2017年12月17日

川崎市夢見ケ崎動物公園(5)秋草文壺

川崎市夢見ケ崎動物公園のある加瀬山を降りて住宅街の中を歩くと
国宝 秋草文壺の出土した記念碑が立っていました。

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白山幼稚園の道を挟んで向かい側にあるこの石碑。

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右 川崎道 末吉橋 神奈川道
恋路 近くから国宝秋草文壺出土
左 北加瀬の辻 平間の渡し 小杉道
と書かれています。
「近くから」とあるように、ここがまさに出土の地というわけではありませんが、
公園という公共の場所なので石碑を立てやすかったのでしょうか?

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この石碑の奥は広場と遊具の設置された北加瀬熊野台公園。
こどもたちや近隣住民の憩いの場になっていました。
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さてその秋草文壺、慶応義塾所蔵で、
現在は東京国立博物館寄託となっているとのこと。
なぜ慶応がこの壺を?と思ったところ
慶應義塾中等部教諭 大澤輝嘉先生の「日吉キャンパスの遺構と施設」
(『三田評論』2015年2月号)
に詳しく出ていました。

---* 引用開始 *---
「昭和五(一九三〇)年二月、義塾は日吉台に学校用地として約十二万坪を確保した。そのうち七万二千坪あまりが、東京横浜電鉄から寄付された土地であった。翌六年から開始されたキャンパス造営と並行して、文学部史学科による発掘が始まった。断続的に行われた調査で、それはキャンパス内に留まらず周辺にあった数個の古墳にも及び、後述するいくつかの遺構や出土品が発見された。(略)」

「義塾校地から南方約一キロメートルにある川崎市幸区南加瀬に加瀬山と呼ばれる独立の小丘陵にあった、長さ八十七メートルに及ぶ前方後円墳の白山古墳の後円部直下からは、昭和十七年四月に「秋草文壺」が、火葬骨を納めたままで発見された。粘土を敷いて川原石を積んだ遺構内から出土したこの壺は、高さ四十・五センチメートル、口径十七・六センチメートル、底径十四・二センチメートルの大型のもので、素地は灰白色の砂質の粘土で、これを紐巻き上げに成型してあり、ラッパ口で肩の張った堂々たる形をしている。肩の部分には厚くオリーブ色の自然釉がかかり、これが胴に五条流れ落ちている。

 この壺をさらに特徴づけているのは頚と胴とに刻まれている文様であって、ススキやウリ、柳などの植物と、トンボや規矩文もをへら描きによって、力強く流麗に描いてある。これが平安王朝貴族の美意識に通じるものがあり、この壺を秋草文の壺と呼ぶ由縁となっている。また文様とは別に、口辺部に「上」の文字が刻んであり、この壺が何か特別の目的で作られていることを示している。」---* 引用終了 *---

なるほどー。そうなのですね。そう知るとますます秋草文壺の出土したこの地、
随分昔から文化の高い土地だったのだなあと、改めて思います。

秋草文壺の写真は大澤先生の論文内でもモノクロで登場しますが
文化遺産オンラインのHPはカラー写真なので、せっかくなのでご紹介します。
ススキが風にたなびく姿は何だかとても切なく、渋い。
骨壺としてこれを選んだ人のセンスがキラリと光るような逸品です。

また秋草文壺石碑近くにあった現地の解説板によると
この記念碑近くにあった前方後円墳の白山古墳から
昭和12年の発掘調査により三角縁神獣鏡などの副葬品が出土しましたが
戦前の川崎に進出した工場用地の盛土用として削られ、ほぼ消滅したのだとか。
築造時期は4世紀後半と伝わる白山古墳。
ということは1600年近くの間、誰もそこに手をつけないで
守り伝えられていたというのに、
工場用地の盛土を用意するために壊したのだと???
何てことでしょう!
何だかなー。現代人。と思ってしまう。