2016年10月10日

安政5年 コレラ流行によって閉じた鈴木其一の人生

サントリー美術館(東京・六本木)の
「鈴木其一 江戸琳派の旗手」会場内に
掲示されていた年表によると
鈴木其一は安政5(1858)年9月10日に63歳でコレラで没し、
なんと歌川広重も同年9月6日に同じくコレラで
62歳で没したのだそうです。

安政5年はコレラが大流行した年。
その流行の大きさは「流行病追討戯軍記(安政5年)」といった錦絵も
作られたことからも物語っていると思います。
こちらの錦絵は内藤記念くすり博物館のHPに掲載されています。
数万人も犠牲になったコレラ(狐狼利疫病)を退治するために
「施薬虎之助頭諸人為成」を大将軍として結成された疫病除軍が
「狐狼利疫病の守 平忌成」を大将とする疫病軍と戦って、収めたというお話。

予防注射や特効薬もなかった時代。
これからまだまだ活躍、という時に
あっという間に体調を崩してこの世を去った其一は
きっと無念だったことだろう。
晩年、「菁々」と改めた号には
人材育成を意味するすることを意味するものだとか。
弟子を育てて、いろいろ後世につないできただろうけれど
たくさん、思い遺すこと、あったのだろうと思います。
posted by Lana-Peace at 13:08| アート / 歴史 絵画・彫刻・陶芸