2018年03月15日

事実が心の許容量を超える時

突然の出来事、連日もたらされるお子さんの病状のアンハッピーな話に
とまどいと混乱で自分自身の心が機能停止みたいになって
このままでは自分がどうにかなってしまいそうだって
お話されていたお母様がいらっしゃいました。
自分でもこの出来事にどう向かい合えば良いのかわからなくて
それでも、何とか自分の心を持ち直そうとしていた彼女は
都会のスクランブル交差点の中に身を置いて
目的もなく歩き回ったり…そんな時間もあったそうです。

そんな風に何とか頑張ってみても
病院へ向かう足取りは重いままだけど
医師からは、容赦なく心が苦しくなるような事実を聞かされます。
静かに相槌を打って、医師の顔を見て、
傍目にはきちんと聞いているように見えるけれど
実際心は上の空であったり、言葉が素通りして
さざなみが立つ心の中に残る医師の説明がほとんどない…
そういうことは多々あるものです。
説明に同席できなかったお父様のために
その場では「忘れないぞ」としっかり記憶したつもりでも
説明が終わって緊張の糸が切れると
忘れてしまったり…。

彼女がこうおっしゃっていました。
「人間だから忘れることだってある。
次、聞ける機会を作ればいいんだと思う」

その通りだなあって思いました。
1回言ったから、忘れているあなたが悪い、なんて
医師は思いません。
わかったと思っても、いざ、後になってちっとも理解できていなかった、
そういうことは往々にしてあるものです。
説明を思い出せない自分を責めたり
うまく後で自分の言葉で説明できない自分を不甲斐なく思う必要等ないのです。

理解できないほど、説明できないほど
事実があなたの心の許容量を超えていた、
そういうことです。

だってあなたはロボットではないのですから。