2015年09月21日

碌々として馬齢を重ねる人に比して遥に永き命 〜内ケ崎作三郎氏の言葉から考える〜

こちらで取り上げた言葉なのですが、
夭逝された命を慈しむ良い言葉なので、
ここでご紹介しようと思います。

土井晩翠氏の長男英一さんが結核を患って
昭和8年9月、25歳で亡くなった時、
英一さんは臨終間際にお見舞いに来られた
宮城県選出の文部省政務次官 内ケ崎作三郎氏に
慈善切手の実現化を託しました。

内ケ崎氏は後に振り返り、次のように綴られています。
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英一君が世にも珍しい知と徳とを兼ね備へながら、
僅か二十五歳で夭逝した事は、天二物を与へずとは言ひながら、
誠に遺憾極りない事である、
しかしその事業は碌々として馬齢を重ねる人に比して遥に命永く、
殊に一青年学生の思ひつきも、至誠の一貫が伴ふならば、
必ず実現する日の来る事を躬を以て示したものとして、
この愛国切手一枚は、世の人々に教へるところ少くないであらう。

引用文献:
内ケ崎作三郎「愛国切手の誕生秘話」
『主婦之友』昭和12年9月号
土井八枝(1940)『藪柑子』長崎書店, p.207
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たとえ短い人生であったとしても、
漫然と年を長く重ねて生きた者に比べて、それは決して短いものではなく、
たとえ熟慮と経験を重ねた年長者ではない、年若き青年の発案であったとしても
そこにただひたすら真心が通ったものであるならば
いつの日かそれは実現するだろうと。

難しい言葉で綴られているけれど、そういう意味だと思います。
Lana-Peaceエッセイ短い一生と人生の意味で紹介したデルプ神父の言葉に
通じるような気がいたします。