疱瘡(ほうそう:天然痘)で亡くなりました。
幼女の名は露姫。
因幡国・鳥取西館新田藩第五代藩主、池田定常公の十六女でした。
露姫の死後、少し日を置いてから遺筆が次々と見つかりました。
色々な場所から和歌やメッセージとなる言葉が残されていたのでした。
定常公は複数の側室との間に24人の子宝に恵まれましたが、
露姫との死別の前、既に両手では収まりきらない数の
我が子との死別を経験していました。
定常公は何か思う所があったのか、末っ子の露姫については
その生涯をまとめた冊子を作りました。
『玉露童女行状 全』です。
詳細なエピソードが盛り込まれたことにより、
どんなに幼いこどもといえども大人に負けないくらいいろいろと考え
様々な心の機微があることがわかります。
露姫の遺した言葉は、きっと同じように大切な人に伝えたかった、
でも伝えられなかった、
現代のこどもたちの思いと通じるものがあります。
時を超え、きっと多くの方々も共感できる部分が多いかと思います。
また我が子を亡くした後、治療・救命過程の中で
医療従事者でもない自分はいかに無力だったか……と
自責の念が絶えない親もいることでしょう。
しかし親には親の役割がある、
我が子が治るための道筋を整えるよう尽力することも、
親だからこそできること。
親がいかに心を砕いているのかこどもの側にも十分伝わっている。
その大切な事実を定常公と露姫の姿から読み取ることができます。
そこで今回『玉露童女行状 全』を起点とし、
父子の心の交流、そして夭逝した露姫が残したメッセージ等について
全10回に分けてお届けすることにいたしました。
200年前、夭逝した幼女・露姫の言葉には命が宿り、
何も言葉を残さず亡くなった現代社会のこどもたちの
心の声を代弁していると思います。
あなたの心の内にも、露姫の存在を留めてもらえると嬉しいです。
まずは本日は第1回目
定常公と露姫の人となりをお伝えし、
露姫の遺筆がどのように世に知られ、広まることになったのか、
ここから始めようと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
お子さんを亡くした古今東西の人々
「幼女の言葉に宿った新たな命と心の漣」
https://www.lana-peace.com/2/2-2-033.html
https://www.lana-peace.com/2/index.html
【こどもに先立たれた家族のために 歴史から考える生と死の最新記事】
- 早産で逝った赤ちゃんの長き命(青森県上北..
- 死者を思う気持ちとホタテ貝(青森県上北郡..
- 母の子宮に抱かれて永眠した子(宮城県東松..
- 「死後も人々から愛され、幸せを願われた人..
- 石に癒しの力を期待した親心(宮城県東松島..
- あたたかい寝床に込められた亡き子への思い..
- 二十代で三度の死別を経験した父の軌跡 ―..
- 仙台藩五代藩主伊達吉村の寄進した鳥居と扁..
- 早世したこどもたちの命をいつまでも慈しむ..
- こどもを守り続けた松菊里式甕棺・管玉(韓..
- 鹿角製垂飾品と共に眠った3000年前の赤..
- 古作貝塚 貝輪・貝輪入り蓋付土器(千葉県..
- 生と死と再生への思いが滲み溢れる遺物たち..
- 出産時の悲しみを癒す石(北海道虻田郡洞爺..
- 9歳のこどもが胸に抱いた石
- 4歳のこどもを守り続けた2つの土器と30..
- 1歳のこどもを守り続けたホタテガイ ―北..
- 翡翠と漆に込められた死者への思い(北海道..
- 歩き出そうとする土偶 ―北海道函館市 著..
- 函館市 臼尻B遺跡 大人の足元に寄り添う..