「世俗化する欧州社会における看取りの思想的な拠り所の究明」公開シンポジウムに
参加してきました。
開催された上智大学四谷キャンパスの横の線路沿いの土手は
つぼみば多い木もあれば、交差点近くの桜は満開近く、といった感じで
それぞれが春のエネルギーをたくさん放出して、青空の下、美しく佇んでいました。
2年前に上智大学の岐部ホールにてアルフォンス・デーケン先生の
キリスト教入門講座(前期)に通わせていただいたこと、懐かしく思いながら
会場に向かいました。
さて公開シンポジウムではヨーロッパの視察報告や、
社会学的な、哲学的な立場での発表など、多岐にわたっていましたが、
今回とても印象的だったのは、ヨーロッパでは法律によって宗教的ケア、
魂へのケアが保障されているということ。
とても驚きでした。それが法律で保障されるべきものなのか、
というのは賛同・否定いろいろあるでしょうが、
そういうことを明文化することは、その国に住んでいれば、どこであっても
スタンダードなケアとして保障されているという利点はあるでしょう。
まずはドイツについて。石川県立看護大学の浅見洋先生のご発表によると
ドイツでは病院など公的施設での宗教的ケア(ゼールゾルゲ Seelsorge)が、
1949年制定のドイツの基本法第141条で保障されているのだそうです。
ゼールゾルゲ、って私は初めて耳にした言葉だったのですが、
魂のケアという意味だそうです。
ゼールゾルゲを行われる方がゼールゾルガー(Seelsorger)であり、
いわゆるチャプレンのような役割を果たすわけですが、
こうした方の人件費は教会税から負担されているとのこと。
でも近年は教会税が減少しているので、病院が教会に人件費を支払って、
ゼールゾルゲを派遣してもらっているというお話がありました。
なお、ゼールゾルゲは特定の宗教によるものではなくて
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、いろいろカバーされるもの。
個人の信仰に基づく価値観が大事にされるって、いいことですね。
なおテュービンゲンという街では高齢者施設の中にホスピスがあったのだそうです。
そしてイタリアについて。松本大学の福島智子先生のご発表でした。
イタリアでは宗教的援助を保証するという規定は
SSN(Servizio Sanitario Nazionale 国民保健サービス)法律833号38条によって
規定されているのだそうです。
イタリアは国全体で見ると信仰率は実際下がっており、
ローマ・カトリックは6割だそうですが、
やはりイタリア人の価値観の中にはカトリック的なものが
非常に根強く残っているとのこと。
長年その土地で大事にされてきた宗教は、その土地の文化の形成に
強く影響を及ぼしているのは、自然なことですね。
でも「傷病者の塗油の秘跡」というカトリックの儀礼は
カトリック系、非カトリック系の大学病院どちらでも行われているそうです。
普段教会に足繁く通っていなくても、ご家族がやはり
そうした儀礼は希望されることが多いのだそうです。
税金のシステムとして1985年創設された8/1000税は
どこに収めてもよいそうですが、約8割がカトリック教会へ収めているそうで
いつかはお世話になるから…というニュアンスがあるのかなあと思いました。
なお在宅看取りには教区司祭が関わっているのだそうです。
たとえばローマではひとつの教区に20,000住民がいるとのこと。
亡くなった葬儀で初めて宗教がかかわるのではなく、
看取りの段階からかかわるっていうことです。
また、イタリアではスピリチュアルな援助は亡くなる時だけでなく
生涯必要なものであると考え、寄り添い と言う表現を使われるそうです。
どういうことかなあと私なりに考えてみると
人間は身体も精神も感情も社会的な状況も、年々変わりゆくものだけれど
その人がその人自身、存在の核となるものはずっと同じ。
それがスピリチュアルなものだとすれば、
「もう予後が悪いから、はい、スピリチュアルケア必要ですね」みたいなことって
確かにおかしいですよね。
小さいこどもも、働き盛りの大人も、年を重ねた高齢者も
みんな等しくスピリチュアルな存在であるのだから。
福島先生のお話では、イタリアでは予後告知をほとんどしないそうです。
本人にとって、それが良いのかどうかは賛否両論と思いますが、
亡くなることが予期される、そうではないにかかわらず
生涯にわたって寄り添いをコンセプトとした援助が提供されるって、
それはその人自身の思いや考えを大事に尊重しているってこととも
等しいのではないかな。
なお上智大学の伊達聖伸先生によると、フランスで「スピリチュアル」と言うと、
カトリック信仰というニュアンスが強いので、「意味の探求」と表現されるのだそうです。
確かに言葉の響きが伴うイメージ、ニュアンスは国によって
あるいは人によってそれぞれ違うと思いますが、
やっぱりスピリチュアル、って人間の本質を意味するものであることは
かわらないのではないかなあ。
こちら静岡大学の竹之内裕文先生が代表を務めていらっしゃる
科学研究費(基盤B)による共同研究の成果報告の公開シンポジウムだったわけですが
難しいところもたくさんあったけれど(研究者の先生方の討論は、やっぱり難しい)、
税金を使って行われる難しい研究が、私たち普通の国民の暮らしの中に
より良い何かをもたらされるように、成果として還元されるって、大事なことですね。
原点を振り返っていろいろ考えることが多い、シンポジウムでした。
人は「スピリチュアルな存在であること」を改めて強く認識しなおして
今行っている病気のお子さんのご家族や亡くなったお子さんのご家族への
支援活動にその学びを活かしていこうと思います。
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