今も赤茶色の岩肌から時折、静かに白煙を上げていますが
70数年前、かつてこの地は有珠山を背景にした麦畑でした。
この山が誕生する過程を毎日観察し続け、
山の自然環境を保護しようと個人の財産を投げ打って、
山を買い取った人がいました。
北海道 壮瞥(そうべつ)郵便局の局長だった三松正夫さんです。
昭和新山を我が子のように愛し、守ろうと
正夫さんを強く駆り立てた背景には、
二人の息子さんとの悲しい別れがあったのだと
正夫さんの著書の中で知りました。
今日はその話をご紹介したいと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
お子さんを亡くした古今東西の人々
「早世した息子たちへの思いを山に託した父」
http://www.lana-peace.com/2/2-2-031.html
http://www.lana-peace.com/2/index.html
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