おでんの中に欠かせないのが大根、大根と言えば浮かんでくるのは練馬大根ですが、
徳川5代将軍綱吉によって始まったという説と
上練馬村に住む農家の又六さんが作り始めたという説があります。
起源はいかなるものか、定かではありませんが、まあそれはよしとして
東京都練馬区の石神井公園のそばにある石神井公園ふるさと文化館には
農作物を題材にした戯画『山畑道化合戦之図』で描かれている大将を
練馬大根と解説されていましたから、
江戸時代の練馬大根は相当有名だったことでしょう。
『南総里見八犬伝』の著者として知られる滝沢馬琴の『馬琴日記』にも
大根の話が登場するのだそうです。
天保2(1831)年11月10日のこと
馬琴宅のトイレの汲み取り掃除をした伊左衛門さんが、
掃除代として持ってきた干し大根300本を
翌日、妻お百と嫁おみちの二人で三樽分の沢庵糠漬けにしたというお話です。
今では掃除をしてもらった方が掃除をした方にお金を払いますが
当時は逆でした。
下掃除で得られる糞尿は、農家の大切な肥料源だったからです。
さて下掃除と大根のことで、興味深い文書が残っていました。
馬琴の日記から10年経った天保12(1841)年2月のことです。
石神井公園ふるさと文化館に「御請書一札之事(おうけしょいっさつのこと)」が
展示されていました。
虫食い跡の残る文書はいかにも、年代を感じさせます。
今から10年前、在籍していた京都造形芸術大学の
古文書解読のスクーリング授業の時には
何度崩し文字の古文書を読んでも、はーとため息ばかりで
頭を抱えていたなあと思い出しましたが
こちらの文書には読み下し文と解説がありましたので
そちらの助けを借りてご紹介いたします。
豊島郡土支田村の金治郎さんは、武家屋敷の下掃除をする契約を結んでいました。
掃除にあたって年間金2両を支払う、
ただし物納の場合は沢庵漬1500本を納めるという契約だったのです。
しかし大根の価格が上がり、天保12年当時は
沢庵漬1500本は金2両以上の価値があるから、
差額分を金治郎側に払ってくださいと大沢修理太夫宛にお願いをしたのでした。
江戸時代の人はきっと今のスーパーの大根の安売りを見たら、
仰天することでしょうね。
大根の中にいろんな歴史あり……です。
そう考えると何気なく食べる大根によって、昔の人と繋がっている
そんな不思議な感覚になります。
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