2018年06月22日

信念がどん底から引き揚げてくれる ―娘を亡くした母の強さ

お子さんが亡くなった後、視覚的に確認できる身体がないことは
本当に「寂しい」ものです。
いつも通っていた病院、長く過ごしていた病室
そこに行っても会えない現実。

でもあるお母様がこうお話してくださいました。
「肉体はないけれどそばにいる。だったら楽しく過ごそうと思う。」
今この瞬間も、いつでもそばで見守ってくれているんだ…
そばにいる、彼女は真剣にそれを信念として
心の中にしっかりと打ち立てていました。
そしてそれが見事に彼女の気持ちを変えていったのです。

亡くなったお子さんの立場から考えてみれば
「こんなに近くにいるのに、どうしてママは悲しい顔してるんだろう。
ママはどうして私の事わからないのかしら?」
そう思ってしまうものね。

そしてそれは共に生きているごきょうだいも同じこと。
いつまでも自分が日々悲しみのモードで送ることは
まさに今ここに生きているお兄ちゃんの存在を
ないがしろにしてしまうことになるから。
「ねえ、僕はここにいるのに。僕って一体何なの?」
そう寂しく思ってしまうものね……。
こどもだって自分の存在を否定されたような気持ちになるものね。
どんなに小さくたってわかるもの。


自分の悲しみを全面に出し続けることは
自分がお兄ちゃんの人生を犠牲にしてしまうことにつながる、
そう思った彼女は悲しい気持ちはあるけれど
でも、日々楽しく過ごせているよ、と
言えるように変わりました。
亡くなったお嬢さんもそばにいるし
そしてまさに今生きているお兄ちゃんもそばにいるし。
共に泣いてくれて、そして共に生活に楽しさを見出してくれる
ご主人もいるし。


人間の心は複雑なもの。
いろいろな感情が同居して、刻々と変わりながら生きている。
でも、何か信念の柱をしっかり心の中に打ち立てると
その後の進む大きな道、その方向性が決まるのだと思う。

他人がその信念をどう思おうと、そんなことは関係ないのです。
悲しくても苦しくても、彼女は今世の天寿を全うするまで
彼女の人生は続いていく。
その中で、娘が夭逝したこと、その事実が
彼女の人生を暗転させたきっかけとして
このまま自分の人生を過ごし、終えるのは
とても耐え難かったのだと思う。

それは自分が辛い、そういうことではなくて
娘があまりにも気の毒だから。
自分が悲しみすぎることは
娘を親不孝な子にさせてしまうから。
お嬢さんは親不孝な子なんかじゃない。
彼女にいろいろな気付きと学びと
たくさんの愛情を与えてくれた
素晴らしいお嬢さんなのだから。

彼女に昨夏お目にかかったときは
もう彼女の心が擦り切れてちぎれてしまうのではないかと思うほど
とても限界にきていたけれど、
先日お目にかかった時は、生きるエネルギーが甦ったようでした。
彼女は今では誰か同じような境遇の人の力になりたいと
思うようになったそうです。

それは彼女が信念と共に
そして魂の形で自由になったお嬢さんと共に今生きていると
彼女が実感していることが大きいのだと思いました。


心が散り散りになるほどの苦しさを経た彼女は
本当にまぶしいほどに美しかったです。

きっとお嬢さんが彼女の進む道に光を照らし
彼女はそれをしっかり受け取って歩んでいるからだと思います。