2019年01月21日

講演会「弥生時代と土井ヶ浜遺跡」(2019/1/20・国立科学博物館)

昨日、東京・上野の国立科学博物館 日本館講堂で開催された
講演会「弥生時代と土井ヶ浜遺跡」を聴講してきました。
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高椋 浩史先生(土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム)と
岩永 省三先生(九州大学総合研究博物館 教授)による
1時間半の講演です。
講堂内は満員の着席。
遠き昔、弥生時代に土井ヶ浜の地に人々が住み、生活し
そして大陸、朝鮮半島を経由して人々の交流があったんだなあって
しみじみ思いを馳せる時間でした。

そして日本館で開催されていた土井ヶ浜遺跡の企画展
「砂丘に眠る弥生人」を見学してみました。
常設展の一部として開催のため、通常の入館料のみで見学できます。

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土井ケ浜遺跡は1952(昭和27)年の青年研修所建設工事で
人骨と貝製品が発見されたことを皮切りに、
その後19回にものぼる調査が行われ、約300体の弥生時代の人骨が
出土したのだそうです。

展示会場内ではそのうち第4回調査の模様が
ショートビデオで紹介されていました。
(1956/9/30, 10/4-6撮影)

金関丈夫(かなせき たけお)先生を調査団長に
小中学生も発掘に参加したそうです。

丈夫先生のお顔はこちら。
展示会場で無料配布されたパンフレットを撮影したもの。
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ビデオの中では若かりし頃の金関先生が屋外で
地面に体育座りしたこどもたちに説明をしている様子が
登場していました。
制服姿のこどもたちは、先生の話を一生懸命聞いています。
発掘に参加したこどもたちです。
今の時代、小中学生がそうした正式な学術調査の発掘実務に
参加すること自体ありえないのかもしれませんが、
こどもたちを相手に大学医学部解剖学教授が
真剣なまなざしで説明している様子は
何かとても心打たれるものがありました。
指の小さな骨も残っていたことから慎重に発掘が行われたそうです。
こどもたちの中には出土する人骨に恐怖を感じる子もいたことでしょう。
それでも偉い大学の先生が小中学生に向かって真面目に語りかける様子は
こどもたちの心の中にもきっと響くものが大きくあっただろうと思います。
古き人々への思いだとか、学問に対する思いだとか。

講演会の中で金関先生に関して紹介されていたエピソードを1つ。
人骨を研究されていた金関先生はご家族3代に渡って
献体されたそうです。
そうなんですか!
調べる側が調べられる側になるってことですね。
それも自分の意思で。
家に帰ってから調べてみると、西日本新聞にその記事がありました。
「3世代で骨ささげる 「弥生人渡来説」唱えた金関丈夫氏ら4人
世界的にも類を見ない標本、遺伝研究の貴重な資料に」

形質遺伝学の研究資料として丈夫先生、そしてお父様、ご子息が
自発的な意思で献体を行われたのだそうです。
数年前に丈夫先生の本(※)を読んだことがありましたが
難しい学者さんのお堅い本というよりは、
読み口のやさしい文体と出土遺物から当時の思想を考えるお話が
すごく興味深くて、いつかLana-Peaceのエッセイでも
取り上げたいなあって思っていましたが
3代献体の話を知って、やっぱり人としてもすごい方だと思いました。
※金関丈夫(2006) 『発掘から推理する』岩波書店


いつか機会があれば土井ケ浜遺跡にも行ってみようと思います。
あまりにも遺跡近くの海の色がきれいすぎて、びっくりしました。

2017年03月13日

研修会「医療的ケア児と家族を地域で支える」より考えた事 3 優しいオーラとこどもの時間 そらぷちキッズキャンプ(北海道滝川市)

「重い病気を持つ子どもと家族を支える財団」主催研修会
「医療的ケア児と家族を地域で支える」(2017/3/12 東京)2日目

北海道滝川市でそらぷちキッズキャンプを運営されている
事務局長の佐々木健一郎さんが登壇されました。

かつてアメリカの俳優ポールニューマンが
難病のこどもたちが楽しめるように作った
「The Hole in the Wall Gang Camp ザ・ホールインザウォールギャング・キャンプ」
のコンセプトに感銘されて、
日本のこどもたちも同じように楽しめるようにと
立ち上がった佐々木さんに、お目にかかったのは10年前。
その時、アメリカの彼等の運営マニュアルの一部を
和訳するボランティアとして
お手伝いさせてもらって、
その後一度、夏のキャンプにも手伝いで行かせてもらいました。
それ以来だから、あー、本当にお久しぶりだなあ。

佐々木さんはとてもお元気そうで、溌剌とされていました。

そらぷちキッズキャンプは2013年、
国際的キャンプ団体シリアスファン・チルドレンズネットワークから、
準会員として加盟が認められたそうです。
シリアスファン、それは「真剣に楽しむ」こと。
佐々木さんはそのシリアスファンを大事に考えているそうで
その理由を
「明日を生きるエネルギーになるから」
「こどもと家族のQOLの向上に大きく貢献するから」と
お話されていました。

重い病気のこどもたちにとって
楽しいわくわくするような機会って、随分限られてきたはず。
でも、そういう時間を過ごせることにより
自分の生活の日々に輝きが生まれてくるものね。


それから佐々木さんはザ・ホールインザウォールギャング・キャンプを
視察したり、イギリスのこどものホスピス施設を視察された時を振り返り
「優しいオーラが漂っている」と感じたことをお話されていました。
そして、自分たちもそういう施設を目指しているそうです。

佐々木さんのご出身は医療分野ではなく、
「僕は元々緑屋さんです」と自称されるように、
造園分野のコンサルティングなどを行われていた専門家。
そしてそらぷちの事務局長でもあるから
こどもの施設、運営そうしたことをプロの視点で見てこられただろうけど
「優しいオーラ」を感じ取る感性って、すごく大事だと思う。

そこで過ごすのは、大人よりももっと感性が豊かなこどもたち。
こどもたちは敏感にそうした環境(物的・人的)の放つ
気やエネルギーを感じ取ると思うのです。
立派な施設設備、それはそれに越したことはないけれど
こどもたちが求めているのは、そこで過ごす「時間の質」のはず。
そして「優しいオーラ」は時間を上質に変えてくれる
魔法を持っているはず。

でも「優しい」ってことで注意しなくてはいけないのは
それは、ただ「親切な」とか「何でも許してくれる」とか
「猫かわいがりするみたいな優しさ」とか
そういう意味ではなくて
「心地良さと安心を感じられるあたたかさ」を総括する言葉なんだと思うのです。
こどもたちが、ただ、何もしないでボーっとそこに佇んでいるだけでも
心が解放されて、心があたたまっていくことができる…というような。

そらぷちキッズキャンプでは多くのボランティアの方が
キャンププログムの運営に携わっています。
そういう場に参加するボランティアは
「こどもたちのために何かしてあげたい」
そういう気持ちに溢れている志の人がいっぱい。
だから、どうしてもこどもたちに何か声かけたり、
何かしたりしたくなる。
だけど佐々木さんは、こどもたちを静かに見守る時間も
とっても、大事なんだってお話されていました。

非日常のたくさんの楽しい経験をすることにより
こどもたちにとっては経験と情報と喜びの洪水になっちゃうから
彼等にも静かな時間、自分ひとりで感じる時間、考える時間
かみしめる時間、そういう時間は必要ですものね。

そして、そういう時間を過ごす時
優しいオーラがうんと力を発揮してくれるのだと思う。


北海道滝川市にあるそらぷちキッズキャンプ
滝川市は40年ほど前に、父の転勤をきっかけに
私が4年間、育ち、お世話になった場所。
こども時代を振り返る時、私にとっては
いつも、その4年間が真っ先に登場します。
そういう思い出いっぱいの場所が
重い病気のこどもたちにとっても
「本当に楽しい思い出を作れた場所」になれると、
とっても嬉しいなあ。
そして、その楽しい思い出が
その子にとって、生きる力になったり、励みになったり
あるいはお空に還っても、残されたご家族が
「あーあんなに楽しい時間を過ごせた場所」って
思い出せるといいなあ。
きっとお空に還ったこどもも
「こんなに楽しいことがあってさ、それはね…」って
神様や天使たちに自慢しているといいなあ。

2017年03月12日

研修会「医療的ケア児と家族を地域で支える」より考えた事 2 お子さんがハッピードミノの一番目になるために

「重い病気を持つ子どもと家族を支える財団」主催研修会
「医療的ケア児と家族を地域で支える」(2017/3/11 東京)1日目

福井でこどもの在宅医療に取り組んでいらっしゃる
「オレンジホームケアクリニック」の紅谷浩之先生が登壇されました。
紅谷先生はこどもたちは医療に支配されず、生活と成長を楽しむべき
というように「生活」をとても大事に考えています。
そして「病状よりも生き辛さを改善していく」ことをキーワードに
診療に当たられているそうです。
「ドクターストップ」から「ドクターゴー」ができる医師でありたいと。

それはどういうことか?
例えばお子さんが人工呼吸器を付けたまま、退院しなければいけない場合
家の中でおとなしく、閉じこもっているのではなく
「人工呼吸器があるから、さあ、どこにでもいけるね!」と考える。
泳ぎの苦手な子は浮き輪を使えば、楽しく泳げる。
それと同じように、呼吸に問題を抱えている子は、
呼吸器を使えば呼吸が楽になる、という発想だそうです。

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学校卒業後、行き場がないというあるお子さんの現状から
紅谷先生が立ち上げることにした「オレンジキッズラボ」。
そこに通うあるお子さんの親御さんの言葉が
とても印象的でした。
そのご家庭は4人家族。
父母と上のお子さんと病気のお子さん。
お母様はキッズケアラボにお子さんを預けて
「仕事をする」という選択をされました。
その理由は
「これで歩みを止めたら、○○ちゃんに失礼でしょ。」

ああそうか、そういう考え方もあるのか…って思いました。
新しく生まれた末っ子ちゃん、
たまたま末っ子ちゃんは重い病気があった。
末っ子ちゃんも含めて、みんなで家族。
そのみんなが、生きていくために
自分は仕事に出かけてて、生計を立てていく。
そういう日々の営みを大事にしたいという気持ちは
別に末っ子ちゃんを軽んじているわけではなく
末っ子ちゃんを特別視しないで、家族の同じ一人として、
考えていることの表れとも言えるのではないかな。

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それから自分で気管切開孔からチューブを入れて吸引する
3歳のお子さんの写真が紹介されました。
こどもが吸引?
感染対策、清潔操作、チューブの誤挿入による出血…
医療者の視点では心配事を挙げればきりがありません。
でも、なぜお子さんにそうさせるのか?
そのお母様の発想はとても「力強さ」がありました。

自分がごみ出しにちょっとの間、外に出てた時、
その間に、もしもお子さんは痰が詰まったら
お子さんはただ待っているだけなのか?
じゃあ、親はごみ出しにさえも、いけないのか…?

お子さんが自分でできるならば、
自分でやる、やらせてみる。
それは「生活者」ならではの視点ですね。
たとえ医療者の懸念するような感染、出血…そんな事態が起こっても
今この瞬間に「自分ができる最善のことをする」ことは
様々なリスクを引き受けながら、最善の結果を出すことに
つながるのではないかと思います。
だって痰が詰まっている時は、
とにかく「痰を取り除く」ことが一番なのですから。

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そして脳腫瘍術後で右半身麻痺だったお子さんが
特別支援学校に通うことを検討していたけれど、
同級生が一人もいない、という理由から
一般の小学校の普通級に通うことにした
お話が紹介されました。
そのお子さんは、もちろんできないこともあります。
でも、医療の常識をはるかに超える勢いで
いろいろなことができるようになっていきました。
右手が不自由なために左手で字を書いていたけど、
お習字は右手で筆を持って書くようにしたら
とても立派な美しい、力強い字を書けるようになりました。
「かぜ」と書かれたそのお習字
新緑を駆け抜けるような
伸びやかで、爽やかな風をイメージするような字でした。

そして学校から本を3回「音読」する宿題が出された時
お祖母ちゃまは「声の出ない子に、何と残酷な宿題…」と思ったそうですが
そのお子さんは自分でiPadに文字を打ち込んで、
再生ボタンを3回押して、音読の宿題をしたことにしたそうです。
こどもの心は軽やかですね。
大人は「かわいそう」「気の毒」「傷つく」と思うようなことも
お子さんは、自分でそれを乗り越えていく知恵と力を
携えているのです!


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紅谷先生は医療的ケアを必要とするこどもの日常生活を
「白、黒、グレーだけじゃなくて、もっとカラフルなはず。」
そんな風におっしゃっていました。

規則の多い病院から退院して、
自宅に帰ったからこそできること、
それはいっぱいあるはず。
そのチャンスをめいっぱい活かして
そのお子さんの秘めた能力をどんどん開花させていけると
本当に良いですよね。

重い病気のお子さんに、周囲は「不憫な子」というまなざしを
向けてしまうかもしれない。
でも紅谷先生はいくつかの例を通して
ハッピードミノの最初のドミノを倒したのは、病気のお子さんだと
仰っていました。
いろいろな気付きをもたらしてくれるのは、病気のお子さん。
そしてそこから、何かアクションが起きて、世の中良いように変わって行っても
やっぱりそれは元をたどれば、病気のお子さんがハッピードミノの一番目。

きっとそれは、重い病気を持ってこの世に生まれ出てきたお子さんが持つ
大切な使命の一つなのかもしれない。
とても力強くて、崇高な使命。
だから「不憫」っていう言葉は、似つかわしくないですね。

2017年03月11日

研修会「医療的ケア児と家族を地域で支える」より考えた事 1 親御さんが「人」らしく生活できるために…

「重い病気を持つ子どもと家族を支える財団」主催研修会
「医療的ケア児と家族を地域で支える」(2017/3/11 東京)1日目

姫と王子の医ケアの会(要医療的ケア児の親の会)から
医療的ケアを必要とするお子さんをご自宅で育てていらっしゃる
お母様が登壇され、お話をされました。

ある時、お母様はご自分のことを
「母ではなく、管理者となってしまっている…」と思われたのだそうです。

確かに自宅では、使用している医療機器にトラブルはないか?とか
チューブの固定はしっかりしているか?抜けていないか?
痰がつまっていないか?顔色は大丈夫か?
胃まで入ったチューブは、ちゃんとミルクや栄養が滴下しているか?
そういうことに気を配らなくてはいけないのです。
それが親御さんは24時間求められ、
そしてそれらはお子さんの命に直接つながっているのです。

看護師らにとってはそれは「仕事」であり
病院ではシフトが終われば、責任から解放され
次のスタッフがやってきます。
しかし親御さんにとっては、それが日常であり
そうした日々の連続なのです。
自分が体調が悪かろうと
自分が心の調子を崩していたとしても…。

お母様の心の中を大きく占めいていた「管理的な視点」
それはお子さんの命のためには本当に重要。
でも、それが大きければ大きいほど
もっと、ただひたすら純粋に
こどもの表情、様子、仕草を愛おしく思ったり
発育や成長を嬉しく思いたい…と思う親心があっても
それはとても自然なことですね。
そして「こんなつもり(こどもに管理するような視線を向ける)じゃなかったのに…」って
悲しくなってしまうのかもしれません。

お母様たちは
「私たちは介護ではなく、育児をしています」とおっしゃっていました。
そして、ご自分が母になっていくことを望んでいらっしゃいました。

医療的ケアを必要とするこどもが
長い入院治療を経て、自宅での新しい生活が始まるとき
やっぱりどうしても、最初のうちは「命」のために
親御さんが「医療的ケアが滞りなく行われるための管理者」の視点を
多く求められてしまいます。
でも、だんだんお子さんとの生活が進んでいく中で
親御さんにとっても「管理者としての自分」から
「人としての自分、親としての自分」が
強く意識づけられるような時間が増えることが
親御さんにとって幸せにつながっていくのではないかなあ。
そんな風に思いました。

質疑応答の中で、
医療的ケアを必要とするお子さんの親御さんは
どのようなことを望んでいる?か問われた時、
「私たちの声に耳を傾けてほしい」とおっしゃっていました。

そして世間一般的に、大きい声の人の意見が前面に出て、
取り上げられやすいことも危惧されていました。
「本当に大変な人は、前に出てこれない…」のだと。
確かにその通り。

お母様たちの赤裸々な気持ちを聴いていると
とても言葉一つ一つに重みがあって
じーんとしました。

「医療的ケア児と家族を地域で支える」(2017/3/11 東京)

本日、東京の成育医療研究センター講堂で開かれた
一般財団法人「思い病気を持つ子どもと家族を支える財団」主催研修会
「医療的ケア児と家族を地域で支える」の1日目に参加してきました。

今日はこどもホスピスに携わる医師のお話、
ご自宅でお子さんが医療的ケアを必要とするご家族のお話、
行政(区の障害福祉担当)の立場でのお話、
こどもの在宅医療に携わる医師のお話、
チャイルドデイケアなどを運営されている社会福祉法人の方のお話がありました。

それぞれの立場で、生の声を聴けるのはとても良い機会でした。

いくつか印象的だったこと、書き留めておこうと思います。

2015年03月29日

「世俗化する欧州社会における看取りの思想的な拠り所の究明」公開シンポジウム(東京・四谷)

昨日、ダギーセンター研修に参加されていた先生から紹介していただいた
「世俗化する欧州社会における看取りの思想的な拠り所の究明」公開シンポジウムに
参加してきました。
開催された上智大学四谷キャンパスの横の線路沿いの土手は
つぼみば多い木もあれば、交差点近くの桜は満開近く、といった感じで
それぞれが春のエネルギーをたくさん放出して、青空の下、美しく佇んでいました。
2年前に上智大学の岐部ホールにてアルフォンス・デーケン先生の
キリスト教入門講座(前期)に通わせていただいたこと、懐かしく思いながら
会場に向かいました。

さて公開シンポジウムではヨーロッパの視察報告や、
社会学的な、哲学的な立場での発表など、多岐にわたっていましたが、
今回とても印象的だったのは、ヨーロッパでは法律によって宗教的ケア、
魂へのケアが保障されているということ。
とても驚きでした。それが法律で保障されるべきものなのか、
というのは賛同・否定いろいろあるでしょうが、
そういうことを明文化することは、その国に住んでいれば、どこであっても
スタンダードなケアとして保障されているという利点はあるでしょう。

まずはドイツについて。石川県立看護大学の浅見洋先生のご発表によると
ドイツでは病院など公的施設での宗教的ケア(ゼールゾルゲ Seelsorge)が、
1949年制定のドイツの基本法第141条で保障されているのだそうです。
ゼールゾルゲ、って私は初めて耳にした言葉だったのですが、
魂のケアという意味だそうです。

ゼールゾルゲを行われる方がゼールゾルガー(Seelsorger)であり、
いわゆるチャプレンのような役割を果たすわけですが、
こうした方の人件費は教会税から負担されているとのこと。
でも近年は教会税が減少しているので、病院が教会に人件費を支払って、
ゼールゾルゲを派遣してもらっているというお話がありました。

なお、ゼールゾルゲは特定の宗教によるものではなくて
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、いろいろカバーされるもの。
個人の信仰に基づく価値観が大事にされるって、いいことですね。
なおテュービンゲンという街では高齢者施設の中にホスピスがあったのだそうです。

そしてイタリアについて。松本大学の福島智子先生のご発表でした。
イタリアでは宗教的援助を保証するという規定は
SSN(Servizio Sanitario Nazionale 国民保健サービス)法律833号38条によって
規定されているのだそうです。
イタリアは国全体で見ると信仰率は実際下がっており、
ローマ・カトリックは6割だそうですが、
やはりイタリア人の価値観の中にはカトリック的なものが
非常に根強く残っているとのこと。
長年その土地で大事にされてきた宗教は、その土地の文化の形成に
強く影響を及ぼしているのは、自然なことですね。

でも「傷病者の塗油の秘跡」というカトリックの儀礼は
カトリック系、非カトリック系の大学病院どちらでも行われているそうです。
普段教会に足繁く通っていなくても、ご家族がやはり
そうした儀礼は希望されることが多いのだそうです。

税金のシステムとして1985年創設された8/1000税は
どこに収めてもよいそうですが、約8割がカトリック教会へ収めているそうで
いつかはお世話になるから…というニュアンスがあるのかなあと思いました。
なお在宅看取りには教区司祭が関わっているのだそうです。
たとえばローマではひとつの教区に20,000住民がいるとのこと。
亡くなった葬儀で初めて宗教がかかわるのではなく、
看取りの段階からかかわるっていうことです。

また、イタリアではスピリチュアルな援助は亡くなる時だけでなく
生涯必要なものであると考え、寄り添い と言う表現を使われるそうです。
どういうことかなあと私なりに考えてみると
人間は身体も精神も感情も社会的な状況も、年々変わりゆくものだけれど
その人がその人自身、存在の核となるものはずっと同じ。
それがスピリチュアルなものだとすれば、
「もう予後が悪いから、はい、スピリチュアルケア必要ですね」みたいなことって
確かにおかしいですよね。
小さいこどもも、働き盛りの大人も、年を重ねた高齢者も
みんな等しくスピリチュアルな存在であるのだから。

福島先生のお話では、イタリアでは予後告知をほとんどしないそうです。
本人にとって、それが良いのかどうかは賛否両論と思いますが、
亡くなることが予期される、そうではないにかかわらず
生涯にわたって寄り添いをコンセプトとした援助が提供されるって、
それはその人自身の思いや考えを大事に尊重しているってこととも
等しいのではないかな。

なお上智大学の伊達聖伸先生によると、フランスで「スピリチュアル」と言うと、
カトリック信仰というニュアンスが強いので、「意味の探求」と表現されるのだそうです。

確かに言葉の響きが伴うイメージ、ニュアンスは国によって
あるいは人によってそれぞれ違うと思いますが、
やっぱりスピリチュアル、って人間の本質を意味するものであることは
かわらないのではないかなあ。

こちら静岡大学の竹之内裕文先生が代表を務めていらっしゃる
科学研究費(基盤B)による共同研究の成果報告の公開シンポジウムだったわけですが
難しいところもたくさんあったけれど(研究者の先生方の討論は、やっぱり難しい)、
税金を使って行われる難しい研究が、私たち普通の国民の暮らしの中に
より良い何かをもたらされるように、成果として還元されるって、大事なことですね。

原点を振り返っていろいろ考えることが多い、シンポジウムでした。
人は「スピリチュアルな存在であること」を改めて強く認識しなおして
今行っている病気のお子さんのご家族や亡くなったお子さんのご家族への
支援活動にその学びを活かしていこうと思います。

2015年03月23日

2015 オレゴンダギーセンター研修 (アメリカ, ポートランド 2015/3/19-22)

本日(まだポートランドでは2015年3月22日の夕方ですが)
日本グリーフエデュケーションセンター主催の
2015 オレゴンダギーセンター研修が終了いたしました。
4日間のプログラムは実に盛りだくさんで、
ダギーセンターの先生ほか
各セッションで講師になってくださった方々は
本当に熱心で、かつ自由な雰囲気で、深く追及していく
アメリカの学習スタイルを体験することができました。
今は頭の中にいろんなことが詰み込まれた状態で
ちっとも整理できていませんが
これからゆっくり消化して、自分のグリーフケアの活動に
活かしていきたいと思っています。

私が研修を通して受けた印象ですが
ダギーセンターは死別を体験したこどもたちや家族が
同じような境遇の人たちとの出会いや語り合いを通して
自分の中に潜む生きていく力を引き出していく場所だと思いました。
それは決して誰かに強制されたり、修正されていくのではなくて。
そうしたセンターでの経験を通して
参加したこどもや家族たちが自分自身で変わっていくのです。

きっとそれは、人間誰もが持つ「変わろうとする力」を
信じ、またお互いの存在を尊重しているからこそ
成り立つコンセプトなのだろうと思いました。

アメリカと日本、確かに社会・文化的な背景も違うから
すべてのやり方がそのまま日本に当てはまるというわけ
ではないだろうけれども、
死別を経験したこどもたちにとって、
幸多き人生であれ、と思うことはきっと同じはず。

Lana-Peace第2部のグリーフケアの活動だけでなく
現在お手伝いしている小児病院でのグリーフケアの活動にも
活かして行ければなあと思っています。

今回日本全国、そしてアメリカ国内からも
いろいろな背景の方が参加されていました。
そうした方々のお話を伺うことは
いろいろな視点を知ることにもなり、
非常に学び多い時間になったと思います。

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2014年11月08日

2014年11月特別講義「カラダと心をいやす韓方茶・ティーセラピー〜韓国伝統の薬草文化・韓医学から学ぶ」

本日東京の在日本韓国YMCA・スペースY(水道橋)で行われた
韓国政府保健福祉部支援・韓医薬教育プロジェクト(国の支援だそうです!)
による「カラダと心をいやす韓方茶・ティーセラピー
〜韓国伝統の薬草文化・韓医学から学ぶ」
の特別講義を受講してきました。

先月末ソウルのティーセラピー本店を訪れた時
日本でセミナーがいくつかあることご案内いただき
帰国後早速申し込んだのですが、
本科セミナーは2種類ともすでにキャンセル待ち数十人…。
ということで、空きのあった単発の特別講義に参加しました。

講師は釜山大学校韓医学専門大学院教授の
李尚宰(イ サンジェ)先生です。
パワーポイントを使って、非常にわかりやすい講義です。
韓国の韓方茶の文化・歴史的な側面などについて
質疑応答含めて約2時間でしたが
ティーセラピー本店のキョンキョン先生(ティーセラピスト)
による流暢で大変美しい日本語通訳が行なわれたので、
韓方茶のビギナーにとっても理解しやすかったと思います。

韓方茶の効能だけを勉強するのではなくて
自然の素材をお茶として生活に取り入れ
身体の調子を整えてきた長い年月と文化を知ることは
大変勉強になりました。
あまりに内容盛りだくさんで、うまく整理できていないので
詳しくは、また追々ブログで取り上げたいと思います。

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2014年10月05日

ヘミシンク エクスカージョン(F12コース)受講

昨日に引き続き、本日都内で開催された
ヘミシンク エクスカージョン(F12コース)を受講してきました。
詳しくは「ヘミシンク」のカテゴリーの記事にこれから投稿しようと思います。

2014年10月04日

ヘミシンク エクスカージョン(F10コース)受講

本日都内で開催されたヘミシンク エクスカージョン(F10コース)を受講してきました。
詳しくは「ヘミシンク」のカテゴリーの記事にこれから投稿しようと思います。

2014年09月21日

ヘミシンク セミナー「イントゥ・ザ・ライト」スペシャル

昨日東京 神楽坂で開催されたアクア・ヴィジョンアカデミーのヘミシンクを使ったセミナー
「イントゥ・ザ・ライト」スペシャルに参加してきました。

ヘミシンクとはアメリカのロバート・モンロー氏が開発した技術であり
半球状 という状態を表す英語hemisphericの接頭辞「ヘミ」と
同調する という様子を表す英語synchronizationの「シンク」がとられた
造語だそうです。

右耳・左耳から異なるHzの音が入って来ると、脳幹でその差異によって音が合成され
それがさらに右脳・左脳に対し伝えられるそうで
そこから脳の活動が同調し始め、ある種の変性意識に至るようです。
ヘミシンクはそういった仕組みを表しています。

具体的には静かにプログラムのCDをヘッドフォンで聞くのですけれど
別に何か得体のしれない薬を飲んだり、嗅いだりするわけではありません。
変性意識とは怪しげな怖い状態の意識なのではなくて
私たちが普通に覚醒している時の状態とは異なる意識は、すべて変性意識であり、
何かに憑依されたとか、気を失ったとか、そう言った状態を表すものでもありません。

ただ脳は単調な刺激では慣れてしまうので、いくつものオーディオ信号が組み合わされ、
またそれが様々に随時変化をしていくそうです。

「イントゥ・ザ・ライト」では臨死体験(Near Death Experience)をされた方
が語った経験の中で共通するもの「懐かしい大切な方々と再会する」
「自分の人生を回顧する」「光り輝く世界へ行く」「深遠な知識の領域がある」を
体験できるということで、参加してみました。
私は自分自身の臨死体験はないので、それがいったいどういうことなのであるのか
知りたくて、参加したわけです。

さて参加してどうだったか、
詳しくは後ほどブログに書きたいと思います。

2014年09月13日

第6回小児肝臓・肝移植セミナー

9月13日、都内で開催された第6回小児肝臓・肝移植セミナーに参加してきました。
「小児脳死肝移植の推進に向けて」と題されて各方面の演者が発表されていました。
とても考えること多かったセミナーでしたので、
詳しくはまた別途取り上げたいと思います。

2014年07月22日

シータヒーリングとスピリチュアルなアプローチ

今回7月の3連休を利用して、「ハートライト」の上原慶子先生の所で、
シータヒーリング基礎DNAコースを学んできました。
シータヒーリングとは、アメリカのヴァイアナ・スタイバル氏によって始められたもので
日本には2003年に入ってきたのだそうです。
「シータ」とは脳波のシータ波(4〜7Hz)のことです。
深くリラックスしたり、瞑想した場合の脳波がこれにあたります。

クライアントさんの悩みの元を明らかにするために、対話が行なわれるわけですが、
その過程で「偉大で神聖なものへの問いかけ」が介在したり、
顕在意識だけでなく、潜在意識を探っていく上で、魂や過去世レベルに遡った視点で
問題を探していく点は、一般的にイメージされるカウンセリングと異なると思います。
別に宗教ではありませんよ。お間違えなく。
ちなみに潜在意識の変化(必要とされる場合の変化)や
偉大で神聖なものとのつながりが得られやすいことから、
シータ波下でカウンセリングを進めることが有用なようです。

今回、シータヒーリングを受講した理由は、人間を「スピリチュアルな存在」と考えた時に、
悩みを抱えた人との対話の中で、スピリチュアルな問題を真面目に扱うアプローチを
知りたかったからです。
人間は単に感情や知性を持った細胞の集合体なのではなくて、
スピリチュアルな側面があるからこそ、より一層の尊厳を伴うのではないかなあ…と
私は思っているわけです。

1998年、WHO憲章における健康の定義の中で、単に身体や精神や社会的において
良い状態を健康というのではなく、それらと同列に「spiritual」を入れてはどうか
という提案があり、翌年のWHO総会で話し合うことになりましたが、
早急審議に値しないとされて、保留となってしまったことがありました。
それは全人的医療を説く本などでよく紹介されている事柄なので、
ご存知の方も多いと思います。
でも、1998年よりも遡ること9年、1989年に開催された委員会
「がんの痛みからの解放と積極的支援ケアに関するWHO専門委員会」では、
もうすでにスピリチュアルという言葉が登場していました。
その報告書を読むと、包括的な医療のことを
「身体面、心理面、社会面、霊的な(spiritual)面のすべてに対応する」※
と形容されています。
※世界保健機関編, 武田文和訳(1993)『がんの痛みからの解放とパリアティブ・ケア』
金原出版, p.5
この表記は、同年発表された、ある医学論文からの引用を踏まえたもののようです。

「スピリチュアル」とは「何それ?」「何か危ない感じ」「宗教くさい」と
特別視するべきものでなく、身体や精神等と同じように「大切な人間の構成要因」と
考えるのは、随分前からあることなのではないかなぁと思うのですけど
みなさんどうでしょう。

人間の命は尊厳に満ちているけれども、それは今世の命だけを指しているのではなく
今世の命が生まれ出るまでに、たくさんの命の積み重ねがあったゆえに言えるのでは?
先祖という考えでもあり、何度も魂が転生して生まれてきた積み重ねの命である
という考えも、両方できるように思います。
シータヒーリングではそうした面もアセスメントの中に入ってくるのです。

今回受講したコースは3日間だったのですが、実に密度の濃い内容で、
あっという間に過ぎていった感じです。
コースで使われる薄目のテキストとは別に、その元となった本もいただきましたが
厚さ3cm、500ページ以上。奥が深い…。
追々、Lana-Peaceで行うカウンセリングの中でも、シータヒーリングのエッセンスを
取り入れていけるように、
「時間をかけて、もう一度咀嚼し、理解を深めなくちゃ」と思っている次第です。

2013年10月27日

メンタルセラピスト講座(国際メンタルセラピスト協会)

今夏より国際メンタルセラピスト協会のメンタルセラピスト講座で
勉強してまいりましたが、本日最終日を迎えました。
講師の宮島賢也先生のお話の中で
「メンタルセラピーは解決策を示すのではない」
「引っかかっていくことをはずしていくお手伝い」
という言葉がとても心に残りました。

お子さんが病気と診断され、様々に悩んでいるご家族や、
お子さんが病気や事故、災害等で先立ってしまってご家族にとって、
心の中の引っかかりは、あらゆるところにたくさんあると思います。
そして、その引っかかりにより、苦悩や悲しみや寂しさが、
一層複雑な方向へと捻じ曲げられ、
苦しい思いをされていらっしゃる方も多いと思います。
そうした心の中の引っかかりを
ご自身ではずしていけるような支援を
これからやっていけたらなあと思っています。

すでに医療施設でのグリーフケアのお手伝いは
一部はじめさせていただいておりますが
個人サロンでのカウンセリング支援(対面・メール)は
もう少し準備時間が必要です。
準備ができましたらホームページでご案内したいと思っています。
http://www.lana-peace.com/index.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html


病児・家族支援研究室 Lana-Peace 代表
看護師・国際メンタルセラピスト協会認定メンタルセラピスト
長原恵子

2013年06月23日

2013/6/22 国際実存療法士 第3回資格認定講習会(東京)

2013/6/22 
東京都千代田区の日本教育会館で行われた
国際実存療法士 第3回資格認定講習会に
参加してまいりました。
講義は2つ、まず「フランクルの生涯と業績 〜ロゴセラピー入門〜」
としてウィーン・ビクトール・フランクル研究所、心理療法家の
ハラルド・モリイ先生のご講演がありました。
その講演の際、フランクル先生と親交の深かった永田勝太郎先生が
合間に解説を加えてくださいましたが、
フランクル先生の奥様エリーさんのお話がとても印象的でした。
永田先生はフランクル先生の没後、お墓参りに何度も行かれたそうですが、
エリーさんは行かれないとのこと。
その理由は次のようなものでした。
(要旨)「私と一緒に夫の魂はいつもいる。
私は肉体ではなくて魂を愛している。お墓にあるのは亡くなった肉体。
どうしてお墓に行かなくちゃいけないの?」
フランクル先生と奥様は、本当にとても仲が良かったそうなのですが、
それはお互いがいつも向き合うのではなくて
同じ方向を目指してともに歩いているからだ、とのこと。
何十年もの結婚生活を経た方の含蓄あるお言葉ですね。

次に永田勝太郎先生が「フランクルとユーモア 〜ロゴセラピーの臨床〜」
について講演してくださいました。
その中で印象的だったのが
笑いによって顔面筋が弛緩されると、迷走神経が刺激され、
瞬時に副交感神経優位になるとのこと。
笑いというのは、心を弾ませてくれるものだけでなく、
体の奥深く働きかけてくれるものなのだと、あらためて感じました。

2013年06月09日

2013/6/9 安保徹先生・宮島賢也先生講演会(東京)

2013/6/9 
本日は東京都千代田区の星陵会館で行われた
安保徹先生・宮島賢也先生講演会
「免疫力を自分で高める〜体と心からのアプローチ〜」に
聴講に行ってまいりました。
宮島先生は「病気にならない人間関係」
安保先生は「健康で生きるための条件」をテーマに講演されました。
会場にはたくさんの病気の方ご本人やその家族が、多く参加されているようでした。

宮島先生の次の説明が、印象的でした。
「人間はイメージの動物なのだから、
起きたら困ることを心配するのではなく、起きたら嬉しいことに心を配る!」
昔から「杞憂」という言葉がありますものね。
こうなるといいなあ、ということに思考力や想像力のエネルギーを使った方が
起こるかどうか、わからないことに悩んで、心が追い込まれるよりずっと良いですよね!
限られた人間のエネルギーなのですから。

安保先生の講演では、人間の太古からの進化の過程について
どのような変化が起こってきたのか、腎臓、肝臓、血管など
いろいろな例を取り上げて、楽しく、わかりやすく説明してくださいました。
今、世の中で「病気」と捉えられていることは、進化の過程からみれば
進化したものが、元の先祖返りしようとする状態であること。
(マクロファージが進化したものが血管内皮細胞だと初めて知って、
 目から鱗が落ちる思いでした…)
病気の原因は生きていく中で発生した、
あまりにも無理な負荷、ストレスであること。
そしてその状態(病気)を治そうとしていきたいのであれば
その先祖返りを起こさせようとした生き方、生活を見直す必要があること。
それをユーモアを交えてお話してくださいました。
こう考えてみると、私たちが「病気」と感じていることは
長い進化の歴史の縮図を思い返すきっかけを得ることであり、
進化の逆をたどろうとする身体の変化は、
そうまでしてでも、生き延びようとする身体の反応であると
考えることもできますね。
身体のそれぞれの部位はずいぶん健気なのかもしれません。
今回も、とっても元気がいただけた、活力が湧き出てくるようなあたたかい講演でした。
当日、安保先生の著書『ガンは自分で治せる』(2002)マキノ出版を購入して
サインしてくださいましたが、握手したときの安保先生の手は、
それはそれは、とてもあたたかい手でした。

いつまでも、お元気に活躍していただきたいです。

2013年05月20日

2013/5/19 第25回日本自律神経免疫治療研究会(東京)

2013/5/19 第25回日本自律神経免疫治療研究会(東京, 日中友好会館)へ聴講に
行ってまいりました。
病いが起こる仕組み(身体の持つそもそもの働きや役割)自体に着目して、
それを良い方向へ向かうよう働きかける治療法は、
どれも大変勉強になる考え方でした。
このようなアプローチが基本になると、
これからどんな病気になるのかと不安に思うのではなく、
自分自身の身体の力を信じることができるなあと、
嬉しく思いながら拝聴いたしました。
後ほど詳細を下記URLでご報告いたします。
http://www.lana-peace.com/3/3-1-mokuzi.html

※更新しました
http://www.lana-peace.com/3/3-1-002.html
2013/5/21 血圧と生き様
http://www.lana-peace.com/3/3-1-003.html
2013/5/22 身体を温めることとHbA1c