2015年02月16日

壊れる記憶・壊れない心 〜映画「妻の病」を見て〜

難病のこどもたちが楽しく遊ぶ機会をもてるよう
北海道滝川市に設立された「そらぷちキッズキャンプ」
2007年当時にアメリカのマニュアなどの資料を
和訳する作業をボランティアで参加し、
夏の丸加高原キャンプにも裏方ボランティアで
1度参加したのですが
そのミーティングの時に中心となるアドバイザーの医師として
石本先生という方が参加されていました。
「高知からわざわざ診療を休んで参加される
奇特な小児科医がいらっしゃるのだなあ」と記憶していたのですが
なんとその先生がドキュメンタリー映画の主人公として登場されていると知り
昨日、横浜のジャックアンドベティまで行ってきました。
(東京はもう上映が終わっていたので)
伊勢真一監督の『妻の病』です。

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奥様の弥生さんがレビー小体型認知症を患い
また石本先生ご自身もうつ病を抱えながら奥様の介護を何年もやっていたこと
そのドキュメンタリー映画に、とても考えさせられること多くありました。

石本先生は奥様のことを次のように表現されていました。
「ものは思い出せないけれど、心はいきいき。」
確かに記憶の1つ1つの部屋は壊れてしまったかもしれないけれど
心の中のとても大切で高尚な部分は壊れてはいないのです。

たとえば弥生さんはどうやら、
自分がご主人と同居生活することによって生まれるご主人の疲弊は
ご主人のうつ病を悪化させ、ご主人から仕事を奪ってしまう、と懸念し
自分を介護をしてくれる姉と同居し、姉の家からデイケアにも通い、
時々ご主人に会うという生活の仕方を続けることが、
周囲の人々にとって一番良い関係性であると認識したようで
姉の家に自分がいた方がいい、ということをおっしゃったのだそうです。
その時、石本先生は「すごい」と思ったのだそうです。
「健康な時は本当の彼女を理解していなかった。
あーすごい、こんな人だったんだ。
それを健康な時、気が付かなかった。」
物の場所やありか、誰のものであるか、そうした記憶をどんどん失っても
周囲への気遣いとか調和や平和を生み出すための成り立ちを考える能力って
決して病気で失われるものではないのですね。
きっと奥様がもともとそうしたお人柄であったことが
大前提だとは思いますが…。

また、弥生さんは
「なんで、こうなったんだろう…。」
ご主人との車の中で、そして席を共にした食事の途中で
そうおっしゃっていました。
ご主人との会話の脈絡とは、関係なく、
突然に淡々と。そしてまた別の会話になっていくのです。
流れていく会話の中で聞き逃してしまいそうになるけれど、
自分が今までの自分と違うということを
心のどこかで認識する、その大きなとまどいは
どれほどご本人にとって怖いことでしょう。

出身校の小学校の卒業式にご夫婦で招待された帰り
会場を出るため、下駄箱で差し出された自分の靴を見て
「それは自分の靴じゃない」と言い張り、
「じゃあもうスリッパのまま帰ろうか」と言うご主人。
そんなやり取りがあった後も
帰り際に会った方に弥生さんは
「お世話になりました」と頭を下げてご挨拶。

病気って、そもそも何を病気というのだろうか。
そんな風に思いました。
物のありかがわかる健康な人であっても
人に頭を下げることのできない人はたくさんいますから。

石本先生がインタビューで次のように答えていらっしゃいました。
「心の中を知ること。その心に寄り添えば、患者さんは穏やかになる。
心を知る、がすべてのはじまり。
次の人(次の世代の人)へ、不必要な苦しみはさせたくない」
奥様の実際の介護生活を通して、
医師としての視点と人としての視点でたくさんのことに気付かれ、
理解されたことが発信されることは、きっと多くの人が
病気についてより正しく、深く理解するという形で
還元されていくように思いました。

石本先生の日記の中に、
このような言葉が出ていました。
「愛し直す作業をしたい」
「弥生を守る」
介護は決してきれいごとではすまないけれども
それでも続く日常の中から、病む人が疎まれるのではなく
尊重される気付きが生み出されることは大いにあるのだと
映画館の帰り道、そんなことを考えながら
冷たい風が吹く横浜の街を歩きました。

「病む」ということは、人間にとってそもそも
何を病むことなのであるのか。
たとえば「脳内における器質的な不可逆的な変化」ということではなく
人間とは何か、というような理解の点から、
大きな一石を投じる映画だと思いました。

ぜひ若い看護学生にも見てほしい映画です。
今の看護学生は、ここからどんなことを感じるのだろう。
そして若いうちにぜひ見てほしい。
今は何もわからなくても、何年か、何十年か経った後に
きっと思い出し、学びに気付く瞬間が来るから。