※

※大谷句仏(1937) 「冴え返る思ひ出」,
村田勤・鈴木龍司編,『子を喪へる親の心』岩波書店

ここにあるのは法主 彰如としての姿ではなく、
「父」としての溢れんばかりの切ない親心でした。
宗教者としてのそうした姿は、当時、周囲の風当たりを受けたようです。
でも宗教家も人間ですものね。
父としての信念を貫いたその姿に
娘の人生を「慈しむ」とはどういうことであるのか、
学び取れるような気がいたします。


詳しくはこちらに書きました。

先立ったお子さんとご家族のために
「日を経るほどに募る恋しさ」
http://www.lana-peace.com/2/2-1-022.html
posted by Lana-Peace at 01:40| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2014年02月08日

ヘレン・ケラー女史の信仰と善導大師の教えに共通するもの

これまでヘレン・ケラー女史の死後の世界観
(スウェーデンボルグの表す"天界")
について何度か取り上げてきましたが
その信仰心に基づく生き方は、
親鸞聖人御消息 第十一通に示されている善導大師の
説かれた教えに似通った部分があるのではないかと思います。
(勝手な私の感想ではありますが…)

何か信心に基づき、不安を手放すことは
一生懸命生きることに専念できる一助になるのだろうと思います。



詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
先立たったお子さんとご家族のために
「信心と生き方の変化」
http://www.lana-peace.com/2/2-3-020.html
posted by Lana-Peace at 01:24| Comment(0) | ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2013年12月31日

父としてのレンブラント

17世紀の画家、レンブラント・ハルメンス・ファン・レインは
闇と光のコントラストが大変美しい作品を、数々発表しましたが、
父として悲しい出来事が続いた方でもありました。
宗教画もたくさん残されていますが、
子どもに関する神への思いはひとしおだったように思えます。

詳細はこちらに書きました。
http://www.lana-peace.com/2/2-2-012.html
posted by Lana-Peace at 02:29| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2013年12月08日

自信を失くしたお子さんへの関わり方(デーケン先生のキリスト教入門講座から考えたこと)

長期入院や自宅静養をされていたお子さんにとって、
通園・通学は目標であり、それを楽しみに頑張っていらっしゃる
お子さんも多いでしょう。
でもいざ復学した途端、自分に自信を失くして
「学校に行きたくない」と言い出すこともあるかもしれません。

2013年アルフォンス・デーケン先生のキリスト教入門講座 前期
の講義の中で、潜在能力について述べられた言葉の中で
良い言葉がありました。
上記のようなお子さんとそのご両親にも
当てはまるのではないかと思ったので
こちらに取り上げています。
http://www.lana-peace.com/1/1-1-019.html
posted by Lana-Peace at 22:49| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2013年12月06日

思い悩まないことの効果(デーケン先生のキリスト教入門講座よりヒントを得て)

以前、「明日のことは思い悩むな」ではというエッセイでは
マタイ6章の言葉を取り上げましたが、
思い悩まないことによって、
物事は一向に解決しないのでは?
という疑問も湧くかもしれません。
先日、アルフォンス・デーケン先生の
2013年キリスト教入門講座 前期で配布された資料を
整理していたところ、2013/5/29に開催された
「生きがい 人生の意義を探る」というテーマの際に
いただいた資料の中に答えとなるような
良い言葉がありました。
こちらで取り上げましたのでご参照ください。
http://www.lana-peace.com/1/1-1-018.html
posted by Lana-Peace at 16:44| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

小林一茶 他力信心と先立った娘(ともかくもあなた任せのとしの暮)

小林一茶は浄土真宗の門徒でしたが
阿弥陀様のお力によって救われるとされる
「他力信心」を信じる者は、どうあるべきなのか
いろいろと思案されました。
それが『おらが春』に記されています。
文政2(1819)年12月29日のことです。
一茶はその半年前に、満1歳のかわいい長女を亡くされています。
きっとお嬢さんのことを案じていたからこそ、
他力についていろいろと考えてしまったのでしょう。
本日、こちらに詳細アップロードしました。

救われる子と他力
http://www.lana-peace.com/2/2-2-007.html
posted by Lana-Peace at 14:36| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2013年11月30日

ご住職だって悲しい…一茶の見た悲しみ『おらが春』より

仏の道を説かれるご住職であっても、人間ですもの。
お子さんを亡くされたら悲しいのです。
小林一茶の『おらが春』を読んでいたら、
雪解け水で増水した川でお子さんを亡くされたご住職の悲しみが
一茶の視点で書かれていましたので
こちらに取り上げました。
http://www.lana-peace.com/2/2-1-018.html

阿弥陀様に帰依すると心に決めたときから、
阿弥陀様のお力で浄土へ往生することが身に定まる
と説かれても、やっぱり、悲しいものですね…
posted by Lana-Peace at 20:48| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2013年11月25日

変えられない過去と変えられる認識

アルフォンス・デーケン先生の2013年キリスト教入門講座前期
(東京都千代田区 岐部ホール)では
2013/5/29「生きがい 人生の意義を探る」というテーマで講義が行われました。
もう半年近く経ってしまいましたが、出来事(事実)と時間と認識を考える
きっかけとなるとても良いお話でした。
デーケン先生のお話を伺いながら、お子さんを亡くされたご家族の
心の中に大きくのしかかってくる「後悔」と「自責の念」について考え、
こちらで書きましたので、お時間あればお読みください。
あなたのお子さんは、きっとあなたを「後悔」や「自責の念」の呪縛から
解き放ちたいと思っているはずですから。
http://www.lana-peace.com/2/2-1-017.html
posted by Lana-Peace at 13:52| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2013年10月10日

デーケン先生のキリスト教入門講座(2013年後期)

昨日から2013年後期のアルフォンス・デーケン先生の
キリスト教入門講座が始まりました。
プログラムはこちらです↓
http://members3.jcom.home.ne.jp/deeken-class/kouki.html
デーケン先生は溌剌としたエネルギーに満ち溢れたお顔で、
講義をされていらっしゃいました。
今年の夏は本当に暑かったので、ずいぶん体力を消耗されたと思いますが
前と変わらず1時間半ノンストップで、立ったまま講義をされていました。
時には難しい内容を機知に富み、聴講者をひきつけながらわかりやすく
お話しすることは骨の折れることだと思いますが
楽しそうにお話されていて、本当に驚きです。
ご自分の人生のミッションを十分わかって、
それに向かって全力を尽くされているからこそ、
いきいきとされていらっしゃるのだろうと思いながら、
お昼のクラスで聴講しておりました。
前期は毎回参加できたのですが
後期のクラスは私のスケジュールの上で、
ちょっと難しそうですが、
できるだけ、参加したいなあと思っています。

私は大学院では仏教(主に浄土真宗)を学びましたが
病気のことや生や死について考えていく上では
いろいろな宗教の考え方を知る必要があると思って
この講座で勉強させてもらっています。
昨日のテーマは「喪失体験と人格成長」だったのですが
キリスト教だから特別なのではなくて、
仏教だから特別なのではなくて、
仏教もキリスト教も「慈しみ」は同じなのだなあと
しみじみ思いました。

遅ればせながら先日、ようやく前期にいただいた
デーケン先生の資料を整理できたので、
そちらを振り返りながら、
みなさんにお伝えできていなかったデーケン先生の言葉や
それに触発されて考えたことなどを
私のホームページのエッセイの中で取り上げていこうと思います。
http://www.lana-peace.com/index.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
posted by Lana-Peace at 23:32| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2013年07月21日

デーケン先生のキリスト教入門講座(2013年前期)から考えたこと

先日(2013/7/17)、
アルフォンス・デーケン先生のキリスト教入門講座(2013年前期)の最終講義がありました。
私は昼間のクラスに参加しておりましたが
毎回、100名ほどの席が満席となり、時には途中からこられた方のために、
後ろに追加して席が用意されるほどでした。
そんなにたくさんの方が集まってこられる理由の1つは何だろうかと考えましたが
毎週1回デーケン先生のお姿を拝見して、そのお話を伺うことにより
癒しの機会を得られるためだろう、と私は思います。
神に仕える方だから「他者の救いのため」に
自分の貴重な時間と体力を使うということは、当然かもしれませんが、
でも、80歳を過ぎてもそれを「実践」するということは
決してたやすいことではありません。
それを本当に日々実践されて生きるお姿自体が、
きっと人を教え導くのだろうと思います。

人は自分の人生において、自分の果たすべき使命を、
自分なりに見つけ出し、それに向かって努力していると、
年を重ねることが「輝き」になっていくものなのだと実感いたしました。

デーケン先生は毎年8月は原稿執筆の時間にあてられ、
9月は海外視察の引率をされるため
10月から後期の講座が開講されるのだそうです。

実に豊かな学びの多い機会をいただけたことに、感謝したいと思います。
それらの学び中で、病気のお子さんのご両親や、お子さんを亡くしたご両親にとって
非常に心に伝わる言葉や教えがいくつもありましたので
これから少しずつホームページのほうに書いていきたいと思います。
キリスト教の方も、キリスト教ではない方も
きっと心の中に落ち着く瞬間がもたらされると思います。

※2013/7/21更新しました
「明日のことは思い悩むな」 マタイ6章27節, 34節
http://www.lana-peace.com/1/1-2-008.html
posted by Lana-Peace at 22:41| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)

2013年06月27日

アルフォンス・デーケン先生「キリスト教入門講座」

病気や事故、災害などで夭逝されたお子さんのご家族の気持ちの束を
「背負っていける重さ」に変えられるお手伝いをしていきたいと思って、
ずっと考えてきたことの一つが、短く命を閉じなければならない理不尽さでした。
考える拠り所として、これまで浄土真宗を中心に、仏教を勉強してきましたが、
2013年4月から、ほかにも何か宗教的な立場から考える方法はないだろうかと思い、
上智大学敷地内の岐部ホールで行われている、
アルフォンス・デーケン(Alfons Deeken)先生の
「キリスト教入門講座」を毎週聴講させていただくようになりました。
講座の詳細につきましては、こちらをご参照ください。
http://members3.jcom.home.ne.jp/deeken-class/ です。
無料にもかかわらず、大学・大学院の授業を受けているような実にすばらしい講義です。

25年ほど前、まだ私が看護学生だった時に、
デーケン先生が学校に招聘され「死の準備教育」というタイトルだったと思いますが、
特別講演をしてくださいましたので、命の面からキリスト教を学ぶなら、
デーケン先生のところで学びたいと思ったのです。

さて、毎週、通ううちに、私なりに一つの答えが見えてきました。
デーケン先生のご本の中で何度か取り上げられていた、
アルフレッド・デルプ(Alfred Delp)神父のお言葉です。
その言葉がとても素晴らしかったので、デーケン先生に直接、出典をお伺いしてみました。
すると、デーケン先生は調べてくださって、2週間後、わざわざ訳までつけて、
教えてくださったのです。とても感激で、嬉しかったです。
詳細はこちらに書きました。
http://www.lana-peace.com/2/2-1-007.html
お子さんを亡くされたご両親の心に、しっかりと届く力を持つ言葉だと思いますので、
今日はその言葉をご紹介いたします。

もし一人の人間によって、少しでも多くの愛と平和、光と真実が世にもたらされたなら、
その一生には意味があったのである。
(アルフレッド・デルプ神父先生のお言葉・デーケン先生訳)

Wenn durch einen Menschen ein wenig mehr Liebe und Gute, ein wenig mehr Licht und Wahrheit in der Welt war, hat sein Leben einen Sinn gehabt..
ドイツ語引用URL:
http://www.hl-geist-gemeinde-balingen.de/contenido/cms/front_content.php?idart=252


デルプ神父はドイツ人のイエズス会士でいらっしゃいますが、反ナチス運動に関わったため、
1945年、死刑に処されてしまいました。
上記の言葉は、死刑の直前、死刑囚のお部屋の中でお手紙に記された言葉なのだそうです。
とても、心動かされる言葉だと思いました。
そして、この言葉がきっかけで、いろいろと私の考えが広がりました。
あなたのお子さんの命はたとえどんなに短かったとしても、
あなたに少しでも喜びや、幸せをもたらしてくれ、
あたたかい気持ちになる瞬間をくれたはず。
それは何にもまして大きな役割を果たしたと言えるでしょう。
そして、これからはあなたの人生の先を照らす存在として、
お子さんはあなたの心の中に、ずっと一緒にいるのだと私は思います。

だから、あなたのお子さんの一生は短くても、
あなたの心をあたためるという大切な意味を持つ一生だったと言えるのだと思います。
posted by Lana-Peace at 23:26| ☆ 宗教(仏教・キリスト教)
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