五代藩主吉村によって始まった早世した子らの御廟に
なぜか四代藩主綱村の子伯姫のお墓がありました。
それも伯姫が亡くなって240年近く経った後に
東京の弘福寺から仙台の経ヶ峯まで
改葬されていたのでした。
御廟の中では数多くの石灯籠が献納されていますが
伯姫の周りに献灯は1基もなく、
ひっそりと墓石が佇んでいましたが
五代吉宗養女の孝姫と尼の墓石の間で
二人に見守られるかのようでもありました。
伯姫について調べていくうちに
伯姫には実は幼いうちに亡くなった
兄と姉がいたことが分かりました。
そして兄扇千代の葬られていた瑞聖寺(東京)の
伊達家墓所跡から扇千代の胞衣桶(えなおけ)が
見つかったことも知りました。
胞衣桶とは赤ちゃんが生まれた後、
胎盤を納めるための容器です。
先月初めに港区立郷土資料館で見たその桶は
実物は想像していたよりも大きく
そして非常に美しい品のあるものでした。
幼い三人の子を四年半の間に亡くした綱村は
その後実子に恵まれる機会はありませんでした。
藩主として懸命に藩政に取り組みましたが
その人生は必ずしも順風満帆ではありません。
周りからの評価を得にくい部分もあったようで
その退き方は勇退という望ましい形ではなく
非常に不本意なものだったのでした。
彼の取り組んだ仕事の軌跡
その「事実」だけに目を向けると
確かに藩の財政的には厳しい部分もあったことでしょう。
しかしながら時系列に仕事を並べ
その仕事の特徴について吟味してみると
仕事に打ち込む彼の表の顔の裏に
悲しい涙が流れていただろうことが
ひしひしと伝わってきます。
20代で3度も我が子に先立たれた一人の男性が
60歳で天寿を全うするまで、どう生きていったのか。
死別の悲しみを抱えながら、
自分が生きていく意味を求めて
必死だった一人の男性の姿が浮かび上がってきます。
今日は仙台藩第四代藩主伊達綱村公の人生を
取り上げたいと思いますが
余談を1点。
扇千代の胞衣桶について調べていくうちに
その中に含まれていた竹で作られた小刀は
非常に歴史的に奥深いものであることを知りました。
『日本書紀』には木花開耶姫が邇邇芸命との間に
授かった三柱の御子を出産した時、
臍の緒を青竹を薄くへぎとって作った小刀で切断し、
捨てた小刀が後に竹林になったという話が出てきます。
人々の暮らしの中で行われる事柄が、
壮大な時間を経ながら続いているものだと
改めて驚きと感動が起こります。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
お子さんを亡くした古今東西の人々
「二十代で三度の死別を経験した父の軌跡」
http://www.lana-peace.com/2/2-2-032.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
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