2018年05月13日

「症候群」と聞いた時、それをどう受け止めるか? ――ある若い父親の話

医師からお子さんの病気について説明を受けた時
「○○病」とか「△△△」というような
はっきりした名前のつくものもあれば
「□□□症候群」といった名前を告げられる場合もあります。
症候群とは共通する病的変化が幾つか集まっている場合に
そう呼ばれるわけですが、
定義づけに必要とされる症候のうち、
必ずしもそのすべてが揃って診断される
というわけではありません。
あるお父様はお子さんの病気の説明時
医師からある症候群の名前を告げられました。
普段の生活の中ではあまり耳にすることのない名前。
随分不安やとまどいがあったことでしょう。

でも、彼はこう考えたそうです。
「□□□症候群」と言われてもその症状のすべてが我が子に起きるわけではない。
起こっているものが、すべてのうちのいくつかであったら
ああ、すべてじゃなくて良かった、と。
それはすべての症状だったら今よりもっと重症だったかもしれないけれど、
そうじゃなくて、ああほっとした、という気持ちです。

「症候群」と聞いた時、人によっては
まるで病気の寄せ集めのように聞こえたかもしれません。
「えー、そんなにあるんですか?」って。
でも彼の捉え方は逆でした。
あるかもしれないはずだったけど、全部じゃないなら良かった、
そういう気持ちです。

彼のそのお話を伺って、すごくジーンとしました。
そうか、そういう捉え方があるのかって。

お父様がお部屋を出られた後、
思い出した話がありました。
私が20代の頃、当時盛んにCMで流れていた
某英会話学校に駅前留学してせっせと通っていた頃のことを。
奮起して通い始めた割には
自分のあまりのできなさに愕然としたり
夜勤明けの頭には、ぽろぽろ言葉が零れ落ちていったり…。
そんなある日マンツーマンで授業を取っていた時に
あるカナダ人の先生がコップのお話を始めたのです。
コップの中に水がある、それを「これだけしかない」と思うか
「こんなにある」と思うか。あなたはどう考えるか、と。
日本語でもそんな会話、禅問答のような何か思想を問われることはなかったし
当時そんな自己啓発本も読んでいなかったことから
そう言われて私はすごく衝撃的でした。
事実は変わらなくても、その事実の捉え方によって
自分の心の行方は随分変わっていくのだと気付かされたのです。

そしてこどもが「症候群」と聞かされた時の
「ああ、全部じゃない。良かった」と
思えた彼の言葉とコップの水の話が重なるような気がしました。
少しのものを、こんなにあると思ってハッピーになれるのか。
あるいはたくさん症状があっても、
ああまだ全部じゃない、だから良かったと思って
ハッピーになれるのか。

私が英会話学校で目から鱗が落ちたような思いをした、あの年代と
そのお父様はまさに同じころ。
私は人から聞いて初めてそういう考えを知ったけれども
彼は自分の口からそう発言することができた。
なんとすごい人なんだろう。

こどもの病気、それはすぐ治るものもあれば
これからずっと一生付き合っていく病気もある。
だけど、彼のような捉え方をしていけば
どういう状況になっても、その一瞬一瞬の中で
幸せを見出していけるんだろうなあ。

また若い世代から一つ、大きなことを教えてもらった。


あなたは決して派手なパフォーマンスをする人ではないけれど
あなたの寡黙で実直な姿と言葉から、
その素晴らしさは、しっかり伝わってくるよ。
奥様も、お子さんもあなたの存在にどれだけ心救われる思いか…。

新しい治療、きっとうまくいく!