2018年06月27日

きょうだいを亡くしたこどもの受け止め

きょうだいを亡くしたお子さんが
「死」をどう受け止めているのか、
それは気になるところだろうと思います。
「何歳くらいになるとこういう認識ができて…」
そういう風に書いてある本もありますが
本当のところは
親が死に対してどういう価値観を持って暮らし、
こどもに接し、話しているか、
それによって随分変わってくるような印象を受けます。

お子さんが長く患った末、亡くなったおうちの場合
きょうだいはそれまでの生活の時間を通して、
自分のきょうだいの弱っていく様子を
知る機会を得ていきます。時間を十分かけて。
一方、ずっと普通に暮らしていたけれども
ある日事故や災害で突然、日常の時間の中から
お子さんが旅立ってしまった、というおうちもあります。
そういう時は遺されたきょうだい云々よりも
親御さん自体、我が子の死の受け止めができない…
あるいは「受け止め」なんて、そういう言葉で語れるような
そんな状況どころでない、と言った方が正しいかもしれません。


いくつかのおうちに関わらせてもらううちに
自分で感じてきたことは
「亡くなっても、今迄とは違った形でそばにいるんだよ」
そういう風に親が説明しているおうちの場合
小さいこどもたちは自然にその話を受け容れて
日常生活を送ることができるようです。

こどもの方がそれは柔軟かもしれません。
なぜなら、特に小さい年齢の頃は
親の発言は「絶対的」な信頼を寄せているものですから
その親がそう言うのだから、
それは間違いないことだろう、と。
こどもの中にスーッと入っていくのだろうと思います。

親には見えていなくても
幼いこどもの場合は亡くなったきょうだいの魂・霊が
見えていることがある、という理由もあるかもしれませんが…。

今迄とは違った形で亡くなったきょうだいとどうつきあっていくか、
それはその子、その子によって違うのは当然です。

あるお母様がおっしゃっていました。
そのおうちはかつてお兄ちゃんが妹にたくさん
本の読み聞かせをしていたのだそうです。
そして妹が亡くなった後、
お兄ちゃんは当時の本をまた手に取って
一人で読んでいる時があるのだと。

そうなのか……と思いました。
本を読むお兄ちゃんの背中姿を思い描いたら
ジーンとしました。


いろいろな形で人は過去の想い出に遡り
亡くなった大切な人を悼むのだと思います。
きょうだいと過ごした時間が現実のことだったのか、
それを確認する意味もあるのかもしれません。
大人が考える以上に、実はこどもの心は遥かに
大切な人の死を受け容れるための工夫を
自然に試みているのだろうと思います。

テレビばっかり見て、もう!とか
マンガばっかり読んで、もう!とか
あるいは、こどもがダラダラしてすごしているとき
本人にとって本当は自発的な悼む時間かもしれません。
かつて、そうやって共にきょうだいと過ごした時間を思い出すために。

そうした何気ない時間の積み重ねによって
こどもたちは自分の記憶の中に
きょうだいの死を自分流に留めていくのだろうと思います。