2018年06月30日

画像石 鳳凰(後漢時代・1〜2世紀) 東京国立博物館所蔵

古代中国で地下のお墓や地上の祠堂の建材の一部として
用いられた「画像石」。
美しい鳳凰が刻まれた画像石が東京国立博物館 東洋館に
展示されていました。

鳳凰によって美しい死後の世界へ導かれ、
そこで安らかな時を過ごしてほしいといった願いが
一彫、一彫に刻まれているようです。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「画像石 鳳凰(後漢時代・1〜2世紀)」
(東京国立博物館蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-055.html

過去の苦しさや悔しさが心の強さを生み出すこと ―ある母親の話から

なぜか若い頃から周りの気の強い人たちから
ストレスのはけ口の対象にされて
理不尽なことを言われたり、
不愉快な思いになるようなことを
たくさん経験してくると
本人は自分が人として何か欠けているんじゃないか?
みたいに思うこともあるかもしれません。
そのうち自分に自信が持てなくて、
自分なんか、もう……
そんな風に思って過ごすこともあるかもしれません。


周囲の人的環境って
ある意味、不可抗力的な部分もあるのだろうと思います。
なぜなら他人はなかなか変わるものではないから。
だけど「自分ではどうしようもない、できない」
そういう状況を何度も経験して耐えてきた人は
人知れず逆境に対する強さを
養われていくのだろうと思います。

本人はまったくそれを自覚していなかったとしても。
そして、それが思わぬところで役に立つことも
あるかもしれません。
たとえば十数年後に……。

あるお母様のお話を伺ってそのような印象を持ちました。
若い頃、悔しい、苦しい経験をたくさん味わったからこそ
その後訪れた我が子の重い病気という苦境が
突然やってきた時、
へこたれない強さを発揮できたのだと思います。

健康で元気いっぱいのお子さんが生まれて
周りから「幸せね」って多くの祝福をいただいても
産後の女性の中には、抑鬱状態になる方もいらっしゃいます。
まして、喜びいっぱいのはずの時に
いきなり我が子が瀕死の状態だなどと言われたら
自分の精神状態を保つこと自体が難しいのです。
自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう、
それは自然なことだと思います。

だけど彼女は頑張るぞって思った。
自分のことは横に置いて
まずはNICUで頑張っている我が子に会おうと
面会に通う日々。

それは若い頃、胸が締め付けられるような思いを
何度も何度も経験してきたからこそ
その苦境に耐えられたのだと思う。


十数年前の苦しさは、彼女の頑張れる強さを生み出していました。
どうか自分に自信を持って行ってほしいと思う。
次々と我が子に訪れる難関を
ご主人と共に歩んで受け止めて、前に進んできた
そのあなたの強さを、どうか忘れないでほしいと思う。


あなたは他人から
不躾に軽んじられたり、貶められたりするような
そんな存在ではないのだから。


赤ちゃんの新しく始まる治療、きっとうまくいく。
今迄頑張ってきたあなたと共に。

2018年06月29日

医療に対して信頼を寄せる時

突然、お子さんが具合が悪くなり
それまでの生活の中ではまったく縁のなかった
医療の世界の中に足を踏み込んだ時、
親の立場で迫られる決断事がたくさん出てくると
それだけでもう親御さんは圧倒されてしまうかもしれません。
事の重大さに押し潰されそうな時、
親の自分の方がそのような状況から
逃げ出したくなると思うかもしれません。

そういう時どうすれば良いのでしょう?

あるお母様は医師と信頼を築くようにしたそうです。
もちろん初めて会う人ばかり。
複数の医師から話を聞く時、
A医師、B医師、C医師、D医師……
それぞれの話を理解しようとする時、
その医師の醸し出す雰囲気によって
自分の理解がかなり左右されることもあるかもしれません。
圧倒されるというか、流されてしまうというか。
そのために話の内容を理解した「つもり」でも
きちんと理解しないまま終わってしまう、
そういうことだってあるのです。
そこで彼女が大事にしたのは信頼でした。
「この医師に自分は信頼を寄せることができる」
そう思うと、話の理解を進めていくことができるのでした。
「我が子だったら、あなたはどういう選択をするのか?」
あえて医師にそう尋ねるのだそうです。
そこで「他人事」ではなく我が家の一大事として考えて、
一人の人間としての個人の意見を真剣に答えてくれる
医師の話を彼女はきちんと聞くのだそうです。
それは更にその医師への信頼を増すことにつながるわけですが。

お子さんと家族がポーンと病気の世界に放り込まれた
そんな風に捉えてしまうと
あまりに孤独で、あまりに不幸に思えてやりきれないですが
そういう病気の世界に、その道のプロとして頑張ってきた医師が
一緒に頑張ってくれるという発想を持てることは
自分の心をより広く開放できることにつながるのだと思います。

北海道 木古内町のマンホール(北海道庁旧本庁舎と北海道章)

北海道 木古内のマンホール、
「函館建設管理部」の文字が入っていました。
中央には北海道庁旧本庁舎が配置され
その周囲を七光星をイメージした北海道章と
小さな星の模様が囲んでいました。
シンプルだけどきれいです。

DSC02653.JPG

函館山ロープウェイ

函館山ロープウェイのご紹介。
昼は青い空と海と緑の山が爽快で
夜は黒い空と海と山と街の灯りがとってもきれい。

病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ のりもの(そら・みず)」はこだてやまろーぷうぇい ひる1
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「いっしょにあそぼ のりもの(そら・みず)」はこだてやまろーぷうぇい よる1
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「いっしょにあそぼ のりもの(そら・みず)」はこだてやまろーぷうぇい よる2
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2018年06月28日

羊磚(ようせん)―古代中国の地下墓の入口にはめ込まれていた部材

東京国立博物館に古代中国の地下墓の入口にはめ込まれていた部材
「羊磚(ようせん)」がありました。
そこに施されている様々な意匠は
羊、お金、修行僧、楼閣。
一見ばらばらのようにも見えますが
すべてに通じているのは
死者が死後の世界で安寧に過ごせることを願う心です。

詳しくはこちらに書きました。

Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「羊磚(ようせん)」
(東京国立博物館所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-054.html

北海道 木古内町のマンホール(咸臨丸)

明治の開国時期に活躍した船 咸臨丸(かんりんまる)は、
安政7(1860)年、日米修好通商条約批准書交換の
幕府遣米使節護衛のため、
随伴艦として勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎らを乗せて
太平洋を渡り、アメリカへ向かった船です。
その11年後、明治4(1871)年9月20日、
仙台藩片倉小十郎家臣団を乗せて仙台から箱館経由で
小樽に向かっていたところ、
暴風雨のため木古内町サラキ岬沖で座礁し、
沈没してしまいました。

その咸臨丸が今、木古内町のマンホールのデザインに
取り入れられています。

こちら雨水のマンホール
DSC02643.JPG

こちら汚水のマンホール。
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「スノー・ペイブメント」「セレスティアル」「デュシェス・ドゥ・モンテベロ」「ヒーリング」「フランシス・ブレイズ」「ベル・イシス」「マリ・パビエ」

今日はバラの花のご紹介。
「スノー・ペイブメント」「セレスティアル」
「デュシェス・ドゥ・モンテベロ」「ヒーリング」
「フランシス・ブレイズ」「ベル・イシス」
「マリ・パビエ」です。

病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ばら「すのー・ぺいぶめんと」
http://www.keiko-cafe.com/asobo/ohana/bara-hikarigaoka2018-44.html
「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ばら「せれすてぃある」
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「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ばら「でゅしぇす・どぅ・もんてべろ」
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「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ばら「ひーりんぐ」
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「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ばら「ふらんしす・ぶれいず」
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「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ばら「べる・いしす」
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「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ばら「まり・ぱびえ」
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2018年06月27日

きょうだいを亡くしたこどもの受け止め

きょうだいを亡くしたお子さんが
「死」をどう受け止めているのか、
それは気になるところだろうと思います。
「何歳くらいになるとこういう認識ができて…」
そういう風に書いてある本もありますが
本当のところは
親が死に対してどういう価値観を持って暮らし、
こどもに接し、話しているか、
それによって随分変わってくるような印象を受けます。

お子さんが長く患った末、亡くなったおうちの場合
きょうだいはそれまでの生活の時間を通して、
自分のきょうだいの弱っていく様子を
知る機会を得ていきます。時間を十分かけて。
一方、ずっと普通に暮らしていたけれども
ある日事故や災害で突然、日常の時間の中から
お子さんが旅立ってしまった、というおうちもあります。
そういう時は遺されたきょうだい云々よりも
親御さん自体、我が子の死の受け止めができない…
あるいは「受け止め」なんて、そういう言葉で語れるような
そんな状況どころでない、と言った方が正しいかもしれません。


いくつかのおうちに関わらせてもらううちに
自分で感じてきたことは
「亡くなっても、今迄とは違った形でそばにいるんだよ」
そういう風に親が説明しているおうちの場合
小さいこどもたちは自然にその話を受け容れて
日常生活を送ることができるようです。

こどもの方がそれは柔軟かもしれません。
なぜなら、特に小さい年齢の頃は
親の発言は「絶対的」な信頼を寄せているものですから
その親がそう言うのだから、
それは間違いないことだろう、と。
こどもの中にスーッと入っていくのだろうと思います。

親には見えていなくても
幼いこどもの場合は亡くなったきょうだいの魂・霊が
見えていることがある、という理由もあるかもしれませんが…。

今迄とは違った形で亡くなったきょうだいとどうつきあっていくか、
それはその子、その子によって違うのは当然です。

あるお母様がおっしゃっていました。
そのおうちはかつてお兄ちゃんが妹にたくさん
本の読み聞かせをしていたのだそうです。
そして妹が亡くなった後、
お兄ちゃんは当時の本をまた手に取って
一人で読んでいる時があるのだと。

そうなのか……と思いました。
本を読むお兄ちゃんの背中姿を思い描いたら
ジーンとしました。


いろいろな形で人は過去の想い出に遡り
亡くなった大切な人を悼むのだと思います。
きょうだいと過ごした時間が現実のことだったのか、
それを確認する意味もあるのかもしれません。
大人が考える以上に、実はこどもの心は遥かに
大切な人の死を受け容れるための工夫を
自然に試みているのだろうと思います。

テレビばっかり見て、もう!とか
マンガばっかり読んで、もう!とか
あるいは、こどもがダラダラしてすごしているとき
本人にとって本当は自発的な悼む時間かもしれません。
かつて、そうやって共にきょうだいと過ごした時間を思い出すために。

そうした何気ない時間の積み重ねによって
こどもたちは自分の記憶の中に
きょうだいの死を自分流に留めていくのだろうと思います。

北海道 松前町のマンホール

北海道 松前町のマンホールは
国土交通省 北海道開発局のロゴが
中央に配されたものでした。

松前桜が有名だから、桜の模様かしら?と
ちょっと期待してしまったのだけど。
よく探せば本当はどこかにあるのかな?

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元気にしていたアオバト

以前、東京の井の頭自然文化園 水生物園を
訪れた時、右目を失明していたアオバトがいたのだけれど
その時はあまり元気がなくて寂しそうだったけど
今年の春、4年ぶりにもう1度訪れた時には
前よりも元気そうな様子でした。
失明していても、ちゃんとしっかり餌を食べて
ケージの中で楽しく過ごせていたんだなあ。
嬉しいな。



病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ とり」げんきにしていたあおばと
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posted by Lana-Peace at 16:37| ◎ お散歩気分:動物・魚・鳥・虫

2018年06月26日

山本達彦氏 MANDALA LIVE 2018 Live en Quatre Saisons・été(2018/6/23)

先週土曜日、山本達彦さんの161回目の
南青山マンダラライブに 行ってきました。
黒かネイビーなのか(座席からは黒のように見えたけど)
シャツは袖を肘まであげて
白いパンツに白い靴
ソックスは緑と黒の縞でした。
梅雨のお天気の中、爽やかに感じてほしいと
選ばれたそうです。
ジャケットなしだったのは、今回ギターを結構演奏されたので。
今回は戸川智章さん(Bass)とのDuoで
息もぴったりで極上空間でした。

DSC05802.JPG

6月のマンダラですが、今回はステージには
毎年山本さんが用意されていた紫陽花はなかったです。
私は土曜日に参加したけど、日曜日はあったのかな?

さて新曲「Vintage」は現在同居されているお母様との
朝食の時間のなかで生まれたエピソードを
軽妙なトークで紹介されたのですが
実は元はこういう感じでインスピレーション湧いて作った、
と紹介されてジプシーテイストのVintageを歌われました。
その際「阿吽の呼吸でスリリングな感じもライブならではでいいでしょ。」
とおっしゃったように、予定とは違う?感じで始まったようで
またそれがすごく、余裕の大人の雰囲気満載。
戸川さんのベースで始まって
山本さんがギター本体を軽く叩いてリズムをとった後
「Tokyo Tokyo Aoyama」とスキャットが入って
その途中から山本さんのギターが始まって
ジプシー風のイントロは、大人の男性の色香漂う
本当に素敵な曲でした。
こんな才能の引き出しももっていらっしゃるんだなあって。
歌詞も過去と現在が行き来するような移ろいを表しているような
そんな印象を受けて、曲も歌詞もすごく良かった。

新曲「Vintage」は先月"The Trio"のライブの最終地 鎌ヶ谷でも
歌われたそうですが(横浜しか行っていないのでわからない)、
これ、今度のアルバムに入る新曲は
またジプシーテイストではないのでしょうか?
あー、ぜひこれも入れてほしい。
それにしても、このスキャットで始まる戸川さんとのduoは
かっこよすぎるんですけど!
たぶん、20代の山本さんではなくて
60代の山本さんだから年輪重ねて
すごく素敵に歌われている感じでした。
いろんなバージョンで入れてほしいなあ。。。

今回はライブ途中、美しいピアノは少しお休みされて
山本さんはガットギターを数曲演奏されたのだけど
エレキギターのときよりもすごく空気感が伝わってくる感じで
山本さんの歌声に絡んで、もう絶妙でした。
そして戸川さんのBassの低音がこれ以上ないくらいマッチして。

これまで多かったジャズテイストのアレンジから
ボサノバテイストを取り入れられて
それがもう、原曲越えちゃう感じでとても素敵だった。
スイングテイストなんかもあって。
「若い頃はロック調が好きで、
最近はボサノバとか柔らかい音の感じがすごく好き」と
おっしゃっていましたが
もうぜひぜひいろいろなパターンで
アルバムリメイクしてほしいなあって思いました。

山本さんが最近考えるポップスの良さは
「洒落っ気、色気、ユーモア」だそうです。
爽やかな部分を持ちつつ、エロティックでダークな
部分も自分で歌えたらな、って
仰っていました。
それが歌手としての醍醐味と思うようになったそうです。
間違いなく、今回のライブは3拍子揃ってました。
そして爽やかで、すごくすごく素敵でした。

ライブ終了の後、車でお帰りになる際
ファンの人がぐるっと取り巻いていて
私はいつも人の列の後ろの遠くの方から
「ライブ終わってもファンサービスが丁寧だなあ」って
山本さんの様子を眺めていたわけですが
今回は雨が降っていて
「近隣から苦情が来るので道からはみ出ないでください」って
マンダラのスタッフさんから言われて
いつもより列がタイトだったわけです。
それで私の前にいらっしゃったカップルは
山本さんに握手をされたら大喜びで、
なぜか突然その場を離れてしまって、
そしてそこには笑顔の山本さんが目の前に。
頭の中はパニックになりましたが
山本さんの差し出してくださった右手は
とてもあたたかくて、大きくて
「いつもありがとう」と笑顔でギュッと握手してくれました。
ファンの人みんなに仰るのだろうけれど
それでも、なんだかウレシイ。
びっくりして感動して、なんだかこのまま雨の中に溶けてしまいそうだった。
それでも信じられなくて帰り道、本当に起きた事なのか?って
南青山3丁目の交差点信号待ちの傘の中で
何回も反芻して記憶をたどって。

ピアノとかギターやる方って
握手の時にも力を入れないでサラッと交わすだけかと思ったけど
全然そうではなかった。
2時間ライブで歌って演奏して
本当にお疲れのところなのに、感謝だなあ。


幸せは、突然降るようにやってくる。
神様、ありがとう。
もうすぐ50歳の大台になるので
サプライズプレゼントのつもりでありがたく感謝いたします!


そして山本さんがお身体と心を大事に
大好きな音楽を追求できますように。
posted by Lana-Peace at 00:05| □ アート いろいろ (音楽)

耳の垂れたかわいいウサギ「ロップイヤー」

耳の垂れたウサギ「ロップイヤー」のご紹介。
北海道 函館公園動物施設の
「シフォンちゃん」「オレオくん」
「プリンくん」「シルキーちゃん」です。


病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ どうぶつ」ろっぷいやー(しふぉん)
http://www.keiko-cafe.com/asobo/dobutsu/ly-1.html
「いっしょにあそぼ どうぶつ」ろっぷいやー(おれお)
http://www.keiko-cafe.com/asobo/dobutsu/ly-2.html
「いっしょにあそぼ どうぶつ」ろっぷいやー(ぷりん)
http://www.keiko-cafe.com/asobo/dobutsu/ly-3.html
「いっしょにあそぼ どうぶつ」ろっぷいやー(しるきー)
http://www.keiko-cafe.com/asobo/dobutsu/ly-4.html
http://www.keiko-cafe.com
posted by Lana-Peace at 00:04| ◎ お散歩気分:動物・魚・鳥・虫

2018年06月25日

2000年前の6歳の少女の死出の旅を彩った金の葬送用マスク(国立サウジアラビア博物館所蔵)

先々月、国立東京博物館で開催されていた
『アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝』を見に行きました。
そこには金のマスクと美しい宝飾品があったのですが
それらは6歳前後で亡くなった少女の副葬品として
サウジアラビアのテル・アッザーイルで出土したと知りました。

当日はこの展示品に関して1枚パネル解説があったのですが、
情報が少なかったのでいろいろ調べてみました。
するとその中で2010年に開催されたパリの
ルーブル博物館特別展冊子『Roads of Arabia』に
Claire Reeler氏とNabiel Al-Shaikh氏が寄稿されていた
「THE TOMB OF THAJ」の章にこのマスクに関したことが
詳しく記されていたので、
今日はそちらも参照しながら、ご紹介したいと思います。

※2010年ルーブル美術館特別展カタログ
『Roads of Arabia: Archaeology and History of the Kingdom of Saudi Arabia』
参考章 Claire Reeler, Nabiel Al-Shaikh「THE TOMB OF THAJ」(2010) , pp.392-397



2000年前の親心がひしひしと伝わってくる
金のマスクと宝飾品の数々です。

詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
アート・歴史から考えるグリーフケア
「金の葬送用マスク」
(国立サウジアラビア博物館所蔵)
http://www.lana-peace.com/2/2-4-053.html

「どうしてそんなにドライなの?」 そこに隠れていた父の本当の気持ち

お子さんが亡くなった後、親御さんの間で感情のずれを
感じる方もいらっしゃることでしょう。
あるお母様はご主人の様子がどこかドライな感じがして
「どうしてそんなに簡単に割り切れるの?」って違和感があったそうです。
自分は涙が溢れて仕方がないというのに……。

しかしある日、ご主人にそれを尋ねた彼女は
そこに隠された大きな意味に気付くこととなりました。
ご主人は自分が気持ちを切り替えなければ
家の中が立ち行かなくなる、そう思ったからだそうです。

家には専業主婦の妻とこども。
その生活を経済的に支えるのは働きに出る自分。
生き残っている家族を支えるのは自分だ、
その責任感をしっかり果たすためには、
自分ができることはまずは働くことだ。
そのためには悲しむばかりではいられない。
そう彼は思ったのです。
ドライに割り切ったような印象を与えるような振る舞い、
それは自分自身を鼓舞する意味もあったのかもしれませんね。

彼女はそこからご主人の心の中の本当の悲しみや
家族に対する深い愛情を改めて知ることとなりました。
そしてこれまで以上に相手の気持ちを推し量るようになりました。

良いご夫婦関係だなって思いました。
お互いがそれぞれの役割をしっかり頑張って果たして
お互いを認めて支える、
それが前進のための一歩なのだなと思いました。

彼女がもしご主人に尋ねなければ、ずっと誤解したままで
不信感が募っていたかもしれません。
話すって大事だなって思いました。

北海道 松前の樹齢300年「血脈(けちみゃく)桜」

先月訪れた北海道松前の光善寺には
「血脈(けちみゃく)桜」が
枝をいっぱい伸ばして咲いていました。
あまりに枝が長くて支えを必要とするくらいでした。

殆どが新緑の葉桜でしたが
まだ一部咲き残っていたので
濃いピンク色の花を見ることができました。

木の高さは8m、幹回りは550pもあるそうです。
樹齢300年の木の生命力に圧倒されました。
頑張っている姿、素直に感動です。



病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ き」けちみゃくざくら
http://www.keiko-cafe.com/asobo/ki/sakura/sakura-matsumae18056.html
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posted by Lana-Peace at 07:56| ◎ お散歩気分:花・植物・木

2018年06月23日

桜のマンホール(東京 上野恩賜公園)

東京 上野恩賜公園のマンホール、
全面に桜がデザインされていました。
お花見の季節を問わず、良いですね。

こちらは高圧。
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こちらは低圧。
DSC05639.JPG

「お子さんは何人ですか?」 その問いに戸惑う時

あるお母様とのお話の中で
「そうなのか……」と思ったことがありました。

お子さんが亡くなった後、新しく出会った人に
お互いを知るという意味で
話の流れの中で「お子さんは何人ですか?」って
尋ねられることありますね。
でもそういう時、これからつかず離れずといった距離感で
ある期間(例えば学校のPTA活動とか)
お付き合いが必要な人との間では
どう答えるべきなのか?

これまでお子さんが2人で、例えば下のお子さんが
病気で亡くなってしまった時、
「うちは1人です」と答えるか。
「うちは2人です」と答えるか。

お子さんが亡くなったこと、病気だったことを
全く知らない人に、そういう話を深く詮索されたくない、
そう思う気持ちは当然のことだろうと思います。
なぜなら相手の不用意な言葉に
心が深く傷つくことがあるから。
たとえ慰めの言葉をかけられても
それがストレートに心に優しく染み入るわけではないから。

だから彼女は初めから「1人です」と言う時もあるのだそうです。
そしてその時、亡くなったお子さんに
ごめんね、って心の中で手を合わせるのだそうです。

自分のこれまでたどってきた時間を話して
そこで何か心が通い合うものを感じられる、
そう思える人だったら、2人って言えば良いのだと思います。
でも辛い気持ちを掘り起こされて、
自分でもその後不安定なままになってしまいそうだったら
1人って言えば良いのだと思います。

100歳も過ぎたようなお年で天寿を全うされた方の死は
「大往生でしたね」そういう会話が続きます。
でもこどもの死、それは周りの人にとっても
何と言葉を続けて良いのかわからなくなる……
それが大半なのだと思います。
何か伝えたくても、どれもこれも薄っぺらな言葉に思えて。

「お子さんは何人ですか?」
その質問によってあなたの1日がフリーズしてしまう、
そう感じる時は、何人と答えようと、
あなたの心の思うままで良いのだと思います。

2018年06月22日

信念がどん底から引き揚げてくれる ―娘を亡くした母の強さ

お子さんが亡くなった後、視覚的に確認できる身体がないことは
本当に「寂しい」ものです。
いつも通っていた病院、長く過ごしていた病室
そこに行っても会えない現実。

でもあるお母様がこうお話してくださいました。
「肉体はないけれどそばにいる。だったら楽しく過ごそうと思う。」
今この瞬間も、いつでもそばで見守ってくれているんだ…
そばにいる、彼女は真剣にそれを信念として
心の中にしっかりと打ち立てていました。
そしてそれが見事に彼女の気持ちを変えていったのです。

亡くなったお子さんの立場から考えてみれば
「こんなに近くにいるのに、どうしてママは悲しい顔してるんだろう。
ママはどうして私の事わからないのかしら?」
そう思ってしまうものね。

そしてそれは共に生きているごきょうだいも同じこと。
いつまでも自分が日々悲しみのモードで送ることは
まさに今ここに生きているお兄ちゃんの存在を
ないがしろにしてしまうことになるから。
「ねえ、僕はここにいるのに。僕って一体何なの?」
そう寂しく思ってしまうものね……。
こどもだって自分の存在を否定されたような気持ちになるものね。
どんなに小さくたってわかるもの。


自分の悲しみを全面に出し続けることは
自分がお兄ちゃんの人生を犠牲にしてしまうことにつながる、
そう思った彼女は悲しい気持ちはあるけれど
でも、日々楽しく過ごせているよ、と
言えるように変わりました。
亡くなったお嬢さんもそばにいるし
そしてまさに今生きているお兄ちゃんもそばにいるし。
共に泣いてくれて、そして共に生活に楽しさを見出してくれる
ご主人もいるし。


人間の心は複雑なもの。
いろいろな感情が同居して、刻々と変わりながら生きている。
でも、何か信念の柱をしっかり心の中に打ち立てると
その後の進む大きな道、その方向性が決まるのだと思う。

他人がその信念をどう思おうと、そんなことは関係ないのです。
悲しくても苦しくても、彼女は今世の天寿を全うするまで
彼女の人生は続いていく。
その中で、娘が夭逝したこと、その事実が
彼女の人生を暗転させたきっかけとして
このまま自分の人生を過ごし、終えるのは
とても耐え難かったのだと思う。

それは自分が辛い、そういうことではなくて
娘があまりにも気の毒だから。
自分が悲しみすぎることは
娘を親不孝な子にさせてしまうから。
お嬢さんは親不孝な子なんかじゃない。
彼女にいろいろな気付きと学びと
たくさんの愛情を与えてくれた
素晴らしいお嬢さんなのだから。

彼女に昨夏お目にかかったときは
もう彼女の心が擦り切れてちぎれてしまうのではないかと思うほど
とても限界にきていたけれど、
先日お目にかかった時は、生きるエネルギーが甦ったようでした。
彼女は今では誰か同じような境遇の人の力になりたいと
思うようになったそうです。

それは彼女が信念と共に
そして魂の形で自由になったお嬢さんと共に今生きていると
彼女が実感していることが大きいのだと思いました。


心が散り散りになるほどの苦しさを経た彼女は
本当にまぶしいほどに美しかったです。

きっとお嬢さんが彼女の進む道に光を照らし
彼女はそれをしっかり受け取って歩んでいるからだと思います。

昭和初期のステンドグラス(東京・上野 国立科学博物館日本館)

先日訪れた国立科学博物館、地球館と日本館の2つから成り立ちますが
日本館の建物はクラッシックな趣漂うものでした。
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それもそのはず現地解説板によるとこちらの建物、
関東大震災による震災復旧を目的として昭和6(1931)年、
文部省大臣官房建築課による設計の元、
耐震・耐火構造に注意を払われて造られたのだそうです。
建物内部はまるで一昔前の洋館のような雰囲気が満載でした。

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そしてドーム状の天井や壁側面にステンドグラスが用いらていました。
こちらは大正・昭和に活躍したステンドグラス工芸家
小川三知(おがわさんち)氏のアトリエ制作によるものだそうです。
三知氏は昭和3年に他界されていますから、師匠亡き後、
スタッフが総力あげて完成されたものなのだろうと思います。

この下がちょうどステンドグラスの天井なのだと思います。
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館内に「学問」の香りを漂わせる美しい作品です。





posted by Lana-Peace at 07:59| □ アート いろいろ (街の中)