これまで鳥取西館新田藩 第五代藩主池田定常(松平冠山)公の
十六女・露姫について取り上げてきました。
今日は第8回目です。
数え年6歳で痘瘡(天然痘)によって命を奪われた露姫の死は
全国に広く知られることとなり
大きな反響を巻き起こしました。
そして当時1,600名もの人々が
露姫の死を惜しみ詩歌、和歌、詩文、絵画、手紙等を
冠山公の元へ送ってきたのです。
それらはすべて全30巻の巻子として表装され
文政年間に浅草寺に奉納されました。
平成31年、台東区指定区民文化財としても
認定されています。
デジタル社会とは全く程遠かった200年前の我が国で
これほど多くの人々が一人の幼女の死を惜しみ、行動を起こし、
その証が今も現存するという事実は
恐らく国内・海外に置いて類を見ないと思います。
そしてこの巻子の制作は死別後の冠山公の人生に
大きな力を与えることになりました。
大切な人と死別した後、
苦しい状況からどうにか自分自身を取り戻そうとする様子を
オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトは
ドイツ語で「trauerarbeit」と表現しました。
冠山公の取り組みは
まさにこのtrauerarbeitであったと思います。
詳しくはこちらに書きました。
Lana-Peaceエッセイ
「悲しみで心の中がふさがった時」
娘の死後, 娘を誇りに思って生きていく父の覚悟
https://www.lana-peace.com/2/2-1-068.html
https://www.lana-peace.com/2/index.html
2023年11月18日
娘の死後, 娘を誇りに思って生きていく父の覚悟(鳥取西館新田藩 第五代藩主池田定常(松平冠山)公の十六女・露姫の死と父のtrauerarbeit)
posted by Lana-Peace at 17:03| こどもに先立たれた家族のために 遺された家族の苦悩と支え