2017年12月18日

縄文時代、片足の麻痺を生き抜いた人 ―岩手県 中沢浜貝塚出土の人骨から考える

岩手県陸前高田市の広田半島に位置する中沢浜貝塚、
そこは縄文時代からの遺構が見つかっている場所です。
海抜5〜20mの場所の地点にある貝塚ですが、
かつて縄文時代には縄文海進と言って今よりも気温が高く
水面も高かったことから、遺跡前面まで海が湾入し、
白砂の砂浜があったのだそうです。
海の大きな恵みを得ながら暮らした人々の生活。
その貝塚から見つかった人骨KG-40は
生前ポリオに罹患したことが推察されています。
左右非対称で見つかったその骨。
そこには片足麻痺となりながらも、
懸命に自分の人生を生きた証が現われています。




詳しくはこちらに書きました。


Lana-Peaceエッセイ
病気と一緒に生きていくこと
「縄文時代、片足麻痺でも自分の人生を歩む 2. 岩手県」
http://www.lana-peace.com/1/1-1-103.html
posted by Lana-Peace at 07:25| ◎ 麻痺と生きるこどものために

「ヤマメ」「ランプサッカー」

今日は丸のお魚のご紹介。
身体に丸い模様のあるヤマメと
丸い吸盤のあるランプサッカーです。

病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ みずのいきもの」やまめ
http://www.keiko-cafe.com/asobo/mizu/mizu-389.html
「いっしょにあそぼ みずのいきもの」らんぷさっかー
http://www.keiko-cafe.com/asobo/mizu/mizu-406.html
http://www.keiko-cafe.com/
posted by Lana-Peace at 07:00| ◎ お散歩気分:歴史・狛犬

2017年12月17日

川崎市夢見ケ崎動物公園(5)秋草文壺

川崎市夢見ケ崎動物公園のある加瀬山を降りて住宅街の中を歩くと
国宝 秋草文壺の出土した記念碑が立っていました。

DSC05878.JPG

白山幼稚園の道を挟んで向かい側にあるこの石碑。

DSC05884.JPG

右 川崎道 末吉橋 神奈川道
恋路 近くから国宝秋草文壺出土
左 北加瀬の辻 平間の渡し 小杉道
と書かれています。
「近くから」とあるように、ここがまさに出土の地というわけではありませんが、
公園という公共の場所なので石碑を立てやすかったのでしょうか?

DSC05885.JPG

この石碑の奥は広場と遊具の設置された北加瀬熊野台公園。
こどもたちや近隣住民の憩いの場になっていました。
DSC05882.JPG

さてその秋草文壺、慶応義塾所蔵で、
現在は東京国立博物館寄託となっているとのこと。
なぜ慶応がこの壺を?と思ったところ
慶應義塾中等部教諭 大澤輝嘉先生の「日吉キャンパスの遺構と施設」
(『三田評論』2015年2月号)
に詳しく出ていました。

---* 引用開始 *---
「昭和五(一九三〇)年二月、義塾は日吉台に学校用地として約十二万坪を確保した。そのうち七万二千坪あまりが、東京横浜電鉄から寄付された土地であった。翌六年から開始されたキャンパス造営と並行して、文学部史学科による発掘が始まった。断続的に行われた調査で、それはキャンパス内に留まらず周辺にあった数個の古墳にも及び、後述するいくつかの遺構や出土品が発見された。(略)」

「義塾校地から南方約一キロメートルにある川崎市幸区南加瀬に加瀬山と呼ばれる独立の小丘陵にあった、長さ八十七メートルに及ぶ前方後円墳の白山古墳の後円部直下からは、昭和十七年四月に「秋草文壺」が、火葬骨を納めたままで発見された。粘土を敷いて川原石を積んだ遺構内から出土したこの壺は、高さ四十・五センチメートル、口径十七・六センチメートル、底径十四・二センチメートルの大型のもので、素地は灰白色の砂質の粘土で、これを紐巻き上げに成型してあり、ラッパ口で肩の張った堂々たる形をしている。肩の部分には厚くオリーブ色の自然釉がかかり、これが胴に五条流れ落ちている。

 この壺をさらに特徴づけているのは頚と胴とに刻まれている文様であって、ススキやウリ、柳などの植物と、トンボや規矩文もをへら描きによって、力強く流麗に描いてある。これが平安王朝貴族の美意識に通じるものがあり、この壺を秋草文の壺と呼ぶ由縁となっている。また文様とは別に、口辺部に「上」の文字が刻んであり、この壺が何か特別の目的で作られていることを示している。」---* 引用終了 *---

なるほどー。そうなのですね。そう知るとますます秋草文壺の出土したこの地、
随分昔から文化の高い土地だったのだなあと、改めて思います。

秋草文壺の写真は大澤先生の論文内でもモノクロで登場しますが
文化遺産オンラインのHPはカラー写真なので、せっかくなのでご紹介します。
ススキが風にたなびく姿は何だかとても切なく、渋い。
骨壺としてこれを選んだ人のセンスがキラリと光るような逸品です。

また秋草文壺石碑近くにあった現地の解説板によると
この記念碑近くにあった前方後円墳の白山古墳から
昭和12年の発掘調査により三角縁神獣鏡などの副葬品が出土しましたが
戦前の川崎に進出した工場用地の盛土用として削られ、ほぼ消滅したのだとか。
築造時期は4世紀後半と伝わる白山古墳。
ということは1600年近くの間、誰もそこに手をつけないで
守り伝えられていたというのに、
工場用地の盛土を用意するために壊したのだと???
何てことでしょう!
何だかなー。現代人。と思ってしまう。
posted by Lana-Peace at 14:11| ◎ お散歩気分:歴史・狛犬

川崎市夢見ケ崎動物公園(4)加瀬山第3号墳 横穴式石室

いよいよ加瀬山第3号墳のご紹介です!
現地看板によると加瀬山第3号墳は7世紀の古墳です。
平成23年川崎市・日吉郷土史会設置の看板は中頃、
昭和60年川崎市教育委員会設置の看板は後半と書かれていましたが
まあ、7世紀ということですね。

さて落ち葉のたくさん積もった階段を下りていくと、
斜面途中に横穴式石室の開口部が見えます。

DSC05828.JPG

DSC05829.JPG

DSC05838.JPG

つまり古墳そのものの上を歩いて降りるということ?
当時の人が見たら驚愕の場面かもしれませんが…。

南側の開口部には金属の格子状の蓋がしてあるのですが
その丁度隙間にレンズを当ててとってみると
こんな感じです。

DSC05834a.JPG

前室、玄室へと続く横穴式石室です。
面取り加工を施した石が積み重ねられる切石切組(きりいしきりぐみ)の
手法がとられており、仏教伝来時の寺院建築の技術が取り入れられたものと
考えられるのだそうです。

昭和28年発掘調査が行われ、鉄釘、麻織断片、須恵器小片
成人男子の人骨片が発見されたそうです。

1400年位前にどなたかを大切に葬った跡。
その方はきっと天の世界で、人々を守る存在になっているでしょうが…。

この石室が現代に残っているということは、
1400年前、この加瀬山が確かに存在して、
大地震があっても崩れることなく、ずっとこの地にあったということですね。
石室の上あたり、山の斜面に生えている木々も太くて
こんなにしっかりした木の根は石室を壊さないんだろうか?とか心配したり。
DSC05839.JPG
でも壊れずに来ていたことが、何だかすごいというか…。
ここの土地のパワーがありそうな、そんな気がする加瀬山第3号墳でした。 
posted by Lana-Peace at 13:12| ◎ お散歩気分:歴史・狛犬

川崎市夢見ケ崎動物公園(3)古墳の上の広場と木のトンネル

了源寺と慰霊塔の間は大きな広場になっていました。
ここには公園周辺に築造されていた白山古墳(前方後円墳)と加瀬台7号古墳(円墳)の
実物大が再現される目印がありました。
大きさが分かるように、という意味なのだろうと思います。

DSC05775.JPG

DSC05794.JPG

広場はこどもが走り廻ったり、
シートを広げてお弁当を食べる家族連れもいました。

そこには太陽光発電装置が。こちら現地の解説板によると
宝くじの普及宣伝事業として整備されたもので
マイコン制御で自動的に太陽を追いかけて発電し
電力会社からきた電気と合わせて
動物園内の動物病院と公園事務所などで使用しているのだそうです。
古墳の上に、現代科学の知恵あり。
DSC05774.JPG

さて、その中で気になったのが、太陽発電の裏にあった木のトンネル。

DSC05782.JPG

木に囲まれた空間が道のようになっていて、超至近距離の森林浴です!
身長の低いこどもの視線から見たら、きっと森の中を探検しているような
気分になるんだろうなあ。

DSC05784.JPG

大人もドキドキする感じです。
上を見ても横を見ても木の枝と緑。
下は開いているので光は入ってきます。
posted by Lana-Peace at 12:44| ◎ お散歩気分:歴史・狛犬

川崎市夢見ケ崎動物公園(2)古墳いろいろ

公園内の看板に全体地図がありましたので、
そちらを参考に古墳と場所を私の方で付け足しておいた図を載せておきます。
当日は私、よくわからないまま行ってしまったので
現地についてから「こんな風になっているのか」と把握したわけですが
結局時間の都合もあり、@とAのあたりは行っていないのが残念です。

DSC05798.JPG

@ 第1号墳(滅)--幸区役所東出張所北
A 第2号墳--慰霊塔の東方向
B 第3号墳--了源寺より南方向斜面、横穴石室あり!
C 第4号墳--了源寺と動物病院の間
D 第5号墳(滅)--サル舎付近
E 第6号墳--熊野神社あたり
F 第7号墳--天照皇大神あたり
G 第8号墳--富士見ウッドデッキ北方向
H 第9号墳--時計塔そばのお手洗い近く

A 第六天古墳(滅)
B 白山古墳(滅)
C 秋草文壺出土
posted by Lana-Peace at 12:38| ◎ お散歩気分:歴史・狛犬

川崎市夢見ケ崎動物公園(1)太田道灌と山吹

当日は横須賀船新川崎駅から西側に跨線橋を渡って
そのまま西へと直進するルートで行ってみました。

住宅街の中、木々が生い茂る小山が見えてきます。
こちらが動物公園のある加瀬山です。
DSC05417.JPG

現地解説板によるとかつて6000年ほど前、
今より年平均2度ほど気温が高く、
このあたりは海で縄文海進と言って海面は今より4-5m高く、
加瀬山は海に浮かぶ島のようだったのだそうです。
加瀬山へ向かう道が海底だったと思うと何だか不思議です。

新川崎駅から西に直進して右にセブンイレブン、
左に紳士服アオキが見えてくると
それを少し過ぎて、右にゴルフ場、
北加瀬2丁目のバス停のところで左折します。
すると少し急な斜面の上り坂が見えてきます。
これが動物園へ向かう道となります。

動物公園の名称が「夢見ケ崎」ですが、現地解説板によると
こちら室町後期の武将 太田道灌と関係があるそうで
この地に城を築こうと陣を敷いた道灌はその晩、一羽の鷲が
自分の兜を持ち去る夢を見たことから、
築城を諦めたという言い伝えが残っています。

また、この地には山吹の花がたくさん咲くそうですが、
道灌には山吹の花にまつわる言い伝えがあるそうです。
坂道の途中にその解説があったので、パチリ。

DSC05415.JPG

道灌が武蔵野の地でにわか雨に降られ、何か雨をしのぐものを借りようと
ある家を訪れた時、その家の娘から差し出されたのは山吹の花。
どういう意味かわからなかった道灌ですが、後に歌の真意を知ったのだとか。
「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき」

八重の山吹はどんなに美しく咲いても、
実が1つもならないとは、何と悲しいことだろう
という意味ですが、そこに雨をしのげる蓑1つさえ、
差し出せないとはなんと悲しいことか、
という事態をその家の娘は重ね合わせていたというわけです。

その話は帰宅後調べてみると江戸時代の逸話集『常山紀談(じょうざんきだん)』
に掲載されており、七重八重…の歌は
醍醐天皇の第十六皇子兼明(かねあきら)親王の詠まれた歌だそうです。
研究者の間ではこの七重八重…の歌に感化された道灌の話を
作為的だとか換骨奪胎、説話仕立てといったふうに
見られる方もいらっしゃるようですが
まあ、私はただの一般人なので
そのあたりは純粋に説話に心動かされて楽しむとして。

山吹の花はこの地、川崎市幸区の花に指定されており
春になると加瀬山は桜と山吹がたくさん咲くのだそうです。
ピンクと黄色に包まれて動物園に向かうなんて、
それもまた実に風流ですね。

結構急な坂道で看板を読みながら息を整えて、
紅葉に出迎えられて加瀬山頂上に到達すると
そこには富士見ウッドデッキ。
お天気が良ければ富士山が見えるそうです。

DSC05418.JPG
posted by Lana-Peace at 11:40| ◎ お散歩気分:歴史・狛犬

川崎市夢見ケ崎動物公園(神奈川県)と歴史散歩

神奈川県川崎市幸区、JR新川崎駅から歩いて10分ほどのところに
夢見ケ崎動物公園があります。
先日けいこかふぇの取材を兼ねて行ってみたのですが
こちら入場無料の動物公園なのですが思った以上に充実していてびっくり。
当日は小さなこどもをつれた家族がたくさんでした。

そして特筆すべきは、この動物公園、実は古墳の上にできているのです!
そして大人の歴史散歩としてもかなり見応え十分です。
詳しくはこれから書きますね。

DSC05819.JPG
posted by Lana-Peace at 08:36| ◎ お散歩気分:歴史・狛犬

2017年12月16日

信じる力が生み出したもの ―辛さを乗り越える力を身につけた母

とても大きな手術を経てICUからようやく一般病棟へ移って
ほっとしたのもつかの間、今度は別の手術が必要になったり
コードブルーの館内放送がかかって
山あり谷あり、はらはらする日が続いたけれども
それでも、こどもの生きる力はすごい。
すっきり晴れた青空の良いお天気のもと、
おうちで家族水入らずの生活をはじめることができて良かったね!

こうして嬉しい退院の日を迎えられたのは
信じる力があったから。
お母様が我が子の生きる力を信じていたから。
そして、母自身の力も信じて頑張ったから。
お母様からのお手紙に綴られていた言葉。

母自身の力って何なのか?
それはどんなに我が子が苦境になっても、
そこから逃げないで、ママはあなたと一緒に頑張るわよ、っていう
辛ささえも手放さない力のこと、なのだと思う。
心の中は大雨なのに、ぐっとこらえて
心が壊れそうになりながらも
何とか頑張ってきた彼女。
その彼女がこらえきれずにポロリとこぼした涙は
本当に切なかったね。
でも、でも、彼女は辛さを手放さない力を
いつのまにか難局を乗り越えていく力へと変えていったのです。

お母様、最初にお目にかかった時よりも、
何十倍もしなやかに強くなっていました。

あなたがあんなにニコニコしてご飯を食べている姿
あの時のお母様には想像すらできなかっただろうけれど
辛かった日々は、いつか懐かしく思い返す日々へと変わったね。

これからは後ろは振り返らないで前を見る、っておっしゃった
お母様の笑顔がすごくすごく輝いていました。

そして我が子の看病を通して様々に知った経験を
これから同じような立場のこどもやご家族のために
何か還元していきたいと思うようになったのだそうです。
彼女とお子さんのお話は
絶望の縁すれすれに立っているご家族にとって
きっと希望の光になると思う。
信じるって大事だなあと。

信じたら、それだけで良くなるのか?
それじゃあ、治療なんていらないじゃないか?
そういう意地悪な見方をされるかもしれない。
でも、でも。
考えてみてください。
信じることによりその人自身の行動が変わってくる。
お子さんにかける言葉が変わってくる。
人が作り出す雰囲気、空気感が変わってくる。
それは医療の力でどうにかできる範囲を超えたところ。
そしてその雰囲気、空気感の中でお子さんが過ごすということ。
つまり信じるということは
医療の良い力をサポートしたり、加速させるために必要で
何よりお子さん本人にとって居心地の良い空気感の漂う病室を
作ってあげるということ。

入院中、自由に外出ができないこどもにとって
何となく気まずい病室の雰囲気の中でずっと寝起きするのか?
それとも、明るいトーンの中で過ごすのか?
もしもあなたがそのこどもと同じ立場だったら、
どちらを選ぶ?

信じるってそういうこと。
昨日よりは今日、今日よりは明日、
ちょっとずつ良くなっていくことを信じること。
そして昨日よりは今日、今日よりは明日
もしもちょっとずつ悪くなっても
きっと何日か先にはトータルで見たら
良くなっていくって信じること。

こどもの生きる力はすごい。
小さな小さな身体だけど、そこに秘めているこどもの生きる力は
大人の余計な邪念を払いのけてくれるほど。
それをあなたの小さな背中は教えてくれた。

ようやく待ちに待ったおうち。
パパ、ママと一緒にあなたがすくすく大きくなりますように。
これまで辛かった日が健康なこどもよりも何十倍もあったから
だからこそあなたには、これから幸せが何十倍もありますように。

2017年12月15日

「アサバソウ」「斑入りニンギョソウ」「コデマリ ピンクアイス」

はっぱに白い模様がある植物のご紹介。
「アサバソウ」「斑入りニンギョソウ」「コデマリピンクアイス」です。

病気で外に遊びに行けないお子さんに
見せてあげたいなと思ってのせました。

けいこかふぇ
「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」あさばそう
http://www.keiko-cafe.com/asobo/ohana/asabasou.html
「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」ふいりにんぎょそう
http://www.keiko-cafe.com/asobo/ohana/fuiriningyosou.html
「いっしょにあそぼ おはな・しょくぶつ」こでまり「ぴんくあいす」
http://www.keiko-cafe.com/asobo/ohana/kodemari2.html
http://www.keiko-cafe.com/
posted by Lana-Peace at 00:08| ◎ お散歩気分:花・植物・木