2018年05月19日

今を生きた子の命を未来に繋ぐこと ――「朝日新聞2018年5月19日土曜日記事 ひと」と小田和正氏 楽曲「ダイジョウブ」より考える

今朝の朝日新聞にオーストリア出身の神主さんのお話が掲載されていました。
ウィルチコ・フローリアンさん(三重県津市 野邊野神社)です。
そこで昔の知恵を知ることで昔の人とつながりを感じ、
自分も歴史の一部になり、歴史を生きていると感じることが
書かれていました。
その言葉の前振りとして神道の「中今」という言葉が
記事の中で紹介されていました。
「中今(なかいま)」とは
「過去にも未来にも世界があり、真ん中の今を精いっぱい生きること」(※1)
なのだそうです。

※1朝日新聞2018年5月19日土曜日
「ひと オーストリア出身で神社の神職を務める ウィルチコ・フローリアンさん(30)」

その言葉を見た時に思い出しました。
2年ほどの間、ずっとやり取りをさせてもらっていたあるお母様の
お子さんのことを。彼は今週、この世での大仕事をやり遂げて、
ついにお空に還っていきました。

その少年の生きる姿がまさに「中今」だったなあと思ったのです。


今を精いっぱい生きた幼子の命、
それが境目なくこれからも続くよう求めている方に
ご紹介したい言葉があります。
小田和正さんの歌の中に「ダイジョウブ」(※2)という歌。
一部抜粋してみます。
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人生はこうして続いてゆくんだ
間違っても何度つまずいても
でも小さなその物語に
答えはひとつじゃないんだ

※2
小田和正「ダイジョウブ」
作詞・作曲 小田和正
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子の死を悼む、それは子の命が形を
変えて未来を生きることなのかもしれません。
子の死後も、親の心の中で紡がれる子の「物語」の中で。
夭逝したお子さんの物語、それは死を持って終わりなのではなく、
可能性と広がりを秘めているものだと。
気付いてほしいと思います。


詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
悲しみで心の中がふさがった時
「今を生きた子の命を未来に繋ぐこと」
http://www.lana-peace.com/2/2-1-064.html