2014年06月29日

アートのあるべき姿(小田和正氏 コンサート「本日, 小田日和」)

本日、和歌山で行われた小田和正さんのコンサートに行ってきました。
小田さんのとても素敵な歌声はCD-Rや音楽データで聴くよりも、
もっと、もっと迫力があって、透明感のある美しい歌声は健在でした。
御年66歳、年齢は更なる輝きをもたらしているような…
これまで行った小田さんのコンサートの中でも、断トツのような気がします。

今回「小田日和」という新しいアルバムが発売される前に
開催されたコンサートだったので
(私はアルバムをiTunesで予約したので10曲中2曲は
既にダウンロードできて聴けていたのですけど)
小田さんの生歌によって、今回初めて知る歌もありましたが
実に心の琴線に触れるような歌詞がもりだくさんでした。

言葉とメロディーで人の心を揺り動かすって、すごいことですね。
今回の「小田日和」の歌の根底に共通するのは
何か深い悲しみを抱えている人に対して
どうか元気になってほしい、というメッセージがこめられているように思いました。
また今回コンサートで歌われた過去の歌も、
同じようなテイストの歌が多くを占めていたのですが、
震災だけでなく、いろいろな形で生まれた悲しみから抜け出せない方への
小田さんなりの心配りなのだろうなあと思いました。

一緒にいるかもしれないけれど、
あるいはもう一緒にいることはできないかもしれないけれど
それでも、あなたが笑顔になって、幸せになることを願うというメッセージ。

願い、願われる存在、関係とは
人によっては男女の情愛かもしれないし、
友人同士の友愛かもしれないし、
特別な人への敬愛かもしれないし、
聴く人によってそれは随分違うのだろうけれど
小田さんの歌声を聴きながら
「お子さんに先立たれたご両親にも聴いてほしい」と思いました。

お子さんが今、あなたのことをどんな風に思っているか、
それをこの世の言葉で、この世の手段で伝えようとした時、
小田さんの歌は、お子さんが伝えたいメッセージを明確に伝えてくれるような、
そんな気がいたしました。

東京公演は倍率高くて、無理だろうなあと思って、
和歌山公演に応募して、当選通知が来たので行けたのですけど、
アルバム発売前に小田さんの歌が生歌で聴けて、本当に良かったです。

なおオフコース時代の名作も数々歌われて
私はもう、ただひたすら懐かしいやら、嬉しいやら、
気持ちは急に30年以上前の中学生に戻ってしまいました。
「言葉にできない」はCMに使われているので
耳にしたことがある方、多いと思うのですけど、
真っ暗な会場で天井から白いシンプルなスポットライトを浴びて
歌われる小田さんの歌声は、まるで空から神性を帯びて降ってくるようだったなあ。

アンコール3回含めて約3時間、
会場の中を何周も歩いて回って歌い、観客に手を振り、何度も笑顔でありがとうと言い、
今回記憶が正しければ、バックバンドの方々のお名前を一人ひとり、フルネームで
3回にわたり観客に紹介されたような…

人は一人では生きていけなくて、人によって人は生かされ、生きて、幸せになっていく、
それは小田さんの歌の中にも出てくるメッセージなのですけど
小田さんのお人柄がにじみ出た、あたたかい時間と空間のコンサートでした。

東京からはるばるでかけて、良かったなあ。
いち早く、幸せな時間に浸れて良かったなあ。

どうか小田さんがこれからも、健康で幸せにご活躍されますように。
コンサートの後、癒された気持ちで帰路につく人が、どんどん増えますように。

他人の幸せを願う気持ちから作られた作品の集合「小田日和」、
それを聴いて誰かが元気になっていくこと、
アートのあるべき姿って、そういうことなのかなあと思います。
posted by Lana-Peace at 23:16| アート / 歴史 音楽