「小児脳死肝移植の推進に向けて」と題されたこのセミナーでは、
実際に様々な立場で、こどもの脳死、脳死移植に関わっていらっしゃる5名の方々が、
演者として発表されました。
どのお話も、心の中にいろいろな投げかけをしてくる、深いお話ばかりでした。
脳死ドナーとなったお子さんとそのご家族に直接、あるいは間接的に関わってきた方々の
お話の中から、お子さんとご家族の真摯な気持ちが、しみじみと伝わってきました。
脳死移植医療とは「人の死の上に成り立つ生」を意味します。
しかしながら、昨日の話を聴講していた時、
「人の死の上に成り立つ生」ではなくて、
「人の生の上に成り立つ生」を意味するのではないかと思いました。
移植医療では臓器を提供する方をドナーと呼び、
提供された臓器を移植される方をレシピエントと呼びますが、
「レシピエントの生の上に成り立つドナーの生」だと思ったのです。
なぜなら脳死となったお子さんは、肉体的に死を迎えた後も、
お子さんの気持ちや夢が、亡くなった後、過去形の「遺志」にされてしまうのではなく、
現在進行形の「意思・意志」として生き続けていくことが
脳死移植医療によって実現されていくのではないかと思うからです。
今から25年ほど前のこと、まだ看護学生だった頃
井村和清先生の『飛鳥へ, そしてまだ見ぬ子へ』(※)を読みました。
※井村和清(1980)『飛鳥へ, そしてまだ見ぬ子へ』祥伝社
井村先生がご家族に遺されたメッセージに含まれていた
「燈燈代代(とうとうだいだい)」という言葉
脳死臓器提供されたお子さんとご家族の気持ちを表す言葉として、
ぴったりだと思います。
人はいろんな形で、生きることができます。
詳しくはこちらに書きました。
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜
「現在形の「意思・意志」として生きる」
http://www.lana-peace.com/2/2-3-041.html
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