2015年09月11日

幼少時の関わりと一生 〜歌人 山崎方代氏の生い立ちより考える

こちらでご紹介した山崎方代氏の歌
「手のひらに 豆腐をのせていそいそと いつもの角を曲がりて帰る」
ですが、何とも朴訥としたあたたかい雰囲気。

その歌風は自由で、そして素朴。シンプルな言葉の連なりであるけれども、
その裏にいろいろなことが含まれている…
それは方代氏のことを調べていくうちに、
その生い立ち、幼少期のお父様の関わり方に
大きな影響を受けていたのではないかなあと思いました。
方代氏はお父様が六十過ぎで誕生した我が子、
それも山崎家ではお子さん十人のうち長男と長女を除き、
皆、夭逝され、長男も二十一歳の時に当時流行のチフスで
急逝された後、生まれたお子さんでした。

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「私の歌のすべては学問の中から生まれてくるものではない。
二十貫の力石をかつぎかついだこの中から生まれてくるものだ。」

引用文献:山崎方代(1981)『青じその花』かまくら春秋社, P.131
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ご本人の回想は『青じその花』に詳しく出ていますが、
方代氏誕生のお祝いにお父様が山を買い、石ばかりの深い谷底を開墾し、
桑畑へと作り上げ、山には杉の苗を植林していく様子を、
幼い方代氏は間近で見ていました。
親子3人で母のお弁当を食べたり、野葡萄を食べたりしたそうです。
山のあった古宿という場所は、役小角ゆかりの七覚と、
夢窓疎石ゆかりの心経寺にはさまれた場所であったことから、
お父様は方代氏に二人にあやかるよう、
きっと彼らも食したであろう古宿の沢蟹を食べて、
勉強しろとはっぱをかけたそうです。

しかしお父様は「学問は馬鹿の知ることでもある」と言い放ち、
字を教えてくれるわけではなかったけれども、
方代氏が強く自然の中で生けるように、いろいろなことを授けました。
たとえば、力石をかつぐこつ、物を運ぶ時に必要なモッコを藤づるで結ぶ方法、
炭を焼くときの窯の煙の色具合など。そうした時間を幼少期に過ごしたわけです。

だからこそ、方代氏はその心の動きを技巧に走った言葉を操るのではなく、
心の奥底で響き湧いた言葉を導くようになっていったのだと思います。

それが方代氏の一生を支え、導く仕事になっていったわけですから
幼少時の関わりって、いろんな可能性を秘めているんだなあって思います。