2017年01月17日

立て続けに長女・五男を亡くした詩人フリードリヒ・リュッケルト

19世紀に活躍したドイツの詩人
ヨーハン・ミヒャエル・フリードリヒ・リュッケルト
(1788/5/16-1866/1/31)は半月の間に、幼い長女と五男の命を
猩紅熱によって奪われてしまいました。
その後、半年間に渡って書き綴られた
563もの詩『こどもの死の歌』は
こどもたちの死後40年近く経って出版され
そこから更に30年後、
オーストリア人作曲家のグスタフ・マーラーの目にとまり
連作歌曲『亡き子をしのぶ歌』として
この世に出ることとなりました。

渡辺国彦先生の論文(※)には
リュッケルト夫妻の苦悩が
とてもよくあらわされていました。
リュッケルト関係の日本語文献は少ないので
とても参考になる論文でした。
※渡辺国彦「『子供の死の歌』に表れた1つの面」(2013)東京音楽大学 研究紀要, 37



言葉にして思いを語ったり、
気持ちの行方を書き表すことは、
生前、できなかったお子さんとの対話を
続けるためのチャンスだと思うのです。




詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
お子さんを亡くした古今東西の人々
「亡き子との対話と永遠の命」
http://www.lana-peace.com/2/2-2-023.html

2016年06月09日

刹那の中に幸せを見出す力と夭逝するこどもたち ― メーテルリンク『青い鳥』「未来の国」から考える

メーテルリンクの『青い鳥』に登場する「思い出の国」については
こちらで取り上げましたが
今日は「未来の国」について取り上げたいと思います。
そこに書かれている内容は
まるでこどもたちが語る「胎内記憶」によく似ています。
やっぱりメーテルリンク自身の少年期の臨死体験によって
感化されたことが多かったのでしょうか。

そこでチルチルとミチルは
これから生まれ来ようとする8人目のきょうだいと会うのです。
でも弟の告白は、とても衝撃的なものでした。
3つの病気と短い命を知ったうえで
生まれようとする弟。

それを読むと、夭逝するこどもたちは
刹那の中にとても大きな価値と幸せを見出す
素晴らしい力を持っているのだと思うのです。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜 
「刹那の中に幸せを見出す力」
http://www.lana-peace.com/2/2-3-059.html

2016年05月20日

亡くなった人に届くあたたかいそよ風 ― メーテルリンク『青い鳥』「思い出の国」から考える

幼い兄妹のチルチルとミチルが、
青い鳥を探しに行く旅物語『青い鳥』の中には、
彼らが巡る旅路の最初に「思い出の国」が登場します。
「思い出の国」の様子やそのやりとりは、
お子さんに先立たれた親御さんの心の琴線に、
きっと触れるものがあるだろうと感じました。

チルチル、ミチルのおじいさん、おばあさんが語る言葉は
とても、いろいろなことを投げかけてきます。

「思い出す」ってどういうことかを。


亡くなったお子さんへ思いを届けることにより、
あなたも、お子さんも、両方幸せになれますように…。   


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
悲しみで心の中がふさがった時
「亡くなった人に届くあたたかいそよ風」
http://www.lana-peace.com/2/2-1-054.html

2015年07月10日

詩作を通した娘とのつながり・神とのつながり(長女を亡くしたヴィクトル・ユゴー)

娘の結婚式の教会で、幸多かれと願う親心と
巣立ち行く一抹の寂しさを詩に詠んで、贈った父。
幸せいっぱいに新しい人生を歩んでいたはずの娘が
その7カ月後、ある日突然、この世を去ってしまったら…

『レ・ミゼラブル』の著者ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)は、
1843年9月4日、19歳の長女レオポルディーヌを
ヨットの転覆事故で、亡くされました。
その後、ユゴーは長い年月をかけて取り組んだ
「静観詩集」という大作を残します。
それはすべてが追悼詩集というわけではないのですが、
そのいくつかの詩から、ユゴーの様々な娘への気持ち、
そして神への気持ちを読み取ることができます。

突然の別れは、父の心を瞬間凍結させてしまったかもしれないけれど
時間をかけて、気持ちを言葉にして書き出すことは、
行き場のない気持ちを、どこか落ち着くところに収めて行くことが
できるように思います。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
お子さんを亡くした古今東西の人々
「詩作を通した娘とのつながり・神とのつながり」
http://www.lana-peace.com/2/2-2-020.html

2015年05月21日

土井晩翠夫妻とお子さんの死(3人の死産、実子3人の死、養子さんの死)

詩人であり英文学者であった土井晩翠氏ご夫妻が
長女を亡くされた悲しみについて、こちらで取り上げましたが
いろいろ調べていくうちに、
こどもに先立たれる悲しみを
何度も経験されていることがわかりました。
土井夫妻の6人の子宝のうち
3人のお子さんは死産され
他の3人のお子さんは成人されましたが
20代、30代でそれぞれ亡くなられています。
また、長男が亡くなった後、
迎えられた養子さんにも先立たれました。
どんなに悲痛な思いで過ごされたことでしょう。

ご夫妻がたくさんの悲しみを抱えながらも
ご自身の天命をどう全うされたのか
残された書物などを頼りに、その心情を
取り上げていきたいと思います。

古い本が多く、国会図書館蔵書などを
利用しなければいけないので時間がかかっているところですが、
きちんと調べたうえで、みなさんにご紹介したいと思います。

2015年05月10日

アルフレッド・テニスン「Crossing the Bar」とポール・ギャリコ『雪のひとひら』

今日はこの2点を取り上げます。

★西前美巳編(2003)『対訳テニスン詩集―イギリス詩人選(5)』岩波書店
アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson)の詩
「Crossing the Bar」

★ポール・ギャリコ著, 矢川澄子訳(1975)『雪のひとひら』新潮社

詳細はこちらをご参照ください。

2015年03月11日

お子さんの人生の短さに苦悩するご両親へ〜 時と時の狭間にある無限の存在(ジョン・グリーン著『さよならを待つふたりのために』から考える)

お子さんが亡くなった後、いろいろな思いが湧き上がってきますが、
人生の長さが「あまりにも短い」ことは、ご両親の心を
いつまでも締め付けるものの一つです。
時間、それを考え始めた時に、
小説『さよならを待つふたりのために』(※)の中で、ある言葉を知りました。
※ジョン・グリーン著, 金原瑞人・竹内茜訳(2013)
 『さよならを待つふたりのために』岩波書店

時間と時間の間にある無限について追及した言葉。
それを読んだ時、気付くことさえもできないような無限の時間を、
意識し、それを拾い上げ、追及していくと、
知り得ていなかったお子さんの一面を知ることができるように
思えてきました。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
「悲しみで心の中がふさがった時」 
時と時の狭間にある無限の存在
http://www.lana-peace.com/2/2-1-047.html

2014年12月13日

「誰かに助けられ、誰かを助ける」サン=テグジュペリ『星の王子さま』より考える

お子さんが逝ってしまった後、
どこに逝ってしまったんだろう、
今はどのあたりにいるんだろうか…
そんな気持ちが心の中を大きく占めているご両親にお届けしたい言葉が、
サン=テグジュペリ氏の作品『星の王子さま』の中にありました。
そのやりとりが、まるで亡くなっていこうとするお子さんと、
この世に遺されるご両親との心のやりとりを表したかのようなのです。

それを読むと、地球で短く終わった命でも、自分の星に帰ってから、
誰かの星に助けられ、そして誰かの星を助けながら
長くずっと光り続けているんだなあと、思えてきます。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
悲しみで心の中がふさがった時 
「誰かに助けられ、誰かを助ける」
http://www.lana-peace.com/2/2-1-042.html

2014年12月02日

空を見上げて、考える時(先立ったお子さんの心の声と『星の王子さま』の言葉)

お子さんを亡くされた後、日中は家の用事や職場での仕事で
いくらか気が紛れているけれども、夜になったら寂しさが募り、
どうしようもないという方がいらっしゃいます。

そのような時に、思い出していただきたい言葉を
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ氏の作品
『星の王子さま』の中に見つけました。

いくつかの星を巡り、しばらく地球で過ごした後、
これから自分の星に戻ろうというその前に、
王子さまは操縦士と語り合います。
交わされた王子さまの言葉の中に、
まるで先立ったあなたのお子さんの気持ちが
重なっているかのような個所がありました。

詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
悲しみで心の中がふさがった時 
「空を見上げて、考える時」
http://www.lana-peace.com/2/2-1-041.html

あなたにとって毎日一日の終わりが、
寂しくて孤独な時間でないようにと、
お子さんもきっと願っているはず…。
静かな夜が、あたたかい夜に変わりますように。

2014年11月07日

僕は苦しくはない、ただ止めることができないだけ(『星の王子さま』作者サンテグジュペリの弟の言葉)

今夏訪れた星の王子さまミュージアム(箱根 仙石原)には、
ベッドに静かに横になる美しい青年の横顔の写真がありました。
『星の王子さま』の作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ氏が
15歳で逝った弟フランソワさんの横顔に、自らシャッターを切ったものです。
リウマチを患っていたフランソワさん。

発作で苦しんでいるのではないかと心配する兄に
そうではないよと説明する弟。
それを何十年も経って述懐する兄。
アントワーヌの『戦う操縦士』という著作の中で
その一端を垣間見ることができます。

フランソワさんの精神性は驚くほど高く、
彼は15歳の時点で、既に遥かに高みに登っていたのだなあと思います。

詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peace エッセイ お子さんを亡くした古今東西の人々
「僕は苦しくはない、ただ止めることができないだけ」
http://www.lana-peace.com/2/2-2-019.html

2014年05月22日

長男を亡くした石川啄木と『一握の砂』

『一握の砂』と言えば、きっとどなたもご存知。石川啄木氏の作品です。
これは明治43年(1910)12月に刊行されたものですが、
石川夫妻の長男眞一君の誕生と死が原動力となって、
世に生み出されたものだと言えるでしょう。

生まれて1カ月を迎えることなく、亡くなってしまった眞一君。
啄木はその死を「底知れぬ謎」と記し、挽歌を詠みましたが
感情あふれる言葉ではなく、事実が淡々と記された三行歌でした。

しかしながら、それは冷静さがもたらしたのではなく、
長男の生きた証を遺したいという親心からだったのだと思います。
それはいったいどういうことなのか。
詳しくはこちらに書きました。

お子さんを亡くされて、気持ちがすれ違うようになったご両親に
ぜひお届けしたいお話です。

先立ったお子さんとご家族のために
お子さんを亡くした古今東西の人々
「底知れぬ謎」
http://www.lana-peace.com/2/2-2-018.html

2014年04月23日

セウォル号沈没の犠牲になったお子さんのために―アンデルセン『天使』より

韓国の珍島付近で旅客船セウォル号が沈没して、一週間になります。
亡くなった方のご家族の気持ち、
そしてまだ安否がわからない方のご家族の気持ちを考えると、
非常に胸が痛みます。
乗員乗客のうち、その大半は修学旅行を楽しむ高校生と学校の先生だったとのこと。
青春時代の楽しい思い出がたくさんできるように…
そう見送ったはずなのに、こんなに悲しいことになってしまうとは、
本当に心痛、極まりないものと思います。
まるで心をかきむしられるような思いでいらっしゃるかもしれません。

人それぞれ、信仰の違いはあると思いますが、
先日読んだアンデルセンの童話の中で、非常に心に残る言葉がありました。
『天使』という童話です。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン著, 大畑末吉訳(2000)
『アンデルセン童話集2 新版』 岩波書店

この童話は、亡くなった子どもを天使が天国へと連れて行く途中、
会話している場面から、お話が始まります。

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「よい子が死ぬとね、そのたびに神さまの天使がこの世におりてきて、
その死んだ子を腕にだきあげ、大きな白いつばさをひろげて、
その子のすきだったほうぼうの場所へ飛んでいくのですよ。
そして、手にいっぱい花をつんで、神さまのところへもっていくのです。」

引用文献: 前掲書, p.85

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そして町の空の散歩を終えて、お花を摘んで花束を作った後、
天使と子どもは天国に到着します。

・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**
ちょうどそのとき、ふたりはよろこびと幸福とに、
みちあふれている神さまの天国にはいりました。
神さまは、死んだ子を胸にだきました。
すると、天使と同じようなつばさがはえて、
ふたりは手をつないで飛びまわりました。

引用文献: 前掲書, p.90
・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**・・・**


アンデルセンの童話ですから、きっと韓訳されて、韓国でも出版されていることでしょう。
英語のタイトルは「The Angel」です。
デンマーク語のタイトルは「Engelen」です。
お子さんのことを思って、胸が張り裂けそうなご両親、
いてもたってもいられないような気持ちのご家族に、知っていただきたい本です。

亡くなったお子さんの魂は天使によって天高く引き上げられ、
そして美しい世界で心安らかに、楽しく過ごしている…そんな風に思ってほしいです。
たとえ船の中に閉じ込められていようとも、
お子さんの魂は今、自由に、解放されていると信じて…。
そしてご両親、ご家族の愛情はお子さんの魂に十分届いていることを、
知ってほしいと思います。
それをご両親、ご家族に直接言葉で伝えられないことを、
誰よりももどかしく思っているのは、お子さんですから…。

アンデルセンの『天使』は1843年11月、出版されました。
171年越しのアンデルセンからのメッセージ、
犠牲になった子どもたちのご両親、ご家族に届いてほしいと思います。          

詳しくはこちらに書きました。

悲しみで心の中がふさがった時 
天使と過ごす自由な魂
http://www.lana-peace.com/2/2-1-025.html

2014年04月09日

ゲーテ「乾くことのない父の涙」 

技術の発達は、時として思わぬ財産の共有を可能にしてくれます。
国立国会図書館では保護期間が満了となった書籍のPDFがインターネットで
「近代デジタルライブラリー」として公開されています。
昔の本を手に入れることは、なかなか難しいのですが
ネットでアクセスできて、閲覧できるようになるとは、
実にありがたいことです。

この中にドイツの詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ氏の人生を
「父」としての側面から書かれた本があります。

三井光弥(1948)『父親としてのゲーテ』今日社
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1132038

ゲーテは5人の子宝に恵まれましたが、そのうち4人のお子さんが夭逝されました。
子どもに先立たれた父の悲しみ、新たな命の誕生と拭いきれない心配、
消え薄れることのない寂しさ…

ゲーテの苦悩は時間が経っても、色褪せることなく、
220年ほど経った現代にも蘇ってきます。
ゲーテの気持ちにうなずける部分がある方もいらっしゃるはず…。


詳しくはこちらに書きました。

先立ったお子さんとご家族のために
乾くことのない父の涙
http://www.lana-peace.com/2/2-2-015.html

2014年03月15日

散り急ぐ桜 紀友則と金子みすゞ

高校時代、古文の副読本として使った『評解 小倉百人一首<新修版>』
30年ほど経ってしまいましたけど、コンパクトで、美しいページ構成で
古文を学ぶという点でも、文化を学ぶという点でも、
とても良くできている本だと思います。
そしてなんと当時240円です。

さて、いくつもの句の中で、ひときわ忘れ難い句があります。

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ひさかたの 光のどけき 春の日に
         しづ心なく 花のちるらむ    紀 友則

   ≪さくらの花のちるをよめる 古今集・春下≫
    古今六帖・六・花 同六・さくら 異本(第二句「光さやけき」)

引用文献:
三木幸信・中川浩文(1982) 『評解 小倉百人一首<新修版>』
京都書房, p.33
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お花見の長い列の中で、美しさを楽しんでいる方もいれば、
散っていく花に先立ったお子さんの姿が重なって
寂しさがいっぱいのご両親もいらっしゃるかもしれません。

生き急がなければならなかった理由は見つからないけれど、
金子みすゞ女史の「花のたましひ」という詩の中に
ざわついた心が安らぎを見つけられるような
ヒントがあるように思います。

詳しくはこちらに書きました。

先立ったお子さんとご家族のために
光と花
http://www.lana-peace.com/2/2-1-023.html

2014年03月11日

金子みすゞ女史「失なつたもの」

お子さんに先立たれた後
「今、あの子はどこにいるのだろうか…」
という気持ちを抑えられなくなる方もいらっしゃるでしょう。
それは寂しさや悲しみ以上に、
自分の心に重くのしかかってくるかもしれません。

金子みすゞ女史の詩に
「失なつたもの」という詩があります。
その中で、失ったものは、どれもみな、
守られて、美しい場所へと移って行ったことが詠まれています。

そのように考えることは、
心の中に落ち着きを取り戻すための
手助けになるように思います。

だってあなたのお子さんが暗くて悲しい場所に行かなくちゃいけない
理由なんて、何1つないのですから。


詳しくはこちらに書きました。

先立ったお子さんとご家族のために
守られて、美しい場所へ
http://www.lana-peace.com/2/2-3-025.html

2014年03月04日

金子みすゞ女史「星とたんぽぽ」

今日は夜の星がよく見えました。
朝少し、さっと雨がふったから空気がきれいになったのかもしれません。
昼間は空を見上げても見えない星が、夜になると光を放つのを眼にするたび、
とても不思議な気分になります。

星を見ると、いつも思い出す詩があります。
金子みすゞ女史の詩「星とたんぽぽ」です。

みすゞの詩を読み返すうちに
先立ったお子さんの魂が光のエネルギーであるならば
距離の心配など飛び越えて、
あなたが孤独になった時に、訪れてくれるような気がしてきました。
光の速さは一秒間に地球を七周半します。
お子さんは地球をぐるぐる飛んで散歩しながら
一秒間に七回半も、あなたの元にやってきて
「どうかなぁ」と心配になって顔を覗き込んでいるかもしれない…
一分間感じた孤独だったら、その六十倍の回数、
あなたの元にやって来ている…
お子さんの出番は昼も夜も関係なく。
いつも、いつも。


詳しくはこちらに書きました。

先立ったお子さんとご家族のために
いつも、いつも。
http://www.lana-peace.com/2/2-3-024.html

2013年12月30日

お子さんの思いを伝える鳥の声

先日、バスを降りて仕事に向かっていたところ、
冬枯れの木の枝にとまっていた小鳥が、
それはそれはきれいな声で鳴いていました。
葉も実もない寂しそうな枝。
でも雲一つなく澄み切った青空に向かって、
すっと伸びた枝に、一羽の小鳥が実に楽しそうに鳴いていたのです。
とても印象的で、思わず足を止めて見上げてしまいました。
鳥や蝶は、なんだか不思議な気持ちを呼び起こします。

『拾遺和歌集』より
しでの山越えて来つらん郭公恋しき人の上語らなん   伊勢

宇多天皇の寵愛を受けた伊勢は
皇子を出産されましたが、皇子は8歳で夭逝されました。
その翌年、やってきたほととぎすは
伊勢にとって、親子をつなぐ鳥のように思えたことでしょう。

詳細はこちらに書きました。

お子さんの思いを伝える鳥の声
http://www.lana-peace.com/2/2-3-009.html

2013年12月16日

「十六夜や我身にしれと月の欠」娘を亡くした杉山杉風


今日は十六日。
十六日つながりで、杉山杉風(さんぷう)の句をご紹介したいと思います。

小林一茶の『おらが春』には
お嬢さんを亡くした杉風の次の句が取り上げられています。
「十六夜や我身にしれと月の欠」
こちら「十六夜(いざよい)」というのは旧暦十六日の夜のことですが
「不知夜(いざよい)」と出ているものもあれば(『続別座敷集 上』)
「いざよひ」とひらがなで出ているものもあります(『杉風句集』)。
どれが正しいとか、正しくないとかそんな問題ではなくて、
同じ音でも、表されている字によって
いろんな風に解釈できて、杉風のたくさんの思いが
込められているような気がしてきました。

詳しくはこちらに書きました。

http://www.lana-peace.com/2/2-2-010.html

2013年12月15日

子どもとの再会 小西来山「春の夢気の違はぬがうらめしい」

お子さんを亡くされた後「夢でいいから、一目会いたい…」
そのような気持ちにかられるご両親は、とても多いことと思います。
夢の中でもう一度、かつての日常を取り戻すチャンスがあったら、
どれほど嬉しいことでしょう。
江戸時代の俳人、小西来山(こにし らいざん)は
この「夢」について句に残されました。

浄しゆん童子、早春世をさりしに
       春の夢気の違はぬがうらめしい  
              『続今みや草』より

来山にとって夢は単に再会の場ではなかったようです。
詳細はこちらに書きました。

http://www.lana-peace.com/2/2-2-009.html

2013年12月10日

「霜の鶴土にふとんも被されず」次女を亡くした宝井其角

お子さんを亡くされたご両親にとって
冬の寒空は、さぞ身にこたえることでしょう。
ご自分だけでなく、お墓のお子さんのことも案じて。
蕉門十哲の一人であった俳人 宝井其角は
幼いお嬢さんを亡くされた時に
「霜の鶴土にふとんも被されず」と詠まれました。
300年ほどたった現代のご両親も
その心境は通じるものがあると思います。

こちらに詳細書きました。

寒空と布団
http://www.lana-peace.com/2/2-2-008.html

2013年12月05日

小林一茶と長女の死(露の世は露の世ながらさりながら)

小林一茶は長男を生後約1ヶ月で亡くされたことは
http://lana-peace.sblo.jp/article/81767538.html で触れましたが
その後3人のお子さんと奥様に相次いで先立たれてしまいました。
50を過ぎて初めて家庭を持ち、新たな人生を歩もうとしたときに、
いくつも降りかかってきた苦難。
とても辛かったことだろうと思います。
浄土真宗の門徒であった一茶ですが
『おらが春』には真宗の教えと向き合いながらも
寂しさが拭えない葛藤する心の内が記されています。
こちらにエッセイ記しました。
http://www.lana-peace.com/2/2-2-006.html

2013年12月01日

小林一茶と長男の死 (父の願いと初袷)

悲しい時に詠まれた句にはシンプルな言葉の中に、
たくさんの複雑な思いがつまっています。
小林一茶の『七番日記』、
先立たれた長男を思う親心にあふれた句がありました。
こちらに取り上げました。
http://www.lana-peace.com/2/2-2-005.html