2021年05月22日

病気のこどものきょうだいから「自分はいらない子だったから」と言われた時

幼い頃からこどもが病気で入院を繰り返す時、
親が病院側から24時間の付き添いを求められて
自宅を長期間不在にすることもあります。
そうした場合、入院するこどもの心配だけでなく
家に残してくることになる兄弟姉妹のことも
心配ですね。
親は気がかりで、毎日電話やメールで連絡を取って
できる限りの努力をして、どうにかその時期を乗り切る。
なのに数年経って、物事の分別が分かるような時期になってから
当時を振り返り「自分はいらない子だったから」などと
口にされると、親の心はどうにもこうにも苦しくなる。
親だって一生懸命だったのに・・・と。

過ぎ去った時間はもう取り戻せない。
いや、取り戻せてあらゆる手を尽くしたとしても
やっぱり同じように「自分はいらない子だったから」と
言われるかもしれない。
人の心はうつろうものだから。
じゃあ、どうすれば良いのか?


心は上書きしていけば良いのだろうと思います。
過去の記憶やその時に感じた思いを消去するのではなく
それはそれ、とひとまず置いておく。
肝心なことはその後の今、どうなのか、だと思います。

少しだけ時間に余裕ができた時、
あるいは兄弟姉妹の認識・理解力が成長した今、
少しは親の心の機微もわかるようになった今、
「自分はいらない子だった」
かつてそのように感じていた思いを
上書きするような時間を持つことが大事なのだろうと思います。

共に過ごす物理的な時間の多さを求めているのか、
あるいは時間云々ではなく自分に対する視線の温かさを求めているのか
こどもによってそれぞれです。
それも特別な機会を求めているのではなく
日常のありふれた時間の中でハッと気づくような機会が
実はとても大事で、とても思い出深い時間になるのかなあ。
小さなその日常の積み重ねが、心の中で氷結していた塊を
やがて少しずつ溶かしてくれるのだと
あるお母様とお話しながら思いました。

親だって心揺れる人間だけど、親も一生懸命頑張っている。
それは大きくなって、こどもが気付くことです。
その一生懸命さがやがて、こどもにとって無言の教えになっていきます。

今、親はその一生懸命さが報われないように思っても
きっと何年か経って一生懸命さがその子を導く時が来る。
それも、こどもの心の中で醸成して。
あなたの今の一生懸命さは無駄なんかじゃない。

それが彼女に伝えたいこと。