講演会「弥生時代と土井ヶ浜遺跡」を聴講してきました。
高椋 浩史先生(土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム)と
岩永 省三先生(九州大学総合研究博物館 教授)による
1時間半の講演です。
講堂内は満員の着席。
遠き昔、弥生時代に土井ヶ浜の地に人々が住み、生活し
そして大陸、朝鮮半島を経由して人々の交流があったんだなあって
しみじみ思いを馳せる時間でした。
そして日本館で開催されていた土井ヶ浜遺跡の企画展
「砂丘に眠る弥生人」を見学してみました。
常設展の一部として開催のため、通常の入館料のみで見学できます。
土井ケ浜遺跡は1952(昭和27)年の青年研修所建設工事で
人骨と貝製品が発見されたことを皮切りに、
その後19回にものぼる調査が行われ、約300体の弥生時代の人骨が
出土したのだそうです。
展示会場内ではそのうち第4回調査の模様が
ショートビデオで紹介されていました。
(1956/9/30, 10/4-6撮影)
金関丈夫(かなせき たけお)先生を調査団長に
小中学生も発掘に参加したそうです。
丈夫先生のお顔はこちら。
展示会場で無料配布されたパンフレットを撮影したもの。

ビデオの中では若かりし頃の金関先生が屋外で
地面に体育座りしたこどもたちに説明をしている様子が
登場していました。
制服姿のこどもたちは、先生の話を一生懸命聞いています。
発掘に参加したこどもたちです。
今の時代、小中学生がそうした正式な学術調査の発掘実務に
参加すること自体ありえないのかもしれませんが、
こどもたちを相手に大学医学部解剖学教授が
真剣なまなざしで説明している様子は
何かとても心打たれるものがありました。
指の小さな骨も残っていたことから慎重に発掘が行われたそうです。
こどもたちの中には出土する人骨に恐怖を感じる子もいたことでしょう。
それでも偉い大学の先生が小中学生に向かって真面目に語りかける様子は
こどもたちの心の中にもきっと響くものが大きくあっただろうと思います。
古き人々への思いだとか、学問に対する思いだとか。
講演会の中で金関先生に関して紹介されていたエピソードを1つ。
人骨を研究されていた金関先生はご家族3代に渡って
献体されたそうです。
そうなんですか!
調べる側が調べられる側になるってことですね。
それも自分の意思で。
家に帰ってから調べてみると、西日本新聞にその記事がありました。
「3世代で骨ささげる 「弥生人渡来説」唱えた金関丈夫氏ら4人
世界的にも類を見ない標本、遺伝研究の貴重な資料に」
形質遺伝学の研究資料として丈夫先生、そしてお父様、ご子息が
自発的な意思で献体を行われたのだそうです。
数年前に丈夫先生の本(※)を読んだことがありましたが
難しい学者さんのお堅い本というよりは、
読み口のやさしい文体と出土遺物から当時の思想を考えるお話が
すごく興味深くて、いつかLana-Peaceのエッセイでも
取り上げたいなあって思っていましたが
3代献体の話を知って、やっぱり人としてもすごい方だと思いました。
※金関丈夫(2006) 『発掘から推理する』岩波書店
いつか機会があれば土井ケ浜遺跡にも行ってみようと思います。
あまりにも遺跡近くの海の色がきれいすぎて、びっくりしました。