2023年03月15日

18名の子に先立たれた鳥取西館新田藩第五代藩主池田定常(松平冠山)公と十六女・露姫…幼女の言葉に宿った新たな命と心の漣

今から200年ほど前、江戸で5歳になったばかりの女児が
疱瘡(ほうそう:天然痘)で亡くなりました。
幼女の名は露姫。
因幡国・鳥取西館新田藩第五代藩主、池田定常公の十六女でした。
露姫の死後、少し日を置いてから遺筆が次々と見つかりました。
色々な場所から和歌やメッセージとなる言葉が残されていたのでした。

定常公は複数の側室との間に24人の子宝に恵まれましたが、
露姫との死別の前、既に両手では収まりきらない数の
我が子との死別を経験していました。
定常公は何か思う所があったのか、末っ子の露姫については
その生涯をまとめた冊子を作りました。
『玉露童女行状 全』です。
詳細なエピソードが盛り込まれたことにより、
どんなに幼いこどもといえども大人に負けないくらいいろいろと考え
様々な心の機微があることがわかります。

露姫の遺した言葉は、きっと同じように大切な人に伝えたかった、
でも伝えられなかった、
現代のこどもたちの思いと通じるものがあります。
時を超え、きっと多くの方々も共感できる部分が多いかと思います。

また我が子を亡くした後、治療・救命過程の中で
医療従事者でもない自分はいかに無力だったか……と
自責の念が絶えない親もいることでしょう。
しかし親には親の役割がある、
我が子が治るための道筋を整えるよう尽力することも、
親だからこそできること。
親がいかに心を砕いているのかこどもの側にも十分伝わっている。
その大切な事実を定常公と露姫の姿から読み取ることができます。

そこで今回『玉露童女行状 全』を起点とし、
父子の心の交流、そして夭逝した露姫が残したメッセージ等について
全10回に分けてお届けすることにいたしました。

200年前、夭逝した幼女・露姫の言葉には命が宿り、
何も言葉を残さず亡くなった現代社会のこどもたちの
心の声を代弁していると思います。
あなたの心の内にも、露姫の存在を留めてもらえると嬉しいです。
まずは本日は第1回目
定常公と露姫の人となりをお伝えし、
露姫の遺筆がどのように世に知られ、広まることになったのか、
ここから始めようと思います。


詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
お子さんを亡くした古今東西の人々
「幼女の言葉に宿った新たな命と心の漣」
https://www.lana-peace.com/2/2-2-033.html
https://www.lana-peace.com/2/index.html